庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「トガニ 幼き瞳の告発」
ここがポイント
 主人公の悩みながら、不遇ながら、大きな抽象的な正義よりも目の前の具体的なところからの決意が胸に染みます。
 R18+指定は疑問。むしろ高校生や中学生にも見て欲しい作品だと思う

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 韓国の聴覚障害者施設で行われていた校長や教師による児童に対する性的虐待とそれに対する告発の行方を描いた「トガニ 幼き瞳の告発」を見てきました。
 封切り4週目日曜日、全国9館東京で2館の上映館の1つ新宿武蔵野館シアター1(133席)午前10時20分の上映は6割くらいの入り。観客の多数派は女性の2人連れ。

 恩師の紹介で霧の街ムジン(霧津)の聴覚障害者施設に赴任した美術教師カン・イノ(コン・ユ)は、ある夕方聞こえてきたうめき声を追ってたどり着いた女子トイレの前で警備員からここは女子トイレだから入ってはいけない、ここの生徒は普通の子ではない退屈するとトイレで叫ぶんだと言われ、制止される。後日、寮の窓枠に座っていた生徒に注意しにその部屋に行ったイノは当初は脅えていたその女生徒ユリ(チョン・インソ)に帰り際に袖を引かれて洗濯室の前まで連れて行かれる。洗濯室に入ると寮長が女生徒の頭を回っている洗濯機に押し込んでいた。イノはぐったりとした女生徒ヨンドゥ(キム・ヒョンス)を病院に連れて行き、赴任の際にひょんなことから知り合ったムジン人権センターの幹事ソ・ユジン(チョン・ユミ)に連絡する。ユジンはヨンドゥから校長らが複数の生徒に対して性的虐待を続けてきたことを聞き出し、ヨンドゥ、ユリの証言を録画して警察、市役所、教育委員会に告発するが、校長らの買収を受けていたり管轄違いを言ってまるで動こうとしない。興味を示したテレビ局が証言を放映するに至り、警察は校長らを逮捕し裁判が始まるが・・・というお話。

 外界から隔絶された閉鎖的な施設で、障害者の児童という弱い立場にあり抵抗が困難な者に対して、施設の管理者たち権力者がその地位を利用して性的虐待を繰り返し、警察を買収して捜査を抑止し、逮捕されたあとも社会的地位・コネで裁判への反対運動に人々を動員し、財力で裁判関係者も抱き込んで執行猶予判決を勝ち取るという権力者の許しがたい行動を描き、告発しています。
 涙なくしては見れませんし、素朴な正義感と怒りをかき立てられます。内容と結末からしてすっきりした思いはもてませんけど。
 現実に起こったこの許しがたい事件について、「コーヒープリンス1号店」でブレイクした韓流スターが自ら志願して映画化に動き、韓国では460万人を動員し、再捜査が行われ、子どもへの性暴力や障害者施設の関係者による障害者への性暴力に対する処罰を強化する法律改正が「トガニ法」と名付けられて実施されたそうです。
 日本でもこういうことは起こりうるでしょうか。現時点で上映館は全国で9館、近日公開予定が9館にとどまっています。韓流ドラマは高い視聴率を上げる中、こういった硬派の作品も見る人が増えるといいのですが・・・
 この作品、R18+指定なんですが、ヌードシーンは男児の背後からのものだけで性交シーンも特に露骨に見えるわけでもなく、子どもを殴りつけるシーンがかなり見たくないレベルで出てくるものの、R18+指定というのはちょっと違和感があります。一般的にR18+指定というとポルノ系統のアダルト作品というイメージになり、むしろまじめな映画ファンの足が遠のきかねません。親として考えると子どもに対する性暴行や暴力シーンを子どもに見せたくないとも思いますが、同時に実話として子どもたちが権力者の暴力に対して立ち上がったということを高校生や場合によったら中学生にこそ見せてやりたいという気もします。

 性的虐待を告発することになる主人公のイノは、妻と死別し、病弱な娘ソリを母に預けて単身赴任していて、学校の行政室長から教職を得るには5000万ウォン(現在のレートでは約350万円)の寄付が必要といわれてそれを母に頼み、家を売ってその金を用意した母から、教職を金で売るようなところだからろくなところじゃないことはわかっている、善悪がわからなくて言ってるんじゃない、娘のことを第一に考えて動けと深入りしないように制止されて悩み、学校を解雇されたあげくに恩師から呼び出されてそこに校長らの弁護士が同席してソウルでの教職を約束した上でのヨンドゥとの示談あっせんを求められ、という具合に困り悩みながら、しかし、今この子たちの手を離したらソリにとっていい父親になれる自信がないと語り、告発の道を決断していきます。その悩みながら、不遇ながら、大きな抽象的な正義よりも目の前の具体的なところからの決意が胸に染みます。
 ある意味、それが人生のソ・ユジンの明快な行動を中心に据えるのでなく、利害があり悩ましい立場のイノの視点を中心に据えたところが巧みな感じがします。映画製作時点での事件の状況からしても、イノの喪失感をベースにすることで観客の怒りを導けたのだと思います。

弁護士の視点
 裁判シーンがストーリー展開の重要部分を占めていて、法廷ものとしての側面もあります。証人尋問のシーンは、なかなかいいつくりで見応えがありました。
 裁判官や検察官の法廷での言動は、法廷シーンの進行から見れば特に不自然な点もなく、必ずしも被告人側に抱き込まれているようには見えなかったのですが。まぁ、法廷ではこちら側に近い態度をとりながら判決になると全面的にあちらの言い分通りという「ニッコリ笑って人を斬る」タイプの裁判官を少なからず見てきた弁護士としては、法廷での言動と内心が一致しているとは限らないというべきなんでしょうけど。
 終盤のビデオの扱い、ちょっと見ていてわかりにくい。あとで検察官が抱き込まれていたという話が出てくるので証拠提出・採用されなかったような印象がありますが、前提として13歳以上の者に対する性暴行は親が示談に応じると起訴が無効になり、この事件ではユリとミンスの親が示談に応じたためにヨンドゥに対する校長の暴行のみになってしまう、そうならないためにビデオを出すということだったわけで、これが証拠にならなければ校長以外の2人は判決を受けないはず。ですからビデオは証拠提出され採用されたはずで、じゃあ検察官が抱き込まれたっていうのは何?求刑が軽かった?(求刑のシーンはなし)とよくわからなくなります。それに加えて、イノがビデオの内容について3月14日のビデオでは13歳未満だったからと検察官に説明していますが、そこに写っているのは校長のように見えますし、そうでなかったとしても、それで教師の方も有罪にできるのはなぜ?と悩んでしまいます。
 この作品で前提とされている、13歳以上の者に対する性暴行の起訴が親と示談すれば無効になるという点。韓国の法律がどうなっているのか私は知りませんが、日本では、告訴の取り下げは起訴前しかできないので、起訴後に示談しても(もちろん量刑には反映されるでしょうが)それで起訴が無効になって裁判が終わるということはありません。それをおいて単純に告訴の取り下げを考えても、この作品では13歳になったばかりの障害者ということで告訴能力にやや微妙な問題がないとは言えませんが、おそらくは告訴能力が認められ、告訴能力が認められる以上は本人が拒否しているのに親が勝手に告訴を取り下げるというわけには行かないはずです。親自身も告訴でき、その告訴は親が取り下げられます。この事件で被害者自身に告訴能力が認められずに親だけが告訴していたのなら親が示談して本人が拒否しても告訴取り下げというパターンは考えられますが、作品の流れからすると、親が告訴したということは考えにくいところです。法制度の違いがあるとしても(あるのでしょうけど)、この点、ちょっとしっくりこないところが残りました。

(2012.8.26記)

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