「アイ・イン・ザ・スカイ」(映画)を題材に法を考える

問題提起

 映画「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」(Eye in the Sky :2015年、イギリス:日本では2016年12月23日公開)では、ケニヤのナイロビの過激派「アル・シャバブ」支配地域内の家屋に国際指名手配中の幹部らが集結し、付近に送り込まれたスパイが家屋内に飛ばした盗撮ビデオカメラ映像によって自爆テロの準備をして出撃が近づいていることが判明したという状況の下、20000フィート上空を飛ぶヘルファイアミサイル2基を搭載したドローン(無人機)からその家屋を映したクリアな映像を見ながら、イギリス軍統合司令部、内閣、ドローンを操縦するアメリカ軍基地(ネバダ州)の3者を結んで、作戦が議論されます。
 当初は、特殊部隊が家屋に突撃して指名手配犯らを捕獲する作戦でしたが、最重要対象者の確認ができないうちに移動されて過激派支配地域内の家屋に移られたため、捕獲作戦は犠牲が大きくなりすぎると判断されました。軍人は殺害への作戦変更を主張し、政治家は上の許可を求めるべきだと自らの責任を回避し、法律顧問は法的な正当性がないと述べ、議論が紛糾します。最終的にアメリカの国務長官が爆撃を許可すると言ったことで爆撃の準備に入りますが、その最中にその家屋の前で少女がパンを売り始め、爆撃をすれば少女が死亡する確率が65~75%と計算されます。
 この状態で、対象を殺害したい軍部と、法的正当性に疑問を持つ法律顧問の間で、自爆テロにより失われるかもしれない「80人の命」と1人の少女の命をめぐり、爆撃を実行するかどうかのせめぎあいが始まります。

 

自爆テロを目前にして法は何を求めているか

 たぶんふつうの法的な考えでは、少なくとも私の感覚では、自爆テロを準備して敢行しようとしている人物は、爆発物を持って公道に出たところで爆発物所持の現行犯として、過激派の幹部は国際指名手配されているというのですから当然に逮捕令状が出ているはずなので令状により、いずれも逮捕はできるでしょうし、それで起訴・刑事裁判と進むべきで、裁判なしで殺害することは法的には許されません。
 そのような答に対しては、生ぬるい、悪をなそうとする者に対しては厳しく当たるべきであり罪なき者を危険にさらすべきではないなどの意見があるでしょう。今どきはそういうふうに言いたがる人が、多数を占めそうな気がします。
 しかし、自爆テロを防ぐためにテロリストを殺害してよいという考え方は、国家権力の行使をテロリストの自爆テロと同次元に引き下げ、貶めるものです。国家権力の行使は、それが国家権力であるがゆえに(その理由が国民の信託によるものであるからか、権力が巨大であるからかは置いても)謙抑的な行使が求められ、また正義を具現するために行使されるべきであり、適正手続を守って行われるべきですし、権力を行使する者には一定の矜持(ノブレス・オブリージュ)が求められます。テロリストが悪を行うのだから、国家も同様に目には目をでいいというのは、子どもの喧嘩レベルの議論でしょう。ブッシュが「対テロ戦争」などと言い出してから、アメリカという国は、そのレベルで議論するように成り果ててしまいました。その「同盟国」も、そのレベルに落ちる国が多いようです。床屋談義であればともかく、権力を行使する人物がそのレベルでいることに、私は、戦慄を覚えます。 

 

「80人の命」と1人の命の二者択一は本当か

 この作品では、自爆テロで失われるかもしれない80人の命を守るために1人の少女を犠牲にしてもテロリストを爆撃すべきか、という問いが度々投げかけられています。
 この種の「究極の選択」を迫りたがる多くの作品同様、この「二者択一」には疑問があります。
 そもそも「80人の命」自体、もともと人混みで自爆テロを敢行したらそれくらい犠牲者が出るかもしれないというさしたる根拠のない推測ですし、自爆テロが成功するかどうかには多数の不確定要素があります。
 この作品の事例に基づいてより具体的に言えば、イギリス軍幹部らは長時間にわたり上空からの監視を続けて議論しているわけですから、まずは捕獲作戦のために待機させている特殊部隊を過激派支配地域の外側に移動させて待機させておくべきで、自爆テロの行為者が移動を始めればそれを上空から監視を続け、支配地域を出たところで捕獲(逮捕)する、そこで抵抗すれば初めて射殺等の対応をするというのが本筋でしょう。自爆テロを続ける過激派を捕獲する作戦に従事する特殊部隊は、対爆弾用の装備もしているはずですし。イギリス軍幹部は過激派は人混みで自爆テロをすると繰り返し主張していますが、過激派が自分たちの支配地域で自爆テロをすることは考えられませんから、自爆テロの実行犯が支配地域からそうでない地域の人口密集地帯までの間の非居住地帯を通る場面が当然にあるはずです。その程度の冷静な判断もできないようなら、まず軍の作戦を指揮する資格はないでしょう。
 私には、イギリス軍幹部が爆撃による殺害にこだわるのは、自分が最重要対象者の存在確認に手間取って、その間に過激派支配地域に移動されて、捕獲作戦には軍の犠牲が大きくなってしまったという、自己の失策を糊塗するためにも、軍の犠牲を払わなくてよい殺害に切り替えたいという動機、6年間探し求めてきた最重要対象者の存在をようやく把握したことから逃がすリスクを最小限にするため捕獲より殺害にしたいという動機があったものと見えます。自爆テロが迫っているというのは、軍幹部にとってはむしろ殺害に切り替えるための口実に過ぎなかったように思えます(終盤での2回目の爆撃指示を見ると、その感を強くします)。
 このように他の可能性を十分に検討することなく、すぐに二者択一であるかのような議論に持ち込むことは、何かを守るためにはこうするしかないという決めつけで、「防衛」の名の下での先制攻撃(実質的には侵略行為・犯罪行為)を正当化する手法へとつながる危険をはらんでいます。

 

 感情的な反応ではなく、法に基づいた思考をするとともに、事実関係をよく検討して、誰かが言う主張とその枠組みを丸呑みにせず、見落としがないか、他の解決方法がないかをていねいに検討する、そういう作業が法律実務家には求められているのだと、私は思います。
 人々が、あるいは当事者が、感情的になっているようなケースほど、そういう冷静な対応が必要だと思います。

 

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2016年12月25日