私の読書日記  2008年6月

23.クローバー 島本理生 角川書店
 派手でわがままで男出入りの多い双子の姉華子と同居する地味で自己主張しない慎重で優柔不断な弟冬治の視点から、華子と男友達、冬治と女友達の関係を描いた恋愛青春小説。最初の方では、語り手は冬治とはいえ、人物造形からは華子の存在感が大きく、実質的には華子が主役の恋愛小説でしたが、これがいつの間にか語り手冬治の、女性にも自らの進路にも優柔不断なウジウジ語りの青春小説になっていきます。登場人物は同じなんですが、前半と後半で作品の指向がずいぶん違う感じ。登場人物の多くがどこか不安を持っていて、優しげだけど時に感情に走りという要素を持っていて、読んでいて親近感・現実感を持つとともにスッキリともしない、そんな感じです。それが、全体のストーリーが一本通った感じでないことで増幅されているように思えました。なんとなく読むにはいい感じではあるのですが。

22.傀儡 坂東眞砂子 集英社
 鎌倉時代中期の旅芸人叉香、家族を武者に皆殺しにされて落ちのびた元農民いぬ、西域に生まれ禅僧とともに渡来してさすらう行者沙依拉夢、北条に攻め滅ぼされた三浦一族の残党で復讐に燃える武者らの生き様を交差させながら、中世の庶民の悲惨さとしたたかさを描いた小説。唄いを売りながら客の要望で夜伽もしたり、山賊にさらわれたりしながらも、その場その場で運命を受け入れつつ、人生は遊びと割り切っていく叉香と、家族を殺されてうちひしがれ、仇討ちのみを心の支えに思いつめていくいぬを対照的に描きつつ、その2人が心を寄せていく様子が読みどころです。そして、前半若干冗長さを感じますが、高僧の言動に一面では正しいと思いつつも、結局は権力者のためだけの教えではないかと違和感を感じて独自の道を歩む沙依拉夢が別のストーリーを加えて絡みます。沙依拉夢の庶民指向と、それでもなお求めてきた道が破綻して自分の独善を悟ったときに、庶民の女の姿に教えられるのも、心地よく思えます。私たちが歴史を学ぶとき、支配者側の記録しか学ばず、武家の世として知る鎌倉時代が、横暴な武士の下で庶民がいかに辛い思いをさせられてきた時代だったかを考えさせられます。とりわけ、いぬが平和に暮らしてきた村を武者に蹂躙されて落ちのび、子どもも失って生きる気力もなくなっていたところへ、10年近くが過ぎて夫が山賊として生き延び武者への復讐を続けてきたことを知って山を越えて会いに行ったらその直前に縛られているところを仇の武者に斬り殺されて会えなかったというシーンなど、あまりにも哀しい。この武者もまた一族の仇討ちに執念を燃やしているわけですが、それでもどうしてもこいつだけは斬り殺して欲しいと思ってしまうほど。ただ、庶民の生き様と思いがメインストリームであると同時に、最高権力者の北条氏も高僧も無傷で進むのが、釈然としない思いも残ります。

21.原子炉の暴走[第2版] 臨界事故で何が起きたか 石川迪夫 日刊工業新聞社
 原子力推進側の研究者の立場から原子炉の暴走について解説した本。基本的には原子力開発時代の暴走事故とその後の研究の進展、その結果として近年の原発・原子炉はとても安全で暴走事故など起こそうとしても起きない、仮に起きても大事には至らない、マスコミは過剰反応で非科学的という視点で貫かれ、北陸電力・東京電力の臨界事故隠しはもちろん、JCO臨界事故やチェルノブイリ原発事故までマスコミの過剰反応を諫める論調で書かれています。著者がJCO臨界事故の際の安全委員会や政府の対応に怒っている様子が報じられていたので、この第2版ではもう少し業界側の問題も指摘する方向になるかと思ったのですが、初版と同じ路線ですね。まずは単純な読後感としては、第1章の暴走の正体と題する基本的な説明は私もほぼ同じ意見ですし、この種の本としてはわかりやすく書けていると思います。第2章の反応度事故の研究の歴史は、なかなか興味深く読ませていただきました。大雑把には知っていましたが経験を交えて流れで語られているので、前に勉強したときより頭に入りました。第3章については、立場上、単純な読後感で済ませるわけに行きませんので後で述べます。第4章の加圧水型原発については私は詳しくは知りませんのでコメントしません。第5章の日本の臨界事故は、いくら何でも偏った評価というしかないでしょう。北陸電力の臨界事故隠しに際して「反応度投入事象が何の痕跡も残さない通り魔である事を知悉し、隠し覆せると腹を決めた度胸と技術的知識は大したものだ。(略)隠匿を褒めているのではない。技術者である僕には、隠せると判断した人(達)の持つ技術的力量が今後使われることなく捨て去られてしまうのが惜しまれてならないのだ。」(208頁)というのはあんまり。私の感覚では、むしろ原子力の世界では、東京電力のひび割れ隠し等の際を見ても、トップのクビは代わっても不正行為をした技術者達は名前も明らかにされず処分も受けず相変わらず原子力業界で生き続けていて、そういうことをしているからいつまでたっても不正行為がなくならないのだと思います。臨界事故隠しをしたような連中が原子力業界で生きながらえればその技術的力量がより巧妙でより重大な不正行為となって再現されることになるでしょう。この本の初版を関係者が一読してくれていればこれらの(臨界)事故は未然に防ぎ得たかも知れない(195頁)というのはどうでしょう。臨界事故など起こそうとしてもなかなか起きない、起きても大したことはないという論調の本を読んでも、臨界事故への警戒感など起きないと思います。むしろ、著者の主張とは逆に、北陸電力の臨界事故が直ちに公表されマスコミが大騒ぎしていれば、JCOの関係者に、少なくとも臨界事故など起こせばえらい騒ぎになるという警戒感・緊張感を与え、それにより事故を防ぎ得た可能性の方がよほど高いでしょう。第6章のチェルノブイリ事故の真相についての著者の推理については、私はその当否を論ずるだけの知識がありません。このような論を展開する著者の一徹ぶりは、私は嫌いではありません。その推理の指向するところが暴走事故そのものの大きさ・影響を少しでも小さく評価しようという方向なのがちょっと気になりますが。
 さて、この本で「難解な技術用語を混えた間違いだらけの解説を、臆面もなく雑誌や単行本で発表する」(47頁)、「チェルノブイリ事故の発生原因に刺激されて、負のボイド効果を持つBWRでも、ボイドが急減少するような場合、反応度事故が生じるとの懸念を巷間撒き散らす人達がいる」(167頁)、「間違いだらけの解説記事が堂々と掲載されていた。臆面もなく単行本として出版されたものまである」(366頁)と執念深く文句を言われている人達の1人(というよりも、これらの表現、特にボイドの話からすると私が主要なターゲットかとも思われます)としては、そのことについても述べておかざるを得ないでしょう。原発訴訟、特に東海第二原発訴訟と柏崎刈羽原発訴訟で、日本の原発の過半数を占めるBWR(沸騰水型軽水炉)において炉心に運転中大量に存在するボイド(泡)が急減する事態となったときの暴走事故の危険性を論じた私の主張(それは、1990年段階のものが「原発暴走事故」:三一書房にまとめられて出版されました)に対して、国側から直接の反論材料として出されたほぼ唯一の書証がこの本の初版でした。その意味で私には思い出深い本です。確かに著者が指摘するように初期の(「原発暴走事故」段階の)私の主張では、暴走に至るかどうかの判断を原子炉出力急上昇レベルで止めていて、そこは中途半端でした。その後、しかし、この本の初版が出るよりずいぶん前に、私の/原発訴訟の住民側の主張も、著者の指摘する反応度投入量と燃料の発熱によるエントロピ量(実質的には燃料の熱量と考えてください)、さらにはそれによる水蒸気爆発の成否まで論じるようになっていました(それは出版はしていませんが・・・そこまで一般人が読める/興味が持てるように書けませんでしたから)。それに対して国側は、私の主張する事態が起きても暴走事故に至らないとは一度も述べませんでしたし、私が主張する事態が起こる可能性がないとも一度も述べませんでした。かなり挑発的な求釈明をしても、国側の主張は、「安全審査ではそのような事態は想定する必要がない」とするのみで、なぜ想定しなくていいのかと問いつめてもそれには一切答えませんでした。私が指摘する事態が起こっても暴走事故に至らないという答は、著者のこの本でしかなされていません。その答も、主蒸気隔離弁の閉止に限定され、しかも安全審査ではその効果を度外視している「PMH効果」(燃料の発熱が冷却材に伝わるのではなく核分裂による中性子が冷却材に衝突すること自体による冷却材の温度上昇の効果)を入れて初めて私の主張をつぶせるというものでした(171頁:171頁の図3.1で「ボイド効果」と書かれているPMH効果を除けば投入反応度が1ドルを超え著者の主張に沿っても暴走に至ることがわかる)。また、著者の選んだ主蒸気隔離弁の閉止は4〜5秒かかりますから反応度投入がゆっくりだという著者の批判が当たるのですが、私が挙げたケースの中には主蒸気止め弁や主蒸気加減弁の閉止という、申請書上では0.1秒で全閉止するという弁もあります。著者は制御棒落下事故について安全審査の想定を無理に無理を重ねたミステリーで過剰な想定だと評価しています。私も、著者のように制御棒落下事故が起こるストーリーだけを採り上げれば、それは同意できます。しかし、それを言い出せば、事故が起こる前に、スリーマイル島原発事故やJCO臨界事故のストーリーを示せば誰もがそんなことは起こるはずがない、漫画だと言うに違いありません。それでも現実にはそれが起こってしまう、それが事故なのです。そして安全審査では、推進側で選んだ事故パターンでは多少無理でも想定するけど、それ以外はありそうなことでも、住民側がこれも想定すべきだと言っても、想定する必要はないとはねつけます。緊急停止系の遅れは私が暴走事故の危険性を指摘するケースについては実に0.06秒とか0.09秒までしか想定していません。安全審査ではその種の信号系の故障(信号が出なくなる事態)はほとんど想定しません。六ヶ所ウラン濃縮工場では信号喪失で中央操作室から操作も状況把握もできない状態が1時間以上も続いた事故も現実にあったのですが。もっとも、私としては、この本は私の暴走事故に関する主張に対して、初めて歯ごたえのある反論でしたので、知的な好奇心・興奮を覚え、著者に対しては尊敬の念を持っています。裁判では結局国側は、この本は証拠として出しただけで、それを国の主張のベースにはしませんでしたし、私はあくまでも裁判を前提として主張し、著者は/この本は一般向けの啓蒙が目的ですから、上で述べた以上にはかみ合わずに終わっています。ただ著者は臨界や実験炉での専門家で、商業用原発についての記述には少し不安を感じます。例えばBWRの炉心支持板に制御棒を通すための十字型の孔が開いている(138〜139頁)というのは初耳でした。炉心支持板自体は制御棒案内管を通す丸い孔が開いていて制御棒案内管の上(炉心支持板の上)の燃料支持金具に十字型の孔と燃料集合体の下側を差し込む孔があるのが普通です。また北陸電力の臨界事故の解析の説明で炉心上部であるからボイドが多く中性子分布が少ないという趣旨の説明をしています(211〜212頁)。通常運転時ならその通りですが、この事故の時のように停止状態の原子炉で上側の一部だけ制御棒が引き抜かれたときには、下側では沸騰は起こっておらず下からボイドは上がってきません。ですからこの事故の時には上部だからボイドが多いということはありません。それに安全審査資料では企業秘密のため具体的には公開されていませんが、上部でボイドが多いために出力分布が小さくなるのを是正するためにメーカーは燃料の濃縮度や中性子吸収物質の濃度の調整をしていますから、こういう上部だけの臨界でボイドが少ない場合に上部は中性子分布が少ないと無前提に言えるかは疑問です。う〜ん、経緯が経緯なもので、一般人が付いて来れないマニアックな論評になってしまいました。私の方は、東海第二原発訴訟は終わりましたし、柏崎原発訴訟も最高裁ですし、それに近年は原発訴訟の主要テーマは地震問題にシフトしていて暴走問題を改めて論じることもなかったので、少しノスタルジーに浸りながらの楽しい読書でした。

20.もしも宇宙を旅したら 地球に無事帰還するための手引き ニール・F・カミンズ ソフトバンククリエイティブ
 一般人が月や火星、木星の衛星などに宇宙旅行するとした場合を題材として、宇宙飛行士を襲う様々な危険を解説するというスタイルの宇宙入門書。宇宙は空気・水がない、大気がないために寒暖の差が激しいというところまではすぐに考えられますが、それを超えて様々な予想外の危険があることが紹介されています。木星の衛星イオでは火山活動が活発で突然の噴火や地震の危険があるが、大気がないので音がなく音で危険を察知できない。惑星・衛星の乾燥した表面は微細な塵の層が厚く、歩くだけでかなりの電荷(静電気)を生じ電子機器の破損や人体へのショックの危険があり、未知の有害物質や病原体が潜んでいる可能性がある。大気がないから小さな石や粒子も減速・燃焼することなく衝突してきて致命傷を与えかねないなど・・・。特に目を引くのは放射線の恐怖。地球上では地球の磁場ではじかれて地表に到達しない銀河宇宙線(GCR)や太陽荷電粒子が、宇宙では防ぎようがない。太陽活動が活発な時期はGCRが弱まるが太陽荷電粒子の危険が高まり、太陽活動が弱まったときはGCRが強まる、たまたま太陽荷電粒子線が自分の方に向かってきたら致命的だそうな。宇宙ステーションなどの地球周回軌道では地球の周囲の磁場のために高エネルギー粒子が集中しているヴァン・アレン帯を通過するが、このヴァン・アレン帯の内帯の放射線量は地表の数百万倍で、ヴァン・アレン帯の通過時間をいかに減少させるかが課題となっているとか。他にも微少重力や1日のリズムのズレへの人体の適合の問題や微少重力下での筋力の低下、地球へ帰還した時のリハビリ等の生物学的な問題、メンタルヘルス面での問題なども採り上げられています。なかなか想像が及ばない領域も含めて、宇宙の環境と技術についていろいろと考えることができる知的な刺激に満ちた本でした。

19.静かな爆弾 吉田修一 中央公論新社
 バラエティ番組担当に飛ばされながらバーミヤンの大仏爆破の真相に迫るスクープ番組制作のために奔走する早川俊平と聴覚障害者の響子との恋愛小説。取材に追われ恋人との関係も雑になって別れを繰り返していた俊平が、聴覚障害者の響子との間では、いきなりまくし立てることができず、一旦頭の中で最小限の言葉にしてからコミュニケーションをとるために、苛立ちやとげとげしさが消え平穏な気持ちになれることに気づいて行くという流れが前半の読みどころです。聴覚障害者であることへのこだわりととまどいと新鮮さと愛着が微妙に交差して深みを持たせています。後半は、仕事に追われて響子との約束を守れない俊平の焦りと失念、響子との仲の危機が描かれます。元々俊平の語りですが、後半の響子の思考がほとんど明らかにされず、危機をめぐる響子側の真相も最後まで明らかにされません。俊平側の心の動きはそれなりに読ませますし、特にラストの俊平の心の描写は見事だと思います。しかし、響子側の内心が見えないことで、どこか響子をよくわからない存在にしたままになっているのが、男の側だけからの恋愛小説という印象を残し、ちょっと残念です。雑誌の掲載は2006年度上半期ですが、今頃になって単行本化されたのはどういう事情なんでしょうか。

18.優しくしたいのにできない アール・A・グロルマン、シャロン・H・グロルマン 春秋社
 高齢になった親との関係、自宅で暮らし続けてもらうか同居を求めるか老人ホームに入ってもらうか等を決めるときに考えるべきことなどをまとめた本。年をとることで5感が鈍り、そのために感じ方・受け止め方が変わり、そのギャップに双方が苛立ち気味になること、そこで相手はどう感じているのか、変化や動揺を受け入れることなどが説明されています。同居などを決めるときには一時の罪悪感で決めてはいけないこと、施設への入居を決めるときには施設長の意見や一時の罪悪感、親の憤慨する様子に振り回されないようにすべきことなど、一歩引いて冷静になることが必要と語られています。あらゆる問題に当てはまるとも言えますが、必要なアドヴァイスです。問題のある人というのはたいてい自分で自分のめんどうを見きれないものですし、他人から「そんなことをするのはやめてほしい」と頼まれても、やめられないものなのです、そういう人を口で言い負かしても意味がありません、できるかぎり穏やかな気持ちで自分が責任を持ってできることとお互いに期待しても仕方がないこととを見きわめるように心がけてください(190頁)というのは、いろいろな意味でいろいろな場面で考えさせられるアドヴァイスです。なかなか実行するのは大変ですが。

17.学校裏サイト 下田博次 東洋経済新報社
 電話にも使えるパーソナルインターネット端末「ケータイ」の子どもの利用の危険性を、学校裏サイト、プロフ、SNSを中心にレポートした本。学校裏サイト等でのわいせつ情報の発信(商業サイトへのリンクとともに子ども自身がケータイで裸体写真を撮影して貼り付ける等)、誹謗中傷・いじめ(なりすましの虚偽発信も含む)、暴力・犯罪誘発情報の発信等の危険性、悪意がなくても個人情報の発信が各種の商業利用・詐欺・恐喝材料になり、しかも一旦発信した情報は完全には抹消・回収できないこと等が、繰り返し紹介されています。そして、ケータイの場合、個人利用の端末なので親や教師がほとんどチェックできずに放置されていることも。このあたりは、ネット利用を論ずるときには当然のことですが、ちょっと書きぶりの大仰さが鼻につきます。著者が警察庁の「少年のインターネット利用に関する調査研究会」座長ということで納得できるとともに、そのおかげでうさんくさくも見えるところですが。ただ、学校裏サイトの管理人の学生が仲間の自由利用の場を提供するという建前とともに怪しげな広告のアフィリエイトで稼いでいることや、学校裏サイト対策は説教をしても効果がなく、ネットではいくら秘密と言っても世界中誰でもみることができること、従って教師も監視できることを伝え、自分たちのやっていることを自分たちで客観的に評価・自覚させることが有効という話は、なるほどと思いました。

16.公務員の異常な世界 若林亜紀 幻冬舎新書
 元特殊法人職員の著者が公務員の労働条件・給料の厚遇ぶり、税金の無駄遣いぶりをレポートした本。著者自身の経験した事実と報道された事実、公表された統計類を混ぜ合わせてやや揶揄的に論じています。役所の他人には厳しく身内には信じがたく甘いわがままさというか小ずるさや税金の無駄遣いぶりを批判するのは当然ですし、そういう方面の話は読んでいても共感します(というか役所のやり方に、いつもながらではありますが、呆れます)。しかし、給料や労働時間、休暇、福利厚生などの労働条件についての書きぶりには、私は疑問を感じます。著者の主張は、公務員の労働条件が民間と比較して異常に厚遇されているという論調に終始していて、その比較対象の民間が労働者をいじめ過ぎているのではという視点は皆無です。私も労働条件に官民格差があるのはよくないと思いますし、紹介されている例の中には酷すぎるものもあるとは思いますが、民間企業が本来労働者に確保すべき労働条件を守っていない部分もかなりあると思います。格差の是正のために民間の方の労働条件を上げるべき部分も相当程度あるはずです。著者の批判の矛先は、役所全体ないしトップよりも公務員の労働条件を引き上げている労働組合に向けられています。メディアにありがちな傾向ではありますが、とんでもなく恵まれている官民のトップを問題にするのではなく、自分たちよりも少し恵まれている一般公務員を妬み足を引っ張ることに誘導していくことで、結果的に公務員の労働条件を引き下げ、それが労働運動全体の衰弱を招いて民間労働者の労働条件もさらに切り詰められることになると思います。やりたい放題のリストラ、非正規雇用化、労働条件切り下げをしてきた民間企業経営者にはとてもありがたい書き方ですよね。著者は志願して予備自衛官をしているそうですが(65〜66頁)、自衛隊の一般職員だけはけなされずに同情と賛美を送られているのもいかがなものかと思いました。

15.クレジット・サラ金列島で闘う人々 横田一 岩波書店
 クレジット・サラ金相談の現場をリードする地方自治体の担当者、弁護士らの活動と、消費者金融業界の工作や御用学者、それに呼応する国会議員の規制緩和派のせめぎ合いを、2006年貸金業法改正に至る経緯を中心にレポートした本。普通の主婦が借金地獄に陥り、借金返済マシンへと変わっていく様子と自治体の相談現場のレポートが最初に置かれ、わかりやすく読めます。貸金業法改正の経緯では、外資系消費者金融の意を受けた在日アメリカ商工会議所(ACCJ)の金利規制の厳しいドイツ・フランスと規制緩和されたアメリカ・イギリスを比較してドイツ・フランスの方がヤミ金融の貸付が多いとかドイツ・フランスでは名目的な金利は安くても実際のコストは高くなる可能性があるなどとした資料の嘘を、消費者側弁護士から期限付き公務員として金融庁担当者となっていた森雅子課長補佐が現地調査で暴いていくところが圧巻です。そして、より規制緩和された韓国で日本資本の消費者金融が暴利をむさぼる姿、広告主タブーで消費者金融の問題点を報道できないマスコミの姿などが描かれています。それぞれの話題への踏み込みは深くありませんが、コンパクトに問題点と現状を知るにはいいかなと思います。

14.クライマーズ・ハイ 横山秀夫 文藝春秋
 1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故を受けて地元紙の日航全権デスクに指名された40歳の社会部遊軍記者悠木和雅が、社内の派閥対立、利権、嫉妬に翻弄される姿に、翌日共に谷川岳の衝立岩を登る約束をしていたが倒れ植物状態となった同僚への思い、その同僚の家族や軋んだ自らの家族との関係の模索、直前に死なせてしまった部下の家族の恨みなどを絡め、新聞記者の生き様を描いた社会派人生小説。社内に確固とした人脈がなく、部下を死なせたことから部下を持たぬ身を選んで遊軍でいた中年記者が、いきなり人を束ね指揮することの難しさ、組織の論理というか病理で潰され、部下の渾身の原稿も活かせず部下の失望と上の嘲りに挟まれ、孤軍奮闘する悠木の姿、前半はそういった絶望的で露悪的な進行です。その悠木が遺族の姿を見て迷いを吹っ切り、足を引っ張られても叩かれても前に進もうともがく姿に、いつしか社会部がまとまっていく姿が、静かな感動を呼びます。もちろん、そうきれいな進行ではありませんが。最終段階で悠木の運命を左右する、悠木の部下の遺族の感情的で他人の心情を逆なでする投書の掲載をめぐるエピソードで、作者が俎上に載せた「大きな命と小さな命」というテーマに加えて、遺族・被害者の声ならばマスコミはそのまま採り上げればよいのかという問題を考えさせられます。遺族・被害者が、ましてやこの作品では20歳の若い遺族が、感情的に言いたいことを言うのは自由だしそれでいい。でもマスコミはただそれを流し続けるべきなのか、それが遺族・被害者の声だからというだけの理由でマスコミはそれを正当化できるのか・・・。日航ジャンボ機墜落事故は、あくまでも新聞社内部や記者の生き様を描く材料となっています。遺族や関係者には、事故を娯楽の材料にして・・・という思いを持たれるかも知れません。そのあたりはもう少し配慮があった方がよかったかと思います。作者自身が事故当時地元紙上毛新聞の記者だったため、新聞社内部の描写は極めてリアルで生々しい。7月には映画も公開されます。楽しみです。

13.ムーヴド 谷村志穂 実業之日本社
 夫が「できちゃった婚」するからと離婚を言い渡された中堅企業人事部勤続10年の30歳OL佐緒里が、引っ越し先のペット飼育禁止のマンションで引っ越し初日にベランダに放置されていた子猫を拾い、共に生きていく中で、新たな人と知り合い、次第にふてぶてしく成長していくというストーリーの短編連作小説。労働組合執行部の女性闘士と知り合い、恋心も抱きつつ、組合役員にまで選ばれながら、結局は佐緒里が使用者と闘う道ではなく会社をおもんばかって退職していく道を選ぶのは、いまどきのご時世を考え合わせても、何だかなぁ。訪ねてくる元夫にも、最初は意地を張っても結局受け入れちゃうし。都合のいい女でもいいのって、そう言いたいんでしょうかね。ほんわか・のほほんとした人間関係の味わいはありますが、そういうメッセージが読み取れると、どうも後味悪く感じてしまいました。月刊誌の掲載が、2004年11月号、2005年5月号、2007年7月号、2008年1月号って、ものすごい飛び飛び。それでつなげられるだけでもすごいのかも。

11.12.ちいさな霊媒師オリビア1、2 エレン・ポッター 主婦の友社
 マンションの管理人だがすぐクビになってマンションを渡り歩いている父親と2人暮らしの12歳の少女オリビアが、死んだ兄の麗や有名な霊媒師、ひょんなことから知り合った昔王女だった老女らとともに、マンションの不思議に取り組むというパターンのファンタジー。オリビアは片足はこの世に立ちもう片足はあの世に突っ込んでいる「世またぎ」で霊と交信することができるが、本人はそのことを知らなかったという設定。強気の性格のオリビアと、気弱で優しく料理好きの父親の関係がほほえましい。マンションにはいろいろ不思議な人物と不思議な世界が広がっていて、その世界の不思議な雰囲気でなんとなく読ませている感じがします。1巻の「西95丁目のゴースト」では床や家具を透明化して階下の住人を透視する老女とそのガラス細工のような透明な部屋、ホラ貝で人を操ってついにはトカゲに変身させる老女とジャングルのような部屋などが登場します。むしろ、こういう人物の怪しげな魅力の方が、「霊媒師」がらみの死んだことを自覚していない男の子の幽霊や兄の霊より存在感がありますし、事件も解決したのやらという感じですし。2巻の「真夜中の秘密学校」では、より霊の存在が大きくなってオリビアの能力も注目されますが、こちらもマンションの中のラグーンとその怪しげな住人の存在感が大きいし。マンションの中にジャングルがあったりラグーンがあったりとなると、魔法の話になりそうなんですが、魔法使いは出てきません。そのあたりの世界観というか設定が気に入るかにかかっているお話ですね。

10.ロスト・エコー ジョー・R・ランズデール ハヤカワ・ミステリ文庫
 子どもの頃の病気の結果、過去にその場所で起こった暴力行為の音が再現されるとその音と共に封じ込められた記憶を感じることができる不思議な能力を持つことになった青年ハリー・ウィルクスが、その能力がもたらす恐怖に悩みながら、ガールフレンドの父親が関与する殺人事件の真相を探る青春ミステリー小説。前半は、暴力行為が過去に行われた場所にいるだけでその現場の映像が再現される恐怖のため、消極的になっていくハリーの悩みと、ハリーを力づけてくれる美貌の富豪の娘タリア、謎のアル中武道家タッドとの交流で話が進行していきます。このあたり、コンプレックスを抱えた青年の成長を描く青春小説です。コンプレックスのタイプが変わっているだけで。金持ちの娘で美人で多数の男を侍らせながら、貧乏で消極的なハリーを恋人扱いして肉体関係を持ち続けるタリアの行動は、不思議です。単なる気まぐれ・戯れなのか。作者の気まぐれ・読者サービスなのか。後半は、ハリーの幼なじみで警官になったケイラが、ハリーと恋仲になりケイラの父の死の真相を、ハリーの能力を利用して解明しようとして、ハリーたちが事件に巻き込まれていくミステリーになります。ミステリーとしてはあまりひねってなくて、どんどんピンチに追い込まれては行きますが、まぁ結末は予想できますので、ミステリーというよりはどちらかといえば冒険もの・アクションものというべきかも知れません。男性読者が読んで、まぁ超美人とも幼なじみともHできてよかったねというところでしょうか。

09.美月の残香 上田早夕里 光文社文庫
 一卵性双生児の美月と遥花、美月の失踪を機に微妙になる美月の夫真也と遥花、真也の一卵性双生児の弟で遥花と交際・結婚する雄也の関係をめぐる小説。美月の失踪が、残された人々の関係に与える影響を中心に描いた人間関係劇で、その発端というか最後まで影を落とし続ける美月の失踪の真相は、結局謎が解かれません。ミステリーとして読むと、そこに欲求不満が残ります。まぁ美月の失踪自体は、舞台回しの小道具というところでしょう。関係者の愛憎ドラマとともに、人の欲望をくすぐる匂い、香水が大きなテーマになっています。嗅覚は、5感のうちで最も本能に近いとよく言われますが、真也のフェティシズムともいえる美月の匂いへのこだわりとそれを求めてとる恥も外聞もない行動、精神の崩壊を見ていると恐ろしく感じます。主要登場人物が、悪人でもなく、さりとてさほど魅力を感じさせない中、鍵となるオーダーメイドの究極の香水を調香する「香りの魔術師」鳴水馨が、怪しげな輝きを持っています。作者が気に入ったら、香りの魔術師シリーズなんてことになるのかも・・・

08.ドリーミング・オブ・ホーム&マザー 打海文三 光文社
 内気で平凡な編集者田中聡と幼なじみの快活で行動力のあるライターさとうゆう、年上の人気作家小川満里花が繰り広げる恋愛関係に、満里花の飼い犬と犬コロナウィルスの突然変異体から蔓延した東京SARS騒動を絡めた恋愛&サスペンス小説。前半は、煮え切らない聡と行動的なゆうの、一向に進行しない友だち愛を軸とした恋愛小説です。この平凡で内気な男性主人公に、魅力的で行動的な女性がリードして思いを遂げるってパターン、考えてみたら、かつての少女漫画の王道(田渕由美子とか陸奥A子とかの・・・って言っても40代以下は知らないでしょうね)ですね。男の方が、平凡なあなたにもいつか白馬の王女さまがって夢想していてもいいのよって言われる時代なんでしょうか。ただ、ゆうが聡のことを「いま同じ街に住んでます。おたがいの部屋でしょっちゅう飲みます。手をつないで散歩します。セックスはまだです。世間はそれを信じてくれません。」と紹介する場面(56頁)。こういう関係って、目の前で言われたら赤面しますが、しみじみあぁいいなぁと思います。私はここまででも、あ、読んでよかったなと思ってしまいました。後半は、SARS騒動をめぐるサスペンスになって、恋愛関係はバックグランドに引いていきます。恋愛ものとしてみたときには聡の行動力のなさ、優柔不断ぶりに「おいおい」と思う場面が多いですが、満里花の飼い犬が感染源と睨みながら、その犬に以前に酷く噛まれたゆうを気遣う場面が1つもないのはかなり不思議。ラストでひねりというか混迷というか予想外の展開があり、キツネにつままれたような読後感でした。私の好みとしては、SARS騒動は捨てて恋愛もので書き込んでくれた方がよかったと思うのですが。

07.ユングフラウ 芦原すなお 東京創元社
 常識人と自己規定しながら、結局は飲んではまわりの男と次々肉体関係を持つ26歳の編集者沢井翠と、大学時代からの恋人、担当した大学教授、同僚のカメラマンなどに、大学の同級生の「親友」や身勝手で主人公と同じくらい尻軽の同僚が絡んで進む男女関係を描いた小説。やってることはただの欲求不満女なのに会話が理屈っぽいというか流れが固いというかの女たちのキャラが、どうも男の側に都合よく設定されてるのとどこか上滑りな感じがして、話に乗りきれませんでした。それと、作者と同年齢の作家「梨原」だけが、話はスケベだが意外に善人という設定が、いかにもいやらしい。短編連作をまとめて読むため、前の話とのつながりが悪いところがあり、決着を付けずにしらばっくれているところがあったりするのが、今ひとつ。単行本化する時にきちんと手を入れて欲しいですね、こういうところは。最後に初出が出ているのを見ると、何と連載は7年以上前。何で今頃、単行本化したんでしょうね。

06.パート・派遣・契約社員の法律知識 藤永伸一 日本実業出版社
 もっぱら経営者側でパートタイマー、派遣労働者、契約社員を使用する場合に企業側にいかに有利に使うかという観点から中小企業診断士の著者がアドヴァイスする本。タイトルだけだと労働者側も読むことが予定されているように見えますが、労働者側に有利な方向のアドヴァイスはほとんどありません。ただ経営者側に立つにしても、いまどき、解雇は原則自由だとか書いてまるで30日前に解雇予告すれば好き放題に解雇できるかのような誤解を与える部分(32〜33頁、67頁)があるのは問題です。後の方(113〜115頁)では就業規則の解雇事由とか解雇権濫用のことも一応説明してはいますが。それに労働契約と就業規則の関係も単純に就業規則が優先するとだけ書いています(55〜56頁)が、それは労働契約が就業規則より低い労働条件の場合で、労働契約の方が高い労働条件の場合は労働契約の方が優先されます。それを説明しないと労働契約を無視するあこぎな経営者が出てきかねません。それから期間の定めのある労働契約の場合に、この本では期間中の解雇はやむを得ない理由がないとできないことは説明していますが、期間満了による雇い止めについては説明していません。この本だけ読んでいると経営者はその場合フリーパスと考えることになると思います。しかし、有期雇用の更新が繰り返されると雇用継続の合理的期待が生じ、解雇権濫用の法理が類推適用されることは、ずいぶん前から最高裁判例となっています。ですから、更新が一定程度繰り返されたら雇い止めはまったく自由ではないということを、説明するのが労働法関係の本の基本的なお約束ですが、この本ではそのことがひと言も書かれていません。こういう本だけ読んで労働者への対応を考える経営者がいるとすればとても困ったことになります。法律実用書にしては、「でしょう」とか「でしょうか」とかいう自信なさげな言い回しが多すぎますし。

05.偽装管理職 東京管理職ユニオン監修 ポプラ社
 マクドナルド裁判で最近話題の「名ばかり管理職」を始め管理職の肩書きの付いた労働者が抱える問題についてレポートした本。マクドナルド裁判の反響で様々なところで名ばかり管理職が立ち上がる動きが出ているときでタイムリーな出版です。しかし、管理職の肩書きを与えることで残業代を払わない名ばかり管理職問題は最初の方だけです。その次の管理職、特にヘッドハンティングというか中途入社の管理職の解雇問題は、裁判的にもなかなか微妙なところもあり、これも偽装管理職問題として捉えるのはいい視点だと思います。でもその後は、偽装管理職の問題というよりも一般的なパワハラや退職勧奨の話で、管理職ユニオンの組合員のケースだから漫然と並べられているという印象を持ちました。その意味でちょっと後半焦点がぼける感じです。それから、せっかくなら「監修」なんて言ってライターに任さないで管理職ユニオンが自ら書いて欲しかったと思います。例えば「労働審判」という言葉が使われている場面(64頁、206頁)はどちらも労働委員会といっていますから、労働審判ではなく不当労働行為の救済申立か個別的労使紛争あっせん(東京都労働委員会はやってませんけど)のはず(労働審判は裁判所に申し立てます)。ライターの理解の程度に問題があるように感じました。

04.日本の刑罰は重いか軽いか 王雲海 集英社新書
 中国生まれ、アメリカ留学経験ありの一橋大学教授による日本、中国、アメリカの刑罰比較。前書きを読んだ時点で、そりゃ世界一の死刑量産国と懲役何百年なんて判決が平気で出る国を比較の対象にしたら最初から結論決まってるじゃないのと思います。前半は、刑罰が時代と社会で大きく異なっていることを説明し、やっぱり日本の常識は世界の非常識って言いたいんでしょうねと思って読んでいたら、案の定、死刑が少ないとか経済事犯や薬物犯罪がいかに軽いかなど、日本の刑罰は軽いと論じられます。しかし、その後にもう一段あって、日本の刑罰は重罪事犯には(中国やアメリカと比べて)軽いが、中国なら犯罪扱いされないような軽微事犯でも逮捕され処罰される、ささいなことでも処罰されるという意味では中国より刑が重いと指摘されています。中国では、例えば窃盗も公務員の1ヵ月分の給料程度以下は犯罪にならないなど、軽微事犯は犯罪扱いされないし(130頁)、日本と違って刑罰を受けても地域社会では受け入れられる、つまり国は国、地域社会は地域社会という意識だそうです(163〜165頁)。日本の方が民間人もお上と一体になって犯罪者を指弾し社会的制裁を与え、その結果社会復帰が困難だというのです。さらに、裁判や学者も法律の解釈を最大限まで拡げて処罰を拡大しようとしている、例えば共謀共同正犯なんて刑法の条文を拡大して本来は正犯扱いできないものを判例で勝手に拡大したもの、という指摘(133〜136頁)を中国出身の学者から受けるのは、ちょっとカルチャーショック。そのあたりの刑罰についての考え方の違いを意識させ、別の視点を提供してくれるところが刺激的な本でした。

03.ゴムはなぜ伸びる? 伊藤眞義 オーム社(東京理科大学・坊ちゃん選書)
 ゴムの性質や製造法、最近開発された各種のハイテクゴムなどについて解説した本。天然ゴムは炭素と水素の化合物イソプレン(C5H8)が多数鎖状に結合してできた高分子化合物が曲がりくねったランダムコイル状になっていて、その多数のランダムコイルが絡まった状態のものだそうです。で、常温の伸び縮みできるゴムは「液体」だからランダムコイルが運動できて伸び、力がかからなくなると落ち着きのいいランダムコイル状に戻るので縮むのだそうです。液体でも高分子が絡まった状態なので流れないのだそうです。理屈はわかるんですが、感覚的にはなじめない話です。力がかかることで高分子の絡みがほどけていくことになり、次第に伸びきった状態になるのを、硫黄等を加えて加工することで高分子を結びつけて強度を高めたりしているそうです。自動車のタイヤは路面へのグリップ力を上げブレーキの効きをよくすると熱に変換される割合が増えて走行に使われるエネルギーが減るので燃費が悪くなるという問題を抱えているけれど、最近では滑り時の振動数の高さを利用してブレーキ性能を落とさずに転がり抵抗を下げる研究が進んでいるそうです(87〜92頁)。汎用品と思えるタイヤもけっこうハイテクの産物なんですね。様々な現象の理由部分の説明が、十分納得できるところまでは行っていない感じはしますが、身近な材料のゴムについていろいろと勉強になりました。

02.星のひと 水森サトリ 集英社
 望まれずに生まれたが素直な好青年に育った中学3年生槙野草太と勤勉で優しい父親草一郎とその周囲の人物のドラマを綴った短編連作。終わってみるとそういうまとめ方になりそうですが、初めの1編は不器用で意地っ張りな女子中学生がクラスの人気者の草太に告られるという、少女漫画の王道を行くパターン。2編目からちょっと肌合いが違って、きまじめで人の苦労を次々と自分で背負い込み過労死しかけの父親草一郎が家庭に帰れずわがままな妻に離婚を言い渡されるのを見守る草太というように草一郎・草太親子のまわりのちょっと変わった、ちょい悪の人物を絡ませて話を進行させるというパターンになっていきます。語り手を変え、登場人物を追加して話をふくらませるというありがちな手法と言えるでしょう。でも、読み通すと、草太と草一郎親子には、何かホッとするというか、幸せになって欲しいなぁと感じさせます。

01.「格差社会」を乗り越える子どもの育て方 汐見稔幸 主婦の友社家庭人BOOKS
 自由競争至上主義で自己責任・自助努力と称してセーフティネットを切り縮めて格差を拡大し続ける日本社会で今から子どもを育てるにはというテーマの教育論。テーマ設定からすでに方向性が予測されますが、著者の主張の基本は、格差社会を上手に生き抜ける力のある子どもにするとともに自分だけが幸せになることを目指したくない・格差社会を是正すべきだという意思を持つ子どもに育てる必要があるということです(13〜15頁)。具体的には異文化や異質なものに適応でき関心を持てること、自分で考える自主性を持つこと、自分が人の役に立っているという実感を持てることが大事だと述べています。著者によれば、「ほめる子育て」はほめられるためにいつも頑張らなきゃと思い人の評価を気にしすぎて神経質な子どもになってしまう、本当に努力したときだけ頑張ったねと言ってやればいい、むしろ自分らしく生きていることを全体として肯定してやれということだそうです(104〜106頁)。それは考えさせられますね。人間は隣人が幸せになれないと自分も幸せになれないという本能のようなものがある(14頁)という主張とあわせ、かみしめたいと思います。

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