たぶん週1エッセイ◆
映画「コクリコ坂から」
ここがポイント
 ノスタルジーと爽やかさが売りの作品
 ジブリの遺産で食ってるアニメかなという感じ

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 スタジオジブリの世襲宣言ともいえる宮崎息子監督第2作「コクリコ坂から」を見てきました。
 封切り初日土曜日、9月11日閉館の決まったパルコ調布キネマの午前10時15分の上映は2割くらいの入り。

 朝鮮戦争で船乗りだった父を失い、大学教授の母はアメリカ勤務で、かつて祖父が営んでいた病院の建物を改造して祖母が経営する下宿屋で勤勉に食事を作り事実上切り盛りする高校2年生の松崎海は、子どもの頃からの習慣で今も毎朝父の無事航海を祈願する旗を揚げ続ける。その旗を毎朝父が岸へ送ってくれるタグボートから見て返礼の旗を揚げる高校3年生の風間俊は、高校の古い部活棟、通称カルチェラタンでガリ版の「週刊カルチェラタン」を発行しつつ、生徒会長の水沼と共に、カルチェラタンの取り壊し(建て替え)反対闘争の先頭に立っていた。妹の空に引っ張られてカルチェラタンの俊を訪ねた海は、次第に俊に惹かれ、カルチェラタンの維持のために大掃除をしてきれいにすることを提案し、水沼の賛同を得る。大挙して女子が押しかけて、カルチェラタンの部活動を担う変人男子たちと共に大掃除と補修が続けられ、カルチェラタンは見違えるほどきれいになる。下宿人の研修医の引越パーティーに招かれた俊は、海と2人で下宿の部屋を見るうち、海の父の写真を見て青ざめる。それからつれない態度を取るようになった俊に海はいらだつ。そうした中、高校はカルチェラタンを夏休み中に取り壊すことを決定、水沼と俊は海を連れて東京の財界人である学園の理事長にカルチェラタンを見に来てくれと直訴に行くが・・・というお話。

 東京オリンピック前の(まだ原発もない)日本(横浜)を舞台に、青年たちの蛮カラでまっすぐな思いと勤勉で誠実な生き様、カルチェラタン建て替え反対闘争と、愛し合う2人が兄妹だったという今どき口にするのも恥ずかしいほどベタな設定での純愛ストーリーが、特に木々の緑が際立つ爽やかなアニメで描かれています。そういうノスタルジーと爽やかさが売りの作品で、そういう作品が好きなら○、より複雑な陰影を求めるなら×でしょう。念のためにいっておきますが、私の感性は前者です。ものを書く段階では後者ですが・・・

 勝てなかった学園闘争を、「こうありたかった」なのか、「こうすればよかったのに」なのか、大衆の参加と共感とその結果による大人(支配者)の説得による円満な勝利の形に描き出すことをどうみるか。全共闘世代でない親子に言われるのは余計なお世話に感じる向きの方が多いように(そう思う向きはジブリのアニメなんて見ない?)。ましてや直接テーマになる学生寮闘争との関係では、これまでの負けた学生寮闘争は闘争側のやり方に問題があったといってるようで・・・

 船乗りの父を待つ子が丘の上の家から毎日信号を送り続ける姿や海のまっすぐな告白は「丘の上のポニョ」をイメージさせます(もちろん、海はでんぐり返りしたりしないけど)し、木々の緑の鮮やかさや最初に出てくるバスが猫バスっぽいのは「となりのトトロ」をイメージさせます。そういうジブリの遺産で食ってるアニメかなという感じもしました。

 海は下宿でも高校でも、海のフランス語( mer )をあだ名にして、メルちゃんと呼ばれています。当時の高校生は、そういう知識への憧れというか背伸び志向があったんでしょうね。私も、映画の最初からメルちゃんと呼ばれている主人公が祖母からは海と呼ばれているのを聞いて、あっそういうことねとわかる程度には、一応頭にフランス語が残っていてホッとしました(で、空は何だったっけと考えると、出て来なかったりするのですが:正解は ciel )。

(2011.7.16記)

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