庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ハドソン川の奇跡」
ここがポイント
 プロとしての仕事のあり方、判断について考えさせられる作品
 机上の論理でできたはずという非現実的な役人根性。これって原発再稼働を認める原子力規制委員会の手法と同じ…

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 2009年に起こった離陸直後にエンジン停止した航空機のハドソン川への不時着を描いた映画「ハドソン川の奇跡」を見てきました。
 封切2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前10時25分の上映は、ほぼ満席。

 2009年1月15日、ニューヨークのラガーディア空港を離陸したUSエアウェイズ1549便は、離陸直後にバードストライクのため両エンジンが停止した。機長チェスリー・サリー・サレンバーガー(トム・ハンクス)と副操縦士ジェフ・スカイルズ(アーロン・エッカート)は、エンジン再起動を試みるが、エンジンは起動せず、機長は管制官に事故を伝え、ラガーディアに戻ると通告した。しかし、1549便は高度を保てず、機長はハドソン川への不時着を決行した。機体は無事に着水し、乗客は翼の上や緊急脱出用ロフトに出て救助を待ち、不時着を見ていた沿岸警備隊や民間のフェリーが駆けつけて、乗員乗客155名全員が生還した。テレビはサレンバーガーを英雄として報道したが、事故調査委員会は、フライトレコーダーの記録から片側のエンジンはわずかながら動いており、ラガーディア空港や近隣の空港への帰還が可能だったと言い出した。サレンバーガーは、事故調査委員会の主張はコックピットでの記憶とあわないと、反発するが、先行きに不安を感じ…というお話。

 長年にわたりパイロットとして勤めてきた、プロとしての経験とプライド、直面した事態の下での判断への自信とあり得た他の選択肢への一抹の不安と迷い。サレンバーガーの胸に去来するそういった思いが切々と描かれ、プロとしての仕事のあり方、判断について、考えさせられる作品です。
 片側のエンジンが生きていたというフライトレコーダーの記録は、サレンバーガーのコックピットでの認識・実感と異なるものでしたが、仮にエンジンがわずかに生きていたとしても、その結果、客観的にはラガーディアに戻ることができたのだとしても、それは机上での後付のシミュレーションに過ぎず、ベテランのプロが現場で冷静に対応して当時可能な中での最善と判断したものを、理論的には他の選択肢もあり得たと批判するのは、間違いだと私は思います。サレンバーガーでなくても(サレンバーガーはそうは言わないのですが)、そういう主張をする調査委員会に、あの現場でそんな判断できるというならお前がやってみろと言いたくなるでしょう。
 私自身、職業柄、本当の意味の客観的なベストが何かはわからない、あとから「たら」「れば」を考えだしたらきりがないという場面は、よく経験します。例えば敵性証人・相手方本人の反対尋問で、もう一歩突っ込むべきだったか、あの場面でこう聞いたらどうなったか、というのはたびたび頭をよぎります。しかし、敵性証人がこちらの主張を相当程度認める証言をしたところで、調子に乗ってあからさまにつまり被告の主張は虚偽だということですねなんて聞き方をすれば、しまったと思い取り繕ってこれまでの証言はそういう意味ではない別の意味だとかごまかす機会を与えることにもなりかねません。そこらを見計らって、その時の判断としてはここで止めるのがベストと判断しているわけですが、そこは究極的にはわからないことであり、100%の正解はありません。そういうところを、他人からあれこれ言われたら、やってられないなという気になります。

 現実に緊急事態に遭遇したときに、人間がどれだけ冷静でいられるか、その時点ではどれだけの情報を得ているかを度外視して、当時はパイロットが知らなかった情報を前提に、シミュレーションで、できたはずだという事故調査委員会の言い草は、あまりにも非現実的で、いかにも役人の机上の空論に思えます。
 しかし、そう考えたところで、これは、過去の事故調査だけの問題ではないということに気づきました。この事故調査委員会の思考パターンと手法は、将来の事故の際の対応について、机上の論理だけで、事故のときに運転員がこのように適切に対処できる「はず」だから、重大事故対策が有効だと言って、原発の再稼働を次々認めているわが国の原子力規制委員会と同じですから。
(2016.9.25記)

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