庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「マンデラ 自由への長い道」
ここがポイント
 マンデラと妻たちの運動をめぐる確執に興味を引かれる
 もう少しウィニーサイドの視線と思いにも向き合った方がよかったのではないかと私は思う

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 ネルソン・マンデラの自伝を映画化した「マンデラ 自由への長い道」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、シネマスクエアとうきゅう(224席)正午の上映は3〜4割の入り。

 南アフリカ共和国のヨハネスブルグで弁護士として開業していたネルソン・マンデラ(イドリス・エルバ)は、人種差別に反対するアフリカ民族会議(ANC)に誘われて加入する。運動にのめり込み女性支援者と不倫を繰り返すマンデラに、妻エブリンは反発し、離婚する。マンデラはウィニー(ナオミ・ハリス)と再婚したが、その後非暴力の抗議活動に対して政府側が発砲し69人が虐殺される事件が発生し、非暴力の運動を続けてきたANCは武装闘争に方針を転換し、マンデラは地下潜行し爆弾闘争を指導するようになる。逮捕されたマンデラは裁判で闘争指導の事実は認めて正当性を主張したが終身刑の判決を受け、ロベン島の監獄に送られる。当局から嫌がらせと逮捕を繰り返されるウィニーは、マンデラとの面会をしつつ、民衆に実力による反抗を呼びかけ、マンデラ釈放運動を繰り広げるが…というお話。

 自伝に基づく映画ということもあり、マンデラと2人の妻との確執、子どもとの関係、それをめぐるマンデラの思いが描かれ、そちらに興味を引かれました。
 最初の妻エブリンとはマンデラが運動にのめり込み家庭を顧みないこと、そして支援者との不倫が対立点となります。不倫の点は置いて、運動家と、運動へののめり込みに反発する配偶者という対立は古くて新しい問題といえます。やはり別離に至るべくして至ったと見るべきなのでしょうか。
 2人目の妻ウィニーとの関係は、マンデラが投獄されたのち、武装闘争・復讐を主唱するウィニーと、復讐を否定し恐怖のない平和共存を主張するマンデラの路線対立と、27年間のマンデラの投獄中に生じたウィニーの不倫が問題となります。ここでも不倫の点は置いて、27年間投獄され自由を奪われてきたが、それ故に闘争の現場を離れ仲間たちの犠牲を目の当たりにしてこなかったマンデラの、統治者・政治家の視線と、常在戦場で日々仲間たちが虐殺され慟哭する遺族たちと悲しみと憤りを共有してきたウィニーの虐げられし者・運動家の視線のズレは、やはりすれ違い続けるしかなかったのでしょうか。
 いずれの点も、考えさせられるところです。

 改めて考えてみると、非暴力運動ののち、政府側の虐殺事件が契機となったとはいえ、爆弾闘争を指導して逮捕投獄された者が、民衆運動として、さらには世界的な広がりで釈放運動のターゲットとされたことは、驚くべきことです。日本の政府・官僚、そしてマスコミの様子から見れば、およそ考えられないと言っていいでしょう。こういう感覚の方が、世界の歴史の中では硬直した例外的なものなのかも知れないと、少し考えました。
 いずれにしても、マンデラの釈放は、ウィニーと獄外のANCの長年にわたる運動なくしてはあり得なかったものであるはずで、少なくともマンデラはもう少しウィニーに対する感謝を見せた方がよかったと思います。ロベン島の監獄から本土へ移送されたのち最初の面会でもうウィニーが政権に利用されないように注意しろと囁いているように、運動のアイコンとなった故に政権とANCの権力闘争のコマと位置づけられたマンデラは、この時点で既にウィニーにとって運動の道具と扱われているとも言え、素直に感謝しにくかったのかも知れませんが。
 復讐を否定し、赦しを語り、平和を目指すマンデラのテレビでのスピーチでは、闘争のため自分は投獄され人生の大半を奪われた、しかし自分は彼らを赦した、私が赦せたのだから、あなたたちも赦せるはずだと語られています。27年もの拘束を受けた事実は重く(27年も拘束され続ける前に獄中で死んだ/殺された運動家もいますけど)、そのマンデラでも赦すというのだから、より弾圧を受けていない者は赦せるはずと、第三者はマンデラの言葉にうなずき感動することでしょう。確かに27年の投獄は重いですが、当局に愛する者を殺された遺族はその言葉に納得するのでしょうか。当局の手によっては妻も子どもも殺されていないマンデラに自分の気持ちがわかるかと反発することはないでしょうか。統治者の視点に立てない/立ちたくない一弁護士としてはそこに引っかかりを感じました。

 公式サイトのマンデラの紹介で、「白人以外で初めて法律事務所を開業する」と書かれています。え〜っと、南アフリカでは、その昔、青年弁護士時代のモハンダス・カラムチャンド・ガンディーが、法律事務所を開業し、南アフリカで鉄道で一等車の切符を買ったのに非白人は乗れないと言われて放り出されたことが契機となって人種差別反対運動を始め、その経験がインドへ帰国したのちの運動にも活かされたという流れだったように記憶しているのですが。ボーア戦争(南アフリカ戦争、ブール戦争)の際にイギリス側で従軍したガンディーは非白人の同志ではないという扱いなんでしょうか。
(2014.6.1記)

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