たぶん週1エッセイ◆
映画「スラムドッグ$ミリオネア」
ここがポイント
 原作の毒を抜き美しくシンプルに仕上げているが、その結果主人公のしたたかさ・たくましさ、ストーリーの展開の巧みさ・緻密さを失わせている
 映画の全体としては、スラムとクイズ番組に舞台を借りたラブストーリーという印象

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 アカデミー賞作品賞受賞映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、午前中の回でしたがほぼ満席でした。さすがアカデミー賞のご威光でしょうか。しかし、封切り初日・2日目の国内動員数は5位で、1位の名探偵コナンの6分の1というのはちょっと悲惨。

 映画では、ムンバイのスラム育ちのコールセンターアシスタント(お茶くみ)の青年ジャマールが、2000万ルピーの賞金を賭けたクイズ番組に挑んであと1問のところで警察に逮捕されて不正をしただろうと尋問され拷問されて、これまでの質問がすべて人生で経験したことだったと警察官に説明し、疑いが晴れて翌日ラストクエスチョンに挑み見事正解するというストーリー。全体を、ジャマール・マリク(青年時デーヴ・パテル)と兄のサリーム(青年時マドゥル・ミッタル)の愛憎劇と、ジャマールらがヒンドゥー原理主義者に襲われて母を目の前で殺害されてスラムをも追われてから行動をともにして子どもたちに物乞いをさせて搾取するママン一味から逃げるときに救えなかった孤児の少女ラティカ(成長後フリーダ・ピント)とのラブストーリーにまとめています。それで構成がシンプルになり軸ができてわかりやすくなっていますが、その分スラムの現実等の社会派的なテーマは後退しているように感じられます。
 原作(日本語版タイトル「ぼくと1ルピーの神様」、原題“Q and A”)では、主人公は(名前がラム・ムハンマド・トーマスという点、これもストーリー展開にけっこう意味があるのですが、それはおいても)孤児で母親とは会ったことがなく、現在はスラム暮らしでウェイターだがスラム以外の様々な生活を経験していて、それがすべての質問の答を経験していたところにつながっています。原作ではサリームは孤児仲間で年下ですし、幼少期に恋した少女「ラティカ」は登場しません。青年となった後娼婦のニータと恋してそれがクイズ出場の動機となっています。
 映画の設定変更は、サリームを兄として暴力的な行動をすべてサリームの役割にして主人公ジャマールを(タージマハルでの泥棒は別として)悪に手を染めない純朴な青年として純化し、ヒロインは娼婦ではなく幼少期からの仲間としてラブストーリーを美しくしています。ストーリーも救えなかったラティカを思い続けるジャマールがラティカを探し求め囚われていたギャングの親分の元から救い出すというラブストーリーの展開を重視して、かなりシンプルに構成しています。しかし、それは原作の主人公が持っていたしたたかさ・たくましさを奪い、ストーリーの展開の巧みさ・緻密さを失わせています。映画ですからシンプル・イズ・ベストということでしょうけど、ちょっと物足りなさ・中途半端さも感じました。やっぱり原作を読んだ後では、映画は単純化し過ぎと思います。

 原作では10億ルピー(約20億円)の賞金が映画では2000万ルピー(約4000万円)とか、ラストクエスチョンに対する回答が全くの勘だけというのも、クイズという枠組みへのこだわり、観客への説明へのこだわりが弱い感じがします。ラストクエスチョンもラティカとの再会の舞台準備って位置づけで、これもラブストーリー仕立ての方を重視したためでしょう。スラムの現実の描写も前半だけですし、映画の全体としては、スラムとクイズ番組に舞台を借りたラブストーリーと見ておくべきでしょう。 

(2009.4.26記)

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