庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「弥生、三月 君を愛した30年」
ここがポイント
 「3月」へのこだわりよりも、坂本九の歌を選んだことの方が効いているように感じる
 りりしい弥生の重く沈んだ様子、太郎の情けなくなる一方の様子に人生の悲哀を感じる
  
 惹かれ合いながら別の道を歩んだ2人のすれ違い交差するその後を描いた恋愛映画「弥生、三月 君を愛した30年」を見てきました。
 公開3日目、コロナ自粛延長中の日曜日、新宿ピカデリーシアター6(232席)午前11時の上映は、1〜2割の入り。恋愛映画のはずなんですが、時節柄か、カップルは少なく、1人客が多数派…

 友達思いで正義感の強い結城弥生(波瑠)は、難病の友人渡辺サクラ(杉咲花)が思いを寄せていた同学年の山田太郎(成田凌)に、サッカー部をやめたことを思い直させようとして口げんかになり、太郎の頬を張ってしまう。そのまま登校した弥生は教室の黒板に書かれたサクラのエイズ罹患をからかう落書きに怒り、穏便に済ませようとする教師を叱咤し、エイズは血液交換でしかうつらないと、皆の前でサクラにキスをして、親友を傷つける者を私は許さないと宣言する。あっけにとられて見ていた太郎は、その後2人と親しくなり、サクラの病床を見舞うようになる。1988年3月の卒業式に遺影を持って登壇したサクラの両親は、サクラの好きだった歌を聴いてくださいと、「見上げてごらん 夜の星を」を流す。卒業式を終えて、サリバン先生のような教師になるという弥生とサッカー選手としてワールドカップに出場するという太郎は、互いに夢を語り、別々の道を歩んだ。その後、思うに任せぬ人生を歩み、それぞれに別の人と結婚した2人だったが…というお話。

 難病ものと恋愛ものの掛け合わせですが、難病で死んだサクラが太郎を好きだったという設定が、サクラの親友の弥生が容易には太郎と結ばれない、それぞれの現状や心境がサクラの墓参りの場面で語られる、そしてサクラが残したメッセージがもつれよじれた2人の心に沁みるというようにさまざまな場面で効いてきます。常に「3月」を描くというコンセプトは、惹かれ合いながら友達でいることを選んだ男女の23年間を7月15日だけで描いた「ワン・デイ 23年のラブストーリー」に着想を得たものでしょうけれど、弥生が東京にいたという設定で1995年3月(地下鉄サリン事件等)は何故出てこないのかが気になったりとか、もうすぐ東日本大震災の津波が来るよねと先が予想できたりとか、必ずしも成功したようには見えません。むしろサクラの好きだった歌として「見上げてごらん 夜の星を」を取り上げてさまざまな場面で、この「昭和」な歌を流し、1985年8月12日の日航機墜落事故で坂本九が死んだこととサクラの死あるいはサクラの思いを偲ばせることがより効果的だったといえるかも知れません。
 ラストシーンからすると、弥生も(まぁ弥生は、名前自体からそうだろうなと思いますけど)太郎も3月生まれのようですが、2人の30年を3月の場面だけで描いたというこの映画で、1度も誕生日を祝うシーンがないということが、2人の人生を象徴しているように思えます。
 いくつかの場面でりりしさを見せる弥生が、重く沈んだ表情を続け、サクラが死んでから心から笑ったことがないかも知れないという様子、高校時代おどけて人を楽しませることが好きだった太郎が、どんどんと情けなくなっていく様子に、人生の哀しさを感じます。人生は、そういうものだから、だからひとときでも自分を貫き輝く場面が貴重で尊いのだ、ふだんくすぶり、打ちひしがれていたとしても、それだけじゃないんだともいえますが。
(2020.3.22記)

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ