庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年1月

04.秘密保持・競業避止・引抜きの法律相談 高谷知佐子、上村哲史 青林書院
 従業員や提携先企業との関係での秘密の保持のための契約、在職中または退職後の従業員や役員の競業(同業他社の経営や同業他社への就職)の防止や競業した場合の対抗策、従業員の引抜きの防止や対抗策を、企業側の弁護士の立場から解説した本。
 労働者側の弁護士としては、ふだんめんどうだし気分が悪くなるのでまじめに勉強しない不正競争防止法や、判例の分析が錯綜してけっこう難しい競業避止義務関係について、比較的平易に書かれていて、勉強になりました。
 Q&A形式の本の宿命ではありますが、それぞれのQだけで読めるようにという配慮から、その都度原則論や基礎知識が説明されていて、通し読みすると、ほぼ同じ説明がコピペされて繰り返されるのが辛いところです。
 競業避止義務に関しては、裁判例上も特に競業避止義務を課する契約等の目的を厳しめに見るものがあることから、そう簡単に認められるわけではないよという著者の姿勢が反映され、使用者側が書いている割に労働者の職業選択の自由が憲法上の権利だということが強調されるなど、労働者側への目配りも感じられます。
 しかし、秘密保持関係では、労働者側の弁護士の目には、使用者側の強欲さとそれに奉仕する使用者側弁護士のあり方への疑問を感じました。秘密保持条項では、使用者側が労働者に求めるものは無制約で無限定の義務を課する傾向にあります。91ページに示されている就業規則の秘密保持条項例も、秘密情報を具体的に列挙しているという趣旨なのでしょうが、これを示される労働者からすればあまりに広範で記憶もできず、とにかく会社が秘密というものは何でも秘密なのだと諦めさせるためと考えざるを得ません。そして、秘密保持義務の条項は退職後も無期限無条件の包括的なものとされるのが通常です(例としては104ページ、232ページ)。私自身、労働者が拘束される「就業規則」や使用者側が退職時に署名押印を迫る誓約書や合意書で秘密保持義務を制限したものは見たことがありません。ところが、企業間の秘密保持契約の話になると、一転して義務を課される企業側では秘密の範囲を狭くするように交渉すべきとか、秘密保持義務の有効期間を定めるのが通常(129ページ)などとされます。労働者が秘密保持義務を課される場合の91ページや102ページから107ページの条項例と、企業が秘密保持義務を課される場合の123ページから126ページの契約書例の秘密保持義務の内容を比較すると、唖然とします。企業側の弁護士として、顧客になり得る秘密保持義務を課される企業のためには秘密保持義務を制約するが、顧客ではあり得ない労働者のためにはまったく秘密保持義務を制約せず過酷なまでの条項を押しつけるという姿勢が露わです。労働者は就業時に、企業と契約交渉をする地位にはなく、多くの場合企業側が決めたものを受け入れるしかありません。そういう弱い立場の者には一切配慮もしないということが法律家としてどうかということを考えさせられます。また、このことは、契約締結の際に弁護士がついていないということがどれほど不利なことかをよく示していると言えましょう。
 さらに、不正競争防止法の秘密保持義務(刑罰つき)の対象となる営業秘密の解釈で、裁判所が、企業が営業秘密として管理していることを要件とし、その中で、秘密であることの表示のみならず、アクセス制限をしていることを求めていることに対し、経産省産業構造審議会知的財産分科会「営業の秘密の保護・活用に関する小委員会」なる財界の意向を反映したグループがアクセス制限をしていなくても営業秘密として取り扱うべきということを言いだしているようです(10〜11ページなど)。この本では、それと合わせて、派遣労働者に秘密保持義務を課する手法についてページを割いています。これは、どちらも営業秘密に属する資料を使用した業務を正社員だけではなく不安定雇用の非正規労働者にも行わせつつ、企業の秘密は守らせようという方向性を持っています。本来、重要な企業秘密は、信頼関係と忠誠心を持つ厚遇の正社員に扱わせるべきであるのに、非正規労働者にも重要な業務を安く買い叩いて行わせ、刑事罰で威嚇して義務だけは正社員同様に押しつけようという企業のむき出しの強欲さを、政官財鉄のトライアングルでごり押しして実現しようとするものです。こういう動きを知ることができたのも、私には収穫でした。

03.クリムト作品集 千足伸行 東京美術
 19世紀末から20世紀初頭のウィーンで活躍した画家、現在は美術史上最高価格で売却された絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T」の作者として知られるグスタフ・クリムトの画集。
 学生の頃から画集は度々見ていたのですが、画家のプロフィールはほとんど記憶になかったので、今回経歴部分を読み、芸術家の大パトロンハプスブルク家のお膝元のウィーンには19世紀末にクリムトらが画壇にデビューした頃「オーストリア美術」と呼ぶべきものさえなかったこと、それで師匠もなく体制派でもなかったクリムトの作品を行政が買い上げたり美術史美術館やウィーン大学の装飾画が依頼されたという経緯、多くのパトロンを得て肖像画を売って財をなし、裸婦のモデルがいつも出入りし遺産相続をめぐり少なくとも14人の婚外子が名乗りを上げたという私生活などを知りました。
 クリムトは19世紀末ウィーンの画家と紹介されることが多いように思えますが、主要な作品は20世紀になって描かれています。むしろ、19世紀の1890年代前半までの作品とその後の作品はかなり趣きも絵筆のタッチも違う印象です。経歴を読むと、1892年までは弟エルンストらと「芸術家カンパニー」として活動していたということで、言ってみればクリムト個人ではなく「工房」として描いていたようです。そうするとルーベンスの絵(とされているもの)のように、実際は工房の名もない画家の手になる部分が多いのかも知れません。ブルク劇場や美術史美術館の装飾画など精細で写実的な絵は後年のクリムトとはかなり違う趣です。もっとも1894年の作とされる「ローテンブルクでの芸人の即興劇」も写真のような作品ですから、ブルク劇場や美術史美術館の装飾画もクリムト自身が描いたけれども、こんなに緻密に描いていたらたくさん描けないから営業的見地からタッチを変えたというのが真相かも知れません。
 制作の時期と分野と作風の変化と経歴を併せ読むことで、一人の画家としての生き方に思いを馳せました。

02.国家賠償訴訟 深見敏正 青林書院
 判検交流で国の訟務部門を担当していた現役裁判官の著者が、国・地方公共団体等の違法行為・造営物の瑕疵による被害者が損害の賠償を請求する国家賠償請求訴訟について、最高裁判例を中心に現在の裁判所の対応を解説した本。
 国家賠償請求や行政の違法行為による被害者の救済に関心を持つ弁護士にとっては、国家賠償請求に関する様々な領域について最高裁の比較的新しい判例も含めてまとめてレビューできるのは、勉強になりますし、引用する判例について判決文を長めにその都度引用しているのは、判決文に直接当たる手間が省けてありがたく、割とすらすらと読めました。もちろん、業界外の人には、そもそも関心が持ちにくい分野の上に、大半が判例の解説なので読み通すのはかなり厳しいでしょうし、一気読みすると同じ判決の同じ箇所が繰り返し長々と引用されているのがうっとうしく感じそうです。
 著者の関心が、最高裁を中心とする裁判所の「判断基準」に集中しているので、それぞれの判決、特に国家賠償事件に興味を持つ弁護士の大半にとって強い関心のある国・地方公共団体が負けた事案での勝敗のポイントになった部分の解説が薄い感じがしますし、国が負けた判決についてはことさらに判決の射程が狭いと言おうとしているきらいもあり、そのあたりはちょっと残念に思えます。
 「はじめに」の次のページの「執筆者紹介」の経歴の冒頭が「平成57年4月東京地裁判事補」でビックリします。それに象徴されるように、この種の本としてはかなり誤植(変換ミス、脱字等)が多いのも、ちょっと残念です。
 類型別考察など、いろいろな事件類型での最高裁判決や趣を異にする判決が紹介されていて、頭の整理になったりアイディアが喚起される感じがして、国家賠償請求訴訟をするときには、見ておきたい本だと思うのですが。

01.比較法ハンドブック [第2版] 五十嵐清 勁草書房
 諸外国の法律を比較検討する「比較法」の学問としての歴史や目的、方法論等を論じた本。
 よかれ悪しかれ、いかにも学者さんが書いた本で、「比較法学」というべき、学問としての歴史とあり方のような部分に多くのページ数が割かれてここに力が入り、また他の学問領域との関係で比較法学者の利害というか、比較法にもっと注目が集まり研究と学生が集まることへの渇望が語られています。
 法律実務家として、比較法への興味は、主として現行法が不変の、また唯一の存在ではないことを常に意識できるよう視野を広げること、現行法で解決できない、あるいは現行法による解決が不適切な場合の解決のアイディアを探る際の助けになること(解決方法の貯蔵庫:98ページ)にあります。立法段階では、さらにどのような立法例があり、それが実社会でどのように機能しているかという先例として重要な参考資料となります。そういった観点からの興味は、もっぱら現実に存在する諸外国の法律(条文)とその運用(裁判例等)に向けられるのですが、そういった実例が出てくるのは、本文で356ページのこの本の165ページから(事情変更の原則関係)で、一般人が、あるいは法律実務家が「比較法」の本と聞いて想定する/期待する内容は185ページから、実質的には209ページからになっています。多くの読者が、最初の1割、かなり頑張っても最初の3割までで、読み続けるかどうかを判断する昨今において、この構成は…
 実務を重視し、具体的ケース(裁判例)を重んじる英米法に対して、ローマ法をほぼ無条件に継受して抽象化一般化した成文法を制定し、理論を重んじる大陸法(フランス法、ドイツ法)から民法を初めとする私法体系を受け継いできた日本ですが、ドイツでも民法総則という抽象化の極みというべき部分はその後放棄され、ドイツ民法典後に大陸法諸国で立法された民法(スイス民法典、イタリア民法典)では民法総則はないのだそうです(217〜218ページ)。そうすると、日本の民法は、ヨーロッパの「大陸法」系諸国に比べても抽象性、概念性が強いものということですね。
 そういう知識がどこで使えるかは、すぐにはわかりませんが(多くの場合、単なる衒学趣味的興味に終わるでしょうけど)、仕事がら肥やしにしておきたいところです。

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