第9章 君ってホントに

1.第6回期日

「本日の弁論準備手続を始めます。期日間に、被告から令和2年2月5日付第4準備書面が提出されています。これを陳述されますね」
「はい」
 橋江先生が、遠慮がちに答えた。
「被告の準備書面は、事実関係については、新たなご主張はなくこれまでの主張事実をとりまとめて、解雇理由に当たるという法的な評価を論じているものと理解してよろしいでしょうか」
「そういうことになります」
「そうすると、被告としてはもう主張すべき事実は尽きておると考えてよろしいでしょうか」
「現時点では、追加して主張する事実はありません」
「原告側は反論を希望されますか?」
「従前の主張の繰り返しになるだけですので、主張としてはここまででけっこうです」
「わかりました。では、主張はあらかた尽きたということで、今後の進行についてご意見を伺いたいと思います。まず原告側から伺いたいと思いますが、よろしいでしょうか」
 裁判官の意向を受けて、橋江先生と郷音総務部長が退席した。
「さて、原告代理人はお察しいただいていると思いますが、現時点までの主張立証に基づく限りでは、裁判所としては解雇無効の心証を持っています。もっとも、原告の方でも上司や社長との関係が悪化していること、それについて原告の側の責任も大きいこと、水増し請求の点も黄嶺さんの着服への関与も現状の主張立証では被告の主張は認められませんが何か追加の証拠が出てくるようなことがあれば解雇有効に変わるリスクもないとは言えないことなどを考慮しますと、裁判所としては相応の解決金で解決される道をご検討いただければと思いますが」
「裁判官のおっしゃることは理解しておりますが、原告本人は、金銭解決は希望しておりません」
 最初から心証を露わにして金銭解決を勧めてきた亀菱裁判官に対し、玉澤先生はノータイムで答える。
「復職をご希望ですか。判決を受けて勝訴した場合でも、会社側は控訴するでしょうからまだずいぶんと時間がかかりますし、会社側が復職させる場合でも人事異動もあり得ますから元の職場、元の業務とは限りません。それに、元の職場に戻っても、上司もそのままでしょうから針のむしろということも考えられますよ。原告本人にとっても、復職がいいことかはよくよくご検討された方が」
「そのあたりのことは承知しておりますので、代理人から原告本人には重々言い聞かせておりますが、原告本人の復職の意志が固いんです」
「では、金銭解決は金額のいかんを問わず希望しない、復職を希望するということですか」
「そうです」
「わかりました。被告と交替してください」
 私たちは部屋を出て、廊下のパイプ椅子に座っていた橋江先生と郷音総務部長に交替を告げた。
「亀菱裁判官、こちらの希望を聞く前から金銭解決の説得に来ましたね」
 橋江先生らが、書記官室の中に消えるのを確認してから、私は玉澤先生に話しかけた。
「亀菱さんは、この事件は合意退職、金銭解決で和解するのが順当と判断したんだね。いろいろと人間関係上の問題は残っているから、裁判官の目からは、復職してもうまくいかないと見えるんだろう。それはそういう面ももちろんある。しかし、そういう面もわかった上で、本人が復職したいというのならそれを無理に抑え込むことはできないし、適切でもないと思うよ」
 20分ほどして橋江先生らが廊下に出てきて交替を告げ、私たちは部屋に入った。
「被告側に原告のご意向をお伝えして、復職方向の和解を検討できないかと伝えましたが、難しいというご回答でした。被告側にも再検討はいただきますが、原告側でも金銭解決の余地がないかは再検討してください。次回、よろしければ、原告本人の意向も直接に伺いたいと思いますが、いかがでしょう」
「ええ、裁判所がご希望であれば。ただ、和解のために長期間を浪費することになっては困りますので、期日は早めに入れてください」
「そうですね。それはおっしゃるとおりだと思います。では、次回期日を入れますので、被告側に知らせてください」
 私は、立ち上がり、部屋を出て、廊下に座っている橋江先生に、次回期日を決めるそうですと伝え、部屋に戻った。
「次回期日ですが、裁判所としては原告本人にご出席いただいて直接お話を伺いたいと思います。もし被告側がご都合がつかないということでしたら原告側だけでもけっこうですので、1週間後、2月12日の午後3時ではいかがでしょう」
「私は大丈夫ですが」
「ちょっと失礼」
 私は玉澤先生が手帳を見て答えてすぐ、自分のスケジュールを確認した上で、裁判官に断って、その場で梅野さんに電話をかける。
「梅野さん、次回は梅野さんにも出席してもらいたいんだけど、来週の水曜日、2月12日の午後3時、大丈夫ですか。はい、大丈夫ですね。では詳細は後ほど。原告側はそれでけっこうです」
「被告側もそれでけっこうです」
「では、次回は2月12日午後3時で、主として原告本人のお話を聞く期日になります。今日の手続はここまで」

2.ほんとうの自分

「次回は、梅野さんから直接裁判官に、どうして梅野さんが復職を希望しているか、その気持ちというか動機というか理由というか、そういうことを話してもらうことになるんですが、まず率直に言えば、梅野さんが復職したいのはなぜですか」
 2月7日午後、翌週の弁論準備期日のための打ち合わせで、玉澤先生は、梅野さんに裁判官の意向を説明した上で、直裁に聞いた。
「それはまず不当解雇だから自分が辞める理由はないと考えていますし、この会社、割と給料もいいので転職しても条件が悪くなるだけですから」
 玉澤先生は、少し顔をしかめ、左手の人差し指をこめかみに当てて考え込む。
「そうですか。ところで梅野さんが忍瓜商会に入社したのはどうしてだったんですか」
「それは、いろんなところへ行って人と交渉するというのか商売ごとが自分に向いていると思ったんですよ」
「商社の中で忍瓜商会を選んだのは?」
「そうですね。あんまり大企業だと特徴がないし自分も埋もれちゃうのでどうかなと思って。まぁ大企業の方で入れてくれないでしょうけどね。当時、大きくなくてもニッチな道で世のためになるものを見いだして行きたい、みたいなポリシーを忍瓜商会が出していたんで、それに共鳴しました」
「なるほど。忍瓜商会で梅野さんがした仕事で、よかったと思うものはどんなものがありますか」
「う~ん。ベトナムでけっこう真面目にというか清潔で丁寧な仕事をする業者を見つけましてね。清潔志向の強い日本でも使える水準なんですが、割高なのでアジアでは売れてなかったんです。それを見つけて、日本の医療メーカー用に包帯の素材を作ってもらうことにして、現地の業者も日本の医療メーカーもWin-Winの取引ができて、どちらにも喜んでもらえたし、日本の医療にも、ほんの少し貢献できたかなって、うれしかったです」
「そういう仕事をしてきたんだ。梅野さんは自分の仕事について、どういう点で誇りを感じていましたか」
「そういう他の人が見つけられなかったいいものを見つけて、それを世の中に紹介していける、それでアジアの業者さんにも日本のメーカーにも、そして日本の消費者にも喜んでもらえる、そういう仕事に誇りを感じました」
「そういう仕事は、他の商社ではできないんですか」
「大企業だとなかなか難しいでしょうね。大学の同期で大手商社に入った連中の話を聞いていると。忍瓜商会は、総務部は腐ってますし、武納とか変なやつが幅をきかせるようになって変質してきていますが、元々は自由な社風で、ニッチな物に取り組むというポリシーがあるので、私が思うような買付をしやすいところではあります」
「梅野さんが忍瓜商会に戻りたいのは、そういう仕事をしたいから、じゃないですか」
「そうでした。なんだか、裁判での悪口に気を取られて忘れていましたけど、私はそういう仕事がしたくて忍瓜商会に入り、そういう仕事をすることに生きがいを持っていたんです。私は、人が見つけられなかったニッチな分野で、いい物、いい業者さんを探し出すのが好きなんです」
 梅野さんは、久しぶりに明るい顔をして帰って行った。


「裁判官の前で、自分は悪い点はないから戻るのが当然だとか、給料がいいからとか、言われたくないですよね」
「亀菱裁判官がどう見ているかを考えると、自分は悪い点はないと言い切られると反省してないと評価されるので困りもんだけど、不当解雇だからその点をはっきりさせたいという考えは、別に悪くないと思うよ」
「でも、梅野さんにそう言って欲しくないから誘導したんですよね」
「私は、誘導なんかしていないよ。梅野さんの本当の気持ちを引き出しただけだ。梅野さんも言っていたように目の前の裁判での主張に引きずられて見えなくなっていた、仕事をしているときの生きがいや喜びを、私はただ質問して、思い出させただけさ。思い出したのは梅野さんだし、それを梅野さんが自分の言葉で語った。そのことが大事なことだよ。他人の言葉で語ったり表しても、それはほんとうの自分でも、本当の気持ちでもない。現実に復職した後は、そういう自分が自ら経験して自分が生きがいと誇りを持てたという事実こそが気持ちの支えになって続けられるんだしね」

3.涙をリクエスト

「先生、そういう相手の本当の気持ちを引き出す方法ってどうやって身につけたんですか。実は、自分の事件の参考にするために、先生の昔やった事件記録の尋問調書を勝手に読ませてもらっているんですが、すっと胸に刺さる質問が出てきて驚くんです」
「それは、その相手がどういう人なのか、何をして生きてきたのか、何に思い入れがあるのか、そして今どんな状態にあるのか、考えて考えて試行錯誤するしかない。私は誰かにそういうことを教えてもらったことはない。事件ごとにとにかく考えることさ」
「刑事記録で被告人質問を見ると、先生がする主尋問の終わりで泣いてしまうことが多いんです。どうやったらこういう質問ができるのかなって思います」
「刑事事件だと、反省してますって言わせたくなるだろう。裁判官もそれを期待しているし。でも反省しているって言えって言えばその言葉は言うけど、それで本心から反省する被告人はほとんどいない。それでも儀式として一応言わせるけど、聞く者の心にも響かない。そこで考えるんだ。この人は今罪を犯してどう悪かったと思っているのか、この人の大切に思っているものは何かってね。それから相手に芝居をさせちゃいけない。私はそう思う。素人はろくに芝居もできないし、裁判官はそれを見抜く。本心を引き出すことが大事なんだよ」
「先生は、刑事事件をやっていた頃、被告人質問のリハーサルはしなかったんですか」
「リハーサルは必ずやるよ。やらないと本人も不安だろうし、私も不安だからね。でも今話題にしている本心を引き出す質問はリハーサルのときには教えない。予告なしで本番でぶつける」
「本番で初めて聞いて、被告人は先生が思うとおりに応えてくれますか」
「どこまで思い通りになるかは様々だね。痴漢事件で被告人に幼い娘がいて、たまたま被告人質問の日が娘の誕生日だった」
「うわ、それ偶然ですか」
「もちろん偶然だよ。リハーサルどおりの質問をして淡々と答えていたんだが、終盤にリハーサルで言ってない質問をした。あなたには娘さんがいますね。今どうしているか知っていますか。娘さんにはこの事件のことを話していますか。自分の娘に話せないようなことをした自分をどう思っていますか。いつか話せる日が来ると思いますか。今日は娘さんの誕生日ですね。祝ってあげられないことをどう思っていますか。という質問を用意していたんだが」
(それって・・・鬼。検察官より厳しい)


「2つ目あたりで被告人が泣き崩れちゃってね。最後の方は全然答えられなかった」
「その質問で泣かない人間はいないと思いますけど」
「でも、たまにいるんだな。何を質問しても泣かないというか感情を示さないやつが。書記官がすすり泣き、裁判官が涙を拭っているのに、肝心の被告人は無表情に答えていたということがある。さすがに笑ってはいなかったけど」

第10章 君と歩き続けたい に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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