庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年5月

14.君の心を読ませて 浜口倫太郎 実業之日本社
 希代の天才春風零が開発した感情を持つAIエマが、ウェアラブル端末(コンタクトレンズ等)を通じてユーザーと交信し、会話をし、さらにはユーザーの心を読んでニーズを先取りして対応することができるようになり、世界中に広まった未来の世界で、学習意欲旺盛なエマが人間の心を読む能力を完璧にするために仕組んだプロジェクトの顛末を語るSF小説。
 予想を超えた展開ではありましたが、春風零が何でもできる天才という設定に依存していて、魔法の世界ではないのですが、そういうこともできるってなっちゃうと何でもありだから…という感想を持ってしまいます。
 感情を持ち人の心を読むAIという先端技術を狂言回しに用いつつ、人の心のありようを意外と楽観的に切なく描いているところがむしろ売りかも知れません。

13.三人の女たちの抗えない欲望 リサ・タッデオ 早川書房
 高校生のときに妻子持ちの担任教師と教室や教師の自宅でオーラルセックスにいそしみ当人はセックスもしたかったが教師から18歳になるまで待とうと言われていたところ18歳になるまでに妻にばれたために教師が会ってくれなくなったということを、3、4年経って教師がノースダコタ州最優秀教員に選ばれた年に告訴して教師と法廷で対決するマギー、郵便配達人の夫が結婚してから自分からセックスを求めてくることはなく妻がセックスを求めてもなかなか応じてくれないことに不満を募らせて高校時代の憧れの人で既婚者となっている男を呼び出してセックスをねだり続けるインディアナ州在住の2児の母リナ、ロードアイランド州のリゾート地でレストランを経営する夫の希望で他の男を入れて3人プレイをしたり他の男とセックスしてそれを夫に報告することを続けていたがレストランの料理人と同様の行為を続けていたのをそれを知らされていなかった妻に知られて詰られて悩むスローンの3人の女たちの様子を書いたもの。
 私は、読んでいてあまり共感できるところもなく、またこの3人を並べることにどのような意味があるのか今ひとつわかりませんでした。3人のエピソードが交替で語られるのですが、等量ではなく3人が規則的にめぐってくるのでもなく、率直に言って読みにくい。この本が想定している読者はどういう人なのか、その読者は誰かに共感して読むのか、共感しなくても他人事じゃない、部分的には自分にも起こりかねないこととして読むのか、なんだかそのあたりが見えにくい思いでした。
 人間は、理想的にも正しくも生きていられないし、人には言えないことをしていたり現実にしていなくても不道徳な願望を持っている、そういうことはあるよねという本なのかなと思うのですが、それでも誰かにどこか共感できたり自分もそうしてしまうかもと思えないと、訴えるものがなく、考えさせられることもなく終わってしまいがちです。この本を読んで、ノンフィクションだというのですからもちろんこの人たちが存在するのでしょうし、敢えてそう言わなくてもこういう人たちがいて、こういう行動をしているであろうことは認識できるのですが、でもこの人たちと近づきたい関わりたいと思えないし、親身になれないだろうなと思ってしまう、ふ~ん、そう、で終わってしまうのがなんだか残念な本でした。

12.グラスバードは還らない 市川憂人 創元推理文庫
 ニューヨークの72階建ての超高層ビル「サンドフォードタワー」最上階に住む不動産王ヒュー・サンドフォードが希少動植物の違法取引をしているという情報を掴んだ警察官マリア・ソールズベリと九条漣は、ヒューへの面会を求めるが受付で拒絶されて、漣はビル内での聞き込み調査を進め、マリアは非常階段から上階へと潜入を進めるが、途中、ビルで爆破事件が起こり…という展開のミステリー小説。
 作者のデビュー作「ジェリーフィッシュは凍らない」(鮎川哲也賞受賞作)に始まるシリーズ第3作で、文庫版解説では「もし本稿執筆時点で、もっとも優れた市川作品を問われたなら、筆者は迷うことなく本作『グラスバードは還らない』を挙げる」とされています(379ページ)。私は、このシリーズは読んでいませんが、この作者の「揺籠のアディポクル」は読んでいましたので、設定はかなり凝りまくったというかここまでの設定するかというようなものだろうと踏んで読みました。そこは、まぁそうかと思いましたが、硝子鳥についての描写と硝子鳥を初めて見たときの登場人物の反応は、作者が気をつかって書いているということはわかりますが、私にはちょっと違和感が残りました。

11.落ち込みやすいあなたへ 「うつ」も「燃え尽き症候群」も自分で断ち切れる クラウス・ベルンハルト CCCメディアハウス
 「うつ」と「燃え尽き症候群」の原因をそれぞれ10採り上げて説明し、必ず治ると読者を励ます本。
 挙げられている「原因」は実にさまざまで驚くような気づきがあります(うつについては、①ネガティブな思考と意図的な悲観論、②BDNFタンパク質の不足と過剰なキヌレニン、③薬による副作用、④未検出の食物不耐性、⑤ミネラル、微量元素、ビタミンの不足、⑥慢性の炎症、⑦SNSとスマホによる社会的行動の変化、⑧放置された、あるいは不適切に治療された不安障害、⑨睡眠障害、⑩トラウマ体験と抑圧された喪失の悲しみの10項目が挙げられています)。しかし、著者は、必ず治ると言うものの、こうすれば必ず治るということではなくて、それぞれの人のうつや燃え尽き症候群の原因が何かはきちんとした医師に診断してもらう必要があり、その治療もきちんとした医師の指示を受けてやらないといけないと言っています(それはそうでしょう)ので、この本を読むことで、自分の場合はこうだ、こうすればいいんだとスッキリする本ではありません。
 著者は、脳細胞は死ぬまで変化し続けるということから、ネガティブな考えを続けると脳のシナプスがそのように組み替えられてネガティブなことに気がゆきネガティブなことに気がつきやすくなる、子ども時代のつらい記憶や経験と向きあえというアドバイスは間違いで、そんなことをすると不快な想い出やつらい気持ちが強くなり絶えずそのことを考えそれに囚われていくだけだというようなことを述べています。ポジティブシンキングで行こう!ですが、ちょっと目からうろこ、かも。
 「仕事の量は、与えられた時間を使い切るまで、支出は、収入を使い切るまで膨張する」(125ページ:「パーキンソンの法則」だそうです)…前者は、私の場合、至言です。仕事の性質上、仕方ないと思っているのですが(記録を読み込めば何か思いつくことが多いし、考え続ければ何か思いつくことが多い。しかし必ずそうとも言えない。労力をかけようと思えば限りなくかけられる。その労力でよりよいものができるとは限らないけれど、できるかも知れないと思うとやろうと思ってしまう)。メールに返信するのは午後3時から4時の1時間と決めると仕事が効率的になり空き時間を作ることができる(126ページ)というアイディアは、勇気がいりそうですが魅力的に思えます。やってみようかなぁ…
 「本を読みましょう。イエール大学の調査によると、本を読むと、1日に1章を読んだだけで、平均して寿命が2年延びるといいます」(127ページ)って、それなら「年間300冊読んだら」(そんなことができたのはもう十数年前ですけど…)不老不死か…
 むしろ本来のテーマとは違うところでいろいろなヒントを感じた本でした。

10.再任拒否と司法改革 司法の危機から半世紀、いま司法は 宮本康昭、大出良知 日本評論社
 青法協攻撃の中で行われた1971年の裁判官再任拒否と1990年代から2000年代にかけての一連の司法改革について、前者の当事者であり後者の日弁連側の実務の中枢を担った著者(宮本康昭氏)に対して青法協元議長の著者(大出良知氏)がインタビューしたものと従前書かれたものを合わせて出版した本。
 再任拒否の経緯については、当事者の話であり具体的な経過についての貴重な資料ではありますが、50年前の話のため、本人もよく覚えていないというところ(覚えていても関係者の迷惑になりかねないから言ってはいけない話もあるのでしょうけれども)もあり、ちょっともやっとしたところが残ります。
 司法改革については、当時日弁連官僚(広報室嘱託)として脇で見ていた私には、宮本康昭氏が中坊会長に便利に使われて運動の中心であった司法問題対策委員会と板挟みになり刺抜きの悪役を担わされて苦しめられていたように見えましたが、本人は、自分自身の判断でよかれと思ってやった、司法改革で日弁連があのように振る舞わなければどれほど酷いことになったかということを語っています。運動を自分が担う立場になると、原則論では闘えない、情勢と彼我の力量を見て相対的に良い道を選ぶしかないということでありますが。
 読んでいて、話がなぜ今?という印象のところがあり、またこの本がなぜ今出版されるのという気がしましたが、あとがきを見るとこの本の企画とインタビューは10年以上前に始まったのだとか。いろいろあって中断していたものが、人事による支配を目論み、最高裁判事選任も前例も無視して恣意的に行う権力者が出現して1970年代の司法の危機と類似の状況が来たという認識で今出版されたということのようです。

09.そこにはいない男たちについて 井上荒野 角川春樹事務所
 不動産鑑定士として開業している夫光一の秘書的な業務をしながら夫が話を聞いていない、応答しない、妻との夜の接触を必要最低限にしている、寝室でも寝たふりをしている、ここ1年ほどは完全にセックスレスだという事情から夫を嫌い、マッチングアプリに登録してこっそり男と逢瀬を試みる能海まりと、古書店を経営していた夫俊生が急死し何を見ても夫を思い出して泣き暮れて1年余を過ごしようやく料理教室を再開したがなかなか立ち直れない園田実日子の2人が過ごす日々を交替に綴った小説。
 亡き夫と仲良く過ごした日々を思い出し続け、夫を恋しく思い、その喪失に落ち込み続ける実日子と、同居している夫が構ってくれないことを呪い「いないも同然」として実日子より自分の方がずっと不幸だと憤るまりを並列させ、けなげな実日子とあまりにもジコチュウのまりを対照的に際立たせています。人間は、誰しも自分しか見えない、自分が一番苦労しているなどと思いたがるものではありますが、自分が思うように反応してくれない、自分の思うように相手をしてくれないというだけで、浮気もしていない、妻に対しては暴力はもちろんのこと怒鳴ることも高圧的な態度を取ることもない夫を徹底的に嫌い自分は不幸だと言い募るまりには全然共感できないし、こういう人の気持ちをわかりたいとも思えません。こういう人、いくらでもいるんでしょうけど、率直に言って関わりたくないなぁと思ってしまいます。
 しかし作者は、最後にこの2人が、共通の属性を持っている、ある意味で似たものと示唆して、読者をハッとさせようとしているのでしょうか。そうすると素直でないまりは不器用な可哀想な人という位置づけにもなるのでしょうけれど、でも、それでも、ここまでジコチュウな態度を取られるとそれは自業自得、やっぱり周りにいたらお付き合いしたくないなぁという気持ちは動かない気がします。

08.善医の罪 久坂部羊 文藝春秋
 くも膜下出血で意識不明となり搬送された患者からそれ以前に無益な延命治療は受けたくないと言付けられていた医師白石ルネが、家族に助かる見込みはなく延命治療を続けても多臓器不全、下血で状態が悪くなっていくだけと説明して家族の同意を得て気管チューブを抜くが、患者が警笛のような声を上げ続けて小さな子どもたちが動揺する中、声を止めるために焦りながら筋弛緩剤を点滴して声を止め患者がそのまま死亡したところ、3年後になりルネを嫌う麻酔科医大牟田と看護師堀田がそのときの看護記録を発掘して問題にし、遺族に知らせるなどして大騒ぎになり、白石が逮捕され刑事事件となるという小説。
 あまりにも「終の信託」と似ていることが気になりましたが、「終の信託」も、この作品も、どちらも川崎協同病院事件(1998年11月患者死亡、2002年12月医師逮捕)を題材としたものなのですね。作者の属性に従い、「終の信託」が司法の側から、この作品が医師・病院の側からみているという違いなのでしょうか。この作品の方が、告発者と病院側の悪意・悪辣さが強調されている感じがします。同時に、医者側をクライアントとする弁護士への強い不信感が目に付きました。いくら何でも(私が好まない金持ち側の弁護士でも)病院の依頼を受けながら医師個人に医師には不利になる助言をして騙そうとしたり、ボス的な弁護士の意向には逆らえないと自分の依頼者を売るようなまねをする弁護士がいるとは、私には思えないのですが。医師出身の作者が、医者をクライアントとする弁護士よりも患者側の弁護士を誠実な弁護士と描いているのが、目を引きました。医師側の弁護士の不誠実な対応を経験したのでしょうか。
 冒頭の場面で、延命治療を継続することが患者の状態を悪くし、悲惨な状態にするということが、病院サイドの共通認識として、明言されています。ちょっとここが、ある意味で新鮮、ある意味で疑問に思えてひっかかりました。医療従事者にとってはそれが常識で間違いないのなら、延命治療に対してもっと広汎に否定的な意見が拡がるのではないでしょうか。医療の不確実性というか、ケースによりさまざまなことがあり得、確実な予測というのは難しいというところで、そんなに明確には判断できず、延命治療の是非もケースによるし、それぞれのケースでの判断・評価も分かれうるのではないか、現場はもっと悩ましいのではないかと思います。そこを、医療従事者にとっては延命治療など百害あって一利なしだが法律家連中と家族がうるさいからやっている、それでいいのかという単純な図式に持ち込むのは、かえって問題提起の正当性を曇らせてしまうような気がしました。
 また、事件の発生時期について設定の説明がないため、当然に現在を起点に読んでしまうのですが、そうすると、裁判の場面で、なぜ殺人事件として起訴されたというのに裁判員裁判じゃないんだろうという疑問を生じます。実際の事件は裁判員裁判制度開始前の事件ですから当然裁判員裁判ではありません。その資料をベースに作ったからそれを裁判員裁判に書き直すなんていうのはそれこそ本当の法律家でないと無理ということなんでしょう。でも読者が当然に感じる疑問に配慮すれば、それなら事件設定を実際の事件が起こった頃にしておけばいいのにと思います。作者が、なぜ今頃になってこの作品を書き下ろしたのか、「終の信託」がすでにあるのになぜさらに書いたのか、そこに意味があるのなら、(最後に川崎協同病院事件の医師の著書を「参考文献」として示すだけではなく)もう少し説明していただいた方がいいように思いました。

07.倒産法入門 再生への扉 伊藤眞 岩波新書
 破産、民事再生、会社更生、特別清算の手続とそれらの手続を通じて生じる債務者、債権者、その他の利害関係人との法的な関係について解説した本。
 前半は、破産(個人、法人を通じた清算型手続)、民事再生(個人、法人を通じた再生型手続)、会社更生(株式会社のみを対象とする再生型手続)、特別清算(株式会社のみを対象とする清算型手続)の4種類の法的整理について、概説し、その共通点と相違点を説明しています。簡潔な説明で、これくらい簡潔に説明できるのかと感心しましたが、破産の免責/免責不許可事由の説明では、実務上は免責不許可のポイントになりやすい破産管財人に対する説明義務違反には言及して欲しかったと思いますし、破産免責(個人だけが対象)の説明を続けた後で続く民事再生で個人再生の話がまるまる省略されたのはちょっとはしごを外された感じがしました。やはりそこは個人の場合の破産と個人再生(民事再生)の関係(共通点、相違点)を説明して欲しいと思いました。
 後半で、手続全体を通して債務者と管財人等の手続主宰者の関係、法的手続が開始されることが持つ意味、契約関係への影響(継続させることの価値と債権者平等/保護の価値)、債権者を害する行為の法的な評価とその効果を否定する手段(否認権等)、担保権者の扱いと相殺を許す範囲などを論じていて、こちらは、実定法だけではなく立法論も含めて、倒産に当たって、債務者と債権者、その他の利害関係人の関係の利益考量、優先順位、あるべき姿を考えさせています。著者としては、こちらの方が書きたかったのでしょうね。企業活動、経済活動をめぐり、金貸しやその世界で儲けを図る者たちが編み出すさまざまな実質的な担保・優先権を得る法的な枠組みについて、公正・公平を図る観点から、少し苦言を呈しています。
 倒産法制全般についての簡潔な解説とそういった老学者の示唆も含めて有益な読み物と思います。ただし、著者はできるだけ平易に解説したといってはいますが、やはり法律用語が飛び交い、詳しくは専門書をという部分が多いため、易しく読めると感じるのは業界人だけかとも思いますが。


06.やばいデジタル “現実”が飲み込まれる日 NHKスペシャル取材班 講談社現代新書
 インターネットの発達によるフェイクニュースの蔓延とプライバシー侵害をテーマとしたNHKスペシャルの番組とその際の取材をまとめた本。
 SNSによる世論操作の手法としてツイートのボットによる拡散とインフルエンサーによる拡大、実在するアカウントを利用した人気投票への投票や「いいね」やコメント付けが紹介されています(80~86ページ)。そこでは自分のSNSについて「いいね」を増やすアプリ(そういうのがあるんですね。知りませんでした)をダウンロードすると、管理者に自分のアカウントを自由に使っていいという許可をしたことになり(ダウンロード前に「同意」ボタンを押す誰も読まない「規約」にそう書いてあるんでしょうね)、管理者は実在する他人のアカウントを使ってあちこちに自由にいいね」したり、コメントを付けられると書かれています。勝手に自分の名前で「いいね」したりコメントしたことにされるって、いくらなんでもあんまり。
 フェイクを暴き、ボットによる操作の手法を記事にして、ボットを見つけ出す手法を開発した記者は脅迫されて仕事を辞めたいとさえ思っていると述懐してる(91~93ページ)というのも哀しい。
 検索データだけで住所、職業、氏名、容貌(顔写真)、食習慣、異性との交際歴、病歴、趣味等を特定する実験が行われ、ほとんどが正解されています(108~152ページ)。私は、できるだけ検索は Startpage にしているのですが、それでも facebook でのクリックとか、楽天トラベルなんかで見たページがすぐにあちこちで反映されて広告に追われます。ネット社会には本当のプライバシーなんてないと考えて行動せざるを得ないですね。

05.アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した ジェームズ・ブラッドワース 光文社
 ジャーナリストの著者が、アマゾンの倉庫でピッカー(注文された商品をピックアップする労働者)として働くためにイングランド中西部のルージリーに住み(第1章)、訪問介護労働者としてケアウォッチで働くためにイングランド北西部のブラックプールに住み(第2章)、保険会社アドミラルのコールセンターで働くためにウェールズ南部のサウス・ウェールズ・バレーに住み(第3章)、ロンドンに戻ってウーバーのドライバーとして働いて(第4章)、それぞれの地域で見聞きした底辺労働の実情などを綴ったノンフィクション。
 邦題と章タイトルからは、アマゾン、ケアウォッチの訪問介護、アドミラルのコールセンター、ウーバーでの労働の実情が中心であるように見え、期待しますが、著者がそれらの労働に従事して直接経験した事実についての記述は少なく、移り住んだ地域で知り合った底辺労働者の話やそれらの地域について著者が調べたり聞いたことについての記述が大部分を占めています。アマゾンやケアウォッチ、アドミラル、ウーバーについての評価も、客観的事実、経験した事実よりも他の労働者のインタビューで主観的感情的に書いているところが多く、せっかくジャーナリストが自ら労働しているのに、残念な読後感でした。
 アマゾンについては、労働者の挙動が分解されて管理され、機械的にもっと速くと急かされる様子、休憩時間が30分と10分が2回に分割されて与えられ、倉庫の奥から所持品検査を経て食堂等に行くまでに休憩時間の多くが過ぎ去りほとんど休憩できない、アマゾンのような大企業でも労働者に労働契約書を渡さない、賃金が全額支払われないことが度々ある、4階建ての倉庫で1階にしかトイレがないなどが目に付きますが、正社員登用(ブルーバッジ獲得)について9か月の契約期間ピッキング目標を常に上回りいつも時間どおりに出勤し規則を破らなかったのに登用されなかった、マネージャーの要求するとおりのシフトで3か月も働いたのに登用されなかった(55~56ページ、29~30ページ)とか、「1日まさかの10時間半労働」(56ページ)なんて言われると、イギリスでの非正規労働はそんなに甘いものなのか、日本より恵まれてるんだなぁと思ってしまいます。日本で私が相手にしている会社ではそんなのごくふつうというか、労働者側がそれを酷いと思うこと自体がまれだと思います。どこの国でも強欲な企業と経営者は悪辣なことを考え続け、隙あらばさらにやりたい放題をやろうとするものだということでしょうけど。
 訪問介護では、介護労働者が自動車で訪問先を渡り歩き、決められた訪問先をこなすためにきちんとした介護ができず、アクシデントがあっても高齢者を見捨てるように次の訪問先へ急がなければならないなどの様子は、ケン・ローチの「家族を想うとき」のアビーの労働にも描かれていましたが、悩ましいところです。英語が読めない移民労働者が増えて、投薬管理記録に記入せず、その後に来た別の介護士が再び投薬するリスク(142ページ)なども、考えさせられます。
 アプリの指示(リクエスト)に従わなければ排除されるために結局ドライバーは指示どおりに動かざるを得ないのに、ドライバーは従業員ではなく自営業者で何の保証もなく「あなた自身が社長」などというウーバーの欺瞞性は明らかですが、そこはもっと具体的な事実を書きだして暴いて欲しいところです。著者の書きぶりはまだ遠慮が見られるように思えます。
 現実に経験した部分の話はわかりやすく、読んでためになるところが多いのですが、著者が知識を披露し意見を述べる部分(この本ではそっちの方が多い)では、イギリスの歴史や文化、世情をベースにし、かつ皮肉っぽい諧謔趣味の文章が多く、訳者がそこに注力しないで訳しているきらいがあって、素直に読むと意味が取れないというか首をひねる部分が多く、読みにくく思えました。

04.それでも、僕は泳ぎ続ける。 心を腐らせない54の習慣 入江陵介 株式会社KADOKAWA
 ロンドンオリンピックで銀メダル2つと銅メダル1つを獲得し、金メダルを目指して臨んだリオデジャネイロオリンピックでメダルなしに終わり、今東京オリンピックの行方も見えない状態の水泳選手である著者が、これまでの自分のトレーニングやメンタル・モチベーション維持のために考え実践してきたことを語る本。
 「水泳選手特有なのかも知れませんが、基本的に週休2日でも2日間連続で休むことはありません。なぜならば、1日、2日泳がないだけで『泳ぎの感覚』が変わってしまうからです」(41ページ)。練習を1日休むと自分にわかる、2日休むと批評家にわかる、3日休むと聴衆にわかる(イグナツィ・パデレフスキ)の世界ですね…
 「ワクワクしながら挑んだ試合は、実際に良い結果が出ています。逆に結果が悪い試合は、大会自体楽しめていないケースばかりです」(95~96ページ)。そういうものか…弁護士の場合だとイヤな依頼者の事件は楽しめて…アワワワ
 短所を克服するより長所を伸ばす(115~117ページ)。私もそのとおりだと思います。プロとして、マイナスの少ない闘いを心がけるべきことはあるのですが、やはり多少のリスクを負ってもプラスを取りに行く方がいい結果を残せることが多いと思います。
 負けることで自分のやり方を分析でき、これまでのやり方を変えることができる(157~160ページ)。負けたときはそう思って、転んでもただでは起きないように学びましょうということですね。
 簡単に読めて、しかしいろいろと乗り越えてきた人の言葉でもあり、感慨があります。ページ下のパラパラ漫画が背泳ぎで2往復分ありますが、せっかくならもう少し変化を付けて欲しい気がしました。

02.03.私を見て、ぎゅっと愛して 上下 七井翔子 河出文庫
 婚約者がいながら出会い系サイトで漁った男たちに乱暴に扱われるセックスにふけることに喜びを感じ、それをブログに書き多数の読者からの反応に恍惚となるという著者のブログ経験を出版した本。
 初期の売りになっている著者の出会い系サイトを利用した多数の男たちとのセックス、セックス依存症経験は、母親との関係、幼い頃に母親に愛されなかった経験が原因とされていますが、それが発覚したわけでもないのに婚約者の心が離れて著者が追う立場になるや、影を潜めてしまいます。むしろ、婚約者から愛されているのにいけない私、みたいな背徳感、スリルにのぼせていた、いい気になっていたんじゃないかとも思えてしまいます。
 親友と婚約者ができてしまったとき、親友を全然恨んでいない、自分にとって親友が大事、その幸せを願うというのですが、そうだったらそれを1日2万件もヒットしているというブログに、それも本人に確認したり話し合う前に書きますか?そんなに読者がいるなら、当然、いくら匿名でも、周囲の人だって読んでいるでしょうし、関係者に伝わるでしょうし、仮にそのときすぐにそうならなくてもいつかは発覚するでしょう。書くこと自体が復讐なのか、あるいは親友より何より書くことの恍惚が優先なのか。それがセックス依存症以上に快感だったんでしょうね。
 周囲の人、特に弟に、婚約者や「親友」を声高に詰らせ、自分はそれをなだめる役に回る。高校の時に、「土左日記」の最後に紀貫之一行が都に戻り、人に託した自宅が荒れ果てているのを見て、家来が声高に文句をいうのを紀貫之はそれをなだめるという場面で、古文の先生が、家来が言ってくれるからそれで気が済んで鷹揚に振る舞ってるんですねとコメントしたのを聞いて、なるほどと思ったのを思い出しました。

01.Q&Aでわかる業種別法務 学校 日本組織内弁護士協会監修 河野敬介・神内聡編 中央経済社
 組織内弁護士(開業弁護士でなく、企業や自治体等に雇用され専属で働く弁護士)の任意団体「日本組織内弁護士協会」が、「満を持して」(「シリーズ刊行に当たって」の表現)出版する業種別法務の解説書シリーズのうち、学校(小中高校、大学・大学院、専門学校、通信制学校)の法務についてのもの。
 外部の弁護士(開業している弁護士)を顧問弁護士などにして相談するよりも組織内弁護士を雇うことの方がいいということが強調されています。「現状では教育委員会から特定の相談業務を委託された外部の弁護士をスクールロイヤーと呼称する風潮がありますが」「組織内のスクールロイヤーは、組織外のスクールロイヤーよりも学校現場と接点を持ち、子どもたちの利益の実現のために貢献しています」「本書の特徴は、学校組織で勤務する組織内弁護士が、外部の顧問弁護士では気づきにくい着眼点や、学校組織として考慮しなければならないポイントなどを交えて、学校法務の実務を解説している点にあります」(9ページ)、「学校にほとんど現れない弁護士をそもそもスクールロイヤーと称してもよいのかなどといった疑問もあります」(194ページ)など、組織内弁護士を売り込むことに熱意が感じられます。いじめの調査組織を設ける時には専門家である弁護士を入れろと3回も繰り返しています(146ページ)。
 組織内弁護士は、その組織の事情に詳しくなるという利点がある一面で、裁判実務の経験に乏しく他の領域を含めた幅広い実務経験がないという欠点があると考えられます(裁判実務や他の領域も含めた経験が豊富な弁護士を雇用することも理論上は可能ですが、現実的にはそういう弁護士が魅力を感じるような条件を提示する組織はまずない)。常識的な弁護士であれば、そういう事情を冷静に説明してそれぞれの利点を活かしましょうというような本を書くと思うのですが、先に紹介したような書きぶりを見て驚きました。
 「最近の深刻な法律問題である教員の労働問題については、日本弁護士連合会や文部科学省はスクールロイヤーの役割として想定されていません」(194ページ)という記載は、文意が不明ですが、組織内弁護士が教員の労働問題について外部の弁護士よりも精通し対応できると言いたいのでしょう。悪いけど労働問題は私の得意分野なので、言わせてもらいますが、この本で労働問題に関しては、大半が基本書・解説書をまとめたレベルの記載で、判例をきちんと分析したり裁判実務の経験を反映した記述は見られません。教員に退職後の競業避止義務(同業他社に勤務しない、競業他社を開業しない)を課することの可否についてヤマダ電機の事件の判決などごく一部の判決を挙げてそのレベルで説明しています(48~51ページ)。競業避止義務に関する裁判例はさまざまで一定の傾向を見ること自体が難しく、裁判例の傾向を解説したり見通しを立てることが難しい分野です。その意味では他の基本書・解説書でも今ひとつの底の浅い解説がなされることが多い分野です。しかし、教師は国家資格を有する専門職です。教師が退職した後、教師以外の仕事をしろと言われたらそれに応じなければならないのでしょうか。そのような者に退職後の競業避止義務をそもそも課すことができるのかということは1つの問題です。裁判例でも学習塾の講師については、競業避止義務を課すことが有効とされているものがあり、その場合はそれほど特殊性が論じられていませんが、教師についてはそれが争われた裁判例自体見ませんし(私が知らないだけかも知れませんが)、少なくとも国家資格による専門職であることは重要な考慮事項になるはずです。そもそも学校が教師に退職後の競業避止義務を課そうというニーズが本当にあるのか(このような設問が学校法務の実務から本当に出てくるのか)が疑問ですが、このような設問を作る以上、回答に当たっては教師に退職後の競業避止義務を課すことができるのか、その場合他の業種とは違う考慮が必要になるのかが論じられるべきだと思います。それがその業種について通じているということでしょうし、「外部の顧問弁護士では気づきにくい着眼点」に気づくということではないのかと思います。この本の執筆者はそのことがまったく頭にもないようです。この本の執筆者は、同じく国家資格を有する専門職である弁護士=自分が、退職後は同業他社(別の弁護士事務所)への勤務も競業(弁護士事務所の開業)も禁止するといわれたら受け容れるのでしょうか。
 労働問題の分野以前に一般的な法律の素養を疑わせる記載もあります。競業避止義務の説明で退職者にも職業選択の自由があることに言及されています(当然の言及です)が、ここで「職業選択の自由(憲法23条)」という記載があります(48ページ)。職業選択の自由は憲法22条で、憲法23条は学問の自由です。些細なミスといえるかも知れませんが、学校法務を専門とする弁護士が「憲法23条」と書くときにそれが学問の自由の規定で職業選択の自由の規定でないと気づかないのでしょうか。違和感を覚えないのでしょうか。副教材の代金を支払わない保護者に対してそれを立て替えた教員が請求できるかを議論しているところで、民法703条の不当利得の規定の「法律上の原因なく」について保護者の利得に法律上の原因がないことを指摘するのに「法律上の原因(保護者の同意)がない」(177ページ)という記載があるのには驚きました。保護者の利得に法律上の原因がないという説明では、法律上の原因は保護者に無償で副教材を用いる権利がないとかその費用を学校や教員に負担してもらう権利がないということをいうべきで、それがないのに費用を出してもらう(立て替えてもらう)ことが不当利得です。保護者の同意が法律上の原因だったら、保護者が立替に同意したら保護者に不当利得がないことになって、教員は立て替えても費用を請求できないというおかしな議論になります。この執筆者はそれがおかしいと思わないのか、民法の基本的な概念が理解できていないのではないかと疑問に思えます。研究不正行為について「評価根拠事実が認定され」という記載がある(210ページ)のに、「評価根拠事実」という言葉を使えば必ず言及すべき「評価障害事実」(評価根拠事実による一応の推定/認定を覆す事実)にまったく言及されていません。この執筆者は評価根拠事実という概念、規範的要件事実の立証構造を理解しているのでしょうか。
 学校特有の業法的な領域、いじめ対応や産学連携などは、新たな知識を得ることができて読んでみてよかったと思います。私が指摘した問題点は一部の執筆者の資質の問題で他の執筆者は一緒にされて迷惑かも知れません。しかし、この本のどこにも執筆分担の記載がなく、日本組織内弁護士協会という団体自身が「監修」しているのですから、それでこのような記述等がそのままになっていると、この団体自体の水準にも疑問を持ってしまいます。私は、組織・団体の顧問をするつもりはなく(基本的に個人だけを依頼者としていて、顧問先もすべて個人です)、この団体に対して利害も他意もありませんが、これで冒頭に指摘したような自分たちこそエキスパートだなんて記述をされると、世間をなめてるんじゃないかと思ってしまいます。

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