庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2023年6月

29.腎臓病にならない最強の法則 根来秀行 主婦の友社
 腎臓のしくみと慢性腎臓病の原因と予防について解説した本。
 毛細血管というのは、生物で習うしその存在は知っているのですが、直径は約100分の1mmで肉眼では見えずあまりイメージできません。「すべての血管のうちで、毛細血管が占める割合は、実に99%」(6ページ)、「毛細血管は、全身のすべての細胞から0.03mm以内に存在」(83ページ)と言われると、改めて毛細血管が体の隅々まで張り巡らされていることに驚きます。
 腎臓はその毛細血管の塊のような臓器で、毛細血管は45歳くらいからはぐんと少なくなり、60代では20代に比べ4割も減る(86ページ)けれども、何歳からでも劣化を防いで健康的に増やすことができる(7ページ)のだとか。細胞と毛細血管の修復が睡眠中に行われているので質のよい睡眠を取ることが推奨されていますが、成長ホルモンとメラトニンと副交感神経優位状態がそろうことが効率のよい修復につながるということで、7時間睡眠+早寝早起きがお薦めのようです。メラトニンの分泌が朝の光を浴びて15時間後から数時間がピークとなるため午後11時頃からの睡眠がよいというのです。寝る前の入浴も、熱い湯に入ると交感神経優位となってしまい入眠によくないのでぬるい湯にゆっくりつかれと言われています。過度のストレスも腎臓の働きに悪影響を及ぼし、毛細血管を劣化させその修復の効率を下げるという指摘もされています(107ページ)。睡眠、運動、呼吸で「シンプルで実践しやすいこと」(134ページ)を提唱していますが、簡単にできそうに見えて、なかなか実践できないかも…

28.令和5年版やさしくわかる給与計算と社会保険事務のしごと 北村庄吾 日本実業出版社
 会社の総務・会計が日常業務として行っている給与計算、源泉徴収、社会保険料の控除・納付、年末調整等の事務について解説した本。
 給与からの税金・社会保険料控除は、健康保険・介護保険・厚生年金が原則として4月・5月・6月の支給総額(交通費・残業代含む)平均をもとに標準報酬月額を決定して保険料を定めて9月分から翌年8月分までを毎月控除し翌月末までに納付、雇用保険料は支給総額(交通費・残業代含む)の0.6%を当月分から控除して納付は労災保険料とともに年1回概算前払いで年度末に精算、所得税は総支給額から非課税交通費と社会保険料控除後の額と扶養家族数をもとに税額表で源泉徴収額を決定して毎月控除して翌月10日までに納付した上で年末調整、住民税は前年の給与支払報告書に基づいて役所から送られてきた額を6月分から翌年5月分まで毎月控除して翌月10日までに納付という、制度ごとにバラバラで面倒な事務が課され、全国の会社で膨大な労力が割かれています。
 この本では、それらを含めた給与計算等の事務の基本を説明し、後半では年間スケジュールに沿って必要になる事務を紹介しているので、イメージとしてもわかりやすくなっていると思います。
 他方で、時間外・休日労働の割増賃金率を、時間外は「2割5分以上5割以下」、(法定)休日が「3割5分以上5割以下」と書いている(57ページ)のは、おそらくは労働基準法第37条第1項で割増率を政令で定める際の限界を規定していることを誤解しているものと考えられ、政令で時間外は25%(月60時間超は50%以上)、休日は35%と定めているのですから、使用者に命じられているのは時間外が25%以上、休日が35%以上(「以上」となるのは労働基準法が定めるのは最低基準のため)と説明すべきで、「5割以下」という説明をするのは誤りです。また、年次有給休暇について、法律上は入社後6か月で(8割出勤すれば)10日付与され、そのまま運用すると各労働者の入社日ごとに年休を管理することになって煩わしいために基準日を設けて斉一的取扱をする会社が多いという説明で、4月1日を基準日としてすべての社員に年次有給休暇を与えるとしている(108ページ)のは、それでは4月2日から9月30日までに入社した労働者にとって労働基準法より不利になるので法律違反となってしまいます。そういう辺り、労働基準法の理解が危ういところを感じ、「毎年絶大な支持」があり(はしがき)、16版にもなっている専門家の手による実務書がこれでいいのか、やや不安を覚えました。

27.記者のためのオープンデータ活用ハンドブック 熊田安伸 新聞通信調査会
 元NHK記者の著者が、調査報道での経験をベースにして、さまざまな調査や取材に使えるオープンデータ(基本的にはネットで無料で入手できる、あるいは有料だが料金さえ払えば誰でも入手できる情報)を紹介した本。
 調査報道という視点から、行政や公益法人、政治家等の金の流れを調べる手段が重視されていますが、民間企業の基本事項や不動産(価格調査は無料では何もできないに近いということですが)、個人情報(官報に掲載された場合が中心ですが)、自動車・船舶・航空機、事故や抹消済のネット情報などの調べ方も書かれていて、何かのときには役に立つかなという期待を持たせる本です。とりあえず私は、仕事で相手(敵)にする企業調査のツールとして、経産省の企業データベース gBizINFO と、官報決算データベースをブラウザのお気に入りに登録しました。
 航空機の現在位置や飛行ルート等を調査できるサイトが紹介されていて、それに米軍機もひっかかるなどというのを見ると、六ヶ所再処理工場の裁判で軍用機が墜落する/した場合の危険性を担当している私にも楽しく使えるかもです(そんなものを見ている時間があれば…)。

26.法律知識なしでも読める法務担当の契約書審査の基本 出澤総合法律事務所 学陽書房
 企業の法務部門に配置された人向けに、契約書の基本、検討すべきリスクとそれに応じた契約条項の対処等を解説した本。
 契約書の作成、契約交渉、契約条項の解釈等について、法技術的な部分とともに、注意すべき点がやさしくコンパクトに書かれていて、あくまでも企業のビジネスの観点からですが、契約書作成に携わる人は読んでおいて損はないと思います。弁護士の目からは、特に第4章(76~90ページ)で契約書の作成や交渉で検討を要するリスクについて契約類型等に応じて書かれているところがとても重要です。一般的なひな型から個別にアレンジするときにはまさにこういうことを考えて交渉するのですし、一般的な条項を採用する場合でも個別ケースでのリスクを検討した上での判断とよく検討しないままでのなんとなくの決定では、契約遂行段階での備えやその後の契約の際の心構え、法務担当者としての成長などが大きく違ってくると思います。全体をコンパクトに説明することからバランスを考えてこの程度の分量にしているのだとは思いますが、この部分をさらに敷衍して詳しく書いてくれるとよかったなと思います。

25.ヒューマンエラーを防ぐ知恵(増補版) ミスはなくなるか 中田亨 DOJIN文庫
 ヒューマンエラーによる事故が発生する原因を検討し防止法を論じた本。
 第4章のヒューマンエラーに気づかせる15の方法、第6章のヒューマンエラーの例を示してその防止策を考えさせる28問が、読みどころだと思います。
 待たされその先が見えないときについて「反応の遅い機械に対して苛立った客は、再度操作し直す→でたらめなボタンを押す→強制終了を試みる→機械をたたく→電源を抜くなどと、次第に短絡的で破壊的な行動に訴えるようになります」(157ページ)、「パソコンを使っていると、いつまでたっても『○○中』のままだったり、所要時間の予想がまったくのデタラメだったりすることは珍しくありません。これが積み重なると、ユーザは情報フィードバックを信用しなくなり、暴力的行動を起こしやすくなります」(158ページ)というのは、まったくそのとおり!と頷きながら読んでしまいました。客をなだめるためには客に何らかの情報フィードバックを与える必要があるとか、パソコンの場合はハードディスクのアクセス動作音の方が頼りになるとかいう話が、ここで著者が言いたいことではありますが。
 ATMでは、客がカードや通帳を取り忘れて帰ることを防止するため機種による違いはあっても「現金が最後に出ることは共通しています」(111ページ)とされています。しかし、私の事務所に近いみずほ銀行神田支店のATMでカードと通帳を入れて現金引出をすると、カード、現金、通帳の順に出てきます。もちろんそれぞれにアナウンスがあり通帳を取り忘れると警告音が出ますが、現金が最後、にはなっていないようです。
 FAXは「ある種のヒューマンエラー防止の効果をもっている」ので、好まれ滅びなかったとされています(143~144ページ)。FAXを現役で使い続けている身には、ちょっとホッとする記述です。もっとも、民間の一般業種ではFAXが衰退してもFAXが必須の数少ない裁判・弁護士業界も、これから数年のうちには電子メール提出(MINTS)が義務化されてFAXは顧みられなくなる見込みではありますが。

24.チュベローズで待ってる AGE22 加藤シゲアキ 新潮文庫
 就活で30社以上受けたがすべて不採用となり、1社だけ最終面接まで残ったがそこでも不採用となったことでその面接担当者に恨みを持つ大学4年生の金平光太が、やけ酒を飲んで泥酔しているときに声をかけてきた売れっ子ホストの雫に誘われてホストクラブ「チュベローズ」で働くようになり、そこでの先輩ホストや後輩の亜夢、オーナーの水谷、雫の彼女ミサキ、ミサキが回してきた客の斉藤美津子らとの間での軋轢や権謀術数などを描いた小説。
 ホスト稼業の実情ないし裏側というテーマはいいと思うのですが、ただ不採用とされたというだけで面接担当者に対して一方的で過剰な恨みを持ち続ける陰湿さ加減に表れる主人公の性格の悪さ、客として主人公にむしゃぶられる役回りの美津子の人物造形のありえない荒唐無稽さ(いかにも男の目から都合のよい空想的な設定)が、読み味を悪くしていると感じました。さらに言うと、主人公以外の人物像が、人物としてしっかりと構築されてそれぞれの信念や考えに基づいて行動している感じではなくて、主人公を中心としてそれに合わせて他の人物が都合よく動いている感じがするため、全体が軽く見えてしまいました。

23.琥珀の夏 辻村深月 文藝春秋
 子どもを親と引き離して山の中の〈学び舎〉で集団生活をさせ、〈問答〉等の独自の手法で子どもの対話力、考える力を養うという〈ミライの学校〉が頒布していた泉の水に不純物が混入していたことから生じた紛争後に撤退した静岡の施設の跡地から子どもの白骨死体が発見されてマスコミが騒ぎ立てる中、約30年前の小学校高学年時に〈ミライの学校〉の1週間の夏合宿に参加した経験がある弁護士の近藤法子が、かつて娘が孫を連れて〈ミライの学校〉に入ったまま音信不通という吉住夫婦から発見された遺骨が孫のものでないか確認することを依頼されて、〈ミライの学校〉の東京事務所を訪れて田中と名乗る女性と対峙しながら、自分ではその遺骨が合宿に参加したときに友だちになった(が、その後疎遠になったままの)ミカのものではないかという心配をし、過去の記憶をたどり現在の調査を進めていくというサスペンス小説。
 子どものときの記憶と、大人になった今の見方、子どものときの言葉や約束とそのままになった過去、それに対する思い、時の流れによる自分と相手の変貌などをうまく配して読ませる小説です。
 弁護士の目からは、民事事件で「弁護人」と書くのはやめて欲しい(正しく「代理人」と書いているところもあるから、わかってるはずなんですけど)とか、刑事事件じゃないんだから自分の依頼者が後から別に「入廷」してくる(537ページ)ということはないでしょなどの違和感がありましたが、マスコミが騒ぐ事件の依頼を受けた弁護士のとまどいについての描写には共感を覚えました(私の経験についてはこちら→大事件を受けるとき)。

22.先生が足りない 氏岡真弓 岩波書店
 公立小中学校等での教員の欠員の実情とその増加について、朝日新聞と文科省の調査、現場の声の取材、文科省と自治体(教育委員会)等の見解などを紹介しながら報じた本。
 この本で問題としている教員不足は、正規教員は受験倍率が低下しているものの1倍を切る状態にはなく、一応不足しているわけではないが、小泉政権下の三位一体改革で正規教員の人件費に充てられていた財源を使途を緩めて地方に移譲した結果正規教員の人数と給与を削減して非正規教員枠を増やした自治体が多くなり、正規教員だけでは学校がまわらなくなり、非正規教員が多数必要となったところ、その非正規教員が足りないというものです。そしてその足りなさ具合は学校はそれを外部に明らかにしたくない(知られれば保護者その他から非難される)し、否応なく誰かが無理をしてその業務をして多くはなんとかすることもあり、明確になりにくいということがあって、ややわかりにくく歯切れが悪くなっています。
 この国で、教員のみならず横行している規制緩和や経済界の意向に沿った「改革」で、正規教員は長時間労働(働かせ放題で、教員には残業代さえ払わない)で疲弊し、心身を病んでリタイアしたり希望者の全体数が減少し、低賃金で首を切りやすい非正規労働者の雇用を増やしてみたもののそのような実態が続けば、教員免許を持つ者が低賃金不安定雇用を希望するはずもない、という当然に予想されることを無視してきたツケというほかないと私は思います。
 小中学校の問題とは別に、大学で有期契約の研究者や職員を増やして3年とか5年で雇止めにするケースが近年裁判でよく争われ、使用者側の弁護士がさまざまな知恵を駆使した成果として雇止めが有効とされる判決が多数出ています。このような状態が続けば、大学での有期雇用というものが極めて不安定な労働者に圧倒的に不利な雇用であることが知れ渡り、大学は近い将来有為の人材を確保できなくなるだろう、と私は危ぶんでいるのですが…
 著者は、朝日新聞で記事にしたときに子供たちの声の取材が足りなかったと反省し、この本の原稿を書く段階で取材したと「あとがき」で書いています(144~145ページ)。その取材結果は39~44ページで紹介されていて、それ自体はリアルなものですが、新聞記者が出版のために必要と考えて取材してこれくらいの数しか取材できないのかということの方に驚きました。

21.伝えたいことが100%表現できる!ロジカル文章術見るだけノート 赤羽雄二監修 宝島社
 文章が苦手な人に文章がスラスラ書ける方法を伝授するという本。
 最初の3項目でアイディアはすぐにメモする習慣をという説明をしています。これは文章術に限らず身につけておきたい習慣です。それに続く3項目は、構想を組み立てとにかく書き出し、「迷わず止まらずに書き切ろう」と勧めています。「修正はあとから行えばいいのです」(22ページ)というのですが、表現の修正とか誤字・誤変換の修正等の微修正はそのとおりなんですが、書いているうちに論理の組み立て、全体構成、順序などを変えた方がいいかなと思うことは多々あって、そういうときにまぁまずは書いちゃえと言って最後まで書いてしまうと、頭ができたものに縛られてなかなか直せなくなるんですよね。人それぞれのやり方があるということかとは思いますが、その辺、どうかなと思いました。
 よりよい文章を書くためにはインプットが必要で、文章術(文章力?)を上げる一番シンプルな方法が名文を繰り返し読むことです、「何十冊も乱読するよりも、一冊の本を繰り返し読むことが大切です」(176~177ページ)だそうです。「超乱読」派の私には、耳が痛いところではありますが…

20.社会人になったらすぐに読む文章術の本 藤吉豊、小川真理子 株式会社KADOKAWA
 電子メールとその他の場面でのビジネス文章の書き方について解説した本。
 類書数多の中で、この本の特徴としては、アンケートによるイラッと来たメールのランキングを作成して、それに応じたNG文例と改善例を最初に出していることでしょう。もっとも、223人に対するアンケートで、質問票も集計結果も非公表のものですから、どの程度信用性があるのか評価のしようもない代物ですが。
 このNGメールの部分、読んでいて、NGメールの文例も困ったものだと思いますが、紹介されているNGメール受信者の意見がまた、これくらいのことでそこまで言う?というものが散見され、学生気分の新人の問題よりも、こういう不満の多いキレやすい人が世の中にはけっこういることの方に、気をつけないとね、と感じました。
 約束をした後に別件が入って日程変更をお願いするときに、すでに別件が入っていたのに気がつかずに約束してしまった、自分のミスだ、と断るように繰り返し指導しています(64ページ、118~119ページ、213ページ)。これは、嘘をつけという指示ですね。あえて後から別件が入りそちらの方が大事だとあからさまに言わないのは、相手への礼儀として理解できますが、積極的に嘘を言えというのはいかがなものかと思います。著者らは、嘘も方便というのかもしれませんが、新社会人に教訓を垂れる中でそういう姿勢はどうかと思いました。
 ネガティブな表現をポジティブな表現に言い換えるというコーナーで、「できません」を「いたしかねます」に、「わかりません」を「わかりかねます」に、それぞれ言い換えるように指示しています(107ページ)。そういう方がいいとは思いますが、「いたしかねます」や「わかりかねます」が「ポジティブな表現」だというのはまったく理解できませんでした。

19.眠りつづける少女たち 脳神経科医は〈謎の病〉を調査する旅に出た スザンヌ・オサリバン 紀伊國屋書店
 世界各地で発生したさまざまな検査を行ったが検査上異常値が見いだせない原因不明の集団的な昏睡等について、神経科医である著者が現地を訪れる等して得た知見に基づいて、それらの症状について論じた本。
 著者が序章で「謎の病」として採り上げ第1章で「眠りつづける少女たち」と題して紹介しているスウェーデンの難民申請中の子どもに発症した「あきらめ症候群」と名付けられた昏睡症状は、難民申請手続が遅滞する状況に家族が直面したときに生じ始め(30ページ)、難民申請が通り将来の生活に希望が持てるようになると回復する(42ページ)とされています。そうなると、検査で異常が発見できないことも併せて、世間からは仮病・詐病疑惑の目を向けられることになります。著者はこれらの身体症状が心の影響によるものとしつつ、詐病ではなくリアルな身体症状であること(長期間の昏睡状態等、意図してそれを装いつづけることはできない)を繰り返し述べています。
 人間の体は頻繁に些細なゆらぎ、動悸や痛み、めまいなどを生じているが、健康なときは脳はそれを正常なものとして無視している。しかし、身体に過度の注意を向け、それらの雑音に何らかの病的な兆候を探し始め、また何らかの異常があると認定されると、それらは症状と化し、うずきや痛みに気がつき始めると心配になりそのためにさらに注意が向けられ、特定の病気と疑うとその病気らしい兆候に注意を払うこととなり、悪循環を生じる(195~201ページ、389~392ページ)、異常(発作)を予期することで異常の兆候を探し、結果として予期通りになる(373ページ、401ページ等)というような機序で、機能性(心因性)のリアルな身体症状が生じるというのです。
 集団ヒステリーなどと言われ詐病を疑われた人々とそれを支援する者たちは、何らかの身体的な異常の検出を期待して検査をつづけ、その一環として専門家である著者を呼ぶ。しかし著者は機能性(心因性)のものだと評価をする。著者は機能性(心因性)だから詐病ということではなく、重篤な身体症状はある、その原因は個人の心理よりもむしろ文化的・社会的なものと捉えるべきというのですが、患者たちは失望するということが繰り返されています。著者のような考え方・主張が世の大勢を占めるようになれば問題は解決に向かうのでしょうけれども、それはなかなかに困難に思えます。
 眠り病という紹介もあるので、私は、子どもの頃に習ったツェツェバエが媒介する寄生虫によるアフリカの難病の話かと思って読み始めたのですが、そちらのことはまったく扱われていませんでした。もちろん、いばら姫の話もまったく…

18.ノクツドウライオウ 佐藤まどか あすなろ書房
 築100年の3階建ての古いビルで4代目の祖父がオーダーメイドの靴店「往来堂」を営み、土地開発会社から繰り返し売却を求められて頑として拒否し続ける中、4代目の孫の中学2年生の木村夏希が、5代目と期待されていたのに突然出て行った兄を恨みながら、地味な靴にはなじめずもっとカラフルで個性的なデザインの靴を作ってみたいと夢想しつつ、自分が家業を継ぐことには迷いを持つ様子を描いた小説。
 前半は、主人公が「マエストロ」と呼ぶ祖父の靴職人としての仕事ぶりや職人気質を通して、オーダーメイドシューズの制作工程やオーダーメイドシューズの良さなどを紹介し、後半は、本来は半年や1年かけてオーダーメイドシューズを制作している祖父らが急を要する事態に創意工夫と努力の末に応じる展開をさせています。
 青春小説としてオーソドックスな展開とラストですが、プロローグから予想した展開にはならず、ラストから見るとあのプロローグは何のためにあったのかとも思い、その点に不完全燃焼感があります。
 タイトルは、戦前からある「靴ノ往来堂」の2段右からの横書き看板を左から読んだ小学生の言葉から。奇をてらった感はありますが、中高生向きの読み物ですから…

17.料理なんて愛なんて 佐々木愛 文春文庫
 料理が苦手で嫌いなため家庭的と見られないように知らないマイナーバンドのTシャツで過ごす「四捨五入すると30歳になる」(42~43ページ)鉄道会社の子会社の総務部に勤める須田優花が、好きなタイプは料理上手な人という真島の通算6名以上いたという「本命じゃない彼女」になり、料理が好きになろうと苦闘を重ねるという小説。
 真島という人物の変人でありながらその中身のなさ、主人公が「料理は愛情」などの言葉に反発しながら、料理以外のことがらで自分を磨き何かに打ち込もうとすることも、自分の好きなことやりたいことを見つけることも、自分をアピールできることを見出すこともなく、ただ料理が苦手なことの言い訳と正当化を試みてはムダに挫折して苦しみ続け、言うことは中身のない真島のコピーだったりする様は、読んでいて入り込みにくく虚しく思えました。イヤなものはイヤ、いい人だから好きになれるわけじゃない、無内容な人物でも好きになったのは仕方ない、そういう主張はそれはそれでいいけれど、また人生は往々にしてそんなものだけど、小説では、それならそれでほかの領域で何か打ち込めるもの、夢中になれるもの、詳しくハイレベルなことを書き込めるものを打ち出して欲しいと思います。
 主人公の勤務先の1年後輩の坂間が、ハムスターのつがいを飼ったら、リンゴとスターと名付けるのが中2のときから夢だった(73~74ページ)って、(2010年頃に中2だったことになるはずですが)一体どういう中学生だったん?

16.疲れないための介護 鈴木篤史 日本橋出版
 ケアマネジャーの著者が、現場経験に基づいて介護疲れの原因を把握して解決を図るための方法・心得を語る本。
 選択肢を増やし、その中から自分で選択することで不満を減らし、視野を広げ、ものの見方を変えることでストレスを減らし、時間の使い方を見直して効率的なだけではなく効果が出るようなやり方を心がけるとともに自分の大切な時間を増やすというようなことが推奨されています。そんなこと言っても…という思いは出ますが、「自分ならできる」と思う「自己効力感」が必要、「そもそもできるとおもわなければ、いい結果はでません。できないとおもって行動すると、必然と結果も悪くなるものです」(105~106ページ)、「自己効力感の向上は、もっと多くの業務を積極的にこなしたり、難易度の高い業務にチャレンジしたりする意欲につながります」(108ページ)といい、「根拠のない自信がチャレンジする行動力をくれます」(87ページ)というのには、勇気づけられ、信じてみたくなります。
 実は、身近にいる介護疲れしている人に何かできないかなぁと思って読んでいたのですが、この本を読んでいる最中に介護を要しなくなることになってしまいました。人生の偶然というか、皮肉というか…
 見慣れない出版社だからなのか、校正不足が目に付きます。例えば8ページに「※2」の記載があってその注記がない、43ページに「申請から介護保険利用の流れは図のようになります」とあるのに図がない、同じページに「※詳細は下記の表を参照」とあるのに表がない、66ページに「預貯金等の金額が下表の預貯金等の資産の状況に該当していること」とあるのに表がないなど。誤植と思われるものも少なくありません。せっかくならもう少し丁寧な本作りをして欲しいなぁと思いました。

15.弁護士外岡潤が教える親の介護で困ったときの介護トラブル解決法 外岡潤 本の泉社
 日本初の「介護弁護士」を自称している(5ページ)という著者が介護利用者側でトラブルに対応する知識と心構え等について解説した本。
 「不毛なトラブルを一件でも無くし、トラブルになりかけても話し合いで平和的に解決することで、介護の現場に元々備わっている調和の世界と『おかげさま』の精神を取り戻したい」(9ページ)という著者の姿勢は、利用者側が権利を強く主張することを抑制する方向に働き、ともすれば施設・事業者側にとってありがたい結果につながることになるでしょう。しかし、弁護士も威勢のいいことをいっていればいい結果が出るというものでもなく、無謀な主張はしない方がいいというのも真理です。
 介護をめぐる制度や実務、実情について、法律の説明はあまりしていませんが、というよりも法律の条文や規定を挙げないから読みやすく必要そうなことがらを説明しているように思えます。まずは地域包括支援センターの人と親しくなろうとか、ケアマネは施設ごとに変わるから選べないとか、老健施設はリハビリと位置づけられているから数か月で出なければならない、ヘルパーと訪問看護師は(法令上)できることが違うから頼めることが違う(かなりうるさく区別される)とか、よく知らなかったことがあれこれ書かれているのが勉強になりました。裁判でどうする的なことはあまり書かれていませんが、それ以前の段階での常識的な対応について参考になる本だと思います。

14.白鶴亮翅 多和田葉子 朝日新聞出版
 ドイツ南西部の町フライブルグからベルリンに引っ越した後大学に職を得て日本に帰国した夫早瀬と別れてベルリンに残って10年になり、CDプレイヤーや炊飯器などの家電と関西弁で会話している高津目美砂が、親友のスージーの紹介でベルリンのより治安の良い地域に引越をして、隣に住む老人と話すようになり、誘われて太極拳の教室に通うようになり、そこで知り合った人々交流する様子を描いた小説。
 タイトルは、太極拳の教室で習う型の名称から。
 主人公は翻訳の仕事をしていて、この作品の期間中ずっとクライストの「ロカルノの女乞食」という3ページに収まってしまう短編を訳し、それをめぐる考察や、隣人が「プルーセン人」(プロイセン人とは別)という消えてしまった人たちが祖先と言うのでそれを調べて民族問題を考えるというようなことが、主人公の頭にあり続けます。大学教授から頼まれた旧東ドイツでの日常生活に関する資料の翻訳では、「ポルノ」という項目があるのを見てその部分を早く読みたくてその前は速歩ですませ(36ページ、124ページ)、書店の店主に掛け軸の翻訳を頼まれて杜甫の「春望」(国破れて山河あり…)とわかり高校の時に漢文の成績がよくなかったと思い出し、岩波漢和辞典を引きながら訳して自信を持てず誤訳かも知れないと断って訳文を送る(51~53ページ:依頼者は詩の内容が知りたいというだけですから、有名な漢詩なのでネットで十分に訳文が見つかり、それを教えてあげれば済むでしょうに)という主人公の人柄に親しみを感じることができれば、その心情をじんわりと味わえるというところでしょう。

13.朝日新聞政治部 鮫島浩 講談社
 元朝日新聞記者の著者が、朝日新聞での自らの経験と朝日新聞社内の事情などについて書いた本。
 吉田調書報道の際に特別報道部デスクとして記事を出稿し停職2週間の懲戒処分を受けて記者職を解かれた著者が、「木村社長が『吉田調書』報道を取り消した2014年9月11日は『新聞が死んだ日』である。日本の新聞界が権力に屈した日としてメディア史に刻まれるに違いない」(19ページ)、「新聞ジャーナリズムが凋落する転機となった『吉田調書』事件を構造的に究明するには、それに関与した経営者、編集幹部、現場記者の人物像を詳細に描き、政治部、社会部、特別報道部がせめぎ合う『朝日新聞の社風』を伝える必要がある。とりわけ『吉田調書』事件に至るまで朝日新聞の経営や編集を牛耳ってきた政治部の実像をリアルに描くことが不可欠だと思った」(300~301ページ)と述べて書くのですから、吉田調書報道とその後の朝日新聞の対応に相当な比重が置かれるのかと思ったのですが、そこは全体の2割くらいにとどまり、さまざまな事情と配慮はあるのでしょうけれども、今ひとつ突っ込んだ記述に欠けるように思えました。そして、「朝日新聞の経営や編集を牛耳ってきた政治部の実像」というのですから、政治部の実情について批判的に書かれているのかというと、社内の対立構造や特定の人物の姿勢への批判はあっても、政治部のあり方等が批判されている場面は少なく、全体としては著者自身の政治部時代の日々を懐かしく回顧している本のように感じられます(茨城県警本部長に取り入って特ダネを連発したとか、竹中平蔵に取り入って特ダネを連発したとかの自慢話や、外務省担当時に自分が食い込めなかった官僚から情報を得て特ダネを連発した同期入社の女性記者にコンプレックスを持ちその後20年経ってもその姿を見ると卑屈になるとか…)。
 著者は政治部の実態について厳しい視線を向けるよりも、むしろ社会部を敵視し批判しているように感じられます。私は、社会部の記者としか接点がないので、社会部の方がリベラルな方向性と雰囲気を持っていると思っているのですが、そういう見方、評価もあるのだなと驚きました。対立する相手方の見方は違うものだというのは、仕事がら、日常的に経験し理解しているつもりではありますが。
 民主党への政権交代で、自民党幹部に取り入っていた新聞各社の政治部のベテラン記者がアドバンテージを失い、若手記者にお株を奪われると脅威に感じ、「民主党政権の誕生後、報道各社が厳しい論調を浴びせ、さらには民主党政権の崩壊後、安倍総理が繰り返した『悪夢の民主党政権』のイメージづくりに加担した背景には、二度と政権交代は起こしたくないという、各社政治部の先輩諸氏の警戒感があったと私は見ている」(145~146ページ)、つまり新聞・テレビ各社の政治部のベテラン記者の延命・保身の欲望が民主党政権を早期に転覆させ安倍政権を長らえさせたというのは、新聞人らしい着眼だなと思います。
 記者職を追われた後に著者が、毎朝起きてまず新聞を読むのを止め、ツィッターとネットサーフィンでニュースを見てから批判的な眼差しで朝日新聞に目を通すと、朝日新聞の記事がネット情報に比べて速さにも広さにも深さにも劣っていることを実感したとしています(266ページ)。それは、私も感じていることです(もう新聞を取っていないし、有料記事を読む気にもなれないので、ネット上の無料部分だけしか読みませんから有料記事のレベルについて論評できませんけれども)が、元朝日新聞記者までがそういうと、やっぱりそうなのかと思ってしまいます。

12.アート・ローの事件簿 美術品取引と権利のドラマ篇 島田真琴 慶應義塾大学出版会
 アート/美術品の制作や売買仲介の報酬、オークションハウスの調査義務、著作権、外国美術館に対する略奪美術品の返還請求、表現の自由など、芸術をめぐって争われた法的紛争の経過とその裁判結果について解説した本。
 姉妹編の「盗品・贋作と『芸術の本質』篇」とともに、戦争・ナチスのユダヤ人迫害による略奪や盗難ののちに元所有者が、画商・オークション経由で購入した現所有者に対して返還請求をした事件の顛末が紹介され、その中で、善意の(略奪・盗難によるとは知らないという意味)購入者が日本では直ちに、イギリスでは6年間保有していると所有権を取得するのに対して、アメリカでは何年経っても略奪・盗難前の所有者に所有権がある(無権利者から購入しても所有権は得られない)、出訴期間制限等による抑制はあるがそれも裁判所により柔軟に解釈され、さらには外国の政府の免責すらアメリカの裁判所は柔軟に解して盗難略奪被害者を保護しているということには、一種のカルチャー・ショックとも言うべき感銘を受けました。日本の民法学というか法学全般と言うべきかもしれませんが、さまざまな利益考量の中で「取引の安全」は最優先のように扱われています。法学部に入るとすぐにそのように教えられてきたので、善意・無過失の新所有者(購入者)が保護されるべきことは疑う余地のない常識のように思っていました。しかし、それは世界で普遍的なものではなく、日本の民法は、むしろ異例なまでに資本市場での事業者の取引の安全を偏重し、盗難被害者に冷酷なものということなのですね。
 この問題のほかにも、著作権保護(この点でも日本の法律と裁判所は著作権保護を優先し、他者の利用に対して厳しい)、表現の自由の保護(わいせつ表現と芸術性、公的資金による助成を受けた美術展への介入)などでも、著者はアメリカでの事件と日本での事件を紹介して、法律や裁判所の姿勢や考え方の違いを問題提起しています。
 所有者から美術品の売却を依頼された美術商が別の美術商に再委託をして買主が見つかったときに、買主が実際に支払った金額を知らせずに売主の希望売却価額との差額を自分の取り分とすることについて、直接委託を受けたか否かにかかわらず美術商が依頼者に無断で転売利益を得ることは忠実義務違反とするロンドン高等法院とニューヨーク州裁判所の判決が紹介されている(14~18ページ)のも私には新鮮に思えました。
 美術品をめぐる紛争ということを超えて、アメリカやヨーロッパとの比較で日本の法律と裁判が普遍的なものではなく、そのあり方について引いた視線で考える必要があることを改めて感じさせる刺激的な本でした。

 なお、この本でも紹介されているクリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」の返還請求の裁判(116~126ページ)は映画化されていて、その映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」の感想記事はこちらです。

11.アート・ローの事件簿 盗品・贋作と「芸術の本質」篇 島田真琴 慶應義塾大学出版会
 美術品をめぐる法的紛争の経緯とその裁判結果を取り上げて解説した本。
 「はしがき」冒頭に「本書は、日本と諸外国のアートに関する裁判事件をできるだけわかりやすく紹介するシリーズの一つです」とあり、「アート・ローの事件簿 美術品取引と権利のドラマ篇」と同日発売になっています。どちらが「1」でどちらが「2」という区別もなされていませんが「シリーズの一つ」というと今後続編があるのでしょうか。
 この本では、アート/芸術とは何かをめぐる事件(芸術性・価値に関する名誉毀損、関税の課税(美術品は非課税ないし低税率)、著作権の行使)、アートをめぐる犯罪(贋作詐欺、窃盗・略奪)、盗品・略奪品の現所有者に対する返還請求、贋作か真作かの判断を取り上げ、読み物としての流れというかまとまりはつけられているように思えます。しかし、セットの「美術品取引と権利のドラマ篇」でも、アートの取引をめぐる問題として制作・売買の仲介の報酬のほかに贋作か否かの調査義務が取り上げられ、略奪品の外国美術館に対する返還請求、著作権紛争が取り上げられているのを見ると、この2冊での分担は必ずしもクリアではありません。まとめて1冊にすると分厚くなるということでとりあえず2冊にしたのかなと思います。
 美術品をめぐる実際の事件で裁判所がどのように判断したのか、さらには裁判の行く末を見越しあるいは裁判の長期化を踏まえて当事者がどのように和解したかなど、ほどほどの分量でわかりやすく書かれているので裁判ものの読み物として楽しめます。業界人としては、裁判の前提となる事実関係や裁判所の判断についてより突っ込んで知りたくなる部分も出てきますが、それを書いていたら一般人向けには出版できないから仕方ないでしょう。
 外国の裁判が多数紹介されているため、法制度の違い、裁判所の姿勢の違いなども感じることができて興味深く読めました。
 各事件の最後に係争対象となった作品の作者/アーティストに関する紹介があり、そこに著者の感性というかウィットが感じられ、その点も、私は好感しました。

10.自分の見た目が許せない人への処方箋 中嶋英雄 小学館
 自分の顔が嫌いでたまらない、客観的に見て醜いわけでもないのに「自分の見た目が許せない」という思いにとらわれてしまう「身体醜形症」について、こころの病としてそれを解説し、改善方法を論じた本。
 身体醜形症患者について、多くの精神科医は美容整形に否定的(7ページ)、身体醜形症の美容整形手術は禁忌であるというのが教科書的な定説(225ページ)なのだそうですが、精神科医であるとともに形成外科医である著者はそれに疑問を呈し、美容整形する可能性を残した上で向き合っていくことを勧めています。しかし、著者は、100%満足できる整形手術はない(そもそも患者が希望する理想像とそれを聞いて医師が描くイメージが完全に一致することはあり得ないし、個体差により同じように手術しても同じになるとは言えない、手術に失敗がないとは言い切れない)、手術後腫れ等が治まり馴染むまでに数か月かかり顔が気になる身体醜形症患者はその間に「こんなはずじゃなかった」と思うことが多く、さらには前より悪化したと思い込むことが少なくないというようなことから、安易な手術は避けるべきであり、特に整形すれば今悩んでいる問題がすべて解決すると思っている人が整形をしてはいけないと戒めています。
 自分の中のネガティブな思考パターン(自動的に湧いてくる自己認識)に気づき、ポジティブなパターンに変えていくことと呼吸法、免疫力を高める食事、規則正しい生活で「打たれ強い」自分になるということを勧めています。う~ん、鋼のメンタルが必要とも言われる弁護士には必要な生活習慣なのかも…

09.砂の宮殿 久坂部羊 角川書店
 最先端の技術でがん治療を行うことを謳い、関西国際空港傍のビルで、もっぱら海外の富豪の医療ツーリストを顧客に高額の治療費を自由診療で得る「カエサル・パレスクリニック」を主宰する外科医の才所准一が、行政への口利きをしてもらってから多額の顧問料等を支払っている大御所の不審死、金儲け主義を批判するジャーナリストの追及等に悩まされ、志の高い腕利きの放射線医有本以知子の批判などからクリニックの理事間でも不協和音を生じて…という医療サスペンス小説。
 外科医になって4年目の才所が、検察官だった父に対して担当医として根治は無理で余命は短いと正直に告げたところ、父が自殺し遺書に、お前は患者の気持ちがわかっていない、患者は希望を持ちたいんだ、絶望するようなことは聞きたくないんだ、ほんのわずかでも生きる可能性を知りたかった、嘘でもいいから希望を持たせてほしかったと書かれていたことに衝撃を受け、患者に希望を失わせてはいけないということを信条としてきた(67~69ページ)という設定で、最愛の人との関係での結末は、あまりにも苦い。医師である作者の思念でか実践でか、苦悩を感じます。
 高額医療への批判がストーリーのメインに置かれていますが、医師にとってはそういう主張/批判は気になるのでしょうか。弁護士など、多額の手数料を取ってもっぱら金持ち(富裕層・大企業)のためにやっている者は多数いて、そういう人たちは何ら恥じている様子などありませんが。

08.汝、星のごとく 凪良ゆう 講談社
 瀬戸内海の島の高校で、夫を奪われて心を病んでいく母と2人暮らしをしつつその父を奪った女の生き様に憧れを持ち苦しむ井上暁海、つまらない男に入れ込んでは捨てられてボロボロになる母親に呆れつつ母を支えようとし続ける京都から流れてきた青埜櫂、娘結と2人暮らしの化学教師北原が出会い、その後過ごした17年間を描いた小説。
 だらしない母親の足かせをはめられ見放せずに支えようとし続けるという点でかわいそうでもあり健気でもありますが、基本的には傲慢でジコチュウの櫂と、心を病んだ母親を見捨てられず自信も生活力も持てず女が自立して生きることが困難な島の環境で窒息しそうになりながら生き続けるとともに櫂を思い続ける暁海の、すれ違いと「木綿のハンカチーフ」から「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」的な様相も呈しながらの純愛とも苦悩とも言える関係をメインストーリーとしつつ、どこか突き抜けた包容力と意外な弱さを併せ持つ北原の存在で、自由に生きていいんだというメッセージを描いています。現実にはそのようには生きられない辛さ、とりわけ女の側に我慢を強いられる現実(それに対して抗議はしているけれども弱い)を含む描写の哀しさが読後感の多くを占めますが、どこかサッパリした感じもします。

07.まぐわう神々 神崎宣武 角川選書
 神話や遺跡出土物、道祖神等の立像・陰陽石、祭礼や民俗芸能等に残る性神信仰、生殖器崇拝について論じた本。
 道祖神、陰陽石などについては中部地方東部と関東地方西部(長野県、山梨県、静岡県、神奈川県、群馬県)、著者の郷里の岡山県を中心とし、他の部分は文献による研究紹介が多く、網羅的なものではなく事例紹介的なものと受け止めた方がよさそうです。
 石像等については、明治5年の太政官布告で取棄が命じられたために東京や東海道・日航街道筋のものが軒並み排除されたが、地方ではそれが徹底されず残され、性神信仰の神体の残存率は世界でも類がないほどではないかと紹介しています(12~17ページ)。
 性神信仰・生殖器崇拝の動機については、性病平癒があった(子宝、豊作の祈願のみではない)ことを、著者は一種執念を持って論じているという印象があります。
 性器(の模型)を担ぎ出す祭りとして、小牧市田縣神社の豊年祭(へのこ祭り:3月15日)、犬山市大縣神社の豊年祭(おそそ祭り:3月15日前後)、佐渡市草刈神社・菅原神社のつぶろさし(6月15日)、松本市湯ノ原温泉の道祖神祭り(9月23・24日)、愛知県設楽町津島神社のさんぞろ祭り(11月第2土曜日)、愛知県西尾市熱池神社のてんてこ祭り(1月3日)が紹介されています(190~200ページ)。私が知る限り一番有名な(というか、それしか知らない)川崎市金山神社の「かなまらさま」はまだ出てこないのかと思っていたら、かなまらさまは一説には火をおこす鞴を男根に見立てたものでもともと鍛冶職人たちの信仰が元にあるので性神信仰といえるかどうか疑問だというのです(201~202ページ)。う~ん、学者/学問の世界は奥が深いのか我が/こだわりが強いのか…

06.分断と凋落の日本 古賀茂明 日刊現代
 元経産官僚にして、安倍政権批判で報道ステーションを降板させられた著者が、安倍政権以降の軍事と企業優先の政治、原発復活、人事政策による霞ヶ関支配とマスコミ対策等について論じた本。
 映画「妖怪の孫」はこの本が原案と明記されています(8ページ、著者プロフィール等)。「妖怪の孫」は2023年3月17日公開で、この本の出版が2023年4月12日。「妖怪の孫」は安倍政権、安倍晋三の言動に焦点を当てて過去を振り返るという色彩が強いのですが、この本では岸田現政権の様子も、安倍政権の過去に縛られていると言ってみたり安倍晋三よりも考えもなしに安倍超えをやっているなど、安倍政権との比較でですが、フォローしています。
 集団的自衛権行使は憲法第9条違反をいう政府見解を変えるために内閣法制局長官の首をすげ替えたことが衝撃的な事件であり、霞ヶ関官僚の目から見れば「時の総理大臣がルールを無視して『テロ』をやるんだと」と受け止められ霞ヶ関が大きく変わったことを生々しく論じ(36~39ページ)、「武器輸出3原則」を変更した中曽根政権でさえアメリカなどの同盟国への武器「技術」の輸出を国会で散々議論してようやく解禁したのに安倍政権では武器そのものの輸出を大きな議論もなく認めてしまった(39~41ページ)など、元官僚ならではの(著者は中曽根政権時代武器技術輸出担当課の係長だったとか)解説が光ります。
 原発復活でも経産省・原子力規制委員会のやり口がわかりやすく説明されています(78~114ページ)。原発完全復活プランに対して最高裁がそれを止める機能を果たせないという根拠には、樋口裁判官が経験した裁判官会同を挙げています(114~117ページ)が、ここでは最高裁裁判官15名全員が安倍政権以降に任命された(この本の出版時点で安倍政権8名、菅政権5名、岸田政権2名)ということも、「妖怪の孫」的な視点では挙げておいて欲しかったと思います。
 それらの政治的なテーマ以外に、著者が元経産官僚ということから、経済政策の問題、あまりにも企業優遇を続けたために日本企業がイノベーションの努力をせず取り残されて競争力がなくなりかつては強かった家電も半導体も壊滅状態でEV(電気自動車)も乗り遅れたなどの指摘が勉強になりました。

05.被災した楽園 市野澤潤平 ナカニシヤ出版
 2004年に東京大学文化人類学研究室の博士課程にいた著者がビーチリゾートの調査を予定していたところにインド洋津波が発生し、その後10年以上にわたって被災地としてのプーケットに付き合うことになり、逐次発表した論文をつなぎ合わせて出版した本。
 プーケットを採り上げているという点では一貫していますが、過去に発表した論文のつなぎ合わせで、著者のスタンスに変化があるため、1冊の本として読み通すには違和感を持ちます。
 2005年から概ね2011年頃までに書かれた前半では、著者はプーケットの観光産業に従事する人々の中でも専ら日本人観光客に対する現地でのサービスに従事するタイ在住日本人という少数者に妙に肩入れして観光客が減少し戻らぬことによる現地在住日本人たちの困窮とそれが放置されていることの不条理・不正義を強調して論じています。ここでは津波後6か月ないし1年の現地の人々の努力と観光客が戻ってこなかったことを書いているのですが、後半で現在では観光客数が復活していることを述べている(後述するようにむしろそれに苦言を呈するかのようですが)のに、いつ頃からどれだけ回復したのか、そして前半で登場する人たちがその後どうなったのか、観光客の回復まで耐え切れたのかの追記がまったくなされていません。そこがフォローされずに放り出されているのは読者に対して不親切に思えます。また、著者は2006年から2008年にかけてプーケットのメインビーチのパトンビーチに滞在していたが「2年間の在住中、一度たりともパトンビーチでは泳いでいない。繁華街のバングラ通りの道端にぶちまけられた吐瀉物や、腐敗を通り越して毒に変成したような水たまり、何より最終的にはビーチへと流れ込む『ドブ川』の汚水に普段から慣れ親しんでいると、それらが溶け込んでいるだろう海水に自分の体を晒そうなどとは、金輪際思わなかった」(224ページ)というのですが、それをこの本の出版に当たって書き下ろした第8章で初めて書いていて、2009年から2011年頃に書いた前半ではまったくそれに触れないまま復興した楽園に観光客が戻ってこないのは風評災害だなどと述べています。
 後半では、汚水を海に垂れ流し続けた結果、2014年には排水路から真っ黒な水が海に流れ込み一帯の波打ち際が黒く染まり、その後も同様の事態が繰り返され、水質汚染やごみの不法投棄等の環境悪化が顕著になっているにもかかわらず、観光客数が復活し賑わっているプーケットを、著者は、夜のツァーの魅力、泥酔と性欲が渦巻く「楽園」として生き残っているとむしろ嘆いているように見えます。
 また、2016年と2021年に書かれた第6章では、前半で書かれているところでは現地の人々の希望としてあり得ず現にそのような意図があるとは思えない被災地ツァーとしてのプーケットの可能性に関して論じていますが、最初から非現実的な話で、ここに入れられてもいかにも観念論的な学者さんのお遊び/自己満足に思えます。
 前半の現地の日本人グループに肩入れして観光客が戻らないことの不条理を言う(その際にプーケットの海がすでに「楽園」というイメージにそぐわない汚染にまみれていることは、実感していても隠す)姿勢と、後半の遠く離れた学者の興味からの冷めた突き放し気味の姿勢の落差に、複雑な/あるいは読者としてもどこか醒めた思いを持ちました。

 この本には関係ないですが、テーマつながりでインド洋津波でのタイのリゾートでの被災を描いた映画についての感想記事はこちら→映画「インポッシブル」

04.それでは釈放前教育を始めます!10年間100回通い詰めた全国刑務所ワチャワチャ訪問記 竹中功 株式会社KADOKAWA
 吉本興業に勤務していたことから刑務所の釈放前指導導入教育員をしていた著者が刑務所の実情等について書いた本。
 「はじめに」で書かれている著者が釈放前指導導入教育員であったということ、タイトルとサブタイトルから、著者が行った釈放前教育の内容、そこでの受刑者とのやりとりや釈放前教育を受けた受刑者のその後とかを経験に基づいて書いているものと期待して読んだのですが、著者が行った釈放前教育に関する話は第2章の前半と第4章の最後、本全体でいえばせいぜい4分の1くらいで、釈放前教育を受けた受刑者のその後なんて話はまるでありません(先生の話を聞いてよかった、釈放後の生活や更生に役立ったなんて連絡してきた受刑者は皆無ってことでしょうか。10年かけて100回も通ったというのに)。
 残りの、この本の大半を占めるのは、法務省矯正局の広報かと思うような、刑務所は受刑者のために至れり尽くせりをしてよくやっているという話です。刑務所に批判的な記載はまったくと言ってよいほどありません。大阪弁護士会が大阪刑務所で受刑者に販売される日用品の価格はティッシュペーパーが市価の約4.5倍など高すぎると申し入れたことを報じた朝日新聞記事について、高額だという事実は否定できないのでしょう、「確かに、もらえる報奨金から見ると、最低限必要な物は格安に提供できたらいいのでしょうが、色々と都合もあると思います。刑務所というところでの物や人の出入りは管理面から見ても簡単ではありません」と刑務所側を擁護する姿勢を示しています(202~203ページ)。
 著者は、受刑者の処遇(前述のようにいいことばかり)に言及しては、税金で賄われていると指摘するなど、この本全体を通じて、刑務所の管理者側と一体になった上から目線の姿勢が顕著です。釈放前教育の「授業」で著者が100万円あげたら何に使うかという質問をしたのに対して、「実は兄弟が7人いるのですが、みんなで東京ディズニーランドとディズニーシーに泊まりがけで行きたいです」と答えた受刑者に兄弟はいないと後で刑務官に聞かされて、著者は開いた口が塞がらないとはこのこととか「嘘撲滅」こそ教育における最大級の優先取り組み事項ではないでしょうかなどと5ページ近くもかけて文句を言っています(133~137ページ)。著者の言う釈放前教育で重要な「コミュニケーション力」って何なのでしょう。お笑い芸人の技術・芸の重要部分はうまく嘘をつくことではないのでしょうか。著者自身、釈放前教育では「100万円を用意しました。24時間以内に使うとしたら、どう使いますか?貯金はダメですよ。ボクが納得する使い方なら差し上げます」と質問しているといいます(107ページ)。それは嘘じゃないんですか? そういう嘘から始める会話を盛り上げようと受刑者が害のない嘘を言ったら、それは許されない、けしからんということになるんですか。私には、そういう著者の姿勢が鼻につく本でした。

03.世界は「 」を秘めている 櫻いいよ PHP研究所
 いつもダボッとしたトップスと細身のパンツ、ハイカットのスニーカーで過ごす周りからはクールで大人びていると見られている玉川つばさが、自分では好きなものがなく選ぶのが面倒だからと同じようなものを身につけ選択肢が与えられたら迷わず最初の方を即決しているだけで「自分がない」と悩んでいたところ、小学校の卒業式の日に初めて口をきいた同級生の雨宮凪良が海辺をカラフルな服を着て化粧をしハイヒールを履いて散歩しているのを見かけ、「似合ってる、ね」と声をかけたのをきっかけに仲良くなり、他方小学校からの親友の小羽からは悪い噂があるから付き合わない方がいいと言われるなどして悩み…という青春小説。
 同じ作者の「世界は『 』で満ちている」「世界は『 』で沈んでいく」があり、『 』シリーズ3作目という位置づけかとも思われますが、共通点は海辺に近い町の中学生の話であること、前の話に出てきた不良グループと噂される男子(和久井将暉、宇賀田悠真)が名前だけ登場することくらいで、連続性はほとんど感じられません。前2作では主人公が前半では観念的で拗くれた言動に走る点が共通していたのですが、今作はそういうこともありません。
 主人公が、小学校時代スカートをはかず、母親がイヤなことはしなくていい、無理するなと口癖のように気を遣っているという設定が、トラウマや観念的な信条という方向で描かれるのかと思ったのですが、玉川つばさはとてもまっすぐで純情な拗くれたところのない人柄で、最後まで清々しい思いで読めました。人間には裏や醜いところがあるのが当然でそれが描かれていないのは嘘くさいという考えを信奉しこだわっているのでなければ、爽やかに読めていい作品だと思います。

02.痛みの心理学 感情としての痛みを理解する 荻野祐一編 誠信書房
 痛みについて、主として脳科学的な見地から、痛みの認識・感じ方への心理的な影響、月経周期と痛み(痛覚感受性)の変化、新生児の痛み、アロマセラピー・リラクセーションの効果、他者の痛みを癒やしたいという心理の根拠、痛みの緩和・痛みに対する耐性を得る手法等を論じた本。
 痛みは感覚と言うよりも「感情」であるということが編者の主張として最初に説明され、現実に痛みを感じたときと痛みを想像したとき(痛そうな画像を見せたとき)の脳活動(脳画像上活発化した部位)が概ね共通している(14~16ページ)、予期(予測)した痛みの程度が小さい(小さな痛みが来ると思い込んでいる)ときには実際の刺激に対応する痛みより小さな痛みを感じる(26~31ページ)、痛みを受けた後の鎮痛は実際の刺激の低下と関係なく刺激が終わるという認識に依存する(31~35ページ)などの実験・研究成果が説明され、なるほどと思いました。もっとも、fMRIによる脳画像は脳の血流が増大していることを示しているもので、それをどう評価すべきかは慎重な検討を要すると考えられますし、被験者が感じる痛みは被験者の申告によっていますので被験者が実際に感じた痛みと申告した痛みが一致しているのかという問題も検討すべきように思えますが。
 「まえがき」で編者は「本書『痛みの心理学――感情としての痛みを理解する』が画期的なところは、そうした疑問にさまざまな角度で答え、日常場面で使えるさまざまな処方箋を示していることである」と自負しています。編者が第9章で「痛みに強い脳をつくる」と題して述べているところでは、ネガティブな感情を抑えつけて表出を抑制するのではなく痛みをより客観視し自身の感情にとってより負荷の少ない意味で受け入れる(認知再評価)、運動療法を行うということが書かれているくらいです。これで「画期的」と言えるほどの処方箋を示しているとは、私には思えないのですが。

01.憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき マシュー・ウィリアムズ 河出書房新社
 人が人種・民族、性的嗜好(LGBTQ+)等によるヘイトクライムを犯すに至る原因について考察した本。
 前半では脳スキャン等の実験や知見を紹介し脅威の認識や憎悪と脳の働き(活性化する部分等)を論じ、脳科学的な解説がなされていますが、これに関しては脳スキャンでわかるのは特定の部位の血流の増加であってそれが脳の具体的な働きや感情とどう結びついているのか等の評価判断には慎重であるべきという意見が研究者からなされ、著者も疑問を投げかけています(141ページ)。各種の心理学系の実験研究が紹介されていますが、その実験結果の解釈には検討の余地がありそうに思える点もあり、なによりも著者自身が度々、だからといって同様の状況に置かれた者が皆ヘイトクライムを犯すわけではないと指摘し、何が偏見を憎悪に変えヘイトクライムを犯すに至るのかが問題提起されます。憎悪を促進するものとして、価値観への脅威やトリガーとなる事件、宗教や過激な思想等が挙げられていますが、結局のところ偏見が憎悪に、暴力に変わる原因や、ティッピングポイント(大きな変化が一気に生じる転換点:350ページ)といった著者が提起した興味あるポイントを説明できているように感じられません。著者自身が最後の章で研究の限界について縷々述べているところです(353~359ページ)。実験研究の紹介と並行して、実際の事件について加害者の経歴や事件に至る経緯を多数紹介していて、読みでがありますが、そこは「科学」というよりはジャーナリズムの文章で、まさにそういう事例があったことは事実でも同じ境遇に置かれた他の人がヘイトクライムを犯すとは限らないものです。
 ヘイトクライムの実例について多くのケースを知るという点では収穫がありましたが、タイトルから憎悪についての科学的な解明や、偏見が憎悪や暴力にエスカレートする原因や機構・機序の理解を期待すると、分厚い本を長時間かけて読んだ結果、今ひとつ釈然としない気持ちで終わると思います。
 刑事裁判で5人の精神医から統合失調症と診断された被告人に対して、ノンフィクション作家が孤独な女性と偽って文通し「医者を騙した」と告白させ、その手紙が裁判の証拠とされて心神喪失が否定されて終身刑となったというケースが紹介されています(212~214ページ)。著者はそれに否定的な評価はまったくしていませんが、ずいぶんと野蛮なやり方がまかり通っているのだなと思います。
 冒頭に、著者がジャーナリストを志して大学院入学を決めていたが犯罪学へと進路を変えることにつながった事件として、ゲイバーから出たところで3人の男に襲われて殴られ同性愛を詰られた経験を書いています(9~11ページ)。ここで著者は加害者の属性について3人の男であること以外は記載していません。私は、この本の趣旨、同性愛を理由に言いがかりをつけてきたことから考えるまでもなく襲撃者は白人だと受け止めました。著者はこの襲撃者について第4章に至って初めて黒人であったことを明らかにします(121ページ等)。しかし、その場面でも著者はそれまで襲撃者の人種を明らかにしなかった理由はまったく説明しませんので、あえて隠したとか読者を試そうという意識ではないようです。著者にとって、路上でいきなり言いがかりをつけて殴る人物は説明しなくても黒人ということなんでしょうか。あるいは私が、悪者は白人だという偏見を持っているということでしょうか。ちょっと悩んでしまいました。

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