庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「これが私の人生設計」
ここがポイント
 海外で評価され実績があっても女性は相手にされない超男社会への批判がテーマ
 ワンマン社長の職場支配に不本意ながら隷従する従業員たちの姿は他所の国の話とは思えない

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 今どき信じられないほど男社会のイタリア建築業界での女性建築士のチャレンジを描いた映画「これが私の人生設計」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、全国11館、東京では唯一の上映館新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前11時40分の上映は5割くらいの入り。

 イタリアの山村で育ちながらローマの大学で優秀な成績を上げ、世界各国でその実力を評価されてきた建築士セレーナ・ブルーノ(パオラ・コルテッレージ)は、雨ばかりのロンドンの気候がいやになり、イタリアに戻るが、超男社会のイタリアの建築業界でまともな仕事を得られず、蓄えも尽きて、レストランでウェイトレスとして働き始めた。母(フランカ・ディ・シコ)と伯母(フィロメナ・マクロ)から結婚を急かされるセレーナは、レストランのオーナーのフランチェスコ(ラウル・ボヴァ)に熱を上げるが、フランチェスコはゲイだった。ローマ市内を移動するのに使っていた父の形見のモーター付自転車を盗まれて途方に暮れたセレーナがたどり着いた公営住宅コルヴィアーレでリフォームプランの公募をしていることを知り、セレーナは荷物を運ぶのを手伝わされた住人(ジェノヴェッファ・サンドリーニ)や階段で勉強する住人たちの意見を聞いて共有スペースのリフォーム案を作成して応募した。面接に行ったセレーナに対して「セレーナ氏はどこにいる」と聞いた面接官に、セレーナはとっさにセレーナ氏は大阪にいて今月いっぱい帰ってこない、自分はアシスタントだと述べる。結局、セレーナのプランが採用されるが、困ったセレーナは、フランチェスコにセレーナ氏役を演じるように頼み…というお話。

 実力があり、現に海外で評価され実績がある建築士でさえ、女性であるというだけで相手にされないという今どき信じられない超男社会を、告発するというかたぶん自虐的に描いた作品だと思います。セレーナが突きつけられる、妊娠したら解雇という契約書、日本では、当然に均等法違反で無効ですが、こういうものがまだまかり通るのでしょうか(私は、イタリアのことは知りませんので、この作品で描かれている通りだとすれば、ということですが)。「外資系」の会社の労働契約書には、会社側が解雇に関して信じがたいような一方的な条項を設けているケースが少なくないですが、本国での企業の行動がそういうレベルならむべなるかなと思います。もっとも、日本の企業も、弁護士がアドバイスするレベルの企業では、書類上あるいはあからさまにはそういうことはせず別の理由を付けはしますが、表向きは差別はしないことになっていてもその実態がどの程度違うかは心もとないところですが。
 セレーナがプラン採用後に就業することになる事務所が、代表の建築士(エンニオ・ファンタスティキーニ)のワンマン企業で、30年にわたり仕える秘書ミケーラ(ルネッタ・サヴィーノ)は実力がありながら代表者のサポートに専念して朝の出社をコーヒーを手に出迎え、代表者は従業員に決まった声をかけ、従業員たちは決まった応答をする朝の儀式を繰り返していたが、セレーナが最終的に我慢できず反旗を翻したところで、ミケーラや従業員たちも実は仕事のために不本意に従っていたことがわかるという場面が出て来ます。超男社会であるというだけでなく、ワンマン社長の下での社長の好み・偏見による不合理な採用・就労条件の押しつけ、職場支配といったことも、この作品のテーマになっているように思えました。こういった前時代的で独裁的な経営者の下での原始的な労働関係は、日本の中小企業でごく普通に見られるものです。そういう点で、全然他所の国の話とは思えないテーマです。

 ストーリーとしては、セレーナの「恋愛」へのスタンス、もやし男ピエトロ(コラード・フォーチューナ)の位置づけ、セレーナのピエトロについての評価・感情が、今ひとつスッキリしなくて、もやもや感の残るラストだったと思います。
(2016.3.6記)

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