たぶん週1エッセイ◆
映画「パイレーツ・ロック」
ここがポイント
 予告編で強調される政府との闘いは、中途半端な感じ
 むしろもっと音楽とダンスに時間を使った方がよかったと思う

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 1966年イギリスの若者を熱狂させていた海賊ラジオ局を描いた映画「パイレーツ・ロック」を見てきました。
 封切り2週目土曜日午前中は2〜3割の入り。

 1960年代のイギリスというとビートルズをはじめロック・ミュージック真っ盛りという印象ですが、BBCは1日45分しかポップス・ロックは流さず、民間ラジオ局は公認されていなかった。そんな中で公海上の船から1日24時間ロックとポップスを流し続けた海賊ラジオ局は人気を博し、イギリスの人口の半分以上をリスナーに持っていたという。その実話を元に、海賊ラジオ局「ラジオ・ロック」の経営者クエンティン(ビル・ナイ)と仲間のDJたちや高校を放校になって母親に送り込まれてきたカール(トム・スターリッジ)ら船に乗り込んだメンバーたちの音楽漬けの生活とときおり乗り込んでくるファンの女性たちとの性生活などを描いています。これに海賊ラジオ局を潰そうと画策する政府から妨害と攻撃を受け・・・というお話。

 予告編ではストーリーのメインに据えられている感じの政府との闘いは、中途半端な感じ。政府側が海賊ラジオ局を不快に思って非合法化しようと画策する様子は繰り返し出てくるものの、それがなかなかうまく行かない場面が続きますが、そこはなぜうまく行かないのか、クエンティンらがどう乗り切ったのかが、今ひとつわかりにくいというかかみ合っていない感じです。ようやく非合法化した後の攻撃も一度からまわりしただけで止まっています。これをメインに据えようとするならもう少し駆け引きが描かれないと。
 政府との闘いをきっちり描かないならむしろその時間をもっと音楽とダンスにでも回した方がよかったと思います。基本的にヒットナンバーをかけまくってDJのノリで見せる映画だろうと思うんですが、そっちをもう少し見せて欲しかった。

 登場人物ではDJのギャビン(リス・エヴァンス)とザ・カウント(フィリップ・シーモア・ホフマン)が中心となって個性を競っていますが、私は、老いても渋みと軽みを感じさせるクエンティンに魅力を感じました。ああいうふうに年を取れると格好いいなと思ってしまいます。自分には無理だとわかってはいますけど。

(2009.11.2記)

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