たぶん週1エッセイ◆
映画「砂時計」
ここがポイント
 主役のはずの杏の主体性が感じられない
 私の印象に残ったのは、海辺の映像がきれいだった…くらい

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 連休の真っ最中、「砂時計」見てきました。観客の半分は女性同士、残り半分がカップル、カップルの大半はたぶん10代か20代前半というおじさん比率の極めて低い映画です。
 少女漫画が原作でTVドラマ化されてその後の映画ですから、普通に映画評書くなら原作やドラマとの比較から入るところでしょうけど、漫画もドラマも見ていません。純粋に映画だけでコメントします。

 2時間ほどの映画ですが、見終わって残っていた感想はといえば・・・海辺の映像がきれいだったなですね。いつか行ってみたくなるくらい。
 石見海浜公園・琴ヶ浜だそうですが、日本海側ですから冬はなかなかあの青は無理でしょうし、夏は海水浴客がいるでしょうし、ロケが大変だったろうなと・・・

 映画を見て、一応ハッピーエンドなんですが、どう頑張っても元気になれないし、爽快感がない。
 制作側は泣かせようとしているのが感じられるけど、泣ける部分がない。私の場合で言うと、唯一、目頭が熱くなったのは、母が自殺して残された杏が悲しみに暮れるシーン。それも子どもができてから、そういう親が死んで残された子どもがうちひしがれるシーンに涙腺が弱くなったという私の個人的事情です。
 全体の流れでいい印象を持てなくしているのは、杏の主体性・積極性が感じられないことに大きな原因があると思います。決意とか芯の強さがどうも感じられない。
 大悟は最初から最後まで杏に一直線で全然ぶれない、藤も大悟に殴られたのを機会に自立を決意した上スッときれいに杏から手を引く(映画で見る限り、むしろ藤君がかっこいい)という、とってもシンプルな構成にした以上、映画の軸は、初恋・純愛を貫くという話として展開されるはずだと思います。それなら少なくとも杏の手で大悟を選び取るのでないと話が決まりません。それを、杏は全く動かずただ砂時計を見つめてボーッとしているだけで婚約者に愛想を尽かされて破談、それでもなお大悟のところに戻らずに、最後の最後まで大悟側からのアプローチに任せ続けるというのでは、杏の主体性が全然見えません。主人公に主体性が見えないとなると、観客は喜びも爽快感も感じられないじゃないですか。

 杏と大悟のファーストキスがクラスメートで貸し切り状態の電車の中で、それでも誰にも気づかれないというのはちょっと不自然。シーンとしては美しいんですけどね。27歳の孫がいるおばあちゃんが出雲空港で力一杯駆け抜けたり(まぁでも実際69歳の女優さんが走ったんだし・・・)、酸素吸入をしていたはずが目覚めたときには酸素マスクがなかったりとか、不思議なシーンは他にもありますけど。

 この映画、主演は松下奈緒(杏の大人時代)になっていますけど、大人になってからの杏の受動的でただ流されうちひしがれているだけという役柄もあるんでしょうけど、ほとんど(いい)印象がなく、夏帆(杏の中学・高校時代)に喰われてますね。結局、松下奈緒段階の(大人になった)杏が笑顔がほとんどなく暗い顔で物思いと哀しみしか見せないところが、風景の映像はきれいなんだけど・・・音楽もまぁいいんだけど・・・で終わらせているんじゃないかと思います。

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