庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」
ここがポイント
 ちょっとおしゃれで、コミカルで、ちょっと切ない、ウディ・アレンワールドにようこそ、という作品
 若い女性を知性を欠いた尻軽と描いて低く見させる手法は、品性を欠いた時代遅れのものと、私は思う
    
 ウディ・アレン監督の最新作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を見てきました。
 公開3日目日曜日、新宿ピカデリーシアター3(287席/販売140席)午前11時40分の上映は、販売分の8割くらいの入り。

 ニューヨーク生まれの大学生のギャツビー(ティモシー・シャラメ)は、交際し始めて数か月の恋人アシュレー(エル・ファニング)が学生新聞の取材で巨匠の映画監督ローランド・ポラード(リーヴ・シュレイバー)のインタビューをすることになり、週末にマンハッタンの高級ホテルを予約してデートを楽しむつもりだった。ところがアシュレーがインタビューを始めるとポラードが編集中の新作への不満を言い出して、1時間の取材の約束が延長されて脚本家のテッド・ダヴィドフ(ジュード・ロウ)とともにその試写を見ることになった挙げ句、ポラードは試写の途中で出て行ってしまい、アシュレーはテッドとともにポラードを追って探すハメになり、デートをキャンセルされたギャツビーは高校の同級生が映画撮影中の現場を訪ね、元カノだったエイミーの妹チャン(セレーナ・ゴメス)と出くわし、いきなりキスシーンを演じるハメになる。アシュレーはポラードを追ううちスタジオで今をときめくイケメンスターのフランシスコ・ヴェガ(ディエゴ・ルナ)にディナーに誘われて舞い上がり…というお話。

 ひと言で言えば、ちょっとおしゃれで、コミカルで、ちょっと切ない、ウディ・アレンワールドにようこそ、という作品。ウディ・アレン信者、ウディ・アレンワールドを愛する人には賞賛され、そうでない人、何かテーマ/訴えるもの/考えさせるものを求める人には、だから何?という作品だと思います。
 成り上がりの富豪で上流社会に食い込みたくてパーティーを繰り返す両親に対して反発し拗ねているが、親のすねをかじり続けるギャツビー、銀行家の娘でいかにも軽い(おつむもお尻も)アシュレー、背景事情は説明されないものの姉エイミーが名門大学に進学して自身も大学生で皮膚科医と交際中というチャンも含め、富裕層の学生さんたちと、巨匠の映画監督と脚本家、映画俳優たちという恵まれた人たちが、いかにも軽く求愛し合う、その軽さを皮肉っているのだとは思います。その内面のことは知りませんけどいかにもチャラそうなティモシー・シャラメが、イケメン俳優を中身のないジュームス・ディーンなどとけなしているのも、あんたが言う?ということなのでしょう。
 地に足の付いた人物や貧しい人が出てこないのは、格差社会の批判等の社会派的な要素を入り込ませたくないからなのでしょうけれども、チャンをどう評価するかというところに解釈の余地を残しつつも、基本的にお金持ちの軽い人ばかりの物語では、コメディとペーソスの雰囲気は味わえても、共感しにくいように思えます。
 こう言うとウディ・アレン信者には怒られるとは思いますが、今どき、若く美しい準主役の女性をいかにも知性に欠け浮ついて尻軽に描いて低く見せるという手法は、コメディとしても品性を欠いた時代遅れのものだと、私には思えます。
(2020.7.5記)

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