庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
ここがポイント
 かつてスターだったリーガンが精神的に追いつめられて至る自我の危機がテーマ
 元妻との関係で別の展開もあり得たと考えるのは中高年男性の幻想/妄想か

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 アカデミー賞受賞作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター1(180席)午前10時の上映は5割くらいの入り。観客の年齢層はやや高め。全米でも週末興行成績が公開3週間はベスト10圏外、最高位が9位(6週目=2014年11月21日〜23日、7週目=2014年11月28日〜30日、8週目=2014年12月6日〜9日)という作品ですから、日本での公開初週末6位、2週目9位はそれでも上出来なのでしょうか。

 20年以上前にスーパーヒーロー映画「バードマン」シリーズ3作に主演しスターになったが今は落ちぶれている俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、自分が俳優を目指したきっかけとなったレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら演出・主演してブロードウェイで公演しようと準備をしていた。しかし、プレビュー上演の前日、男優が事故で負傷してリタイアし、慌てて代役に売れっ子俳優マイク・シャイナー(エドワード・ノートン)を立てたが、マイクは台詞をどんどん変えていき、ニューヨーク・タイムズの劇評担当記者タビサ(リンゼイ・ダンカン)はマイクのインタビューを1面に載せ劇やリーガンのことは12面でわずかに触れるだけ、愛人の女優ローラ(アオドレア・ライズボロー)からは妊娠したと告げられ、アシスタントをさせている薬物依存症からのリハビリ中の娘サム(エマ・ストーン)とはすれ違い、リーガンは焦りを強め…というお話。

 冒頭シーンのリーガンの空中浮遊は、リーガンの地に足が付かない心境を示したものか、空虚さを示したものか、それとも単に超能力を印象づけたものか。
 度々登場するリーガンが手を触れずにものを動かすシーンと、空を飛ぶシーン。これがリーガンの超能力なのか、幻覚・幻想の世界のできごとなのかが、リーガンの怒り・焦りの心理描写とバードマンの姿のもう一人の自分の声の描写とが相まって、微妙な位置づけになっています。私には、精神的に追いつめられ動揺したリーガンの自我の危機を、幻覚・幻想が現実との境界を乗り越えて現れる形で表現している、「ブラック・スワン」でのナタリー・ポートマンのような表現を目指した作品なのだと思えました。

 タイトルから感じられるように前衛的な志向を持った作品で、リーガンの怒りと焦りからの精神的な破綻というテーマと相まって、基本的に暗い作品ですが、リーガンの親友で弁護士のプロデューサージェイク(ザック・ガリフィアナキス)のリーガンを現実に引き戻し抑える役回りと、リーガンの元妻シルヴィア(エイミー・ライアン)と娘サムの演技が怒鳴ったり泣き叫ばず抑えめにされていることで、落ち着きが保たれている印象です。
 薬物依存症の設定で、もっと泣きわめく演技もあり得ただろうエマ・ストーンの静かな表情や微かな笑顔にホッとさせられました。

 愛人の女優とのやりとりや公演をめぐるごたごたで疲れ果て精神的に追いつめられたリーガンが、正規公演初日に舞台を見に来た元妻(エイミー・ライアン)に昔を懐かしみ別れたことへの後悔を口にする場面、見ていて、特に中高年男性の観客の目線では、情にほだされるところですが…ここで別の展開もあり得たのかと考えるのは、中高年男性の願望・幻想/妄想なんでしょうかねぇ。元妻も、呼ばれもしないのに繰り返し楽屋などを訪れているのだから…と思うのですが。

 現実にそうではあり得ないながら、一見全編ワンカットにも見えるカメラワークが不思議な切迫感を持たせています。アカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞の他に、撮影賞も受賞しているのはなるほどと思えます。
(2015.4.26記)

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