たぶん週1エッセイ◆
映画「トイレット」

 母の死をきっかけに始まった3人兄弟と祖母のぎこちない同居生活を描いた家族関係ドラマ「トイレット」を見てきました。
 封切り2週目日曜、午前9時台の上映でも9割くらいの入り。観客層は中高年中心で女性が多数派。一人客も結構いました。

 母が死ぬと、残されたものは、大きくない家と、引きこもりのモーリー(デイビッド・レンドル)、研究所勤めのガンダムオタクのレイ(アレックス・ハウス)、勝ち気な学生のリサ(タチアナ・マズラニー)の3人兄弟と、猫のセンセー、そして母が死の間際に呼び寄せたばーちゃん(もたいまさこ)だった。ばーちゃんは英語が話せないためか、母が死ぬと誰とも話さずに母の部屋にこもり、トイレから出てくると毎回深いため息をついていた。レイは人と関わりを持たずに生活することを信条としていたが、アパートが火事に遭い、やむなく母の残した家に戻ってきて、ばーちゃんと3人(とセンセー)の共同生活が始まった。最初はばらばらだった兄弟とばーちゃんだが、家を片付けていたモーリーが見つけた母の古いミシンに興味を示し裁縫を初めて失敗するのをばーちゃんが解決したり、深夜パンクな音楽番組を見つめているばーちゃんにリサが興味を示したりと、会話はないものの次第に心を通わせていき・・・というお話。

 もたいまさこの台詞が、わずか2語。会話ができないというだけでなく、ボディランゲージもほとんどなく、相手から一生懸命話しかけられて初めて反応を見せるという状態。それでも、存在は受け入れられ、心はどこか通じていく。そういうドラマを通して、話すこと=会話が/だけがコミュニケーションか、血縁関係があれば家族か、同居していれば家族か、血縁関係がなければ家族の絆は生じないかというようなことを問いかけています。
 そういうしんみりじんわり系のテーマを、時々くすりとするくらいのコミカルさで描いた映画です。

 監督ともたいまさこだけが日本人で、他の俳優、スタッフはカナダ人(ちょい役で出演のサチ・パーカーはアメリカ人ですけど)で台詞は英語なんですが、わかりやすいというか、ほんとかいと思う英語が多かったような。
 レイがばーちゃんの作った餃子を食べて「ギョーザ ワズ デリシャス!」(と聞こえましたが・・・餃子って「ギョーザ」なんだろうか、そして不可算名詞なんだろうかとかちょっと悩みました)と言った後、さらに「ギョーザ ワズ クール!」と繰り返したシーン。クールを繰り返すもんで、これはばーちゃんがレイの皿をひったくって餃子を温め直して出すかなと思いましたが、そういう展開にはなりませんでした。
 私としては、エンドロールで、もたいまさこに跳ねてもらいたかったなと思いました。
 コミカルに作るならそれくらいしても、と思ったのですが。

 冒頭のナレーションが「今日、ママが死んだ」ですから、私の世代では当然カミュの「異邦人」の引用を意識しますが・・・引っかかりそうなのは、タイトルに絡めて「異邦人」のばーちゃんが登場するくらいかなぁ。こういう有名な言い回しを使うのならもう少しパロって欲しいと思うのですが。

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