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 裁判例の引用(裁判例の使い方)

ここがポイント
 裁判例の引用は、その事案でこういう結論を出すべきだと裁判官を説得するために行う
 引用する裁判例が結論を導いた理由、重視した事実が、争っている事件に当てはまるものでなければ引用する意味がない

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裁判例を引用する意味
 事実関係が決まれば、そこから判決の結論が自ずから決まってくるような場合、裁判官にその結論を求めるために特別な説得は必要ありませんし、自分の主張を支持するような裁判例を探してきて引用する必要もありません。
 しかし、事実関係が決まっても、それに適用すべき法の内容がはっきりしない、少なくとも結論が一義的に明らかとは言えないような場合も多々あります。
 「民事裁判での弁護士の役割」でも説明しているように、例えば、解雇の有効・無効について労働契約法は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」(労働契約法第16条)とか、「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」(労働契約法第15条:懲戒解雇の場合)などと定めていますが、これだけ見ても、どういう事実関係が認められれば解雇が有効となるのか(無効となるのか)、明らかとは言えません。そういう場合、裁判官を説得するために、自分の主張を支持するような別の事件での裁判例を引用することがよくあります。もっとも、解雇の有効・無効に関しては、解雇事件に経験豊富な裁判官(例えば東京地裁労働部の裁判官)と労働事件の経験豊富な弁護士の間では、概ね理解が共通していますので、裁判官を説得するのに必ず裁判例の引用が必要というものでもありません。裁判例を引かなくてもこの事実関係なら裁判官の理解を得られていると判断すれば、あえて裁判例は引用しません。裁判例の引用は、裁判官を説得するために行うもので、引用すること自体に何か意味があるわけではありません。
 そして、裁判例の引用は、争っている事件で、引用する裁判例(自分の主張を支持する裁判例)と同様の結論を出すことが適切だ(正しい)と裁判官を説得するために行うのですから、裁判官になるほどと思わせる必要があります。そのためには、引用する裁判例でその判決をした裁判官がどういう理由からその判決を導いたか、それに際して重視した事実は何かをよく検討し、それが今争っている事件に妥当することを論じる必要があります。その点をよくよく検討せずに見当外れな裁判例を引用しても、裁判官に呆れられるだけです。その理由と重要な事実の見極め、判別ができるか(するか)こそが、素人と専門家、さらにはふつうの弁護士とその分野が得意な弁護士の際立った差といえるでしょう。

引用する裁判例の理由と重視している事実の検討
 解雇事件で、使用者から、労働者が旅費・交通費の精算請求で水増し請求をして実支出額よりも多くの支払を受けたことを解雇理由として主張され、労働者側はそれは使用者が支払を拒否した他の業務上の費用の支払いに充てたと主張している事案がありました。
 私(労働者側)は、その事件の事案と裁判の展開から見て、労働者が業務上必要な支出に充てたことをきちんと立証すれば、裁判官は解雇無効と判断すると読んでいましたので、裁判例を引用することは考えていませんでした。
 そこへ、使用者側の準備書面で、経費・手当の不正請求を理由とする解雇を有効とした裁判例を羅列して引用してきました。「本件のように経費の不正請求を理由とする解雇について有効と判断した裁判例として以下のものが挙げられる。(1)札幌地裁平成17年2月9日判決 旅行業を営む会社の従業員が合計23万8400円の出張旅費を不正に受給したことを理由に懲戒解雇された件について、不正受給を繰り返して行っていたこと、当該出張旅費を交際費に流用していたとしてもその必要性は高いとはいえないことなどから懲戒解雇が有効とされた。(以下略)」
 この引用自体は、要約に不正確な点はありますが、間違いというわけではありません。素人の方から、自分と同じケースでこういう裁判例があるとか言われてよく辟易するようなまるで事案が違って話にならないというものではありません。その意味で、放置すると裁判官が深く検討しないで引きずられる可能性がありますので、反論することにしました。
 この使用者側の裁判例引用に対する私の反論は以下のとおりです。

 被告引用の札幌地裁平成17年2月9日判決は、ジェイティービー事件・札幌地裁平成17年2月9日判決(労経速1902号3ページ)であるところ、同判決は、JTBの関連会社である株式会社ジェイティービートラベランドに出向して同社の釧路営業所所長の地位にあった労働者が、出張旅費について実際の出張に見合う宿泊費・日当を超える本来返還すべき金額を返還することなく流用・着服したために使用者の主張では16回合計23万8500円の着服を理由として懲戒解雇され、裁判上は15回合計22万6500円の流用・着服の事実が認定されて懲戒解雇が有効とされたものである。
 当該事案では、本件とは異なり、少なくとも問題とされた15回のうち3回は、労働者が実際には出張に行っていないことが認定されている。また、判決で判示された流用・着服額(使用者が主張する着服額も)はすべて実際に行った出張に見合う旅費・宿泊費・日当を差し引いた差額であり、被告主張のような交付額ではない(交付額を着服額と主張する被告の主張は異例な独自の見解である)。
 同判決においては、解雇権濫用の判断に当たり、まず総論的に「懲戒解雇事由が存する場合であっても、その着服した金銭の使途等を含めた具体的事情いかんによっては、懲戒解雇の相当性を欠き、解雇権の濫用に当たる場合があり得る」としており、「金銭の使途」を明示的に挙げ、現実に経費に流用した場合は解雇権濫用に当たりうることを判示している。
 当該事案では、例えば「原告は、出張旅費を流用した例として、平成14年7月16日に『スナックすすき野』において、E課長、Cマネージャーと業者との打ち合わせ(2次会)を行って2万円を支出し、同年8月1日には『炉暖かわむら』において、E課長、Cマネージャーと社内営業打ち合わせを行って1万3800円を支出したと弁明するが、E課長はいずれも網走営業所に勤務していて、釧路営業所には出張しておらず、Cマネージャーは前者については当日年休を取得しており、後者についても同席していないとしている上(書証略)、いずれも金額が後に変更されていることに照らすと(書証略)、原告の弁明の信用性には疑問がある」とされ、要するに他の経費への流用の事実自体が認定できなかったものである。
 そして、同判決は、解雇を有効とした事情の筆頭に「原告がトラベランドの釧路営業所所長の地位にあって、現場の責任者として経理を統括すべき立場にあったにもかかわらず」不正受給を重ねたことを挙げている。
 したがって、同判決の判旨からは、本件とは異なり現実には出張に行かなかったケースが複数見られる場合であっても、他の経費に現実に流用されたのであれば解雇権濫用に当たり得るものであり、カラ出張など1度もなく差額も現実に他の経費に流用していた本件では、それを理由とする解雇は解雇権の濫用に当たるというべきである。

 使用者側が引用した札幌地裁の判決は、判決上は22万6500円を着服して私費流用したことが理由で懲戒解雇有効とするもので、そこだけを見れば労働者に不利なものです。しかし、判決の総論的な考え方として、金銭の使途等を含めた具体的事情によっては経費の不正請求が認められても懲戒解雇は無効となり得るとしていること、懲戒解雇が有効とした判示では当該労働者が営業所所長の地位にあったことが重視されていること、事案としてもカラ出張(そもそも出張に行っていない)が複数あり、営業上の費用への支出が認められてもダメと言っているのではなく営業上の費用に支出したという主張自体が事実として認められなかった事案であることなど、懲戒解雇を有効とした理由付けでもそこで前提とされている事実関係でも、使用者側の引用とは大きな違いがあったので、それを丁寧に指摘したものです。
 私の主張の最初のパラグラフの指摘は、使用者側が23万8400円の不正受給と引用したことについて、当該事案では使用者が23万8500円の不正受給を理由に懲戒解雇し裁判所は一部認定落ちで22万6500円の不正受給を理由として懲戒解雇を有効としたと指摘しているもので、実は労働者側に不利に働きかねないものです(より少額の不正受給で懲戒解雇有効と言っているのですから:よい子のみなさんはマネしないように。(^^ゞ)。ちゃんと判決文読んでから引用してよねという嫌みでもありますが、判決を引用するときは、やはり事実は正確に引用したいものです。こういう正確さ・公正さが裁判官にアピールできるものですし、全体として後半の議論で裁判官を十分説得できると判断していますので、一部不利に働くとしても大勢に影響はないと判断してのことです。
 このケースでは、私の読みどおり、裁判官から、解雇無効の心証開示があり、通常退職金+賃金2年分を少し超える解決金の支払を受ける実質的に勝訴を意味する和解が成立しました。

 プロとして裁判で裁判例を使うときは、この程度には判決文を読み込み検討して行うべきものです。
 私も、それほど得意でない分野で裁判例を引用するときは、この件での使用者側レベルのこともあるかも知れませんが、それでもその道の専門家を相手にするならこれくらいの切り返しがあることは覚悟すべきでしょう。
 また、相手の裁判例引用に対する反論も、上の例で私が行っているように、引用された判決の裁判官の判断を読み込んでそれに即して行うことが必要です。事件は1件1件個別で、100%同じということはないですから、争っている事件の事案と引用された判決の事案はどこか必ず違います。しかし、引用された判決で重視されていない点で事実の違いをいくら言っても裁判官の心に響きません。素人の方が、控訴や上告や再審請求の相談に来て判決の誤りを言うときにイヤになるほど経験していますが、判決の結論に影響しないような枝葉の部分でもし判決に誤りがあったとしても、それをいくら書いても勝訴できません。それと同じように、あくまでも、相手方の裁判例引用に対する反論は、引用されている判決の論理と重視されている事実を読み込んで、そこでの違いを論じなければ意味がありません。その判別とセンスが、素人と専門家、ふつうの弁護士とその分野が得意な弁護士の際立った差といえるでしょう。

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