庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年10月

09.テロ フェルディナント・フォン・シーラッハ 東京創元社
 ベルリン発ミュンヘン行きの164人の乗客を乗せた航空機がハイジャックされテロリストは7万人の観客が観戦中のサッカースタジアムに墜落させると機長に通告し空軍機が飛行進路妨害をしても警告射撃をしても反応しなかったため空軍機パイロットの少佐が「いま、撃墜しなければ数万人が死ぬ」と叫び航空機を撃墜したという事件について、被告人は有罪か無罪かを問う裁判劇の戯曲。
 裁判劇の形ですが、7万人の観客の命を救うためならば164人の命を犠牲にしてよいかという観念的/哲学的な命題の論争を目的とする本です。
 日本の刑法第37条には、このような場合に少佐の行為を正当化する「緊急避難」の規定(危害にさらされた人等を守るためにやむを得ず別の人に危害を与えることになってもそれを罰しないという規定)があり、弁護士にとって実定法上は(哲学的/倫理的には別として)あまり悩まずに答えを出せるのですが、ドイツでは近親者のための緊急避難の規定はあっても見知らぬ他人のための緊急避難の規定はないそうで(日本の刑法はドイツから受け継いだもののはずで、少しびっくりしました)、そこらから悩ましい問題提起のようです。
 弁護士の眼には、現実の裁判での感覚とは違う観念的な議論に聞こえ、問題の立て方自体が、実務的でないように思えました。
 そこは、モバイル新館で記事にすることにしました。→「テロ」( F.v.シーラッハ)を題材に刑事裁判を考える

08.労働法実務解説3 労働時間・休日・休暇 棗一郎 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの労働時間・休日・休暇関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 「はじめに」の冒頭から示されているように、過労死を生む長時間労働を強いる労働現場(経営者)への怒りがこの本全体の基調となっており、著者の主張がにじみ出るところが多くなっています。同じ労働側の弁護士として、意見部分に賛同する点が多く、快く読めてしまうのですが、そういう視点からの本だという認識で読むべきでしょう。
 管理監督者(深夜労働に関する規定以外の時間外・休日労働に関する規制が及ばない)の判断基準(32~47ページ)、固定残業代(158~174ページ)、事業場外みなし労働(事業場外での労働時間について「労働時間を算定しがたい」場合には実労働時間にかかわらず一定の時間/多くは所定労働時間の労働、とみなす制度:176~196ページ)は、よくまとまっていて、実務上大変参考になると思います。
 シリーズ全体でのテーマの割り振りの問題ですが、労働時間に関しては実務上は残業代請求との関係で問題になる論点が多いにもかかわらずこの本では残業代請求そのものは扱わないため、説明の目的というか焦点が残業代請求と連携せず、そこが少し読みにくいかなと感じられました。
 このシリーズでありがちな、2008年時の記述が見直されていなくて、最新情報に差し替えてほしいなと思う部分や、誤植・変換ミスが通常の書籍よりも多いと感じられるという問題はやはりあります。

07.アメリカ民事手続法[第3版] 浅香吉幹 弘文堂
 アメリカの民事裁判の手続(日本で言えば民事訴訟法に当たる部分)の解説書。
 世間では、アメリカの民事裁判は迅速で、日本の民事裁判は遅いと考えられがちですが、2015年に連邦裁判所で正式裁判手続(トライアル)を経て終了した事件の訴え提起から終了までの期間の中央値(「平均値」よりは短くなる傾向)は、全体でみて26.8か月、陪審トライアルで27.7か月、裁判官によるトライアルで24.1か月だということです(8ページ)。以前から、アメリカの民事裁判はトライアルが始まると集中審理で1週間程度で終了するけれども、それに至るまでの準備で長くかかり、トライアルの期間だけを見てアメリカの民事裁判は迅速と言いたがるマスコミの評価は間違っているということは知っていましたが、具体的に数字で示されると、こんなにかかっているのか、むしろ日本の民事裁判よりよほど遅いじゃないかと改めて認識しました。
 アメリカの連邦最高裁での口頭弁論では、通常両当事者にそれぞれ30分ずつの時間が割り当てられ、「弁護士はあらかじめ準備してきた弁論原稿を読み上げればすむものではなく、裁判官からのさまざまな質問にさらされる」(183ページ)というのが、新鮮でした。日本の最高裁での弁論は、ふつうは10分程度しかくれず、事前に弁論原稿を提出するように求められた挙句に調査官がその内容をチェックして訂正を求めることさえあり、予定原稿を読むだけの儀式に終始しがちなのとは、ずいぶんと違うなぁと思いました。最高裁での弁論で裁判官からガンガン質問されたら痺れるでしょうけれど、私は、むしろそういう緊張感のある弁論をしてみたいなぁと思います。
 キャリフォーニア州、オハイオウ州、テクサス州、プエルト・リーコウ準州(日本語IMEが対応してくれない…)など表記に独特のこだわりがあり、クセの強さを感じさせます。

06.武道館 朝井リョウ 文藝春秋
 武道館ライブを目指す売り出し中のアイドルユニットの心情を描いた青春小説。
 生きていく上での選択、自分が選択する以前に周りから定められ/期待されている選択、「正しい選択」をしようとして何が正しいのかを思い悩み戸惑いためらう姿、予め正しいとわかる選択などない、「正しかった選択」にするのだという吹っ切り、といった自分の意思での選択をめぐる問いかけをテーマにしています。アイドルとしての生きざまだけでなく、「その欲をかなえるために、まず無料でできる選択をするようになったのは、いつからだったろう。」(114ページ)と、一消費者としての選択にも疑問を投げかけています。「だけど、無料で手に入るものとはつまり、全員が同じように手に入れられるものだ。」「そんな銀河の中に、自分を、自分だけを形成してくれるものは、あるのだろうか。」(114ページ)はどうでしょうか。ある意味であまりこだわりのないことがらであれば質を犠牲にしても無料のものを選ぶというのも、その人の選択だし、有料だから、高いからそれに見合った質が確保されているとも言えず、自分がその質を見極められるなら質と価格をにらんで選択することもありだと思います。ただ自分にとって重要なことで、質を見極める目がないときに、それでいいのかなぁとは、思いますけど。業界人としては、人生かかったような事件で、数千円とか1万円くらいの相談料を惜しんで無料の法律相談とかさらにはネット情報を自分でいいように判断して対応するのはどんなものかなと。その人にとってたいしたことじゃないからそうしてるんだと思うことにしていますけど。
 アイドルのファンの姿を「人って、人の幸せな姿を見たいのか、不幸を見たいのか、どっちなんだろう」(166ページ)と問題提起しています。ネットの世界では、後者の人たちが多いのだろうという書きぶりです。それは、アイドルのファンということに限らず、ありがちで、そういう投稿を見るにつけ、悲しくなるのですが。

05.ドンナ ビアンカ 誉田哲也 新潮文庫
 作者得意の女性刑事シリーズの1つ「魚住久江シリーズ」の長編第1作とされる警察小説らしいのですが、酒屋の配送員/中華料理チェーン店副店長の中年男の中国人キャバクラ嬢との不器用な純愛ドラマとみた方がいい作品。
 村瀬の瑶子/楊白瑶に寄せる思い、ただ定食屋にいる姿を眺めること、定食屋でともに食事をすることで満たされ癒される心情とときめき、自らの出自・境遇とキャバクラ嬢として/上司の愛人としての瑶子への屈折した思いからくる卑下と自虐の繰り返しが、哀しくも切ない。こういったささやかな幸せを求める気持ち、おじさんになると、よくわかる。そのささやかな幸せにもなかなか手が届かないことのもどかしさとそれに卑下してしまう情けなさも。そういう切なさともどかしさを味わう作品だと思う。
 ミステリー仕立てではありますが、その行先は何となく見えてしまい、そこにポイントを置いて読むと、なんだと思うでしょう。

04.学校では教えない「社会人のための現代史」 池上彰 文春文庫
 元NHK記者の著者が東工大で行った「現代世界を知るために」と題する連続講義を出版したもの。東工大講義3部作の最後だそうです。
 世界史になると、著者の共産主義と計画経済への嫌悪感があらわになります。この本では、もっぱら戦争について、歴史から学ばなかったのかと嘆いています。「50年前の核戦争から、世界は何を学んだのでしょうか」(119ページ)、「米国は、一度はベトナム戦争に学んだのですが、まもなく忘れ去り、同じような悲劇を繰り返しています」(137ページ)、「自国の都合で他国に手を突っ込むと、結局は自国に難題が降りかかることがある。各国とも、これを繰り返してきたのです。こうした愚かな歴史を知ることで、少しでも失敗を繰り返さないようにする。これが現代史を学ぶ意味なのです」(242ページ)。このあたりがこの本を貫く主張のように見えます。
 コラムで、学校で現代史をほとんど教えないのはまだ「定説」になっていないからと書き、東工大の学生たちには、「池上の話は正しいのか?」と批判的に聞く姿勢を忘れるな、と伝えていますとしています(31ページ)。趙紫陽について「趙紫陽(1919~2005)」「失脚後は20年以上自宅に軟禁された」と記載されています(165ページ)。1989年6月の天安門事件で失脚し、2005年に死亡した趙紫陽がどうして「自宅で20年以上軟禁され」続けられるのか、「池上の話は正しいのか?」。
 韓国・朝鮮人の名前は現地読みでフリガナを振っていながら、中国人はフリガナを振らない(李登輝と江沢民だけ、日本語読みでフリガナを振っている)のはなぜなのでしょう。

03.この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰 文春文庫
 元NHK記者の著者が2012年前期に東工大で行った「現代日本を知るために」という連続講義を出版したもの。
 東日本大震災と津波被害で壊滅的打撃を受けた地方の復興への展望を、日本全国が焼け野原だった戦後からの復興を思い起こすことから始め、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を強調しています。
 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉は、あとでバブルとその後の長いデフレ、「バブルの甚大な被害」を語った後、「アベノミクス」でデフレ脱却となるかバブル再来となるかという文脈で登場します(251~252ページ)。あとがきに代えてでも重ねて触れていますから、そこが一番言いたかったのかもしれません。しかし、そこは結論的判断は避け、「注目しましょう」で終わっています。あとは、学力テスト復活をめぐる混乱のところで「日本の教育行政は歴史に学んでいない」と述べています(144ページ)。
 他方、現代政治史では、自社さ政権での社会党の180度転換、鳩山首相の普天間基地移転問題をめぐる「無責任な発言」、小沢一郎を軸とした政局など、野党側への厳しい評価が目立ちます。これは、著者の体質なのか、この講義当時は民主党政権時代なので権力へのチェックの視線なのか…

02.テレビ・新聞が決して報道しないシリアの真実 国枝昌樹 朝日文庫
 元在シリア特命全権大使だった著者が、2006年~2010年のシリア駐在期間の経験及び2010年の外務省退官後のシリア関係者との意見交換等の情報をもとに、シリアの政治・内戦等をめぐる情報について、マスコミの報道やアメリカ政府の主張が誤っていることを論じた本。
 著者の主張の内容は、基本的には、シリア政府(アサド政権)の説明が正しく、反政府勢力やそれを支持する姿勢のアメリカ政府の主張が誤りというものです。その根拠の中心は、アサド政権側や周辺の発言者に対する著者の個人的な面識等に基づく信頼性判断です。
 シリア情勢に限らず、ネットリテラシーでも、情報発信者の信用性に関する情報は、それが正確であれば発信された情報の価値を大きく左右し、また自らの行動(情報への信頼)の基礎とすべきものとなります。その意味で、著者がこのように言うことは、理解できるし正しい行動パターンであろうと思います。しかし、そういった根拠で発言している人を第三者である私たちが信頼すべきかは、また悩ましいところです。外交官としての付き合いを通じて個人的に親しくなった人々への身内びいきなり、友人の意見への評価が甘くなるようなことは誰にでもありがちですから。
 本の構成としては、2013年4月以前の民衆蜂起とカタール・サウジアラビアを中心とするアラブ連盟・アメリカの反政府勢力支援、内戦を扱った第1章、2013年4月以降の政府軍の攻勢、化学兵器使用問題、ロシアの仲介、トルコのアサド政権批判、イスラム国の台頭などを扱った第2章が大部分を占め、その後反政府側の諸勢力を紹介する第3章、各宗派を紹介する4章、関係各国政府の思惑を説明する第5章が配置されています。第3章以降は、情報としてはそれまでとの重複が多く、内容的にも第1章と第2章が読みでがあり、その後は付録的な感じです。

01.何者 朝井リョウ 新潮社
 明るく人懐こく小器用にふるまえるバンドヴォーカルの神谷光太郎とルームシェアする学生劇団員二宮拓人が、思いを寄せるが本人は光太郎と付き合って振られながら光太郎のことをあきらめきれない田名部瑞月とその友人の留学帰りの小早川理香+理香と同棲する哲学者気取りの宮本隆良らとともに、協力したり対立・反発しながら就活を進め、思うに任せぬ成り行きの中でもだえ苦しみつつ、自己のアイデンティティを確立しよう(「何者」かになろう)とする青春小説。
 世渡り上手な人気者光太郎に対して憎めないけどなんか苦手だなぁという思い、瑞月のまっすぐな純粋さに抱く好感とその瑞月の心を光太郎に奪われることの切なさを、語り手の拓人と共有しながら、隆良への反感、隆良への/隆良からの、理香への/理香からのささやかな悪意に違和感と戦慄を覚えます。そのパターンで比較的安定して展開する前半・中盤から、理香と拓人が絡んで暗転するラストがほろ苦い。
 客・消費者の立場からは、どうということのない、むしろ評価の低い企業にまで、就活という場面ではしっぽを振り、媚びへつらい、他者からの評価に一喜一憂し、内定が出ないというそれだけのことで自分の評価を下げ自信を無くしていく姿、私は就活というものを経験していないので本当のところはわからないけれど、就活とその洗脳力の怖さを感じます。就活の過程で学生をどう扱うかに垣間見えるように、対客や商品、広告力では一流(かもしれない)企業が、対労働者ではどれほどずさんで傲慢かをたびたび実感している労働者側の弁護士としては、そんなにしてまでありがたがって入社するほどの会社なのかなと、立ち止まって考えてほしいなと思います。

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