庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「風の電話」
ここがポイント
 ハルの姿は、挨拶を返さない今どきの若者の内面にも実はさまざまな感情が渦巻いていると読むべきかも知れない
 自らも被災しつつ罪悪感を持ち失意のうちに放浪する森尾の姿は、元原発作業員の実際にフィットするように感じる
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 震災で家族を失った女子高生の喪失感と再生の兆しを描いた映画「風の電話」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター9(127席)午前11時30分の上映は8〜9割の入り。

 9歳の時東日本大震災の津波で両親と弟を失い、呉に住む伯母広子(渡辺真起子)と暮らす17歳のハル(モトーラ世理奈)は、広子が倒れて意識不明となったのを見て、何故私から何もかもを奪うのかと絶望的になり、人里離れて荒れ地をさまよい倒れていたところを、豪雨による土砂崩れの際に危うく生き残り痴呆気味の母と暮らす公平(三浦友和)に拾われて、生き残った者は食べなきゃなと諭される。ハルは、故郷の大槌を目指してヒッチハイクを始め、臨月の姉と弟の2人組、次いで夜の停車場で絡んできた男たちから助けてくれた元原発作業員の森尾(西島秀俊)に拾われて、埼玉、福島を経て大槌に至るが…というお話。

 津波で9歳にして両親と弟を失い心を閉ざして生きるハル、豪雨による土砂崩れ災害で隣人たちが飲み込まれるのを目の当たりにした公平、津波で妻と娘を失い車で放浪していた森尾のエピソードを通じて、災害の残酷さ、残された者の哀しさが描かれます。
 自分を襲った運命の過酷さを悲しみ呪っていたハルが、隣人が土砂崩れに巻き込まれて偶然に生き残り、妹が自殺し、痴呆気味の母と2人で生き残って、生き残った者は食べなきゃならんと諭す公平の姿に、過酷な運命に襲われたのは自分だけではなく生き残ったこと自体に感謝すべきことを感じ取り、ヒッチハイクで車に乗せてくれた臨月の妊婦から命の不思議と尊さを感じ取り、森尾とともに訪ねたクルド人難民家族から家族の中心となる者が入管に収容されいつ出てこれるかわからない中で助け合って暮らす強さを感じ取り、森尾自身が妻と娘を津波で失いながら生き続ける様子からやはり自分と同じような運命に襲われた者が他にいて生きていることを感じ取りという経験を経て、自らの再生の手がかりを掴んでいくというようなことが示唆されます。
 そのあたりが、この作品のメインテーマと思われます。

 もっとも、冒頭、伯母から話しかけられても生返事に終始し、学校に通う乗船場で近隣のおばさん、おじさんから「ハルちゃんおはよう」と挨拶されてもまったく反応もしないハルの様子が描かれていて、そのハルが大槌の生家跡を訪れて、繰り返し「ただいま」と言い続け、その後に「どうして誰も答えてくれないの」と泣き崩れるシーンで、この冒頭のハルが思い起こされてしまいます。
 挨拶されても挨拶を返さない少女、ある意味では私たちの世代からは「近頃の若い者は」と言われる若者たちにありがちな態度でもありますが、その内面には、態度に表さないさまざまな感情や思いが渦巻いている、それをよく引き出さずに上っ面だけで判断してはいけないという読み方をすべきところでしょうか。

 そうは言っても、家族を失ったハルを引き取り、一人で8年間も面倒を見てきた広子は、倒れて入院するとそのままハルに見捨てられて置き去りにされています。私の目には、広子の方がかわいそうに見えてしまうのですが。

 震災と原発事故の際に福島第一原発で働いていて、その間に妻と娘を津波で失い、仕事も辞めて失意のうちに車で放浪を続ける元原発作業員の森尾は、避難地域に戻り住む今田老人(西田敏行)から事故について問われて「申し訳ないと思っている」とぼそっと答えます。自らも被災者としての側面を有しながら、原発の運転に関与していた故に被害者面もできず、罪悪感を抱き続けているという福島第一原発の運転員・作業員像は、それが多数派であるか、また森尾のように責任感ないし罪悪感あるいは喪失感から仕事を辞めてさすらうという人がどの程度いるのかはわかりませんが、私には、比較的現実にフィットするものに思えます。事故の渦中に福島第一原発にいた運転員の人たちは、できる限りのことをしようと、職業的な誠実さと創意工夫をもって作業に当たっていたと思います。しかし、電源を失い、水も十分にない状況の下でできることは限られており、最終的にはなすすべもなくなって事故の進展を見守るしかなかったのです。その喪失感というか無念の思いは相当なものだったと思います。そして運転員、作業員の多くは、事故対応のために現場を離れられず、家族の安否の確認もできなかったのです。原発の再稼働の都合から運転員の人為ミスを強調してよりうまく操作・対応すれば事故の進展を防げたかのように言いたがる人たち(例えば政府事故調)や、運転員たちをやたらと英雄視しようとする人たち(戦争で死んだ人たちを「英霊」として讃えたがる人たちのように)が多い中で、西島秀俊演じる森尾の姿は、私には納得しやすいように思えるのです。
(2020.1.26記)

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