庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「バービー」
ここがポイント
 シリアスなことを考えるのがタブーでハイヒールを履くのに都合のいい足を持つことが前提のバービーランドを「すべてが完璧」というのは違和感がある
 フェミニズムの映画としては中途半端に思えるが、それでもそれが大ヒットするのは時代の変化を感じる
    
 公開3週(日本公開前:アメリカでの公開は2023年7月21日)で世界興収10億ドル突破の映画「バービー」を見てきました。
 日本公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター3(287席)午前10時30分の上映は、7割くらいの入り。公開24日間で、アメリカでは5億2000万ドルあまりで歴代ランキング18位、世界では12億ドル近く稼いで歴代ランキング25位の大ヒットですが、日本では公開初週末金曜日が祝日の3日間で1億9000万円あまりで8位スタート。原爆問題の影響なのか、日本ではバービーのなじみが薄いからか、それともやはり思想的な方向性が見える映画の受けが悪いのか…

 バービーランドでは、バービーたち(女性)は大統領や最高裁判事を始めさまざまな地位に就き、ボーイフレンドのケンたち(男性)と毎晩のようにダンスパーティーなどで楽しく過ごしていた。ところが、ある日ステレオタイプのバービー ( stereotypical Barbie )(マーゴット・ロビー)はダンス中に他のバービーに死について考えたことある?と聞き、みんなを凍り付かせてしまい、慌てて撤回した。翌朝、ステレオタイプのバービーは、自分の口臭に気がつき、それまでハイヒールを履くために都合よく踵が浮いていたのが地面に付いてしまうという変調を来し、驚愕する。壊れたバービーを直せると言われている変てこバービー ( Weird Barbie )(ケイト・マッキノン)に会いに行ったステレオタイプのバービーは、人間の世界(リアル・ワールド)に行って自分を使っている人間に会うように言われて、勝手に車に乗り込んでいたステレオタイプのケン(ライアン・ゴズリング)とともにカリフォルニアにたどり着くがそこではバービーランドとは違って…というお話。

 バービーランドは「すべてが完璧」(公式サイトイントロダクション等)とされています。女性が主役で(男性は添え物)、「なりたい自分になれる」という点で、女性の目に理想の世界に見えるのかもしれませんが、シリアスなことを考えることはタブーで、ハイヒールに合わせた足を持つことが当然視されている(バービーランドでは建築現場も女性たちが担っているというのに!)世界は、女性はものを考えずただ美しくあれ、という世界で、女性がそこに引きこもり幻想/妄想に浸っていることはむしろ(男性の)権力者に都合のいい状態でもあるように思えます。
 自分の頭で考えずにリアリティなく過ごしているから、ステレオタイプのケンが男社会の概念を持ち込みケンたちが主体性を持つと、あっさりケンたちに付いていきサービスすることが幸せ(楽?)と「洗脳」されてしまったのでしょう。
 そこは、バービーもケンも、それぞれがそのままで価値がある、みんな違ってみんないい、バービーランドでの地位も、女性が中心だけど男性にも少しずつ門戸を開こうというところで、手が打たれても、それはしょせん女性たちの夢の世界、心の中での理想を、「正しく」しただけで、現実世界でそれをどのように実現していくかは別に考えなければなりません。そういう観点から、ラストに注目していたのですが、それはどうよと思いました(監督の話では、自分の体を大切にしてという若い女性へのメッセージのようですが)。

 基本的にはフェミニズムの映画なのですが、バービーはフェミニズムを50年後退させたと述べ、ステレオタイプのバービーに対して「ファシスト」と罵ったサーシャ(アリアナ・グリーンブラッド)に対して、母でありマテル社の受付のグロリア(アメリカ・フェレーラ)はバービーに対する愛着と好意を示し続けていることや、ステレオタイプのバービーのリアル・ワールドでの就職等が最後に描かれるかと思いきやそこが裏切られるなど、中途半端に終わっているように思えました。
 もっとも、そうであっても、比較的ストレートにフェミニズムの視点を打ち出した映画が、アメリカで大ヒットし、世界の多くの国々でヒットしているのを見ると、時代の変化を感じます。(日本と韓国だけは例外、という事態になるかもしれませんが… (-_-;)
(2023.8.13記)8.14更新

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ