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  ◆活動報告:原発裁判

 中越沖地震後の柏崎刈羽原発に行ってきました

Tweet  はてなブックマークに追加 中越沖地震後の柏崎刈羽原発に行ってきました

 2007年7月22日、7月16日の中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発に社民党調査団の補佐として同行し、発電所構内の様子を見てきました。
 立地や耐震設計等の問題点はいずれ論じることにして、とりあえず見てきた現状を報告しておきます。

  火災の爪痕

火事の跡の写真 中越沖地震の際には、柏崎刈羽原発3号機の変圧器から出火して、東京電力の自前の部隊では消火できずに長時間火災が続きました。
 火災現場は今もすすだらけで、まだ油漏れがある状態だそうです。写真では下の方で見えませんが、漏れた油をドラム缶に受けていました。

 消火ができなかった背景には、次の項目で見るように、敷地内の各所で生じた地盤変動で原子炉建屋やタービン建屋などと建屋の外部の間に大きな段差ができて消火用の配管が軒並み破断したことがあるようです。

 7月22日の段階では、ほとんどの消火用配管が補修済で、真新しい配管について聞くとたいていは地震で破損した消火用配管を補修したという答でした。

  敷地内の地割れ・陥没

敷地の歪みの写真 柏崎刈羽原発は、元々敷地内に断層があることが指摘されていましたが、東京電力は、断層ではない(地すべりだ)とか、活断層ではないとか言って原子炉設置許可を取っています。

 中越沖地震では、柏崎刈羽原発に近い海底の活断層が震源断層とされていますが、その海底活断層が柏崎刈羽原発の直下まで延びているのではないかと指摘されています。

 中越沖地震で柏崎刈羽原発の敷地内で多数の地割れ・陥没が生じています。

 右上の写真は2号機と3号機の間の路面です(写真奥は3号機)が、路面や芝生が大きく波打っています。

 東京電力は、これについては、2号機と3号機を結ぶ配管のトンネルがあるからその部分が残ってそのまわりが陥没したと説明しています。
地割れ・段差の写真
 右の写真は2号機のタービン建屋と周辺の路面です。
 これも東京電力は、建屋は岩盤に設置しているのでそのまま残り、周囲が陥没したと説明しています。
 建屋側の隆起とか、断層の動きはなかったのか、疑問が残ります。

 いずれにしてもこのような地盤の変動によって建屋と周囲に大きな段差ができて、そのために消火用配管等の建屋と周囲をつなぐ配管が多数損傷を受けました。
 このような段差はおおかた数十cm、大きいところでは1mを超えていました。
 また、この写真のように建屋の一部にまで大きな破損が生じてしまっているのを見ると、今後の建物自体の安全性に疑問を感じます。


敷地の地割れと歪みの写真 右の写真は2号機のタービン建屋・原子炉建屋の脇の道路の様子です。

 道路の地割れは、砂利を敷いて補修済ですが、建屋の方向に複数の地割れを生じたことがわかります。

 地割れ以外にも道路の波打つような変動があり、これらが本当に単純な陥没なのかは疑問を感じます。

 ところで、柏崎刈羽原発は、1号機から4号機と5号機から7号機がそれぞれ固まってあり、1号機から4号機グループと5号機から7号機グループは少し離れています。
 中越沖地震後、東京電力が自治体やマスコミに見せた敷地の地割れは、1号機から4号機の敷地ものばかりです。
 今回も正規のコースでは1号機から4号機の敷地だけを案内されました。
 案内をした副所長は、自分が見た中ではひどいところを見せている、しかし、5号機から7号機の敷地はきちんと見ていないということでした。
5号機側の街灯転倒の写真
 ところが、5号機から7号機の建屋を出るとすぐ手前で基礎のボルトが破断して完全に倒れた街灯が放置されていました。(右の写真)

 そして、6号機と7号機の建屋の前の道路には、地割れを治した跡や、やはり帯状に波打った地盤変動があり(右下の写真)、その方向は6号機と7号機の建屋の方に向かっていました。

 今回、5号機から7号機については建屋の間や奥の方のまわりの敷地は見ることができませんでしたが、建屋前側の様子から見て、5号機から7号機の敷地でも相当な地盤変動があることが予想されます。

 東京電力が5号機から7号機の敷地の様子を公開していないのが、1号機から4号機までの敷地の方がひどいからかどうかは、疑問が残ります。

5号機側の敷地の歪みの写真 しかし、それにしても、中越沖地震のマグニチュードは6.8。中規模の地震です。この程度の地震で、敷地がこれほどまでにボコボコになってしまうのはビックリしました。柏崎刈羽原発の敷地の地盤の軟弱性を改めて実感しました。原発なんだからそれなりの岩盤が続く地域に立地しているはずだという思いこみは禁物ですね。東京電力の説明者からは「液状化」なんて話まであったくらいですし。

【追記1】
 実は、私は、この日、東京電力の副所長が「液状化」と言ったとき、本人が専門家ではないと言ったこともあり、それはオーバーな話だと思っていました。いくら何でも液状化が実際に生じるほど軟弱な地盤に原発を設置することはないだろうという先入観を持っていたのですね。
 下の図は、後日、東京電力が、新潟県技術委員会の地震、地質・地盤に関する小委員会に提出した柏崎刈羽原発設置時に活動性がないと判断した敷地内の断層と亀裂の関係の調査結果の荒浜側(1号機〜4号機)の図面です。緑が断層、赤が亀裂ですが、注目すべきは青線で囲まれたところで、これがなんと「噴砂」です。つまり、柏崎刈羽原発の敷地は、過去の地震で現実に液状化が起こり、地中から砂が噴き出していたというのです。
【追記2】
 最初にこの記事を書いたときは、原発の建物が建っている部分の敷地に注目していたので書きませんでしたけど、柏崎刈羽原発では、中越沖地震によって敷地内の高台の法面崩壊(土砂崩れ)が生じました。
 右の写真の高台の上に工事用車両が写っていて、それとの比較から規模がわかると思います。
 福島原発事故後、原子力規制委員会は、大地震等を契機に重大事故に至った場合、福島原発事故前は常設の機器が基本的には自動で働くことによって事故を収束させるという方針だったのを、それができなくても(できなかった場合)「可搬式」(持ち運べるということ)の機器を事故現場に運んで設置して作業員・運転員が積極的に事故対応すれば収束できるということなら運転(再稼働)してよいという方針に変更しました。東京電力も、その方針の下、電源車等の可搬式の事故対策機器をふだんは高台に保管して重大事故に至ったときには事故現場に運んで設置し対応することにしています。
 その高台も、柏崎刈羽原発では、マグニチュード6.8の中規模地震だった中越沖地震で土砂崩れを起こしてしまいました。
 当然、東京電力は、可搬式の事故対策機器はこの法面崩壊した高台とは別の高台に置くとか(具体的な場所は公表されていませんから本当かどうか知りませんが)、中越沖地震後法面を補強したからもう大丈夫とか、言うでしょうけれど、本当に大地震が来たとき、その可搬式事故対策機器による対応(もともと私には机上の空論に見えますけど)さえできるのかどうか疑問に思えます。

  建屋内の様子

 調査団は、もっとも重大でこれまで公開されていない格納容器内の様子を見せるように当初から要求しましたが、東京電力は格納容器内はおろか放射線管理区域内への立入を頑なに拒否しました。
建屋内のひび割れの写真
 放射線管理区域内への立入を拒否する理由は、示されませんでした。

 調査団の要求した場所は原発裁判の検証では現実に入っているところです(その点については、例えば「浜岡原発2号機に入りました」を見てください)から核物質防護とか企業秘密とかの問題はありませんし、少なくとも地震当時定期検査中だった1号機、5号機、6号機については放射能レベル上の問題もありません。

 東京電力側は現場では、放射線管理区域に入るとなるとホールボディカウンターを受けてもらうことになるし時間がかかると言いましたので(それは当然)、こちらはいいですよと言いました。
 すると東京電力側は、とにかく今回は管理区域内への立入は拒否しますと問答無用の拒否回答をしました。

 このような態度を見ると、放射線管理区域内、格納容器内によほど(今は)見せたくない部分があると考えざるを得ません。

建屋内の歪みの写真 今回、6号機・7号機のタービン室と使用済燃料プール、中央制御室だけ、一般見学用のギャラリー(東京電力が一般見学のために造った見学用コースで、遠くからガラス越しに見せるところ)から見せられました。

 それでも、タービン建屋のギャラリーで入口部分に地震による割れ(右上の写真)やステンレスの枠の歪み(右の写真)が生じていました。

 その場所自体は耐震設計の分類では一般建物並みの部分とはいえ、タービン建屋と一体の部分にこのようなひびや歪みが生じるような揺れが生じたこと自体、ゆゆしいことと言えます。

 こういうものを見ると、東京電力の放射線管理区域への立入の頑なな拒否とあわせて考えると、本当に格納容器内で地震による損傷が生じていないのか、かなり疑問に思えます。

6号機プールの水漏れの写真 右の写真は、ギャラリー内から見た6号機の使用済燃料プールです。このプールで、地震によるスロッシングでプール水が大きく揺れてあふれ出し、床が水浸しになり、その水が外部にまで漏洩したのです。地震後1週間以上たった7月24日になってようやく3号機の使用済燃料プールの地震時の映像がマスコミにだけ公開されました(こういうの東電のサイトで公開すべきだと思うんですがね)。大きな揺れでプール水が激しく揺れあふれていました。この写真の6号機も含めすべての使用済燃料プールで同様のことが起こったということです。地震によるスロッシングでプール水があふれるなどということは安全審査では考えていませんでした。やはり地震で大きな揺れが生じると思わぬことが起こるものです。
 水浸しになった床はもちろん掃除されましたが、よく見ると手前の区画のビニールの下にまだ水が残っているところが見えます。社民党調査団がこの6号機の使用済燃料プールの漏洩水がまだ床に残っていることを指摘して、このサイトなどで写真を公開したら、東京電力は、あわてて7月25日に、6号機だけマスコミに公開で追加の拭き取り作業をしたようです(7月25日付夕刊各紙等)。いかにも泥縄的ですね。東京電力のプレス発表文では7月25日の発表でも6号機の漏洩水は「7月23日水の拭き取り完了」とされています(東京電力が姑息に隠さなければこちら)。7月25日になお水の拭き取り作業をしているのですから、この発表は嘘だったのですね。こういうことがあると他にも発表に嘘があるのではないかと疑ってしまいます。
後で破損が発表された天井クレーンの写真 同じく地震後1週間以上たった7月24日になって初めて、6号機の原子炉建屋の天井クレーンが破損して動かなくなっていることが公表されました。右の写真の原子炉プール(丸いやつ)の上側を横断している緑色のものがその天井クレーンです。天井クレーンは建屋の壁際を走っている緑色のレールの上を動きます。この6号機の天井クレーンをレール上で支える部分が地震で破損していたそうです。破損部分は右上の天井クレーンの向こう側と左上の視界の外側で、写真では見えません。
 7月22日の社民党調査団の視察後の質疑で、調査団側から放射線管理区域内を見せてもらえなかったことは大変残念だ、破損を隠していると考えざるを得ないと言ったところ、東京電力からは目視で確認した限り破損はない、今日も一部ですが放射線管理区域内も見てもらいましたと答えていました。東京電力が放射線管理区域も見せたというのは、原子炉建屋内(格納容器外)の使用済燃料プール等を見学用ギャラリーから窓越しに見せたことを指しています。私が、ギャラリーからガラス越しに遠くから見ても破損していたってわからないじゃないですかと指摘しましたが、東京電力側はそれは見解の相違ですねと呆れた様子でした。しかし、後になってまさにその日に遠くから窓越しにしか見せなかった部分に、現実に破損があったことが公表されたということになりました。まあ、天井クレーンの場合、フロアに入って見たとしても遠くから見上げるしかない(以前裁判の検証のときにクレーンを目の前で動かしてくれと要求したことがありますが、検証のためにそこまで協力できないと拒否されました。調査団にも当然拒否するでしょう)ので中に入っていれば破損が発見できたとは言えませんが。
 しかし、こういう東京電力の姿勢から見ても、立入を拒否された放射線管理区域内・格納容器内に、現実には地震による破損があるのではないかという疑いはさらに強くなったと思います。
 7月26日、東京電力は、1号機と3号機のタービン建屋の地下で雨水が流入していることを発表。放射線管理区域の壁に穴が開いて雨漏りとは・・・呆れてものが言えません。さて、次はどんなに呆れることが出てくるのか。
 改めて、地震国でこんなにたくさんの原発を造ってしまったことに大きな疑問を感じました。

(2007.7.23記、2007.7.25、26、27更新、2017.10.13追記)

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