第12章 秘密

1.11月20日

 あの日、11月20日午後4時過ぎ。亀山さんの事件の証人尋問を終えた私たちは、東京地裁1階北側の弁護士控え室内の相談室の中に閉じこもった。
「さあ先生、観念して、目を閉じて」
 玉澤先生に目を閉じさせた私は、いいと言うまで目を開けないように求めて、玉澤先生の後ろに回り、後ろからそっと、次いでギュッと、玉澤先生を抱きしめ、耳元に唇を寄せた。
「先生、気づいていただいているとは思いますけど、はっきりさせておきたいのであえて口にします。私は、先生のことが好きです」
「ありがとう」
「先生、声、緊張してますね。先生の緊張した声って珍しい。私の声は、今、うわずっているかも知れませんが」
「いや、そんなことないよ」
「ありがとうございます。でも、先生、心配しないで。私は先生に妻子がいることはわかっていますし、妻から先生を奪いたいとか、不倫したいというつもりではないんです。ただ、私が先生を好きだということを受け止めて欲しいんです。私が先生のことを好きだということを知った上で、これまでと同じに接していただければ、それでいいんです。私のことを少し大事に思っていただけると、幸せです」
「大事に思ってるよ」
「ええ、うん、うれしい」
 ちょっと、目頭が熱くなった。私は、玉澤先生を後ろからハグしたまま、玉澤先生の左手を掴み、腕時計を外した。
「まだ目を開けないでくださいね」
 私は、ポケットから、用意したものを取り出し、玉澤先生の左手首にはめた。
「私、先生とつながっているという実感を持ちたいんです。先生の腕時計と交換していいですか」
 私は、玉澤先生がはめていたアルバの腕時計を自分の左手にはめた。さすがに少し緩いが、たぶん時計店で少し調整すればいいだろう。
「目を開けていいですよ。先生はブランド品は好まないようですので高級品ではありませんが、少ししゃれたというか、私の好みのデザインのものにしました。もしよかったら、といいますか、私としてはお願いなんですけど、これを私と思ってずっと身につけていてくれるとうれしいなと…」
 私ははにかんで語尾を濁した。
「いい感じのデザインだね。いいよ。狩野さんがそうして欲しいのなら、ずっとつけておくよ」
「この先生のアルバの時計は、贈り物じゃないですよね」
「ご存じのとおり、私は、時計は時間がわかればいいレベルの考えなんで、自分で量販店で買ったものだ。これと交換じゃ、狩野さんが大幅に持ち出しだよ」
「私のもそんなに高いものじゃないですよ。先生、値段調べたりするの、やめてくださいね。私は、値段じゃなくて、先生が長年身につけていた愛着のあるものをもらって私が身につけられたらうれしいと思って。ただ、先生が誰かから贈り物でもらったんだとすると、その人に悪いなと思ったんです」
(妻からもらったものだったりしたら、私は身につけてうれしくないし)
「ありがとう」
「先生、今日のことは、このことは、2人だけの秘密にしてください。私、ずっと今日のことを胸に秘めて、大事な想い出にして生きていきますから」
 私は、また思いがこみ上げて、目を拭った。
「わかった、ありがとう。だれにも言わないよ」
 私は玉澤先生の右手の小指を取り、指切りをした。

2.美咲-5

「え~っ、それだけ?本当に×××しなかったのぉ~?」
 私の話を黙って聞いていた美咲が、我慢しきれなくなって、声を上げた。
「してないって何度も言ったよ。信じてなかったの?それにしても裁判所の弁護士控え室で、やったと本当に思ってたの?そっちの方が信じられないよ。私にとっては、今でも胸が熱くなるときめくエピソードなんだけど、美咲には物足りない?」
「いや、いい話だとは思うよ。それで、麻綾、最近ずっとその男物のアルバの時計をしてるんだ」
「そう、玉澤先生の分身」
 私は、自分の左手首に目をやった。美咲が気づいているのだから、六条さんも当然気がついている。そして、六条さんには、それが少し前まで玉澤先生の左手にはめられていた時計だとわかっている。その訳を聞きたいのに聞けない六条さんの煩悶を私は思い起こした。

「で、麻綾が渡した麻綾の分身の正体は?ただの時計というわけじゃないんでしょ」
「あ、わかる?」
「麻綾が、ただの記念品交換で終わらせるはずがない。あんなに頑張って得た機会なんだし」
「え~っ、私って、そんなに腹黒い女に見える?」
「越後屋、主も悪よのぉ。さっさと白状しなよ」
「うん、今日はそれを話す気で来たんだもの。実はね、それは、確かに時計でもあるんだけど、バイタルサインの測定・発信器なの」
「バイタルサインって?」
「手首にはめると、体温や心拍数、呼吸数なんかを測れて、それを位置情報とともに私のスマホに送ってくるという優れものなんだ」
「ひょっとして、認知症の徘徊老人の監視に使うもの?」
「そう露骨に言われると、なんだか玉澤先生に悪いけど、病院が患者の遠隔観察に使うとか、そういう目的で開発されたものよ」
「それで玉澤先生を監視していたというわけ?」
「監視じゃなくて、私はいつでもスマホで玉澤先生がどこにいるか、今どういう状態かわかる。もともと心拍数や呼吸数自体を知りたいというわけじゃないけど、今興奮してるとか穏やかな気持ちでいるとか、わかるじゃない?心拍数や呼吸数、体温なんかで。離れていても玉澤先生の状態がわかるっていうのが、いつもつながっている感じで、すごくうれしかったの」
「玉澤先生に、そのことは言ってないんでしょ」
「うん。値段調べたりしないでってお願いしたのも、メーカーと機種を調べたら、機械の正体がばれちゃうから」
「調べないでなんて言ったら、かえって怪しまれない?」
「玉澤先生は、そうじゃないみたい。六条さんの受け売りだけど。私も、いつも一緒にいて、思うの。事件のことや証拠なんかはあらゆることに疑いを持って読み計っているし、そういう場面ではすごく勘が働く人なんだけど、そうじゃない場面というか、味方は全然疑わない人なんだって。仕事以外の場面でも疑い続けたら疲れちゃうし、疑いたくないんだと思う。」
「麻綾に騙されるのなら本望って思ってくれるかな」
「言わないで。私もそこは良心が痛んでる」
 それに、私はこの秘密兵器を使って、六条さんに優越感を持っていた。六条さんは、玉澤先生が、六条さんにはメールしないのに、私には頻繁に、私が望めばいつでも、所在や状況を連絡していると誤解し、私に対して嫉妬にもだえ苦しんだだろう。私はそれを楽しんでいた。六条さん、ごめんなさい。私はやっぱり腹黒い女。

「それで、もうだいたいわかったと思うけど、3月22日、私と美咲がこの店で飲んでいたとき、私のスマホが警報を発したの。もちろん、あんまり派手な警報にはしていないけど、玉澤先生のバイタルサインが悪化すると特別なパターンの警報が出るように設定しているのよ。で、スマホを睨んだら、呼吸が止まってるの、居場所を見たら事務所のドアの前。私は、どうしたらいいかわからなくなって、美咲にごめんして、とにかく店を飛び出した」
「あのときは、びっくりしたよ。私も何が起こったのか、全然わからなかったけど、麻綾の顔が引きつってたし、冷やかせるような状態じゃないってことだけはわかった」
「それで走りながら、あぁとにかく救急車呼ばなくちゃって、119番通報して、それから、救急車よりも私がすぐ現場に行かなくちゃって、自宅前の駐車場に走り込んで、バイクで駆けつけたんだ」
「そういうことだったのか。『私には夢がある作戦』でバイタルサインの測定・発信器をはめさせて正解だったね。それで麻綾が玉澤先生を救えたんだから」
「まだ、命を救えるかどうかもわからないんだよ」
 私は、厳しい現実を思い出し、声を震わせた。
「何を弱気なこと言ってるんだ。私は玉澤先生がちゃんと元気になるって信じてるよ。麻綾が不幸になるようなことは起こらない。私が起こさせない」
「ありがとう。美咲」
 全然理屈になっていないけれど力強い美咲の言葉は、ともすれば壊れそうな私の心を支えてくれる。
 私は、美咲の隣に席を移り、美咲の胸にしがみついた。
「麻綾、たいへんだったんだね」
 私は、戸惑う美咲に頭を撫でられて安堵感に浸りまどろむ。憔悴し疲れ果てた私は、今日も酒の回りが早い。このまま酔い潰れて美咲に介抱してもらおうかな。玉澤先生と約束した秘密もしゃべってしまった私には、もう美咲に話してはいけない秘密もないし。ごめんね、美咲。エネルギーを使い果たし消耗した私を、今は甘えさせて。明日はまた、玉澤先生なしで戦場に立たなきゃならないのだから。

第13章 取調2 に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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