第11章 自白

1.事件前

「本当のことをすべて話しますから、私の話を最後まで、腰を折らずに聞いてください」
 私は、頷く素太刑事から斜に構えた祟木刑事に視線を動かして睨みながら言った。

「3月22日は、私は事務所を定時に上がり、渋谷で少しウィンドウショッピングをして、7時に美咲と待ち合わせたイタリアンレストランに向かいました。前週、私の誕生祝いをしてもらったお返しに、私が夕食をおごることになっていたんです」
「腰を折るつもりはないけど、狩野さんが事務所を出たとき、玉澤さんは?」
「いつものように居残っていました。週明けの月曜日に、ちょっと難航している事件の弁論準備期日があるので、その対策を考えているようでした。玉澤先生は早め早めに準備するスタイルなので、期日の直前に悩んでいることは珍しいのですが」
「ありがとう。狩野さんのその日の行動を続けてくれますか」


「はい。美咲から、誕生日に撮った写真がことのほか美しいとか、艶っぽいとか、前の週に続いて言われて、とてもいい気分で飲んでいました。玉澤先生とのツーショットのアップの感じがいいと冷やかされて、自分でもそう感じていましたし、舞い上がるような気持ちでした」
「もしよかったら、ですが、写真も見せていただけますか」
 私は、ショルダーバッグからデジカメを取り出した。素太刑事は、スマホじゃないのかと、ちょっと落胆した様子を見せた。本音は写真より、私のスマホの中身を見たいのだろう。私は、素太刑事の様子をうかがいながら、デジカメで一番いい写真を表示させて、素太刑事に手渡した。
「この写真は、いいね。私も羨ましくなるほど幸せそうだ」
「あんた、本当はべっぴんさんなんだな」
 祟木刑事が口を挟んだ。
「取調室で中年の刑事から言われたという状況を加味すれば、セクハラと言っていいかもしれませんね。玉澤先生が襲われる前の私は、こんなに幸せだったんです。今は見る影もないほど憔悴していますが」
「祟木刑事は黙っていてくれませんか。狩野さん、中年おやじは置いといて話を進めてください。あなたが憔悴しきっていることは理解していますが、憔悴した原因が起きたいきさつの方を私は知りたいもので」
「はい。美咲と楽しくおしゃべりをして、9時頃店を出ました。美咲は、金曜日の夜は、私と飲んで私のうちに泊まることが多くて、この日もそのつもりでした。それで私のうちに行くことを想定して、井の頭線で下北沢に向かいました。下北沢について、美咲が、今度は自分がおごるからもう1軒行こうと言い出し、私のうちの近くの居酒屋に入りました。そういうことはもう何度もあったので、わりと行く店の1つになっていました。美咲は冷酒が好きなので、私もそれに合わせて冷酒を飲みました。飲んだ量は正確には覚えていませんが、美咲が4合だというのならそんなものだろうと思います。素太さんの推測とは反対に、この日は何も嫌なことはなくて、美咲との話も愚痴はなくて、とっても楽しいお酒でした。11時22分までは」
「おい、本当のことを話すんじゃなかったのか」
「祟木さんは黙ってて」
 素太刑事と私が同時に言った。私は素太刑事と顔を見合わせ、少し照れ笑いをした。
「狩野さん、話の内容はあとで確認させてもらうけど、1ついいかな。あなたは、この日飲んだお酒の量は覚えてないけど、時刻は細かく覚えてるの?」
「はい。このあと、私はずっと時刻を気にしていましたから」
「そう。話を続けて」

2.臨場

「店を出たのは、美咲の言うとおり、11時22分台です。より正確に言えば、11時22分54秒頃だったはずです。美咲になんて言って出たのかは、正直なところ覚えていません。気が動転していたので。美咲が『用事ができた』と言ったというなら、多分そうなのだろうと思います。美咲とは口裏合わせも何もしていませんから、美咲が言うことは全部本当だと思います」
「阿室さんになんと言って別れたのかも覚えていないけど、時刻はきちんと覚えている、そういうことですね」
「はい、そうです」
「その時刻、玉澤さんが襲われて10秒以内にあなたは店を飛び出したと聞いていいでしょうか」
「そういうことです」
「確認ですが、煙突飛行はできないというお話でしたよね」
「うちの事務所には煙突も、ついでに言えば、かまどもありませんから」
「どうしてそのタイミングで店を飛び出したのかは、おいおいお話しいただけるのですね」
「そのつもりです」
「では、続きをどうぞ」
「私は、気が動転して、何をしたらいいかもわからないまま店を飛び出して走り出し、走りながら119番通報をしました」
「何を寝ぼけたことをっ」
「祟木さんはっ」
「わかった。黙ってるよ」
 私たちがともに睨んだのを見て、祟木刑事は口をつぐんだ。
「そして、通報後、私は、自分のうちの駐車場に走り込み、そこに止めてあった自分のバイクのエンジンをかけました。事務所にはふだんは電車で通っているのですが、気が向いたときにはバイクで行くこともありましたので、道はわかっていました。ふつうに走れば、20分あまりかかるのですが、この日はそういうわけにはいきませんでした」
「あなたがバイクに乗った時刻も覚えていますか」
「11時23分50秒頃だったと思います。通った道は、地図を見せていただければ示せます」
「それはあとでお聞きしましょう。それで?」
「私はバイクに乗り事務所へと急ぎました。事務所の前についたのは、11時29分50秒頃だったと思います。素太さんの推測に反して、私は4階までまっすぐに階段を駆け上がりました。計ってはいませんでしたから警察官が頑張った10秒を切れたかどうかはわかりませんが、かなり必死で駆け上がりました。4階にたどり着き、玉澤先生が血を流して倒れているのを見て強いショックを受けましたが、とにかく呼吸が止まっているのでまずそれをなんとかしないとと思って、気道を確保し、人工呼吸を試みました。それで玉澤先生の自発呼吸が再開したのが、11時30分20秒頃だったと思います。救急隊が来たのがその4分後くらい。このあたりから、時刻の記憶はそれほど細かくなくなりますが。そういうことで、救急隊から玉澤先生の呼吸停止時間を聞かれたとき、7~8分と答えたのです」
「狩野さんよ、さっきあんたは、『私は罪を犯しました。すべて正直にお話しします』って言ってこの話を始めたんじゃなかったか。これじゃあ、否認じゃないか」
「祟木さん、私は、今、自白しましたよ。酒酔い運転かどうかは、たぶん運転に支障はなかったはずなので酒酔い運転ではなかったと思いますけど、それはさておいて、酒気帯び運転、速度違反、赤信号無視…」

「馬鹿にするなよ。捜査1課の刑事に交通違反なんか関係ねぇ!」
「まぁ、いいでしょう。狩野さん、懸案のあなたが何故そのタイミングで下北沢の居酒屋を飛び出し、走りながら119番通報をしたかについて、教えてくれますか」
「素太さん。そのことは、私にとっては、できることなら他人には話したくないことなんです。約束ですから、お話しはしますが、その話は明日にさせていただけませんか」

3.解放

「どうして、明日、なんです?」
「私の感傷ですが、他人に話すハメになるのなら、一番最初に美咲に話しておきたいと思って」
「阿室さんと話を合わせておきたいと言われるのでしょうか」
「素太さんが最初に言われたのと違って、私の話は美咲の話とまったく食い違っていません。口裏を合わせる必要も、美咲に話を変えてもらう必要も、全然ありませんよ」
「先ほどの話からすると、そうなりますかね」
「それに、素太さんの私への疑いは、私が事務所の前から119番通報したということを前提としたものでした。私のいうとおり、私が下北沢から119番通報したのであれば、私に対する積極的な疑いの根拠は消滅します。素太さんがいう『密室』も、私が犯行直後にニコニコビル付近にいて犯人が私に見られずに逃げ去ることが困難だということが前提です。私がニコニコビルから遠く離れたところにいたのなら犯人は逃げ放題ですから、『密室』は成立しません。本日の事情聴取は、任意のものです。私が帰りたいと言ったら、とどめることはできないですよね」

「はい、こちら119番。火事ですか?救急ですか?」
「救急です!59歳の男性が呼吸停止状態で倒れています。場所は、新宿区大久保4丁目15番3号ニコニコビル4階。玉澤達也法律事務所の前です。心臓は動いています。すぐに来てください…玉澤先生が、死んじゃう!お願いです。早く来て。玉澤先生を助けて!」
「すぐ救急車を派遣しますから、落ち着いてください。あなたのお名前と電話番号は?」
「狩野麻綾です。電話番号は……。お願いだから、急がないと、玉澤先生が死んじゃうよ~っ、やだやだっ、助けて!」
 素太刑事が、改めて、私の119番通報の録音を再生した。目をつむり、肘をついた右手を顔面に当て、素太刑事は、再生を繰り返す。
「いいでしょう。先ほどのお話の下北沢の自宅前から、事務所に向かったルートを地図に書き込んでもらいます。今日はそれで終わりにしましょう。明日は何時に来れますか」
「そうですね。午前中に2件と午後は1時30分に弁論準備期日がありますので午後3時でいいですか?」
「わかりました。こちらの方でも少し調べておきます」


 新宿署を出ると、空はもう真っ暗だった。緊張が解けると、お腹が鳴った。
「美咲、今から会えるかな」
 私は、美咲に電話するなり言った。
「麻綾!今どこ?もう釈放されたの?」
「美咲、私は逮捕されてない。今のところは」
「心配してたんだよ。どこに行けばいい?」
「この間のうちの近くの居酒屋はどう?お腹がすいたし、飲みたい気分」
「わかった」
 私は、電話を切って小田急線に乗り、下北沢に向かった。ついに私が玉澤先生に求めた『2人だけの秘密』の約束を破ることになる。私の胸がチクリと痛んだ。それを話す相手が美咲だということが、せめてもの慰めだけど。

第12章 秘密 に続く

 
 この作品は、フィクションであり、実在する人物・団体・事件とは関係ありません。
 写真は、イメージカットであり、本文とは関係ありません。

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