第6章 誕生日

1.3月15日

 3月15日は、自営業者にとっては、特別な日だ。
 玉澤先生は、朝から地元の税務署に確定申告書を提出に行っている。今どき、電子申告もできるし、そうでなくても郵送でかまわないのだが、玉澤先生は毎年、自分で提出用と控えを持って税務署に行き、控えに受領印をもらって帰ってくる。人任せが嫌いな玉澤先生は、確定申告書も税理士に頼まず、自分で作成している。
「玉澤君にとっては、毎年3月15日は哀しい日なの。日頃きちんと見ていないから、確定申告の準備というか、計算ができて初めて昨年の売上と経費をはっきり認識するの。それで、昨年はなのか、昨年もなのか、こんなに稼げなかったのかと実感して哀しくなる。まれに、たっぷり稼げた年は、こんなに税金を取られるのかと、やっぱり哀しくなるようよ」
「玉澤先生がそんなに税金を払わされるときもあるんですか」
「そんなにはないみたいだけど。でも自営業者は、給与所得者みたいに実際には使ってもいない必要経費を控除してくれる給与所得控除みたいな制度はなくて、実際に使った経費しか控除できないし、それも領収書を取ってないと控除できなかったりするし、所得税以外に個人事業税なんてものも取られるもの。世間ではクロヨンとか言って、まるで自営業者は脱税のし放題みたいに思われてるけど、きちんと申告するずるをしない自営業者にとっては、今の税制はかなり厳しいわね」
「そうなんですね。つい自分が給与所得者だから、そういう意識は持たないんですが。そうすると、今日は玉澤先生、不機嫌ですかね」
「心配しないでも、私たちに八つ当たりすることはないわよ。それに、去年から、この日の雰囲気が変わったから」
「私としては、そこ、複雑な気分ですけど」
「フフフ、お帰りよ」
「おはよう」
「おはようございます」
 玉澤先生が、ドアを開けて入ってきた。
 話に気を取られて確認し忘れた。今日は、六条さんに先に気づかれたか。しかし、なんて勘がいいんだろう。

2.誕生日

 今日は、私にとっても、特別な日だ。
 おやつ休憩タイムが近づき、六条さんがいそいそと冷蔵庫を開け、ケーキを運び出した。
「ジャ~ン。今日はホールケーキよ。狩野さんの好みを重視してフルーツ山盛りのにしようかとも思ったんだけど、やっぱりバースデーケーキの王道はこっちかなと思って」
 生クリームのデコレーションにイチゴがいくつものったホールケーキに、『まあやちゃん、おたんじょうびおめでとう』と書かれた大きなプレートがのっている。
「わあ、六条さん、ありがとう。うれしい。このプレート、ミツバチの絵が描いてある」
(このプレート、六条さんは店の人に何歳の誕生日だって言ったんだろう)
 ケーキの真ん中に数字の2が書かれたろうそくと7が書かれたろうそく、2本が刺さっている。
「ろうそく27本刺そうかとも思ったんだけど、そうしたらケーキがぐちゃぐちゃになっちゃうと思って」
「ええ、これで大満足です」
「ええと、じゃあ、ろうそくに火をつけましょうか」
「あ…それなら、ちょっと待ってくれます?」
 私は、ショルダーバッグからデジカメと伸縮式のミニ三脚を取り出し、カウンター式のテーブルに三脚をのせてセルフタイマーをオンにして、玉澤先生と六条さんの間に割り込んで座り、「チーズ」と言って微笑んだ。
「もう1回!」
 私は、またカメラの後ろに回って、撮影範囲を再確認してセルフタイマーをオンにして、玉澤先生の前を通ってまた2人の間に座る。出入りする度に素知らぬ顔で玉澤先生に軽く体が触れるのを楽しんでいることは、きっと六条さんはお見通しだろうけど、私は、今を楽しんではしゃいでいた。
「あとは私が撮影してあげる」
 六条さんは、私のデジカメからミニ三脚を外して畳み、カウンター式テーブルに横たえ、デジカメを構えて並んで座る私と玉澤先生に近づき、ろうそくに火をつけた。
 ハッピーバースデーを歌う2人に囲まれ、私は上気しながらろうそくの火を吹き消す。六条さんはその様子を手際よくパシャパシャと撮影していた。ろうそくの火が消えたあと、六条さんはさらに寄ってきた。
「たまピ~、もっと狩野さんに寄って。ほら、照れないでくっつきなさい。狩野さんも、お誕生日の特権。たまピ~に頬寄せて」
 六条さんに言われるままに、私は照れる玉澤先生をチラ見して大胆に頬を寄せた。
「う~ん、いいよ。いい感じ。そのまま、もう1枚」


 六条さんが買ってきたバースデーケーキは、シンプルなイチゴのケーキだったけれど、生クリームが口の中で上品にとろけ、スポンジも滑らかだ。私は、ますます幸せな気分で、片付けをする六条さんに囁いた。
「六条さん、本当にありがとう。すごくうれしいです。今日はとってもサービスがいいんですね」
「ふふふ、貸しにしとくから、私の誕生日に返してちょうだいね」
(そういうことか。うん、でも確かに、受けた恩義は返さなきゃ)
「六条さんの誕生日って6月でしたよね。玉澤先生と同級生だから、今度の誕生日は還…」
 そこまで言いかけて、六条さんの目が一瞬で険しくなるのを感じ、私は言いよどんだ。
「レディに向かって、それは禁句だと思わない?」
「あ、いや…今度の誕生日は、かん、かん…関東一本締めでお祝いしましょうかと思って」
 ピンポ~ン♪
 私のピンチを救うゴングのように、4時に予約している相談者が訪れた。

3.美咲-4

「え~っ、なぁに、このケーキのプレートのミツバチの絵、かわいすぎる!」
 夕方になり、私の誕生日を祝うために美咲が予約してくれたビストロで、私のデジカメの写真を見ながら、美咲が声を上げた。
「いいでしょう」
「わぁ、この写真、すごいね。麻綾、幸せの絶頂って顔してる。横の玉澤先生の照れた顔がまた、かわいいし」
「そうでしょう。私もあとから眺めてつくづく思った。この写真、これまでの私のベストショット」
「本当に、いい顔してるねぇ。六条さんって、意外にいい人なんじゃない?」
「意外にって、いい人だよ。前からそう言ってるでしょ」
「え~っ、いつも愚痴ばかり言ってたじゃん。氷のように冷たい意地悪ばばあだとか、面の皮の厚いタヌキ女だとか」
「えっと、そんなこと言ったかな、私」
 私は、美咲にこれまで言い募った過去の会話を思い起こしつつ、罪の意識にうつむいた。
「こういう写真って、被写体に対して愛がないと撮れないよ。いや、本当にいい顔してるわ、麻綾」
「うん、この写真を撮ってくれただけでも、過去はすべて水に流そう」
 私は、美咲から再度デジカメを受け取り、改めてそこに映るつい数時間前の自分の心から幸福を感じている輝くような笑顔を見つめ、六条さんに感謝しつつ、デジカメをしまった。デジカメをバッグにしまうとき、何か忘れ物をしているような気がしたが、思い出せなかった。

第7章 襲撃 に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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