私の読書日記  2007年10月

18.「不道徳」恋愛講座 島村洋子 中公新書ラクレ
 中年の視点で恋愛とか人づきあいとかについて書かれたエッセイ集。タイトルにあるような不道徳な話はほとんどなくて、恋愛テーマの普通のエッセイです。週刊誌の連載が元なので話は切れ切れで通し読みよりは細切れ時間の暇つぶし向き。中年の視点なので、少しは気を遣い、でも無理せずに、人には寛容にというようなところが基本線で、そのあたり気楽に読めます。パンダ・コアラ理論(パンダは笹しか食べない、コアラはユーカリしか食べないのに太っている/努力しても太る人は太る)(94頁、197頁)とか、こういう開きなおりは中年ならばこそ。中年の自分を自覚して若ぶらない(若いカッコしても似合わない、若い恋人と一緒でも似合わない)とか(141〜143頁)はちょっと厳しいですが。

17.集客のルール 岡本士郎 明日香出版社
 店舗販売を想定して客を集めるための「ルール」というよりは「アイディア集」的なビジネス書。1項目見開き2頁なので突っ込んだ内容はありませんが、コンビニの立ち読み客は雑誌コーナーを窓側に配置することでサクラの役割を勝手に果たしてくれるとか、毎日先着10人に大サービスをするとそこで利益が出なくても毎日10人は開店前から行列ができ看板代わりになってくれるとか(136〜137頁)、へ〜っと思うこともいくつかありました。全体に広告・クチコミ・リピーターが集客の基本としつつ、売上にどれだけつながるかというコスト意識を強調していて事業者側の視点からは実践的に思えます。インターネットのブログで金でサクラブログを買う(182〜183頁)とかいうのは、哀しいですけど・・・

16.事故と不安の心理学 三浦利章、原田悦子編著 東京大学出版会
 交通事故と医療事故を例に認知心理学の立場から事故に至るヒューマンエラーが発生する過程と事故防止のための対策について論じた本。人間の視力の感度がいいのは注視点から角度でわずか2度程度(130頁)で近距離を注視しているときから遠距離への切替に時間がかかり例えばカーナビを見るとき見ようとした時点から前方への注意が劣化し5秒くらいはその影響がある(144〜150頁)とか、医療機器のデザインが専門家が使うというイメージからヒューマンエラー防止の配慮が少ない(174〜177頁)など、主目的の交通事故と医療事故についてはいろいろと勉強になりました。しかし、研究者の共著にありがちですが(私も最近同じ出版社から出た心理・臨床の人たちとの共同執筆本に書いてますから他人のことは言えませんが)、執筆者の関心があちこちを向いていて読者としてはスッとは読みにくい。それとこの本全体を通じて、原発はヒューマンエラー防止の措置が完璧であるかのような記載が何度か見られ、原発については運転者のミスを防ぐ観点からの原稿はなく、原発の安全性についての市民の「誤解」を解くための説得の試みの原稿が入っています(第2章)。このあたり、リスクとヒューマンエラーというサブタイトルやこの本のテーマからはかなりの違和感を覚えました。原発については運転者のヒューマンエラーのリスクはなく危険だと思う市民がヒューマンエラーだとでも言いたいのでしょうか。第2章だけでなく他にも原発ではヒューマンエラーを防ぐ仕組みが講じられているという記載が何度か見られることからすると編著者の意向なのだと思います。そういうのを見ていると心理学というものが国策を市民に対して説得するための御用学問になりうることの危険性を再認識させる本とも言えそうです。

15.グローイング・ジュニア 内山安雄 講談社
 中年のサラリーマンが中2の時に離れた故郷の村にそれ以来没交渉だった父親の葬儀のために帰り、マセガキだった小学生時代に女性器を見たくてたまらずあれこれ画策したことや親友との交友や衝突、憧れていた同級生などのことを思い出し、最後に長らく会っていなかった親友と酒を酌み交わすというストーリーの青春ヰタ・セクスアリス小説。主人公が父親の葬儀に日頃話もしない中2の息子を連れてきたが葬儀の途中にぷいと出て行ってしまい、息子との携帯電話での会話の現在と過去の想い出を並行させて進めていますが、これが今ひとつ。息子との現在は、結局ストーリーに大きな影響もないし、過去の想い出だけで進めた方がスッキリしたかも。小4の夏休み、女性器を見るための画策に親友を騙してあれこれ引っ張り回した挙げ句に、幼いと思っていた親友がホステスとつきあっていたというどんでん返しがありますが、その親友とホステスが主人公が村を出る中2の頃までどうなったのかは語られないし、中2で村を出ることになった事件は一番最初から思わせぶりに触れられ一番最後になってやっと語られますが、予想とは違いますが、ずっと追ってきたテーマやストーリーとは関係なく唐突で、ストーリーとしてはどうも収まりが悪い感じがします。中年男の小学生時代の想い出と友情、思うに任せぬが不幸でもない現状、まあ人生そんなものだねってふわっと読む作品ですね。

14.山下バッティングセンター 曽我部敦史 メディアファクトリー
 元野球部の学生2人が都市伝説サイトで紹介された地方の山林の中にあるというプロ並みの速球を投げる生身のピッチャーの球を打てる伝説のバッティングセンターを探し訪ねるというストーリーの小説。後半に「腎臓1つ賭けた」30球勝負がありクライマックスを迎え、その後その伝説のピッチャーの半生をめぐるやりとりが続き、それが間延びして、ちょっとしまりのない展開。前半の主人公たちのプロフィールも含めて、野球が好きで、でもプロになれるほどでもないけどやめられない人たちのゆるい賛歌というところです。

13.ランナー あさのあつこ 幻冬舎
 長距離ランナーの男子高校生加納碧李(あおい:読めません、ふつう)と、血のつながらない6歳の妹杏樹、杏樹を虐待しつつ虐待してしまう自分にとまどい悩む母千賀子、陸上部の監督に恋心を寄せるマネージャー前藤杏子、故障して陸上をあきらめる友人久遠らの人間関係と揺れる思いを描いた青春ほろ苦小説。主人公や舞台が陸上部であることは、碧李の走る喜びと試合への恐怖・葛藤をサブテーマとしている点で意味がありますが、小説の中ではかなり副次的な位置づけ。別のスポーツと換えても書けそうな感じがします。作者の代表作/出世作「バッテリー」を読み通した読者ならみんな予想するでしょうから言ってしまいますが、やはり、陸上の試合のシーンは最初の失敗に終わった大会以外は一度も出てきません。普通、スポーツをテーマにした小説なら負けたあとに挫折→再起のきっかけ→猛練習→試合での一定の成果と流れて試合場面で読者のカタルシスが図られるわけですが、そういうシーンはついぞありません。「バッテリー」のようにライバルとの対決を予告しながらそれを引っ張り続け(信じられないくらい引っ張ります)、にもかかわらずあのラストシーン・・・ということではありませんし、「バッテリー」でそれをされたから読む前から大会で勝つシーンはないと予測していましたが、予測していても拍子抜けしてしまいます。タイトルに惑わされずに、これはスポーツ小説ではなく、児童虐待・家族関係を中心とする人間関係ドラマなんだと割り切って読むべきでしょう。スポーツ小説ではないと言い聞かせながらならば、碧李と久遠のキャラクターの対比、杏子の大人びつつ秘めた思いなどの造形に味わいがあり、そこそこ楽しめます。

12.労働CSR入門 吾郷眞一 講談社現代新書
 企業の社会的責任の一環として公正な労働条件(主として労働者の団結権、奴隷的労働・児童労働の禁止)を守っていることを要求し、それを取引・商品購入の前提とし、そのために民間の認証機関の認証を求める動きについて論じた本。著者はこの動きに対して、民間認証機関がアメリカの団体でありアメリカ政府が支援していることから、途上国に対してのみ厳しくなる基本的人権に名を借りた保護主義のツールではないかと警戒するよう指摘しています。労働条件に関する規制については、アメリカもホワイトカラーイグザンプション(残業時間無制限)とか社会保険とかかなりひどいと思いますが、企業に要求する基準はILO条約の基本権部分に限定して「先進国」は困らないようにしているそうです。そういう面、著者の主張にも頷ける点があります。しかし、途上国での多国籍企業や昨今の日本のように使用者側がやりたい放題で政府の規制が効いていないとき、欧米の企業の経済戦略によってでも、労働者の労働条件を改善できるのであれば、それほど敵視する必要もないのではないかとも思います。著者が元ILO職員であるためでしょうけど、ILOの条約が、妥協の産物である部分も含めて最善で、ILO条約の実質的な内容や解釈はILOしかできないという姿勢には疑問を感じますし、ILOの組織防衛を優先している感じがします。ましてやアジアの(人権の)独自性を言い、アメリカの企業にイニシァティブを取られる前に日本版の民間認証機関を作り(そこには自分のような学者を参加させ)アジアの企業を防衛しようというような提言に至っては、労働者の権利の擁護水準の低さを守り経営側の利益を守ろうと言っているようでとても嫌な感じがします。

11.破壊事故 失敗知識の活用 小林英男編著 共立出版
 工場や発電所、航空機・船舶等での破壊事故例を検討して分析した本。具体例に則して書かれているのと、「後日談」「よもやま話」など少しさばけた記述があるので、専門書としてはわりと読みやすいといえます。それでも内容は素人向けに噛み砕いてはいないので、素人にはそこそこの工学の知識とかなりの興味がないとハードルが高い。あと全く同じ文章が切り貼りされて2回出てくるところが目につくのが辟易します。読み通せれば、用語解説とか「知識化」とかコラムが勉強になります。亀裂が入ったときには引っ張り強さの高い材料の方が破壊強度が低くなるのが普通(35頁)とか、近年製鋼技術が向上した結果耐食成分が材料規格の下限ギリギリに制御されたステンレス鋼が市販材のほとんどを占めており昔の材料より耐食性が低くなっている(155〜156頁)とか、大変参考になりました。しかし、編著者自身が原子力発電所関係の審議会とかに入っているせいか、原子力発電所関係のところでは構えたというか安全を強調する記載に終始する傾向があるのは残念。特に最後の統計のところで1996年から2000年の5年間の事故報告を取りあげて平均発生率は極めて小さいといえる(273頁)などというのはかなりアンフェア。この本自体が前半で取りあげているようにその時期に大半の原発で炉心シュラウドや再循環系配管といった原子炉の枢要部に極めて多数の割れが発見されながら報告せずに隠していたことが2002年に発覚しています。それを紹介せずに隠さずに報告された氷山の一角の件数を示して発生率が極めて小さいって、ほとんど詐欺。こういうことをすると、少なくとも原発関係の記述は客観的な技術屋の視点ではなく政治的なバイアスがかかっていると読まざるを得なくなります。事故調査の解析と結論が「わが国では、例外なく主原因は複数となり、材料は必ず主原因の1つにあげられる。これは、破壊事故の社会的責任をあいまいにし、機器のユーザー、メーカーと材料メーカーに責任を分散するという、わが国独自の風土に基づいている。」(145頁)とか、「原子力発電所における応力腐食割れとの戦いは、相手の材料を変えて永遠に続くのである。」(153頁)とか、原子力にまさに当てはまるなかなか興味深い指摘もあるのですが。

10.日雇い派遣 派遣ユニオン 旬報社
 労働者派遣業法で禁じられていないということでまかり通る「登録型派遣」が対象業種の緩和で製造業も原則OKとなったことで肉体労働の「日雇い派遣」が盛んになっている現状をレポートしたノンフィクション。派遣というと何か聞こえがいいけど、山谷や釜ヶ崎で手配師が行っていた人足集めが登録型派遣と携帯電話で行われるようになっただけ。派遣対象外の建設現場や警備業務への派遣や、派遣会社が2つ以上介在する2重派遣など法律違反が横行し(19〜21頁、31頁など)、派遣会社のスタッフも現実の業務内容を把握していないから仕事の内容も行ってみなければよくわからないとか話が違うこともままある(例えば91〜94頁)とか全くの素人に避難誘導の業務を指示したり(98〜99頁)いかにも無責任な現場の状況がよくわかります。日雇い派遣最大手のグッドウィルでは日給がランクによって異なり5ポイントで降格する仕組みで、当日連絡した上での欠勤が4ポイントの上に次回勤務時の交通費1000円自己負担だそうです(85頁)。事実上の罰金だし、体調が悪くても無理して働けということですね。1日数千円のペイから200円のデータ装備費(グッドウィル)、250円の業務管理費(フルキャスト)を控除する派遣会社の強欲ぶり。問題になるとフルキャストは全額返還することになったのに、グッドウィルは会長が全額返すと記者会見で言ったのに実際には全く返還しない(128〜144頁)という話も驚きます。労働者派遣業法ができたときから悪くするとこうなると言われていた通りの(それよりも悪い)事態がやはり現実化しているわけです。政治家・官僚がやるべき仕事は、労働の規制緩和ではなく、こういう悪辣な事業の禁止だと思うのですが。

09.偽装雇用 大谷拓朗 旬報社
 製造業(メーカーの工場)に派遣された派遣労働者たちの実情と労働組合「ガテン系連帯」の闘いをレポートしたノンフィクション。元々労働者派遣事業は正社員を非正規雇用で代替するリスクがあるために専門性のある職種だけで認められたものを、経営側の要求で拡大されてきて、製造業も原則OKにして最後の歯止めとして同一派遣先で1年(現在はさらに緩和されて3年)を超えると直接雇用を申し入れなければならないとされています。現状は、当初の危惧通り(さらに言えばそれを超えて)企業は儲けているのに人件費削減のための正社員のリストラ・非正規雇用による代替をどんどん進めています。この本では、企業がさらにその最後の歯止めをもかいくぐってやりたい放題をしている様がレポートされています。政府・官僚・経営側の願望の「労働ビッグバン」の実態がよくわかります。1年を超えて派遣労働者を使うために契約上は派遣ではなく出向としていた日野自動車、1年たったら労働条件も労務管理も派遣の時と全く変わらないまま(派遣会社が委託を受けて労務管理をしているとか)で契約上は直接雇用にした上で数ヶ月で雇い止めにしていた日立製作所。実に姑息なやり口。労働条件の実情とかけ離れた広告や工場の売店で5000円で買える作業服を8000円で有償貸与していた派遣会社フルキャスト。こういう企業相手に小規模組合のガテン系連帯が団体交渉を重ね少しずつでも成果を勝ち取っていく様が、読んでいて少し心地よい。

08.信長は本当に天才だったのか 工藤健策 草思社
 情報戦や新戦略、経済・社会の改革など織田信長を天才と持ち上げる傾向についての批判を展開した本。桶狭間の戦いは信長の情報収集が優れていたわけでも今川が奇襲を受けたわけでもなく信長が砦の防衛隊を捨て駒にして死守を厳命し今川の砦攻略部隊が疲弊していたことと偶然の豪雨のために今川本隊が足を止め背を向けてしのいでいて体制が整わなかったことが勝因としています。そして攻略までに7年かかった美濃攻めや朝倉攻めの失敗、一向一揆に苦戦し本願寺は10年かけても攻め落とせなかったなど、むしろ信長は戦で負けることが多く戦上手ではないと指摘しています。長篠の戦いの鉄砲3千丁とか3段撃ちは史実ではなく勝因は大軍が堀柵から出ないで鉄砲を撃ち続けその間に酒井忠次の別働隊4000人が長篠城を包囲する武田勢を破り戦場(あるみ原)の武田本隊に後から迫り武田が浮き足立ったことが勝因としています。一向一揆や武田の菩提寺の大虐殺などの非人間性、浅井の裏切りや本能寺に見られる情報収集・分析の不足なども含め、信長の問題点を多数指摘しています。読んでいてなるほどと思いますが、同時に信長批判というか信長よいしょ本を批判しようとするあまりちょっと書きすぎのきらいも感じます。軽めの読み物指向だからでしょうけど、批判としては相手の本もほとんど特定されておらず批判が正しいかどうかは読者としては検証できません。視点としては悪くないと思いますが、自説の積極的根拠がほぼ「信長公記」の記述とその解釈だけで深さや緻密さは感じられないのが、読者としては物足りないところ。

07.ウナギ 地球環境を語る魚 井田徹治 岩波新書
 日本で現在食べられているウナギの大半がヨーロッパウナギのシラスを中国・台湾の養殖池で太らせて日本に輸入しているものであり、そのヨーロッパウナギが2007年、ついにワシントン条約の規制対象になったこと、ウナギの生態の研究や漁業規制が不十分な実情などをレポートした本。日本でも天然ウナギはほとんど捕れなくなりその背景には河口堰やダム、河川・湖沼の護岸の影響が大きいと思われること、しかし、日本ではヨーロッパと異なりそういったことについての研究やダム等でのウナギ遡上のための魚道の設置、水力発電所のタービンでの降りウナギ(産卵のために川を下るウナギ)の致死率を下げるための取り組みなどがほとんど行われていないこと(168〜169頁等)の指摘には驚きました。ウナギの生態の多くの部分はいまだに謎で、産卵場所がようやく最近になってヨーロッパウナギとアメリカウナギはサルガッソー海、日本ウナギはグァム島付近の海山の近辺と特定されたものの、河川を下ってから産卵場所までの親ウナギの動向や産卵直前の様子、孵化直後のウナギの生態などは海域で見た人もおらず謎のままとされています。それでもそういう領域や養殖の研究では日本の研究は進んでいるけど、天然ウナギの保護等については研究が遅れているという指摘は、いかにも産業化のための研究にだけは研究資金が出るという日本の実情を感じます。絶滅が危惧されるほど世界のウナギのシラスやシラスを中国等で養殖したウナギをかき集める世界最大のウナギ消費国日本が、天然ウナギの保護はお粗末、漁獲量が減少した最近消費量が急激に増えている(中国での養殖で安くなったため)ということには、考えさせられます。

06.ザ・小学教師 別冊宝島Real 宝島社
 「現場教師の視線で作ったホンネの小学校&教員ガイド」のサブタイトルにあるように主として教師への取材の体裁を取って現在の小学校の問題点をレポートしたムック本。学級崩壊とか児童虐待とか親からの言いがかり的なクレームとかの指摘、教師の悩みは、読んでわかります。親から出されるクレームの内容なんて失笑もので確かにこんなこと言われてもなあとは感じます。でも、変な客やクレーマーはどの業界でもいるもの。それを全部客が悪いでは商売やっていけないはずです。この本を読んで一番感じるのは、執筆者の感想で「教育の現場は教師が悪いとも親が悪いとも断罪はできない」(224頁)とありますが、執筆者の姿勢が、最初からすべてを教師か親に問題点というか責任を求めていて、校長や教育委員会の姿勢についての問題の指摘が皆無なこと。編集部の指向性が原因なのか、取材相手の自己抑制が原因なのか、どちらにしても教育問題を扱いながら幹部や役人の問題が1つも出てこないということ自体、恐ろしいと私は思うんですが。

05.下流少年サクタロウ 戸梶圭太 文藝春秋
 学級崩壊して授業の体をなさず、教師は保身しか考えず荒れる児童に無抵抗、親は集団でクレームを付けるばかり、児童は保健室にたまり、学校は保健室前に豪腕の警備員を配置といった荒れ果てた小学校で、限りなく失業者に近い父親と2人暮らしの小学5年生輪島朔太郎が、憧れのタレント美少女ジコチュウ小学6年生杉町レイラの気まぐれに翻弄されながら過ごす小学校生活サバイバル小説。このテーマ、書きようによっては問題提起になるんでしょうけど、設定が誇張(戯画化)し過ぎで、それはまあ小説だからいいとして、作者の視線が意地悪い(特に教師や親や「下流」の人たちに対する愛情やシンパシーが感じられない)感じで、どうも読んでいて気分が悪くなるだけでした。後半父親を刺して(致命傷にはならなかったけど)逃亡し罪を重ねる朔太郎の行く末も、扱いかねたのか、よくわからないままで(特に朔太郎自身が自分の中でどう整理したのか全然触れられもしないで)終わってしまい、物語としても不満感が残りました。

04.ラブかストーリー 松久淳+田中渉 小学館
 超美少年だが中身はネクラでオタクの小説家志望で独り言癖のあるうぶな高校生が通学電車で一緒になる超美少女に憧れる青春恋愛小説。うぶな少年と周囲の性的に開けっぴろげな大人たちのコメディ風の会話と、主人公の内心あるいは妄想からこぼれる独り言で場面を展開して間を持たせていくパターンです。コメディ風の部分は軽く読めるけど、独り言部分はその気持ち悪さを茶化してはいますがそれがまたすべっていてしらけ気味。間に、最後に種明かしされますが、明らかにトーンの違う幻想/妄想的な気取った作文がはさまれていて、これがまた疲れる。どうせならコメディで統一すればいいのに。しかし、それにしてもこの小説、一体どういう世代をターゲットにしているのでしょうか。この種の小説を読みそうな中高生・ヤングアダルトを狙ったにしては中途半端な文体。それに何と言っても出てくる漫画(「タッチ」「まいっちんぐマチ子先生」「日出処の天子」「あさきゆめみし」「カリオストロの城」「なぜか笑介」「バナナフィッシュ」)や映画(「ベルリン・天使の詩」「昨日・今日・明日」「男はつらいよ」スターウォーズシリーズ「奥様は魔女」「気狂いピエロ」「勝手にしやがれ」「アルフィー(2004年のジュード・ロウ主演の方ではなくて1966年のマイケル・ケイン主演の方!)」「戦艦ポチョムキン」「アンタッチャブル」)、歌(「マイレボリューション」「恋しさとせつなさと心強さと」「迷い道」フリオ・イグレシアス「ビギン・ザ・ビギン」「グッドバイからはじめよう」「すみれSeptemberLove」「オリビアを聴きながら」「サムライ(沢田研二)」「I SAY A LITTE PRAYER」)がすべて80年代前半かそれ以前(バナナフィッシュが85年連載開始なので辛うじてそれ以後とも・・・あとたぶん唯一の例外が「クレヨンしんちゃん」)。80年代前半を舞台にしているならわかるけど設定は明らかに現在。作者のサブカルチャー体験は80年代前半でストップしているんでしょうか。さすがに恥ずかしいのか、寿司屋の主人に20歳の時に読んだ本は今でもあらすじはいえるが30歳の時に読んだ本は作者の名前すら忘れたりする、大人になってから受け取ったものはもはや自分の中に収容場所がない、大人になって急に興味を持ったことについての蘊蓄は底が浅い(241頁)なんてことを言わせていますけど。主人公はおじさんたちを自分とは別世界の「昭和の」(70頁)と位置づけていますが、この主人公の頭の中もサブカルチャーは完全に昭和世代(団塊ジュニアかそれより前)。坂道をオレンジが転がって来るという主人公の小説のシーンとスーパーボールが散乱するラストシーンだけはSony+YoutubeのCMを流用してて広告だけは最新のものも頭に入っているようですけどね・・・

03.非暴力 武器を持たない闘士たち マーク・カーランスキー ランダムハウス講談社
 非暴力・不服従運動について、主としてアメリカとヨーロッパでのその展開について広く浅く紹介した本。このテーマにありがちなようにカバーではガンジーの写真を掲げ、はじめにガンジーとイエス・キリストを非暴力運動の象徴として紹介していますが、ガンジーやアジアの運動については終盤で付けたし的に紹介しているだけで、著者の関心は専らヨーロッパとアメリカでの良心的兵役拒否や公民権運動などにあります。大半の宗教は戦争を非難し道徳に反することなく政治的変革を進めることのできる道は非暴力しかないと認めている(30頁)にもかかわらず、正義の戦争とか敵方は人間ではないとかのレトリックで戦争が煽られて行き、一度戦争となると非暴力を貫く者が虐殺されあるいは投獄されてきた歴史が繰り返し紹介されています。非暴力不服従運動を実践することは非常な忍耐を要し、権力者は非暴力不服従の危険を知っているので暴力によって挑発したり運動に紛れ込ませたスパイによって暴力を行使させたりして切り崩しを図り、多くの運動が圧倒的な暴力に対しては暴力で闘うしかないとか今回は例外だとかして暴力を行使して大義を失って衰退して行ったことが論じられています。アメリカ独立戦争期のペンシルバニアでの兵役拒否やインド独立運動、アメリカでの公民権運動など成功した非暴力不服従運動も長く続かず暴力派へと主導権が移って行きました。しかし、他方において武力の行使や武力による威嚇の成果とされている歴史上の変革も実際には戦争によらなくても実現できた可能性が高い(アメリカ独立とか)し、戦争で実現したというのは後付(ファシズムとの戦いとか)で実態は違うとも指摘しています。ナチスのユダヤ人虐殺に対しても渋々占領された上でナチスへの非協力に徹し政府主導でユダヤ人を匿い続けたデンマークでは1人もアウシュビッツには送られず、他方武装抵抗した国々では多くのユダヤ人が虐殺された(206〜208頁)ことも非暴力運動の成果と指摘されています。プラハの春以後のチェコやポーランドの連帯の運動なども非暴力運動の系譜に位置づけられ、大きな流れとしてのとらえ方に新鮮味を感じました。それぞれの運動を知るためにはちょっと物足りない感じですが、これまで知らなかったアメリカ先住民やアメリカ独立期、ヨーロッパでの各種の運動の存在を知ることができただけでも勉強になりました。

02.KAPPA 柴田哲孝 徳間書店
 牛久沼で2人の釣り客が相次いで死体で見つかった事件を追って、ルポライターの有賀雄二郎、牛久警察署の阿久沢らが謎を解明し牛久沼に住む怪物を突き止め捕獲するというストーリーの小説。体育会系武闘派の有賀と阿久沢、のんべで腕のいい川漁師の源三爺さん、死んだ川漁師の息子で不登校中の少年太一らのキャラクターと、作者の趣味の釣り、特にバスフィッシングの蘊蓄で読ませる本になっています。ブラックバスをはじめとする外来種による在来種の生態系の破壊についての問題意識と、さらには人間の都合で日本の野に放たれて悪者扱いされている外来種への同情が感じられます。
 2007年9月06.で紹介した「ダンサー」は同じ登場人物による続編になるようです

01.ROUTE134 吉野万理子 講談社
 かつて南葉山で小中学生時代を送った出版社の編集部員33歳が仕事の打ち合わせで南葉山を訪れた帰りにふと立ち寄った店がかつて好きだった同級生が経営するカフェというでき過ぎたスタートから、ちょっとした意地悪と意地からすれ違いいじめに発展した中学生時代のトラウマ、現在のカフェの従業員や客をめぐるいくつかの事件を展開させながら、当然に予想されるでき過ぎのエンディングまで、湘南の・・・波よりも風のノリでさらっと展開する青春プレイバック恋愛小説。主人公が気にしている過去のいじめは、そりゃあんたが悪いだろって事件で謝らないで突っ張ったための自業自得、シカトする側もほどほどでやめときゃいいのにやめないってとこに問題があるけど、それでも何か相手の性格の悪さが強調されて本来は事件の被害者側の子が悪役になってしまう展開はちょっと疑問。最後の方で主人公が少しリカヴァーしようとするんだけど、ちょっとね。タイトルは湘南を走る国道134号線と杉山清貴とオメガトライブの曲名から。まあ湘南と曲のイメージに乗せて小難しく考えずに軽く読むといいでしょうね。

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