たぶん週1エッセイ◆
映画「ワン・デイ 23年のラブストーリー」
ここがポイント
 堕ちてゆくデクスターと着実に歩むエマの対照の下、2人の思いが続くのは、デクスターにとって都合がいい/ムシがいい話と評価すべきか、ウサギとカメ/アリとキリギリス的なエマの勝利の話と読むべきか・・・

 惹かれあいながらも「親友」でいることを選んだ男女の23年間を毎年の7月15日で描いた恋愛映画「ワン・デイ 23年のラブストーリー」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、TOHOシネマズ渋谷スクリーン6(215席)午前9時35分の上映は1〜2割の入り。

 1988年7月15日、大学の卒業パーティーのバカ騒ぎの帰りに憧れの目で見ていたデクスター(ジム・スタージェス)から送っていこうかと誘われたエマ(アン・ハサウェイ)は、2人でベッドに入りながらも不器用にすれ違い、思いを残しつつHせずに別れた。その後テレビ局で低俗番組の司会者として若い軽い女性に囲まれて華やかに遊び回りながらも局の上司や親の視線に自信を失い嘆くデクスターと、作家を志しながら芽が出ずレストランで働く地味な生活を送るエマは、時に電話で慰め励まし、時にともに旅行し、時に別の相手と会う7月15日を過ごし続けていた。職場で誘い続けてくれるコメディアン(レイフ・スポール)と一緒になってはみたものの今ひとつ愛せない思いを持つエマと会いながら席を外しては他の女性に視線を送り続けるデクスターにエマが失望して離れた年も、若いときの勢いを失い仕事に陰りが見えたデクスターができちゃった婚しその後離婚して泣き濡れた年もあった。そういう年月を経て2人は・・・というお話。

 惹かれあいながらも親友でいることを選んだ男女の23年間ということから事前に持っていた予想は、前半はほぼその通りに進み、そして後半2つの点で唐突に裏切られます。もっとも、冒頭のシーンでそれは示唆されていたのではありますが。遠回りする2人のラブストーリーという捉え方でいた方がフィットするかなという感じです。
 多くの女性と関係を持つモテ男だったデクスターが次第に仕事に陰りを見せ両親にも失望され、経済力も当てにした相手とできちゃった婚したあげくに妻にも裏切られて次第に落ちていくのに対して、作家としてデビューすることもできずにコメディアンと暮らしていたエマが着実に暮らしながらヒット作を生み出していくという設定で、2人の思いが続いていきます。逆だったらデクスターはエマを忘れて他の女性に走ったと予想されますが、これはデクスターにとって都合がいい/ムシがいい話と評価すべきか、ウサギとカメ/アリとキリギリス的なエマの勝利の話と読むべきか・・・
 そういうストーリーの支えもあってアン・ハサウェイが年を経るにつれ魅力的になっていく感があるのですが、ジム・スタージェスの方も落ちぶれていきながらどこか人間味が出て魅力がにじんでくるように見えます。単におじさんの目からは自分の年に近づいてくる方が親しみを感じるということかもしれませんが。
 毎年の7月15日、聖スウィンジンの日であり2人が初めて言葉を交わし親しくなった日でありその後さまざまな想い出を重ねていく日を描き続けていく中で、さまざまな局面が登場します。たぶん多くの観客が、ここで2人はどうなる、ありていにいうとHしちゃうだろうかという興味を持ちながら見る映画だと思いますからそこはいいませんが、ここで自分だったらどうするだろうかということを楽しめるというか突きつけられる映画です(カップルで行くと後者になりがちかも)。

 1996年の7月15日、エマの台詞「心から愛してる。でももう好きじゃないの」(英語では、I love you so much, but can't ...like you any more:途中ひと言ふた言聞き取れませんでした)。私にはわからない。likeじゃなかったら、loveでもないと思うんだけど。ここでloveは「恋」のイメージじゃなくて人間愛的な意味合いになるんでしょうか。カミさんはエマの気持ちよくわかるっていうんですが。うーん、そのあたりに壁があるような気がする。

Tweet  はてなブックマークに追加  ワン・デイ 23年のラブストーリー|庶民の弁護士 伊東良徳

(2012.6.25記)

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