庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2025年10月

29.2025年6月改訂版 60歳を迎えた人の厚生年金・国民年金Q&A ㈱服部年金企画編 ビジネス教育出版社
 年金について、「年金常識」、国民年金、厚生年金、繰上げ・繰下げ支給、在職老齢年金、障害年金、遺族年金、年金生活者支援給付金、受給手続きと各種の書式に分けて、Q&Aとコラム形式で解説した本。
 この本の趣旨目的についての説明が全くなく(最初のページに「はじめに」とは書かれていますが、2025年の年金額の一覧表があるだけ)、どのような読者を想定しているのかも不明です。
 解説は、短い答えが多く、長々と書いていない分、一見それほど難解には見えませんが、ではわかりやすいかというとそうともいえず業界用語/法律用語があまり配慮なく使われ説明不足でよくわからない印象を持ちました。
 制度自体が、過去の経緯を引きずりお上の都合でいろいろなことが積み上げられて複雑怪奇になっている上、何か事情/口実があれば支給額を減額しようというしくみ/受給者には落とし穴が張り巡らされ、容易に理解できません。
 在職老齢年金という言い方は、その年金をもらえる(受給できる)という印象を持ちますが、その実態は、老齢厚生年金の減額以外の何者でもありません(さらには、老齢厚生年金の全部または一部「支給停止」というのですが、これもそういうと後で払われるのかとも誤解されかねませんが、「停止」された分は永遠に支払われません)。
 「手計算で年金額を算出するのは無理」(97ページ)、年金額の検算はできるが「検算ができるようになるのには、かなりの時間、年金の勉強が必要です」、「基金加入者が受給している在職老齢年金の検算ができる人なら『年金に強い人』です」(239ページ)と書いているのは、事実でしょうけど、解説書はそれができるように書くものじゃないのか、何のために本を書いてるんだとも思います。
 法律や制度がそうなので仕方ないともいえますが、一般人に実情をきちんと説明してわからせようという意欲は感じられません。読んでいて、制度全体を理解できた感がなく、とにかく複雑怪奇な制度で一般人の理解は無理なのだという印象を強めてしまいました。

28.ツイン・アース 小森陽一 集英社文庫
 地球はTerra-αとTerra-βからなる連星で、Terra-αには地球/Terra-βとは異なる高度な技術が発展しており自らの姿をTerra-βからは見えなくして共存し、特異点のポータルを通じて両惑星を行き来できるという設定で、フィンランド北部の町ソダンキュラのオーロラ観測員アイノ・ビルンが東仰角60度の空に異常な偏光を見つけ、その正体を追求するうちにTerra-αに導かれるというSF小説。
 怪獣たちを攻撃することなく人間側が隠れ回避する方法で共存を選んだ世界で、レッドキング、ゴモラ、ペギラらが暴れ、ピグモンが迷い人を助け、アントラーやミクラスが生存し、ウーも現れるという、ウルトラマンワールド愛(ウルトラマンは登場しないので愛されていないらしい)に満ちた作品です。単に巨大怪獣というのではなく、登場する怪獣がすべて「ウルトラマン」シリーズのものというところにこだわりがあり、それが親しみやすさを感じさせるとともに、どこか安っぽい印象を持たせているように思いました。

27.すごい人体、やばい人体 カラン・ラジャン 河出書房新社
 (消化器)外科医である著者が、人体の構造や機能の素晴らしさとできの悪さを、パーツや系統等別に解説した本。
 身近なところでは、人は濡れに対する特異的な受容体はもっておらず、濡れているという感覚は、錯覚だ、脳がさまざまな感覚をつなぎ合わせて濡れているという感覚に関連付けているもので、タオルが本当に濡れているのか、それとも単に冷たいだけなのか区別するのが難しいことがあるという指摘(105~106ページ)に、なるほどと思います。気温が低い日、洗濯物が、はっきり濡れているならともかく、微妙な状態のときに、まだ湿っているのか、乾いたけど冷えたのか、触ってもわからないということはときどき経験します。
 ストレスを押しとどめるには、息を止めて冷たい水に顔を入れる、あるいは顔と鼻の穴に水をかけるといい、顔が水中につかり、鼻の穴が水で満たされると迷走神経が刺激されて徐脈が誘発され、血管が細くなり、心臓、脳、肺への血流を確保するために手足への血流が制限され、不安とストレスが軽減される、これを哺乳類潜水反射というそうです(96~97ページ)。ストレスが高まったら顔を洗う、洗うだけじゃだめで水をためて顔を突っ込む、そのとき鼻に水を入れるなら水を吸い込まなきゃいけないのかもしれないけど、そうしてみればいいのですね。
 人間は片方の鼻孔からより多く呼吸し、それを数時間ごとに交替している、そのために体は片方の鼻孔の内壁を血液で膨張させていて、その機構は陰茎の勃起組織と同じで、勃起組織により片方の鼻孔が詰まらせられ、数時間ごとに左右が入れ替わるのだそうです(214ページ)。
 全然知らなかったことが多数書かれていて、とても勉強になりました。もっとも、著者自身が、この本の内容は科学、医学と自分の経験に裏打ちされたものだが、「すべてが間違っていたと判明する可能性もゼロではない。これから何年か先には、医学の進歩によって、この本の内容が笑いものになっている可能性だってある」(350ページ)というのですけどね(それは著者の謙虚さを示すのでしょうけれど)。

26.不思議でおもしろい 動物たちの「からだの中」の話 中村進一 緑書房
 様々な動物のからだのしくみや病気について、臓器別に解説した本。
 猫などの夜行性の肉食獣の目の瞳孔が収縮時に縦型のスリットになっているのは、円形の場合に比べて瞬時に瞳孔の大きさを変えられるので的確に獲物に狙いをつけやすい、他方で牛や山羊、馬などの草食動物では横型のスリットになるものがあるが収縮時にも広い視野を確保するのに有利なため(捕食者を発見しやすい)と思われる(17~18ページ)とか、夜行性の動物の目が暗闇で光るように見えるのは、夜行性動物はわずかな光で物を見ることができるように網膜の外にタペタムという光を反射する組織があり反射光も網膜に届けて増幅していて、そのタペタムからの反射光が光って見える(19~20ページ)など、疑問に思っていたこと(といって、調べるほどは気にしてなかったわけですが)が書かれていて、なるほどと思いました。
 アザラシやアシカは大きな目をもっているせいか目の病気が非常に多い、しかしその理由はまだよくわかっていないそうです(30ページ)。「水族館に行くと、目が白く濁って白内障になっているアザラシやアシカを見つけることもあるでしょう」(31ページ)というのを読んで、以前、サンシャイン水族館のバイカルアザラシの目が真っ白なのを見てけがなのか病気なのかと心を痛めていたことがあるのですが、そういうことなのかと腑に落ちました。
 動物の違いによって臓器などのしくみも違い、言葉で説明されてもイメージしにくいことが多く、イラストや写真がそれなりに多数掲載されてはいるのですが、それがない説明部分もあって、ここもイラストほしいなぁと思うところが多々ありました。

25.墜落 真山仁 文春文庫
 日本側にはブラックボックスばかりで機密情報を知らされない最新鋭戦闘機F-77の墜落事故をめぐる関係各所やアメリカ側の対立暗闘と、那覇地検に赴任早々その事故(民間人が巻き込まれて死亡)と大物軍用地主の息子が殺害された事件を担当することになった冨永真一の次々と現れる障害を乗り越えての捜査と、前作で絡んだ(らしい:前作は読んでませんが解説によれば)暁光新聞の記者神林裕太の調査がクロスする小説。
 多数の関係者の視点での当初は関係なく見えるエピソードから終盤に至るまで飽きさせずに読ませる筆力はさすがと思います。
 作者の自衛隊愛と本土から沖縄にやってくる「プロの反米活動家」への敵意が、同感の読者にはたぶん快いのでしょうけど、私には鼻につきます。作者が元読売新聞記者と知ると、さもありなんと思ってしまいます(それも偏見なのでしょうけど)。

24.詐欺師たち 森永卓郎27のラスト寓話 森永卓郎 興陽館
 現在の日本の政治家、官僚、財界、銀行、詐欺業者らの言葉や振る舞いを題材に皮肉った寓話集。
 ほとんど日本の現実そのままで笑えないというか暗い気持ちになります。読み物としてみると、寓話というにはひねりがなくて、面白みおかしみを感じにくい。
 これだったら、ストレートに評論とかコラムとして書いた方がしっくりくるなぁと思えます。
 ただ、作者の、現在の日本の政治家や官僚、社会の風潮に対する怒りはよくわかります。今年(2025年)1月に作者が亡くなったことに思いをいたし、こういう人がいたということを偲ぶのにはいいかと思います。

23.裁判官の正体 最高裁の圧力、人事、報酬、言えない本音 井上薫 中公新書ラクレ
 裁判官が判決作成の負担、業務量の多さ、件数表(成績表)等による圧迫、転勤、昇給などでことなかれに走り上(最高裁・長官・所長等)を見て動くようになっている様を記述した本。
 まえがきの最初のページ(3ページ)に「類書はありません」と書かれているあたりに著者の力みを感じますが、書かれていることの大半は、業界人としてはすでにどこかで聞いたことがある話であまり新味はありません。
 合議体の判断は裁判長の意見だとマスコミのせいで一般人は思いがちだが、「しかし実際は違うのです。合議体では、判決の内容を決めるために、構成裁判官が寄り集まって評議をします。最終的には多数決で決めます。だから裁判長が評決で負けることもあります」(18ページ)と著者は強調しています(63ページでももう一度ほぼ同じことを書いています)。理論的にはそうですが、実際問題としてそんなことがどれほどあるのか。20年間裁判官を務めた著者が書くのであれば、自分の経験でそんなことがどれだけあったか(何件あったとか、何%くらいあったとか)にふれてこそ意味があると思うのですが、著者は自分が経験した事件でそれがあったとは述べていません。特定の事件について書けば守秘義務上の問題がありますが、20年も裁判官をやっていれば経験した合議事件が少なくとも3桁はあるはずですからそういうことがあったとか、何件あったというのは守秘義務上問題ないはずです。
 そういうところ、業界人には食い足りない感はありますが、業界外の人が裁判官の置かれている環境やその世界の様子を感じ取るのにはいい本かなと思います。

22.対話の思考法 相手とぶつからないコミュニケーション 山野弘樹 角川新書
 著者が考える「対話」について、その定義等を論じた上で、対話を成立させ深めるための方法論を論じた本。
 本の前半で「対話」とは何かを論じ説明していますが、著者がこの本で対象とする「対話」は、あくまでも著者が所属する「東京大学共生のための国際哲学研究センター」で実践され著者がそこで活動の補佐をしていた「哲学対話」をモデルとしたものです(そのことは「はじめに」の5~6ページで断っています)。そのため、「対話において何より必要なのは、お互いの一人称的経験をシェアし、それに耳を傾けることです」(32ページ)、「対話の中で『根本的な問い』を出すことを通して、対話が深まっていく」(118ページ)とされ、対話は「これまで考えたことのなかった視点」を得るため(165ページ)、思考能力を向上させるもの(199ページ)などと位置づけられています。タイトルから、より広汎な場面での対人コミュニケーションを想起し相手と衝突しない実践的な方法を求めた読者には、少なくとも前半は場違いに感じられます。
 しかし、議論の場への応用として言及されている、相手の主張がいったん正しいものと仮定し相手の主張を聞いた上で自分の立場が変わる可能性を常に保持する「チャリタブル・リーディング」のアプローチ、相手の主張に対し、論破しようとしてではなく「もしその主張が正しいとすると、○○の点についてはどのように説明しますか?」と一段階突っ込んだ純粋な問いを立ててみる(177~181ページ)という提言や、各所で触れられている相手の話しやすさに配慮した姿勢と問いかけなどの方法論は、通常想定される対話での手法として参考になるかと思います。

21.旅の建築フィールドノート術 五感で感じたすべてを描く 渡邉義孝 学芸出版社
 紙の(A4版の)ノートに旅先で見たものや出会った人のイラストを描き見聞きしたことを綴って記録する著者の実践例を紹介した本。
 この種の本は、読むたびに自分もやってみたくなるのですが、著者が建築士故のデッサン力の高さを見せつけられ、特に似顔絵をさらさら描くというのはハードルが高すぎて、無理とあっさり引きました(似顔絵は眉毛から、と著者の描き方の紹介もされていますが:116~117ページ)。
 イラストの中で、私は、中国・雲南省の鶏肉屋の屋台で使われていたという鶏の羽根むしり機(30ページ)に興味を持ちました。こんなのあるんだ。
 トルクメニスタンで出会った老婆のソ連時代はいつも物があふれていて食べるために行列を待つ必要などなかったという述懐(115ページ)、シリアの修道院でのムスリム労働者とキリスト者の同じテーブルでの食事(116ページ)など、メディアが伝える世界と現場は違うぞ的な記述に、著者の姿勢が表れているのでしょうね。
 冒頭に18ページ、突然著者のフィールドノートの抜粋が並べられ(よく見ると、左ページ下部に小さな字の説明はあるのですが)20ページに至って初めて「はじめに」、24ページから目次があるという構成にはとまどいます(おい、この本乱丁じゃね?と思いました)。
 まねしてみたいと思いつつ、無理なので、こじゃれた本として持ち歩き、時々眺めるというあたりがいいかと思います。

20.腎臓大復活 100歳まで人生を楽しむ「強腎臓」の作り方 上月正博 東洋経済新報社
 腎臓の機能低下を防ぎ、すでに機能低下した腎臓を改善するための運動と食事について解説した本。
 腎臓の血液濾過を担うネフロン(糸球体と尿細管)は200万個ほどあるが20歳を過ぎたあたりから数が減り始め60代では20代のときの半分ほどになる(59ページ)のだそうです。1日あたり180リットルの原尿が作られその99%が尿細管で再吸収されて約1.8リットルが尿として排泄される(54~56ページ)って。そうすると、多尿は、再吸収機能が低下している(腎機能が低下している)証拠ですね。腎機能がいよいよだめになると尿が減ると言われているので、多尿はそれほどの問題じゃないと錯覚していたのですが、多尿・夜間頻尿傾向が進んでいる私は危機感を持ちました。かつて、歯(エナメル質)は再生しない、脳細胞は減る一方で再生しないと言われていたけど今は違うとされているように、ネフロンもきっと再生しますよね。腎臓リハビリ、腎臓復活をいう著者を信じて、やってみようと決意を新たにしました。
 著者の一番のおすすめはウォーキングで、よい姿勢で息切れするかしないかレベルでさっさと歩く、だらだら歩きでは効果がないということですので、通勤時にこれまで常に左肩だけにかけていたリュック(世間ではリュックが目の敵にされていますので常に前に抱けるようにそうしていました)を両肩にかけて背負い早足で歩いてみたのですが、自分がそもそもまっすぐに歩けなくなっている(砂浜を歩く矢吹ジョーみたい…ってわかる人がどれだけいるか)のに驚きました。これまで、歩数としては1日1万歩くらい平気で歩いていたので、自分は歩けていると思っていたのですが…
 いろいろと認識を改め、心を入れ替えて、「腎臓リハビリ」に励もうと思わせてくれる本でした。

19.猫弁と奇跡の子 大山淳子 講談社
 成績はトップクラスの秀才だが採算度外視で行動する弁護士百瀬太郎が様々な事件・依頼に巻き込まれ解決してゆくというシリーズの第10作、表紙見返しの紹介によれば「第2シーズン、感動の完結作」。
 仕事柄、毎回、作者はこの天才で変人という設定の弁護士に何を期待しているのかということを訝しみながら読み続けています。「百瀬は困った人を見捨てない。どんなに自分勝手な人をも責めずに助ける」(例えば197ページ)というのがシリーズを通して繰り返されます。他方で、作者は百瀬が依頼者の言い分を全部通すのではなく、困りものの依頼者が納得して引くような、むしろ相手方に利益があるような解決を褒めそやすのです(百瀬が「猫弁」としてデビューした「世田谷猫屋敷事件」からしてそう)。弁護士の場合、ほかの仕事と違って、敵対する当事者がいるのが普通で、身勝手な依頼者の言うままに仕事をしたら(まっとうな)相手を困らせてしまうことになりがちです。で、普通の弁護士はあまりにも身勝手な依頼者は断り、受任した依頼者には身勝手な主張であることを指摘してそれなりの線で納得してもらいます。作者の言いぶりからすれば、身勝手な依頼者を責めずに言うことを聞きながらしかし最終的には相手も困らないように依頼者が常識的なところで満足するような結果を出せということになります。そんなふうにうまくいくということは現実にはあまりありません。フィクションの世界では、普通には考えられない偶然や、身勝手なはずの人の心境の変化で、都合よく結果が出るのですが、それを現実の世界で期待されてもなぁと、げんなりとしてしまいます。
 この作品では、百瀬は、法律相談や聞き取りはするものの、裁判も交渉もせず、言ってみれば弁護士らしい仕事はせず、事件は百瀬が何らかの解決策に動くまでもなく、そんなことがあるんかいと思う偶然や相手の譲歩で解決してしまいます。作者が、裁判や交渉でうまく解決できるネタをもう書けなくなっているということかもしれません。(弁護士の目から見れば、息子に一度でいい見てほしいという気持ちで権利証を送った(147ページ)というなら贈与の意思とも言えず建物居住者は闘えるし購入者が所有権を有効に取得してないとも言えると思います。さらに言えば、権利証だけ送っても委任状と印鑑証明がなければ登記もできないはずですが)
 シーズン1:「猫弁 天才百瀬とやっかいな依頼者たち」「猫弁と透明人間」「猫弁と指輪物語」「猫弁と少女探偵」「猫弁と魔女裁判」は2022年10月の読書日記で紹介しています。
 シーズン2:「猫弁と星の王子」「猫弁と鉄の女」「猫弁と幽霊屋敷」は2022年11月の読書日記、「猫弁と狼少女」は2024年9月の読書日記で紹介しています。

18.蛍たちの祈り 町田そのこ 東京創元社
 人口3000人に満たない山間の田舎町御倉町に住む子の父が全財産とともに消え絶望して山中の蛍が舞う地に登った妊娠8か月の妊婦坂邑幸恵と15年前母の内縁の夫の虐待に苦しんでいたが今は事業者として独り立ちした中学3年時の同級生桐生隆之、出自故に迫害され養父母からも虐待される小学5年生となった坂邑幸恵の子正道と担任教師の弓削真一、隆之の養子となり転校し中学2年となった桐生正道と勤め先の歯科医院の院長の愛人でありつつ次々と男を連れ込み目の前で担任教師とまでいちゃつく母親を憎悪する正道の同級生梅野可懍、桐生隆之に頼まれて正道のめんどうを見るために同居する従業員の綿貫紅実子と紅実子が舞い上がる同僚となった新人運転手小菅寛太、大学を出て社会人となった桐生正道とバイト先の後輩神代幸大らの遭遇する事件・事態と心情を描いた短編連作。
 「ハヤカワミステリマガジン」掲載の最初の2章から書き下ろしの第3章にかけて、凄惨で視点人物に共感できない陰惨な読み味の話でやりきれない思いを持ちましたが、別媒体「紙魚の手帖」掲載の終わり2章でトーンが変わり、人の善意を信じてもよさそうな方向になって読み終えられます。
 概ね通して登場する桐生隆之と正道の成長、周囲の噂の無責任さ、世評と人物のギャップなどが通しテーマかなと思います。

17.爆弾犯の娘 梶原阿貴 ブックマン社
 1971年の交番連続爆破事件の容疑者として指名手配され他の者が逮捕された後も1人潜伏・逃走を続けていた梶原譲二の一人娘で現在は脚本家の著者が自己の来歴を綴ったノンフィクション。
 父の存在を隠すために様々な生活上の制約を課せられていた小学生時代の父親に対する憎悪と軽蔑は、まぁさもありなんと読めるのですが、その爆弾犯・逃走犯の支援者たちの人脈で左翼映画・演劇人に重用されて俳優デビューした後もなお、父親を否定し続ける心情が延々と書かれるのは、どうよと思うし、飽きてくる。監督やプロデューサーに会うときに爆弾犯の娘であることを語って印象に残そうと利用していた(「それが君に切り札なんだ」と笑われて恥をかいたというエピソードも紹介していますが:235~236ページ)のだし、大人になってからは、執筆時にはもう50歳を超えているのだし、悪いことばかりじゃなかったという整理があってよかったと思うのですが。
 私としては、不機嫌一筋の娘よりも、葛藤とあっけらかん愛にまみれた妻の手記の方が読みたい気がしました。

16.小説 野﨑まど 講談社
 子どもの頃から本、とりわけフィクションである文学作品=小説を読むことに至上の喜びを感じる内海集司と、内海と図書室で知り合い小説を読むことに目覚めた内向的な外崎真が、小学6年生の時に学校に隣接する屋敷に住む髭もじゃの作家のところに入り浸って読書三昧の日々を送った後、外崎が作家になることを目指して文章を書くようになり内海が自分は読むことに徹し何もアウトプットしないと決意して外崎の執筆を支える日々を描いた小説。
 「小説」という大胆なタイトルは、本作品こそが小説である、小説の代表であるという自負によるものかも知れませんが、内海が小説を読むことに至上の喜び、人生の目的を見いだすことや外崎が自分が書こうとしている「小説」とはそもそも何かに惑い、内海がそれを探ってゆくというテーマを示しているものかと思います。
 時期・時代が変わるときも、視点人物が替わるときも、行空けをしないという姿勢が頑なにとられていて、読みにくい(区切りをつけて休憩・中断しにくい)。そういう人、あるいはそれがこの作者の信念なのかと思うと、138ページに至って初めて、童話の序文を引用するところで行空けされていて、う~ん、絶対行空けしないと決めているわけでもないのかと脱力します。

14.15.我らが少女A 上下 髙村薫 毎日文庫
 2005年12月25日早朝に多摩の野川公園内の岸辺で67歳の元教師栂野節子の遺体が発見され、警察は最終的に何者かが遊歩道の歩行車ごと被害者を川岸に突き落とした上倒れた被害者をさらに歩行車で殴った殺人と判断した(下巻58ページ)が、未解決のままだった殺人事件に関して、当時野川節子が開いていた絵画教室の生徒だった上田朱美が12年後の2017年3月に同棲していた男に殺され、その男が生前朱美が野川事件の現場で拾った絵の具のチューブを持っていたと供述した(上巻34ページ)ことから、捜査関係者が12年前の事件の再捜査を始めるという設定の小説。
 ミステリーとしてよりも、事件によって被害者や容疑者、その周囲にいる者たちの人間関係に様々な影響が生じ、知らずにいたことが発覚したり人に知られずにいたことが知られてしまい生活や人生に響いたりして様々な感情を持ち、それが時の経過により薄まったり増幅されるなどする様子を描いた人間ドラマ、青春期の友人関係、家族関係のほろ苦さ、閉塞感、エゴと失敗、その感情と記憶の処理などをめぐる青春ドラマとして読んだ方がいいかと思います。
 ADHDの青年浅井忍の視点部分を中心にゲームネタが妄想とリアルの混合体でつぶやかれますが、これがまったくついて行けない(ちんぷんかんぷん)ため読み進めるのに難渋しました。

13.病院・クリニックのカスハラ対応マニュアル 濱川博招 ぱる出版
 医療従事者に対する患者や家族等からのカスタマーハラスメントへの対応について解説した本。
 あらゆる領域でわがままで横柄な人がいて、本当に対応に困るので、カスハラが問題視され注目されることはよいことだと思います。他方で、カスハラと呼ばれるものは、パワハラやセクハラが優越的地位を利用して強者が弱者に忍従を強いるという性質であることが多いのに対して、患者から医者、消費者から企業・事業者という弱者からの不満が問題にされるため、ともすれば強者が弱者の口を塞ぐ手段ともされかねません。この本でも不満や苦情を言うのは顧客・患者の権利であることを繰り返し指摘し、著者自身が飲み屋で無理を言い希望が通ったのでいい気になって繰り返し無理を言ったところ断られて不満を持ち2度とその飲み屋に行かなくなったという加害者体験を披露したり(111~112ページ)しているのは、そういった配慮かと思えます。また、今の状態は客観的な数値をもとに医師が患者に投薬して治療しているだけでそこには医師と患者の感情が入る隙間はなく「単に医師は病気を診るマシーンに堕落してしまうように思えてなりません」(123ページ)とも指摘しています。
 そういう配慮をしながら対策をすることを勧めているのですが、最後に著者の会社が開発したAIロボットによる相談回答事例が紹介されていて、そこではやはり紋切り型の回答がなされているように感じられますし、AIらしくもっともらしいことを答えつつ怪しくなると「ようです」が繰り返されたりしています。自社サービスのAIがここまで回答できる優秀なものと売り込みたいのかもしれませんが、書籍では、きちんと経験豊富な人間が考えたよりきめ細やかな、根拠も示した回答を掲載してほしいと思いました。
 カスハラの判断基準の1つである「不当な行為」の1例として、「あらかじめ提示していたサービスが提供されたにもかかわらず、再度、同じサービスを提供し直すよう就業者に要求すること。『よくならなかったから、もう一度やれ』というのも入ると考えます。」(100ページ)と書いているのですが、医療の場合、よくならなかったらさらに治療するものじゃないんでしょうか(ただでやれというなら、もちろん不当な行為だと思いますが)。

12.保険ビジネス 植村信保 クロスメディア・パブリッシング
 生命保険、損害保険のしくみや規制、商品設計や販売などを、基本的には保険会社側の視点で解説した本。
 満期保険金が受け取れる保険と掛け捨て(満期保険金がない保険)では満期保険金分だけ保険料が高くなっていて満期保険金がもらえても少なくとも利息分だけ損だし死んだ場合は満期保険金がないのだから高い保険料分損をするだけ(78~81ページ)、貯蓄目的で保険に入るのは合理的選択とは言えない(貯蓄目的なら貯蓄した方がいい)(85ページ)、医療保険がなぜこんなに普及したのかよくわからない(90ページ)など、保険業界側の人にしては突き放した記載があるのが目を引きます。
 9つの章で、各章6項目各4ページの解説と、1つのコラム(最後以外はすべて3ページ)といういかにもまずページ割りありきのような本で、それを几帳面に守っているというのも元保険屋さんらしさでしょうか。

11.光のとこにいてね 一穂ミチ 文藝春秋
 父が医師で経済的に恵まれた家庭で母親の意向に沿い母親に愛されていない窮屈な思いで育つ結珠と、自然志向のシングルマザーの元で母親に反発する果遠が、互いに強烈に惹かれ合いながら出会いと唐突な別れを繰り返す小説。
 強い意志と行動力、人目を引く容姿を持つ果遠の選択と、見舞う過酷な運命から、劇的な展開が続き、読み物として退屈させません。
 結珠の視点と果遠の視点が交互になっていて、基本的に2人の心情に入って読むことが期待されているのだと思いますが、私は、底辺層の出自の果遠の方により共感し、その分、ヒリヒリとした痛みを感じてしまいます。
 結珠と果遠に焦点を合わせ、その2人を際立たせるためと思いますが、母親が悪く描かれています。有閑マダム・教育ママの結珠の母も大概ですが、自然派/自然食・化学物質忌避志向の果遠の母の描き方はずいぶんひどく、作者の怨念さえ感じられます。そういうエコ派に対するヘイトが感じられるのがちょっと苦々しく思えました。

10.あなたの街の上下水道が危ない! 橋本淳司 扶桑社新書
 上下水道施設の老朽化に起因する事故と機能停止の危険、復旧や事故防止のための設備更新の困難さ、さらには事業維持のためのコストと人材不足等について解説し警鐘を鳴らす本。
 近年政府と政治家たちが進める民営化→外国企業への売り渡しから水道料金値上げとサービス低下に至る危険を論じた本かと思って手に取りました。第5章でそれに触れていますし、いったん民営化したが事業者の破綻やサービス劣化で再度の公営化が図られたロンドンやパリの事例が紹介され、その問題意識でも読める本ですが、主たるテーマは、八潮市や博多駅前で発生した道路陥没事故や災害等による上下水道の損傷・長期機能停止のリスクと、全国的に進む老朽化への対応にあります。
 地下構築物が上下水道のほかに電気、ガス等の配管、電話等のケーブル、さらには地下鉄や地下道、トンネルなどがあって錯綜しているのに、行政の所管が縦割りで全体像が把握されていないし、儲かる部分だけが民間企業に占拠されているため上下水道事業は構造的に赤字で設備の維持更新のコストをまかなえないなどの著者の指摘はもっともだと思います。ドイツの自治体100%出資の地域インフラ運営会社「シュタットベルケ」が理想的な1つの解として提示されています(196~204ページ)が、日本で第三セクターが軒並み失敗していることを考えると、組織や事業の形態だけでなくその運営をよほどうまくやらないと成功はおぼつかないと思えてしまいます。

09.月の立つ林で 青山美智子 ポプラ社
 看護師として勤めて20年たち看護師長の声もかかっていたが自分が他の看護師のことを理解できていないことを思い知り疲弊して退職し実家暮らしをしている朔ヶ崎怜花、お笑い芸人としてデビューし人気が出たが相方の朔ヶ崎佑樹が劇団に専念すると言って辞めたため独り立ちしたが売れず配送員としてバイトするポン重太郎こと本田重太郎、本田の配送先で朔ヶ崎佑樹がバイトするバイクショップの取引先でもあるバイクの整備工場の経営者で娘ができ婚を宣言して不満を持つ高羽、母親から自立したくてバイクを買いUber EATSのバイトをする高校生の逢坂那智、アクセサリー作りにハマり集中するために別室を借りて夫や義母を邪魔に思う北島睦子らの日々を描く短編連作。
 語り手(視点人物)にはならない劇団ホルスの主宰者神城龍とその息子迅、劇団員となった朔ヶ崎佑樹、そしてポッドキャスト「ツキない話」を配信するタケトリ・オキナが、つなぎ役となって、一見関係なさげな人物関係が強く絡まっています。
 人を支えたい、人を助けたいという思いが共通してあり、少しやさぐれても全体としていい人の心温まる話として読め、快い読後感です。

08.原爆誕生 「悪魔の兵器」を求めた科学者たち 鈴木冬悠人 岩波書店
 誰が原爆投下を求めていたのか、誰にとって原爆は必要だったのかという問題意識で関係者の肉声の記録や現在生き残る者の証言を探し求めて制作されたNHKBSスペシャル「“悪魔の兵器”はこうして誕生した」(2018年8月放映)の取材を元に書籍化した本。
 ロスアラモス研究所の所長として原爆製造を主宰したオッペンハイマーは、ノーベル賞受賞の見込みがなく、それでも科学史に名を残す偉業を実現したい功名心から計画に加わり(72~73ページ)、ナチスドイツの脅威が薄れてもなお原爆の製造と使用(投下)が決定された(方針が変更されなかった)のは議会の承認もなく20億ドルもの支出をしてしまっているのに原爆を製造しなかったとか使用しないというのでは議会と国民に追及されるということを計画の責任者である科学者や政治家が恐れたため(175~178ページ等)というのです。こういう連中のために、何十万人もの人、それも一般市民が殺戮されたというのは、何ともやりきれません。
 そして、原爆の開発は、ナチスドイツが先に原爆を手にすることへの恐怖から進められたというのに、投下先としてドイツが議論されることはなく、最初から日本に投下する前提だったというのです。その理由は、もし失敗して原爆が敵に回収されたとき、ドイツなら科学者に爆弾製造方法を知られてしまう危険があるが、日本ならそのリスクは低いと判断されたためとされています(181~184ページ)。本当にそれだけなのか、人種差別意識はなかったのかは疑問ですが、それにしても馬鹿にされたものですし、どこまでも利己的な言い草に呆れます。
 戦争の惨禍と戦争を進める者たちの残酷さ身勝手さを改めて噛みしめるために読んでおきたい本だと思いました。

07.黒蝶貝のピアス 砂村かいり 創元文芸文庫
 埼玉県嵐山町のご当地アイドルユニット「サディスティック・バタフライ」の1人「アゲハ」だったが引退し現在はイラストレーターとして成功し「アトリエNARI」を経営している戸塚菜里子と、かつてアイドル時代のアゲハに憧れてアイドルを目指してオーディションを受けまくったが落ち続け、その理由を聞いて「太ってる」と言われて傷つき失意のうちに就職したがそこでもセクハラを受けて退職し、アトリエNARIに採用された町川環が、交歓しながら私生活とビジネスに奮闘する日々を描いた小説。
 容姿もセンスも芸術的能力も恵まれ、経営的にも成功し、恋人ともよい関係を保っていると見える戸塚菜里子が、実は家族と不仲でアイドルとしての過去にも嫌悪感を持ち、友人とも、そして恋人ともうまくゆかず、会社にもピンチが訪れるという、誰しも外からは見えない苦労・悩みを抱えているという話でもあり、それが女性故に強いられた生き苦しさでもあるという立て付けになっています。
 戸塚と町川の視点が交互に描かれていますが、おそらくは町川側の視点で読み、恵まれているように見える人もいろいろ大変なんだという感想と、がんばっていることで認められやることが次第にうまくいき、よさげに見えなかった恋人も意外にいいかもと思えてくることで幸福感に浸って満足する(実際には、読者は町川のようにうまくいかないのがふつうですが、エリートでなくても幸せになれるという少女漫画定番的な幸福感)ということが想定されているのだと思います。それは、ある種小さな幸せを大事にしよう、それで満足しようという思想/制約でもあるのですが。

06.図解まるわかり コンピュータのしくみ 前川和喜、武井一巳 翔泳社
 コンピュータの基本や利用のしくみについて、103項目に分けて1項目見開き2ページで説明した本。
 さまざまな用語、概念が説明されていて、さわりみたいなことが書かれているのだとわかるのですが、それでもコンピュータの計算方法として論理ゲートがいくつか紹介されその2つの組み合わせで「半加算器」の回路図が、とか2つの論理ゲート(NANDとNOR)だけであらゆる回路を作ることもできるとかの説明(46~47ページ)で、もう頭がついていけない。そこで思考停止して次の半加算器の簡素化とかそれを組み合わせた「全加算器」の回路図(48~49ページ)なんてわからない。ましてや2進数の浮動小数点(80~81ページ)とか、フィボナッチ2進法(234ページ)とか全然わからない。やさしそうに、説明する側にとっては1桁の足し算程度の常識的な前提くらいのつもりなのだろうと思える書きぶりのものが頭に入ってこないのは、ちょっと、いや、たいそう落ち込む。
 著者が「勘違いされがちなのですが、コンピュータサイエンスを学んだ人の多くは、オフィスの事務計算ソフトや、Wi-Fiのつなぎ方を専門に勉強しているわけではありません。パソコンで困ったときの修理屋さんとして、頼ることはやめときましょう」(188ページ)と書いているのを見て、専門家の悩みとして何処も同じだなぁと感じました。

05.増補改訂版 フィードバック入門 部下が成果を出すための最も効果が高い育成の技術 中原淳 PHP研究所
 著者の考えでは管理職(マネジャー)が「耳の痛いことを部下にしっかりと伝え、彼らの成長を立て直すこと」を意味する(10ページ等)「フィードバック」のための部下との面談のための準備や心がけ、手法等を解説した本。
 部下の意見を聞け、フィードバックは部下のためにある(部下を成長させるためにある)ということも繰り返し書かれてはいますが、管理職は部下に言うべきことをしっかり言う必要があるということが強調され、タイプ別シチュエーション別の対応方法(切り返し方)が詳細に記載されていることからして、著者の意図がそうでなかったとしても、自分が正しいという自負を持つ管理職がやっぱり自分の考えが正しかった、遠慮することはないと、部下に自分の考えを押しつけ、部下に非を認めさせ、部下に改善方法を提案するように求めて部下を追いつめる(問い詰める)、それでも部下が変わろうとしない(管理職のいうことを聞かない)ときは配転・降格・組織からの退出(退職勧奨か解雇でしょうね)を断行する(著者は178~179ページでそれをかなり強く勧めていますし)ということが増えそうな気がします。労働事件を取り扱っているとよく見られるうまく行かなかった上司と部下の関係での上司側・会社側の主張と類似の思考が感じられます。
 オリジナル版がハラスメントを恐れるばかりにフィードバックができないという事態が生じた時代だったためにネガティブフィードバックに多くのページを割いたとして、増補改訂版ではポジティブフィードバックのやり方についても章を追加したとされています(5~6ページ)が、分量的にもネガティブフィードバックの勧めが圧倒的で、この増補によってこの本の性質が変わったとは感じにくいでしょう。

04.ミス・パーフェクトの憂鬱 横関大 幻冬舎
 問題解決能力が高く難題を解決することが自分の仕事と考えている、総理の隠し子で元厚労省官僚の真波莉子が、依頼される難題を次々と解決して行くという小説。シリーズ第3作です。
 運転手兼ボディガードの城島真司の娘愛梨を初め、私生活面でのエピソードの比重が高くなり、真波が自分は全然パーフェクトじゃないと語る場面も登場するなど、少し趣向が変わってきている印象もありますが、基本的に方向が安定して予測できる安心して読める作品です。
 真波の趣味・息抜きとして麻雀のシーンが必ずあるシリーズなのですが、その3作目にして「東一局、星野は親の馬淵に八千点を献上してしまい、幸先の悪いスタートとなったが、続く東一局一本場で…」(20ページ)という記載が見られます。私の乏しい経験と知識による限り、麻雀で親の点数に8000点というのはありません。あり得るのは7700点に一本場の300点が加算されて8000点だけです。しかし、次が一本場と明記されているので星野が8000点献上したときは積み棒がないことが明らかですからそう解することもできません。身内でやることなのでローカルルールがあるのかも知れませんが。
  第2作の「闘え!ミス・パーフェクト」は↓

03.闘え!ミス・パーフェクト 横関大 幻冬舎
 総理の隠し子でそのことが発覚して厚労省を退職した元官僚の真波莉子が、知人等から相談依頼された問題を、持ち前の思考力行動力と幅広い人脈を駆使して解決して行くという小説。「ミス・パーフェクトが行く」の続編です。
 元警視庁のSPで与党幹事長銃撃事件時に動けなかった失態から退職し現在は民間警備会社に所属して真波の警護をしているシングルファーザーの城島真司の真波に寄せる思いと娘愛梨の挑発がサブストーリーになっています。
 初作で能力の高さが強調され「ミス・パーフェクト」と名付けられている真波が「その問題、私が解決いたします」と受けた以上、問題が解決することはもう既定方針で、関心は「どのように」解決するか、ミステリーのパターンでいえば「ハウダニット(どうやって殺したのか)」の未来向き版といいますか、リーガルサスペンスなら「リンカーン弁護士」(ハラー弁護士が勝つのはわかっているがどうやって勝つのか)みたいな作品です。そういう意味で安心して読めるタイプのもので、ドキドキするのが好きというミステリーファンには好まれないかも知れません。
 弁護士として(私は長らく刑事事件はやっていなくて今は刑事事件は相談も受けていないのですが)気になる点を指摘すると、「母が警視庁に出頭してから三日間が経過した。母の担当弁護士の話によると、そろそろ母は保釈されるようだった」(364ページ)、「小熊美希も大筋で容疑を認め、数日前に保釈された」(368ページ)とあるのですが、起訴されたという記載はありません。日本では、起訴前には保釈(保釈金を積むこと等を条件として裁判官が決定)する制度がありません。起訴前に検察官が身柄拘束の必要性がなくなったとして釈放することはできますが、それは保釈とはいいません。処分保留で釈放されたと書くのならいいのですが、単純に保釈されたと書かれると誤解を招くかと思います。
  「ミス・パーフェクトが行く」は2022年7月の読書日記12.で紹介しています。

02.頂点都市 ラヴァンヤ・ラクシュミナラヤン 創元SF文庫
 下位1割の住民が「アナログ民」として電子機器の利用を許されず電気シールド「カルナティック境界経線」により都市外に追われた上「菜園」に送られて臓器提供させられる(「収穫」される)対象となり、上位9割は「ヴァーチャル民」として最新のテクノロジーを利用できるが上位2割民と中間7割民に区分けされて言動や思考・嗜好を把握されそれによる昇格・格下げを示唆され続けて競争を続ける、「頂点都市」と呼ばれるかつてのインド・ベンガルールの近未来を描いた短辺連作SF小説。
 住民1人1人が「ネビュラネット」から汎用ポート端末等を通じて業務や娯楽などすべての行動について示唆され、多くの者はそれに何の疑問も持たずに積極的に受け容れ、疑問を持ち躊躇する者にはそれを是正する指示がなされ、このシステム・体制に従いさらには積極的に迎合することを求められる電子システムが支配する超格差社会で、管理者層として疑問を持たない者、格下げを示唆され積極的な迎合を心がける者、昇格を求めてアナログ民への拒否的姿勢を強める者たちとアナログ民の側でのレジスタンス活動に従事する者らが描かれています。終盤に向けてレジスタンスが焦点とされてゆくのでよりストーリー性を明確にして1編の長編群像劇にすることも可能だったしその方がよかったかなと思います。
 テクノロジーへの全面的な(過剰な)依存が、支配される側に取ってだけでなく、利用する側にとっても恐ろしいこと、その脆弱性と不具合が生じたときの影響の巨大さを、改めて感じました。
 ヴァーチャル民が悪態をつく(くそっ!、英語ならShit!とかFuck you!とかでしょうね)ときに、アナログ民が関係ないときでも「1割民め!」というのが象徴的です。階級・格差が思考の隅々まで行き届き優先的に扱われ意識されているのですね。
 恐ろしくも不快な社会ですが、現在の日本社会もそこまで隅々まで行き届いていないもののその傾向は似ているように思えてしまいます。

01.まさかの税金 騙されないための大人の知識 三木義一 ちくま新書
 税金に関する近年の話題やトリビアについて解説した本。
 元政府税制調査会専門委員で青山学院大学元学長という肩書きから政府寄りの官僚的な解説かと思ったら、企業・富裕層優遇に走る政治家や課税当局への批判に満ちていて、思いのほか楽しい本でした。政府税制調査会専門委員も、民主党政権下でのことで、自民党が政権復帰すると追い出されたようですし、この本自体東京新聞の「本音のコラム」に掲載されたものをベースにしたものというのですから、むべなるかなです。
 子育て支援金を医療保険料に乗せるなど、税金と社会保険料の区分もあいまいにする政府のやり方を見ると、「日本の税財政の実態を見ると、それぞれの本質から区分されているのではなく、財務省がにぎっているものが国税、総務省がにぎって離さないのが地方税、厚労省が死守しているのが社会保険で、それぞれの省庁の固い利権と密接につながっている」(248ページ)という説明がわかりやすく思えます。
 消費税率を10%に上げるときに、軽減税率は逆進性を解消しないことが既に世界の常識であり、複数税率を導入すればインボイス制度が不可避となって零細業者いじめとなることが見えているにもかかわらず、マスコミがその問題点を指摘しなかったことについて、「この改正論議のとき、日本の新聞各社の対応は、実に情けないものであった。軽減税率の問題点をマスコミとしても書くべきなのに、新聞紙を軽減税率の対象にしてもらいたいがために、基本的に沈黙したのである。筆者が新聞紙上で軽減税率の問題を指摘しようとすると、検閲が入り、新聞協会の方針としてこういう批判は掲載できないので削除してほしいと何度も依頼されたことを思い出す。そういう依頼を受けて、削除に応じてしまった私も情けないが、新聞社も自分の利益のためには筆を曲げることがよく分かった」「日本の新聞史に残る汚点でもあろう」とも指摘しています(168~172ページ)。東京新聞にしてそれですか。まぁ、この本でそれをすっぱ抜いた後も著者は東京新聞の「本音のコラム」を担当していますので、そこは東京新聞太っ腹というのか、軽減税率獲得できたからその後は何言ってもかまわないという判断なのか。

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