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短くわかる民事裁判◆
労災支給決定に対する使用者の原告適格
 労働者が業務の過程で負傷したり、職業病(腰痛とか上肢障害:頸肩腕症候群など)や精神疾患(適応障害とかうつ病とか)に罹患し、労災申請をしてその傷病が業務に起因するものと認定されて、医療費や休業補償などの労災支給決定がなされたとき、使用者がそれに対して取消訴訟を提起できるでしょうか。
 労災を受けて働けなくなった労働者は使用者から賃金も支払われない状態となり、労災の決定が出るまでにも相当期間待たされ、職業病や精神疾患の場合認定も容易ではありません。そうしてやっと認められた労災に、使用者が横やりを入れて取消訴訟などなされるとなればたまったものではありません。

 中小企業向けの保険を提供する一般社団法人あんしん財団の北海道支局に2002年6月にパート採用され2004年5月に正社員となって長らく内勤業務に従事していた労働者が2013年9月に営業職に配置換えになり共済新規契約獲得の目標(ノルマ)を達成できず賞与が大幅に減額され、母親がうつ病で2014年5月から長期入院中であるのに2015年3月にさいたま支局への転勤命令を受け、適応障害を発病して欠勤し休職するに至り、2015年10月に労災申請をし、札幌中央労働基準監督署は当初は不支給の決定をしましたが2018年8月に労働保険審査会が不支給決定を取り消し、2018年9月に療養補償給付(医療費の支給)、2019年10月及び2020年2月に休業補償給付(休業期間2015年8月から2019年3月まで)の支給を決定しました。
 これに対し、使用者のあんしん財団は、2019年3月7日に療養補償給付の取消請求、2020年4月1日に休業補償給付の取消請求の訴訟を提起しました。被告は国(処分庁は札幌労働基準監督署長)で、労働者が被告に補助参加しました。

 第1審の東京地裁2022年4月15日判決は、「労災保険法は、専ら、被災労働者等の法的利益の保護を図ることのみを目的とし、事業者の利益を考慮しないことを前提としているのと解するのが相当であり、労災保険法及び徴収法並びにこれの下位法令を通覧しても、処分の根拠法令である労災保険法が、業務災害支給処分との関係で、特定事業主の労働保険料に係る法律上の利益を保護していると解する法律上の根拠は見出せない。」として、使用者の原告適格を否定し訴えを却下しました。
 あんしん財団の控訴を受けて、第2審の東京高裁2022年11月29日判決は、「特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分がされた場合、同処分の名宛て人以外の者ではあるものの、同処分の法的効果により労働保険料の納付義務の範囲が増大して直接具体的な不利益を被るおそれがあり、他方、同処分がその違法を理由に取り消されれば、当該処分は効力を失い、当該処分に係る特定事業主の次々年度以降の労働保険料の額を算定するに当たって、当該処分に係る業務災害保険給付等の額はその基礎とならず、これに応じた労働保険料の納付義務を免れる関係にあるのであるから、特定事業主は、自らの事業に係る業務災害支給処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがあり、その取消によってこれを回復すべき法律上の利益を有するものというべきである」として、使用者の原告適格を認め、原判決を取り消して差し戻しました。
 この第2審判決の論理は、メリット制の適用がある事業主(特定事業主)は労災支給決定がなされると次々年度以降の労災保険料が増額される可能性があるから使用者は労働者の労災不支給決定取消訴訟に補助参加できるとしたレンゴー事件での最高裁決定と同趣旨のものです。
※労災保険料とメリット制については、「労災保険料とメリット制」で詳しく説明しています。

 最高裁2024年7月4日第一小法廷判決は、「特定事業について支給された労災保険給付のうち客観的に支給要件を満たさないものの額は、当該特定事業の事業主の納付すべき労働保険料の額を決定する際の基礎とはならないものと解するのが相当である。」、「特定事業の事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において、当該保険料認定処分自体の違法事由として、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができる」と判示し、つまり労働者に労災給付が支給されても、その労災支給が客観的に要件を満たさない場合は使用者の労災保険料算定の基礎とならない、使用者はそのことを保険料認定処分を争うことによりその際に主張できるとし、だから労働者に対する労災支給(支給決定)自体を争わなくても保険料増額を回避できる(その手段がある)として、使用者の原告適格を否定し、原判決を破棄し、使用者の訴えを却下した第1審判決に対する控訴を棄却しました(第1審判決が確定)。

 あんしん財団事件最高裁判決は、論理的にも正しくまた妥当なものと思いますが、上でも述べたように、使用者の原告適格を認めた第2審判決は元はといえばレンゴー事件最高裁決定が導いたというか種を撒いたものです。最高裁がレンゴー事件の決定を変更していないのは、既に労働者が提起した訴訟に使用者が補助参加するのと労働者が訴訟提起していないのに使用者が巻き込むのとでは危害の程度が違うという判断、「訴訟の結果について利害関係を有する第三者(民事訴訟法第42条の補助参加の要件)」と「当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれがある者(原告適格についての判例上の要件・定義)」との違いということがあるのかもしれませんが、最高裁は、この問題についてあんしん財団事件判決の線で法解釈を統一すべきであり、レンゴー事件決定は変更されるべきと、私は考えます。

 行政裁判については、「行政裁判の話」でも説明しています。
  

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