庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ジョーンの秘密」
ここがポイント
 広島への原爆投下の衝撃、外務省機密漏洩事件との比較など日本の観客には考えさせられるところが多い作品
 007シリーズでMI6局長だったジュディ・デンチがMI5に逮捕されるが、それなら取調官をダニエル・クレイグにして欲しかった
    
 ソ連にイギリスの原爆開発データを提供したスパイの行動と動機を描いた映画「ジョーンの秘密」を見てきました。
 公開3日目日曜日、渋谷HUMAXシネマ(202席/販売101席)午前11時40分の上映は、20人くらいの入り。

 2000年5月、夫に先立たれ引退して一人暮らしをしていたジョーン・スタンリー(ジュディ・デンチ)が、ソ連に原爆開発の機密を漏洩した罪でMI5に逮捕された。ジョーン(ソフィー・クックソン)はケンブリッジ大学で物理学を専攻していたが、門限破りで寮に入れなくなりジョーンの部屋の窓から入ってきたのを機に知り合ったユダヤ系の学生ソフィア(テレーザ・スルボーヴァ)からナチとの闘いを演説する従弟レオ・ガーリチ(トム・ヒューズ)を紹介され、共産主義者の集会にも誘われる。ジョーンはレオと恋に落ち、肉体関係も持つが、レオは活動のためにソ連行きなどを繰り返し、ジョーンはレオとなかなか会えないでいた。ケンブリッジ大学を首席で卒業し、マックス・デイヴィス教授(スティーヴン・キャンベル・ムーア)に見いだされてイギリスの原爆開発プロジェクト「チューブ・アロイズ」で働くことになったジョーンをレオが訪ね、原爆開発のデータの提供を求めるが、共産主義に賛同できず、秘密保持を誓っているジョーンは拒否し、レオが自分を愛しているのではなくただ利用しようとしているのではないかと疑念を持つ。カナダとの共同研究のためにカナダに向かう船の中でマックスと不倫の関係を持ってしまったジョーンの前にレオが現れ、重ねて原爆開発のデータ提供を求めるが…というお話。

 ジョーンの動機がポイントであり、それを語るジョーンの言葉が見せ場となっている映画ですが、それに触れないで論じることができない作品ですので、ネタバレですが、書いてしまいます。

 この作品、事実に基づく物語とされていますが、ジョーン(事実の方では、メリタ・ノーウッド)の思想・信条の設定がかなり違います。現実の「スパイ」メリタ・ノーウッドは、若き日から共産主義者でイギリス共産党に入党していて、ソ連への原爆開発データの提供はその思想・信条に基づく確信的な行為とされています。それに対し、映画のジョーンは、共産主義者の集会に誘われて参加はしていたものの共産主義に賛同する気持ちになれず、ただ共産主義者のレオに惹かれて恋に落ち肉体関係を持ちます。
 史実を脚色してジョーン自身の思想・信条に基づく積極的な提供ではなく、恋愛関係にある異性からの要求というシチュエーションにしてしまった結果、日本の観客である私としては、外務省機密漏洩事件との比較・アナロジーを見てしまいます。外務省機密漏洩事件では、沖縄返還の際の日米両政府間の密約を毎日新聞記者が、男女関係にあった秘書官を通じて入手したことについて、裁判所は記者の情報取得方法の違法性を強調して有罪判決を言い渡しました。記者に沖縄密約を知らせた秘書官には自らの主体的な判断、正義感による行為という意識はなかったのか、秘書官が自分は自らの正義感に基づいて密約の存在や民主主義国家においてこのようなことが秘密裏に行われることが許されないと判断して記者に情報を渡したと明言したらどうなったのかという疑問がくすぶった事件でした。
 この作品で、ジョーンは、レオからの、ある種「色仕掛けの」要求は断った上で、原爆の広島、長崎への投下、それによる数十万人に及ぶ人々の死亡に心を痛めます。原爆開発計画の当初、マックスは、原爆開発は抑止力のためだ、ナチスに先に開発されたらどうなるか、イギリスが先に開発することでナチスが原爆を使えなくなると主張していたのに、いざ開発されてみると、プロジェクトのメンバーからは、ドイツが降伏する前に使えばよかったなどという意見が出、日本への投下をめぐっては、マックスが、自分たちは開発するだけだ、その後の利用は政治家に任せておけばいいなどと言いだしたという経緯も、ジョーンにやりきれない思いを持たせたものと見えます。
 ジョーンが、アメリカとイギリスだけではなく戦後対立することとなるソ連にも原爆を持たせることでアメリカやイギリスが2度と原爆を使えない抑止力となることを期待して、主体的に判断して情報を提供したという主張には考えさせられます。
 イギリス映画ですから特に日本の観客へのメッセージを重視しているわけではないでしょうけれども、日本(広島、長崎)への原爆投下への衝撃が動機となり、外務省機密漏洩事件と類似のシチュエーションを(史実を変えて)作っていることには、日本の観客として、よく考えてみるべきではないかと思います。

 ジョーンが物理学を選んだ動機が、幼い頃にオタマジャクシを洗おうと湯につけたら茹だって死んでしまった、そのしくみを知りたくてというのですが、それならなぜ生物学ではなく、物理学、それも理論物理なんでしょうか?
 007シリーズでMI6の局長「M」だったジュディ・デンチがMI5に逮捕されるという配役はそれ自体見せ場ですが、それならこの際取調官をダニエル・クレイグにするとか、それはやり過ぎならもう少し地味な配役の007シリーズのMI6関係者で固めてみるくらいの遊びが欲しい気がしました。
(2020.8.9記)

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