◆短くわかる民事裁判◆
米軍機の飛行差し止め
自衛隊機の夜間飛行差し止めについては、厚木基地第1次訴訟での最高裁1993年2月25日第一小法廷判決が民事訴訟による差し止めを否定した後、厚木基地第4次訴訟での最高裁2016年12月8日第一小法廷判決で、行政事件訴訟法上の差止めの訴えの方法により請求できることが、明確にされました。
※行政事件訴訟法上の差止めの訴えは「その処分若しくは裁決をすべきでないことがその処分若しくは裁決の根拠となる法令から明らかであると認められ」または「その処分若しくは裁決をすることがその裁量権の範囲を超え若しくはその濫用となると認められるとき」が勝訴の要件とされています(行政事件訴訟法第37条の4第5項)。
他方、同じ基地を使用している米軍機の飛行については、今なお周辺住民が飛行差し止めを請求する途が見えません。
厚木基地第1次訴訟での最高裁1993年2月25日第一小法廷判決は、国(日本政府)に対する米軍機の飛行差し止め請求について、「本件飛行場に係る被上告人と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから、被上告人は、条約ないしこれに基づく国内法令に特段の定めのない限り、米軍の本件飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限し得るものではなく、関係条約及び国内法令に右のような特段の定めはない。そうすると、上告人らが米軍機の離着陸等の差止めを請求するのは、被上告人に対してその支配の及ばない第三者の行為の差止めを請求するものというべきであるから、本件米軍機の差止請求は、その余の点について判断するまでもなく、主張自体失当として棄却を免れない。」としています。被告である国ができないことを求めているから(米軍機による被害がどれだけ大きくてもそれに関係なく)理由がないというのです。同日言い渡しの横田基地訴訟での最高裁1993年2月25日第一小法廷判決も同文の判示をしています。
日本政府を被告にしてもだめだというならと、横田基地の周辺住民がアメリカ政府を相手に人格権に基づく差止請求をした事件では、最高裁2002年4月12日第二小法廷判決は、「外国国家に対する民事裁判権免除に関しては、いわゆる絶対免除主義が伝統的な国際慣習法であったが、国家の活動範囲の拡大等に伴い、国家の私法的ないし業務管理的な行為についてまで民事裁判権を免除するのは相当でないとの考えが台頭し、免除の範囲を制限しようとする諸外国の国家実行が積み重ねられてきている。しかし、このような状況下にある今日においても、外国国家の主権的行為については、民事裁判権が免除される旨の国際慣習法の存在を引き続き肯認することができるというべきである。本件差止請求及び損害賠償請求の対象である合衆国軍隊の航空機の横田基地における夜間離発着は、我が国に駐留する合衆国軍隊の公的活動そのものであり、その活動の目的ないし行為の性質上、主権的行為であることは明らかであって、国際慣習法上、民事裁判権が免除されるものであることに疑問の余地はない。したがって、我が国と合衆国との間でこれと異なる取決めがない限り、上告人らの差止請求及び損害賠償請求については被上告人に対して我が国の民事裁判権は及ばないところ、両国間にそのような取決めがあると認めることはできない。」として、住民の訴えを却下した原判決は結論において是認できるとして上告棄却しました。米軍機の飛行はアメリカ政府の「主権的行為」であるから民事裁判権が及ばない、民事裁判は起こせないというのです。
民事裁判は起こせないといわれても、アメリカ政府に対して行政訴訟は提起できません。国(日本政府)については、被害を引き起こしているのは国ではなく米軍で、日本政府には米軍の活動を制約する権限がないというのですから、国に対する行政訴訟も認められそうにありません。
地裁・高裁の裁判官が同じ空港(基地)の自衛隊機の夜間離発着の差し止めを認めるほどの深刻な騒音被害について、相手が米軍ということだけで、最高裁は未だにそれを争う法的手段さえ示せずに(示さずに)いるのです。法的救済の空白地帯が長らく放置されているのは情けないことです。
行政裁判については、「行政裁判の話」でも説明しています。
**_****_**