第6章 映画のシーンのような2人

1.復職希望者への査問

「吹色さんが復職を希望されているのは何故ですか」
「英語を教える仕事が好きだからです」
 吹色さんは、英会話学校の講師だったが、解雇され、裁判中だ。弁論準備期日に和解についての意向を聞かれ、玉澤先生が、復職を希望している、金銭解決は考えていないと繰り返すのを聞いた裁判官が、直接本人と話したいから連れてきて欲しいと言い出し、今日の弁論準備期日に出席した。裁判官の問いに、吹色さんはよどみなく答える。
「英会話学校は、他にもたくさんありますが、どうして被告にこだわるのですか」
「私が教えていた生徒が残っています。私はあの生徒たちにきちんと責任を果たしたいと思っています」
「でも、校長や教務の人と関係が悪化していますよね。戻っても勤務を続けるのはたいへんじゃないですか」
「裁判で言われているほど悪化しているわけではありません。解雇前、ふつうに勤務していたのですから問題なくやれると私は思っています」
「吹色さんもまだお若いのですから、被告への復帰にこだわり続けるよりも、トラブルについて誰も知らない新たな職場でやり直した方が長期的に見ていいんじゃないですか」
「私は、この不当解雇にまったく納得できませんし、ここでの仕事に誇りを持っています。私が教えていた生徒がいるうちに復帰したいので、早く手続を進めて判決を出してください」
「わかりました。原告代理人、原告本人の意思が堅いようですので、和解は打ち切りにして人証調べに進むということでいいでしょうか」
「はい。原告側では、和解で復職できるというのでない限り、早期の進行と判決を希望します」
 裁判官は、使用者側の弁護士も呼び入れて、和解は打ち切りにする、次回までに双方人証の申請とその人の陳述書を作成して提出することと述べて、次の弁論準備期日を指定した。

「玉澤先生、事前に聞かれそうなことを教えていただいていましたので予想はしていましたけど、復職を希望するには何か正当な理由がないといけないのですか」
 吹色さんは、やや鼻白んで尋ねた。
「本人が復職を希望するのに理由なんていりませんよ。復職したいから復職したい。それで十分だと思いますよ。私は」
「裁判官は、私に復職して欲しくないのでしょうか」
「会社側の弁護士は、裁判ではたいてい、復職させたら職場は崩壊するとか、言い張ります。私には、ほとんどの場合、裁判上の戦術としか思えませんけどね。でも、裁判官にはそれを真に受けてしまう人もいて、復職しても不幸なだけじゃないかと思ったりもするようです。そういうことかもしれないし、人証調べをしたり判決を書くのを避けたいと思っているのかもしれない」
「私は、前から復職を強く希望すると、玉澤先生を通じて言ってもらっているのに、こういう期日を取るために1月2月費やして判決が遅れるのは不本意です」
「そうですね。私もそう思いますが、裁判官が納得しないと、手続が進みませんからね。必要な手順だったと考えましょう。とりあえず、前向きに」
「わかりました」

「裁判官は、玉澤先生が、依頼者に金銭解決に応じるように強く説得しないことに不満を持っているように見えましたけど」
 吹色さんと裁判所の1階ロビーで別れた後、私は気になっていたことを玉澤先生に聞いた。
「裁判官は、裁判官がその事件で妥当だと考える和解を成立させることが公平で正義に適うと考えているのだと思う。しかし、弁護士は、裁判官が考える正義を実現するためにいるんじゃない。依頼者が希望することを可能な限り実現するように努力するのが弁護士の仕事だ。理由がどうであれ、本人が本当に復職したいのであれば、解雇が有効な事案ならしかたないけど、解雇無効の事案なら金銭解決を拒否して判決を取りに行くのは当然じゃないか。依頼者が自分で納得してないのに理詰めで説き伏せても、それは正しい解決じゃないと思う。立場が違うから目指す正義も違ってくる。そこは互いの立場を理解して尊重すべきだと思う」
「金銭解決の打診を蹴って判決を求めたら、負けてしまうということはないんでしょうか」
「解雇有効の心証だから復職など希望してもムダだ、金銭解決に応じろ、という趣旨の場合も、ないとは言わないが、その場合は、もっと解雇無効の主張は難しいということを匂わせると思う。それに裁判官が解雇有効と判断しているような事件は、長くやってれば、裁判官から言われなくたってだいたいわかるさ。むしろ、判決なら解雇無効を書かざるを得ないけど、心情として解雇無効の判決にしたくないとかいうときの方が、裁判官は金銭解決での説得にこだわるんじゃないかね」
 裁判所の裏側の弁護士会館に通じる扉を出て見上げると空は青々として日差しが強い。裁判官からかけられる重苦しい圧力に閉塞感を持ったが、玉澤先生は、その先に光明を見いだしていたようだ。梅雨も明けた。弁護士会館を通り抜けた先の日比谷公園の緑の中を玉澤先生と散歩してから帰りたいな、と思うが、ちょっと言い出しかねる。今日も、日比谷公園を見下ろす弁護士会館の会員控え室で、並んで冷たいお茶を飲む、くらいで我慢することになりそうだ。

2.「俺」なんて言わない

「狩野さん。ここなんだけど、どう思う?」
 吹色さんの弁論準備期日から事務所に帰った後、パソコンに向かって作業していた玉澤先生が、私の横に椅子を滑らせてやってきた。手には、私が生木さんから聞き取りをして作った、会社側の主張、24ページにも及ぶ答弁書のだらだらと書かれた解雇理由に対する原告側の認否の案を持っている。
「原告が上司に対して『俺に指図するな』と声を荒げたことは否認する。原告は『俺』などという言葉は使わない。『俺に指図するな』などという言葉は被告の創作というべきである。」って、いう部分。
「生木さんの言うとおりに書いたんですが、問題ありますか」
「最初の否認はそれでいい。次に否認の理由を書くのはいいんだけど、じゃあそのとき実際にはなんて言ったのか。何も言わなかったのならそれでもいいけど、何かひと言あった方がいいと思う」
「なるほど。でも先生、認否なんてちゃちゃっとやっとけという割に細かいですね」
「上司への暴言は、言った言わないになって結局認定されないことが多いけど、認定されちゃうとけっこうやっかいなんだ。神経使った方がいいよ」
「はい、わかりました」
「それで、狩野さん。その後は、大丈夫だと思うかい」
「俺なんて言わないというところですか。生木さんは強く主張してましたけど」
「そう・・・」
 ピ・ポ・パ・・・プルルルル・・・
 玉澤先生は電話をかけ始めた。
「あ、生木さん。このあいだは私が会えなくてすみませんでしたね。狩野先生からしっかりした原稿が来たんだけど、ちょっと確認したいことがあって」「会社の主張で、生木さんが女子更衣室を覗こうとしてたとかいうのがあったじゃないですか。生木さん、本当にしてないですか」「いや、男だからスケベ心で魔がさしてなんてことも」「ないならないでいいですけど、本当はやったのなら今のうちに言っといてくれないと」
 玉澤先生は、いたずらっぽく笑って、受話器を私の方に向ける。
「俺はそんなことやってねぇ!」
「ごめんなさいね。わかりました。そうだとは思ったんですが、大事なことだからはっきり確認したいと思ってね。ありがとう」
 玉澤先生は、電話を切った。
「先生、知ってたんですか?」
「いや。ただ、自分はこういう言葉は使わないっていうことを根拠にした主張は、どこかでその言葉を使ったら崩れる。今、私がしたくらいの挑発は、会社の弁護士だって思いつくし簡単にできる。裁判官の目の前で1つ崩れたら、他の主張も嘘かも、と思われる。リスキーに過ぎるとは思わないかい?」

「3時のお約束の月野さんがいらっしゃいました」
 私たちのやりとりを訝しげな目で見ていた六条さんが、来客を告げた。

3.ネットサーフィンにはお仕置きよ?

「業務時間中のネットサーフィンって、1日のうちどれくらいやってたんですか」
「時間を計ってたわけじゃないからよくわかりませんが、1日30分くらいじゃないかと思います」
「どういうサイトを見ていたんです?」
「基本的には、出張準備のために路線検索とか、取引先の情報収集やお天気関係ですけど、ニュースや職場での話題に応じて、検索で調べたり、それで出てきた記事を読んだりしていました」
「アダルトサイトとかは?」
「いや、さすがにそれはないですよ」
 月野さんは、業務時間中のネットサーフィンや私用メールなどの業務外行為と経歴詐称を理由に解雇された。少なくとも、月野さんが持ってきた解雇理由説明書の記載によれば。
「業務時間中に関係ないサイトを見るなっていう注意はされてたんですか」
「そんなのありませんよ」
「ところで、この経歴詐称って何です?」
「私は、前職で、小規模ですが商社の社長をしてまして、採用のときにはその経営経験も買われて入社したんです。ところが、会社の方で法人登記を調べたら、代表取締役の登記がされてないというんです」
「それはどうして?」
「それがよくわからないんです。当時の担当者がもう辞めてしまっていて。手続のミスなのか、何かわかりませんが、私の前の社長の登記がそのままになっていました」
「月野さんは、どれくらいの期間代表取締役だったのですか」
「1年です」
「前の会社で月野さんが社長だった時期に一緒に働いた人は残っていますか」
「ええ、まだ何人か残っています」
「その人たちは、月野さんがほんとに社長として働いていたことを陳述書にしたりして協力してもらえそうですか」
「それは大丈夫だと思います。ところで、玉澤先生、本当は解雇理由はそういうことじゃないんですよ」
「どういうことです」
「3か月ほど前に、社長から、給料を大幅に減額したいって話があったんですが、お断りしたんです。そしたら、社長の態度が冷淡になって、1か月ほどして出勤停止を命じられて、パソコンを没収していろいろ調べだしたんです。で、1月前に呼び出されて、経歴詐称と業務時間中の業務外行為がわかったので解雇すると言われたんです」
「解雇したくなってから経歴とパソコンを調べてあら探しって訳ですね。月野さんは経費の水増し請求とか、手当の不正受給はやってないですか」
「そういうことは全然やっていません」
「会社側では解雇の口実探しに、そのあたりを特に狙いますからね。経歴詐称は、本当に詐称していると、その経歴がどれくらい重要なのかにもよりますが、労働者にとってはけっこう厳しいです。でも月野さんの場合は実際には詐称じゃないから大丈夫でしょう。でも、登記がなされなかった事情はもう少し調べた方がいいし、前の会社に月野さんが本当に社長だったことを証明してもらう準備が必要ですね。業務外行為は、程度問題ですが、そんなには効かないでしょう。アダルトサイトとか見てると、裁判官の心証はよくないと思いますが」
「アダルトサイトなんて見てませんってば」
「裁判になったら、閲覧履歴が分厚い資料の一覧表になって出てきます。覚えてないものもいろいろあるということもありますよ。まぁそのときはそのときで、思い出してもらいますが。ところで、給料の減額の通知とか出勤停止は紙が出ていますか」
「はい、お持ちしました」
「これと登記を取った日、ネットの閲覧履歴の調査をした日が時系列にうまくはまるかも問題ですね」
 前の会社への協力依頼の結果が出そうな時期をめどに次の打ち合わせを入れ、月野さんは帰っていった。

「実際、ネットサーフィンの時間がどれくらい出てきますかね」
「予想はできないよ」
「1日1時間とかになると厳しいですか」
「会社側が出してくるログは、そのページを開いていた時間で出るから、実際に見ていた時間と一致するかどうかなんとも言えない。ネット上のページを開いたままでエクセルやワードで仕事していた、その間、そんなネット上の記事のことなんて忘れていたということもある。見ていないページが出てくることだってある。カーソルがポップアップ広告に触るとそのページを見ていたことにされる。業務上の閲覧と業務外の閲覧の境界ももともと曖昧な場合が多い。単純に時間では割りきれなくて、よほどでないと業務時間中のネットサーフィンを主な理由として解雇は無理だと、私は思うんだが」
「私が、それくらいネットサーフィンしてたら、お仕置きですか?」
「お仕置きって何だ?」
「あ、いや、つい月野さんから連想してしまって・・・」
「狩野さんが何を閲覧してても、私はかまわないよ。調べたりしないし」
「先生、念のために言っときますけど、私のパソコンの閲覧履歴でいかがわしいサイトはすべてこの間の上見さんの件で盗撮男問題を調査したときのものですからね」
「いや、疑ってるわけじゃないよ」

4.映画のシーンのような2人

「玉澤くん、ちょっと、そのまま目をつぶって、動かないで」
 打ち合わせを終え、私と軽口を叩きながら自席の椅子に座り込んだ玉澤先生に、六条さんがつかつかと歩み寄り、声をかけた。
 六条さんは、玉澤先生の前に立ち、両手で玉澤先生の頬を挟むようにして、顔を近づけた。
(えっ、何を?)
 六条さんは私の心の声を読んだように、私の方を一瞥した。私は気圧されて一瞬、目をつぶってしまった。
(何をしてるの?見たいような見たくないような…いや、そんなこと言ってられない。見なくちゃ)
 思い切って目を見開くと、私の前には、映画の1シーンを演じているように密着した2人の姿があった。

第7章 金曜日の決闘に続く




 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。

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