たぶん週1エッセイ◆
裁判員制度はうまくいくか
 本当は「エッセイ」なんていう扱いで書く話じゃない気もしますが、それほど勉強しているわけでもないので、雑感のレベルで書きます。
 多くの部分は運用次第なのだと思いますが、私には制度としていくつかの問題点を抱えているように思えます。その問題点が運用でうまくクリアされるといいのですが。

   裁判員制度の概要

 2009年春頃から(2009年5月までに施行されることになっています)、殺人、強盗致死傷、現住建造物放火、傷害致死、危険運転致死等の重罪事件の刑事裁判に、選挙人名簿からくじで選ばれた一般市民が裁判員として裁判に参加することになります。高齢(70歳以上)とか学生とか病気やけがで行けないとかの事情がないと裁判員になることを拒否できません。原則として裁判官3人と裁判員6人の評議で有罪か無罪か、どれだけの刑を科するかを決定します。裁判員は評議の内容について秘密を守る義務が課せられ、違反すると罰則(6月以下の懲役または50万円以下の罰金)があります。

   裁判員は裁判官と対等に議論できるか

 日本人はお上に弱いから・・・ということはさておいて、制度自体に裁判官と裁判員の対等性を確保する配慮が欠けているように、私には思えます。
 まず裁判員の選任手続です。裁判員の選任に当たっては、裁判員候補者に対して、不公平な裁判をするおそれがないか等について裁判長及び(陪席)裁判官が質問をすることができ、その上で裁判所(つまり裁判長と陪席裁判官)が裁判員を選任するわけです。選任後、裁判長は裁判員に宣誓をさせます。そして選任後も、裁判所は、裁判長の命令に従わない場合などには、裁判員を解任することができます。このように裁判官は裁判員に対して優位な立場にありますし、そのことを選任手続や宣誓で裁判員に明確に意識させることになります。それで、評議の場面になったら対等ですよと言われて、裁判員は対等だと感じられるのでしょうか。
 それから公判前整理手続です。裁判員による裁判の前に裁判官と検察官と弁護人(ケースにより被告人も)で裁判の争点や提出証拠を整理する手続が行われます。ここで裁判員による裁判の場に何が提出されるかが大方決められるわけです。つまり、裁判官は、裁判員が見ない証拠や聞かない主張を知っているという構造になるのです。持っている情報量が違うのに裁判員は対等の立場と感じられるでしょうか。裁判官が裁判員と意見が違ったときに、裁判員は、裁判官は自分が知らされていない事件の真相を知っているからそう言っているのではないかなどと考えてしまわないでしょうか。
 選任手続を裁判所が行うことや公判前整理手続を行うこと自体は、裁判員制度を実施するために必要です。しかし、それをやった裁判官が裁判員との評議に加わることは、対等の立場で評議するためには有害です。アメリカの陪審制でも陪審員の選任や公判前の手続は裁判所が行いますが、陪審制の場合、裁判官は評議に加わりません。裁判員制度でも、選任手続や公判前整理手続を行う裁判官と評議に加わる裁判官を別の裁判官にすれば、ここで述べた問題点を避けることができますし、法律の規定上はそれは可能です。しかし、裁判所は、それは手間がかかるので、そういうやり方は取るつもりがないようです。
 裁判員が裁判官と対等に議論できなくなると、裁判員が言える意見は、量刑についての考えばかりになってしまうのではないでしょうか(量刑については、証拠による事実認定と比べて、人生観とか意見の部分が大きくなりますからね)。

   弁護は十分できるのか

 裁判員による裁判を連日開廷で短期間に終わらせるために、公判前整理手続が行われます。この段階で弁護側も予定している主張や証拠を明らかにすることが求められます。これまでは検察側の立証が終わった段階で検察官がどの程度立証できたかを検討して弁護側立証を決めればよかったのですが、そうはいかなくなります。これは、現在の検察官と弁護人の力関係(証拠集めの能力。使える強制力とスタッフの差)を考えれば、弁護側にはしんどいことです。それを補うために検察官手持ち証拠の開示の手続も設けられましたが、検察官手持ち証拠が全面開示されるわけではありません。それにもし検察官手持ち証拠が全部開示されたとしたって、それは検察官の視点(有罪だろうという視点)で集められた証拠ですから、それだけで弁護側が対等に戦えるわけではありません。
 そして連日開廷というのは、民事事件中心で日程をたてている現在のほとんどの弁護士にとって、対応することはかなり困難です(その点についてはこちら)。刑事事件というのが経済的(経営的)にはペイしなくて奉仕的な気持ちでやっている現状で、どれだけの弁護士が裁判員裁判を担当しようとするでしょうか。ほとんどの裁判員裁判は、2006年10月からスタートする日本司法支援センターのスタッフ弁護士が担うことにもなりかねません。そして日本司法支援センターについては、これからのシステムですからよいものにしていかなければなりませんが、法務省の監督下の組織となることから現在刑事事件を積極的にやっている弁護士の相当部分が登録に否定的な姿勢を見せていることが気がかりです。また、これも未確定要素がありますが、日本司法支援センターのスタッフ弁護士は、給料が同期の裁判官・検察官並みとされていることから、予算の関係上、若手の弁護士のみとなることが予想されます。いちばん重大な刑事事件の多くを日本司法支援センターのスタッフの若手弁護士ばかりが担当するということになると、それでいいのかなあという気持ちになります。 

   裁判員を確保できるか

 裁判員になると、公判の間、仕事を休まなければなりませんし、有罪・無罪、刑罰といった人の人生を左右する重大なことを決めることになり心理的にも重荷を負うことになります。その上に評議の内容をしゃべると罰則もあります。
 裁判員になることを拒否できる場合は、70歳以上か学生でない限り、病気やけが、介護中、自分が処理しなければ事業に著しい損害を生じるような事業上の都合、父母の葬式等の「やむを得ない事情」がある時だけです。旅費・日当(いくらになるかは未定)は支払われますが、それ以外に裁判員の負担を緩和する仕組みがないと、選ばれた人には結構つらいものがあるでしょう。
 罰則については、法務省などの説明では評議の場で自由に意見が言えるようにするためということですが、それにしては罰則が重すぎるように思えます。実は現在でも、検察官が起訴しなかった事件について起訴しなかったことが妥当かどうかを、くじで選ばれた一般市民が判断する検察審査会という制度があります。こちらでも評議の秘密を守る義務があるのですが、罰則は1万円以下の罰金でした(今もそうです。裁判員制度が開始される時までは)。どちらも刑事事件について一般市民が関与して判断する仕組みです。検察審査会の場合は、評議は一般市民だけで、検察官も裁判官も入りません。その評議の秘密はしゃべっても1万円以下の罰金だったのに、裁判員の場合は6ヶ月以下の懲役または50万円以下の罰金と格段に重くなっています。それを比べると、一般人を守るためじゃなくて、評議での裁判官の意見を公表されることを避けるために特に重くしたと思えます。もちろん、そういう批判を避けるために、検察審査会の方も裁判員制度の開始とともに罰則を同じ重さに変えることになっていますけど(いかにも役人らしいつじつま合わせですね)。
 へたをすると、裁判員候補はあの手この手で選任を回避しようとし、選ばれた裁判員は(回避しようとしたのにしくじったという)不満な気持ちで選ばれ、評議で対等な議論はできず、言える意見はマスコミの影響を受けて刑を重くするべきといったことに集中し、裁判官はそれを「国民の意見」として刑を重くする心理的抵抗を軽くする、弁護側は日本司法支援センターの若手のスタッフ弁護士が今よりも制約が強い中で十分な弁護ができずに苦しむ(つまり今より弁護側の活動が不十分になり、有罪率99%はそのまま、刑は重くなる)なんてことにもなりかねません。そうならないように実施までにいろいろな議論と配慮が必要ですね。
 まあ、民事事件では一切導入されなかったのは、アメリカの陪審で痛い目にあっている企業に配慮してのことでしょうし、財界主導の司法改革ではそういう構図にならざるを得ないというシニカルな見方もできますが、そうならないように努力したいものですね。
(2005.11.13記)

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