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◆活動報告◆
原発裁判 原子力施設についての行政処分と裁判の形についてはこちら
東海第二原発訴訟
茨城県東海村にある日本原子力発電の東海第二原発についての原子炉設置許可処分取消を求める行政訴訟。
1973年に水戸地裁に提訴、1985年6月30日に1審判決。私は1985年夏から弁護団に加入しました。
その後東京高裁で16年間口頭弁論を続け、2001年7月4日に控訴審判決、2004年11月4日に最高裁決定が出されて終了しました。
裁判終了に伴う文集に寄稿した文章に若干の加筆をして掲載します。
柏崎刈羽原発訴訟
新潟県の柏崎市と刈羽村にまたがる東京電力の柏崎刈羽原発についての原子炉設置許可処分取消を求める行政訴訟。
1979年に新潟地裁に提訴、1994年3月24日に1審判決。私は控訴審の初めから弁護団に加入しました。
その後東京高裁で10年あまり口頭弁論を続け、2005年2月3日に弁論を終結し、2005年11月22日に控訴審の判決がありました。
2005年12月2日、上告しました。中越沖地震や安全審査資料隠しの発覚などの新たな事態を受けて、住民側としては現在最高裁に弁論の実施を求めています。
控訴審判決についてはこちら
中越沖地震がありましたので:中越沖地震後の柏崎刈羽原発に行ってきました
六ヶ所村核燃料サイクル訴訟
青森県六ヶ所村にある日本原燃のウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物処分場、高レベル放射性廃棄物貯蔵施設、再処理工場(現在稼働前段階でウラン試験中)の4施設について事業許可処分等の取消・無効確認を求める行政訴訟。
私は1988年の弁護団結成時点から加入しています。
ウラン濃縮工場の裁判は1989年提訴、2002年3月15日に1審判決。2006年5月9日控訴審判決(判決についてはこちら)。2007年12月21日上告審決定で住民側の敗訴が確定しました。
低レベル放射性廃棄物処分場の裁判は2006年6月16日に1審判決(判決についてはこちら)。2008年1月22日に控訴審判決(判決についてはこちら)があり、現在最高裁に上告中です。
再処理工場、高レベル放射性廃棄物貯蔵施設についての2つの裁判は青森地裁で審理中です。
裁判の進行状況と最近の主張などはこちら
なお、高レベル放射性廃棄物貯蔵施設の設計及び工事方法認可に対する異議申立について2008年2月29日に口頭審理が行われました。
JCO臨界事故住民健康被害訴訟
1999年10月30日に起きたJCOの臨界事故で施設と道路を隔てた向かい側の工場で仕事をしていて被曝した住民の健康被害についてJCOと100%親会社の住友金属鉱山に対して健康被害の賠償を求める民事訴訟。
2002年9月に水戸地裁に提訴、原告側申請の原告らの症状と事故との因果関係についての専門医証人3名と放射線の人体への影響関係の証人2名、JCO臨界事故の被曝評価関係の証人1名の証言、原告2名の本人尋問を経て2007年11月14日弁論を終結し、2008年2月27日に損害賠償請求を全部退ける1審判決がありました。
控訴審は東京高裁第2民事部に係属。第1回口頭弁論期日は2008年7月3日に開かれました。次回は9月16日午後3時30分から東京高裁822号法廷です。
1審判決についてはこちら
支援者のサイトはこちら
JCO臨界事故の原因と責任の解明
裁判ではありませんが、1999年に発生したJCOの臨界事故について、民間で立ち上げたJCO臨界事故総合評価会議のメンバーとして、JCO臨界事故の原因解明の作業をしています。
トヨタ財団の助成を受けた原因研究の報告書の私のパートに少し手を入れたものを掲載します(ものすごく長いので項目ごとに分割して掲載します)
JCOの操業実態と国の責任
浜岡原発運転差し止め訴訟
浜岡原発の1号機から4号機の運転差し止めを求める民事訴訟で、静岡地裁で審理中です。私は当初、とても手が回らないので代理人になりませんでしたが、原発の検証から復代理人になりました。
浜岡原発2号機に入りました 浜岡原発2号機に入りました(その2)
2006年9月8日から証人尋問が始まり、11人の証人の尋問が終わりました。2007年6月8日、最終準備書面を提出し、2007年6月15日午前11時から、双方の最終準備書面の陳述があり弁論終結(結審)し、2007年10月26日1審判決がありました。
私は判決の言い渡しには出席しておらず判決文はまだ読んでいませんが、立証責任について志賀原発訴訟の住民側勝訴判決と逆の立場を取って住民側を全面敗訴させたようです。
住民側は直ちに控訴しました。
私は担当していませんが、もんじゅ最高裁判決についてはこちら
圧力容器の照射脆化問題で金属学会に行ってきました。
やっぱりこういう事故が・・・やはり日本の原発でも暴走事故が起こり得る
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