たぶん週1エッセイ◆
映画「ある公爵夫人の生涯」
ここがポイント
 予告編の作り方・売り方に疑問を感じる映画
 上流階級の連中のしたたかさというか複雑な人間関係というか魑魅魍魎ぶりが印象に残る

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 18世紀のイギリスで有力な公爵に嫁いだ娘の生き様を描いた映画「ある公爵夫人の生涯」を見てきました。
 封切り3週目土曜日午前、関東地方大雨の中ですからもちろんガラガラでした。

 好奇心旺盛な元気な17歳ジョージアナ・スペンサー(キーラ・ナイトレイ)が、イギリスの有力な貴族デヴォンシャー公爵(レイフ・ファインズ)に嫁いだが、公爵は妻を血統のよい跡継ぎの男子を産む道具としか考えておらず会話もなく関心も示さず、メイドに手当たり次第手を付け、元メイドに産ませた子供をジョージアナに育てさせたりします。ジョージアナはギャンブルや政治にも関心を示し社交界の花形となりますが、公爵には顧みられず、生まれる子どもも娘が2人で男の子は2度とも流産し、夫婦仲はうまく行きません。夫に捨てられた友人エリザベス・フォスター(ヘイレイ・アトウェル)を屋敷に住ませますが、公爵はエリザベスにも手を付け、それを知ったジョージアナがエリザベスを追い出せと迫っても公爵は拒否して妻妾同居状態。ジョージアナも公爵がパトロンのホイッグ党の応援で親しくなった新進の政治家チャールズ・グレイ(ドミニク・クーパー)と不倫の関係を持つようになり・・・というお話。

 予告編では、ひたすらダイアナ妃とかぶらせ、ダイアナ妃の似顔絵を2度もクローズアップし、「同じ先祖を持つ2人の女性」「運命に結ばれ・・・遥かなる時を経て、歴史は繰り返される」と、ダイアナ妃を売りにしています。しかし、映画本編ではダイアナ妃のことは全く出てきません。
 予告編の映像のつなぎ方もかなりミスリーディング。裸で逃げ去る女性は「彼女」(エリザベス)ではありませんし、二度と子どもとあわせないという台詞の後につなげられた娘が手を引かれて行くシーンも全く別の意味。ジョージアナと叫ぶグレイのシーンにつながれたジョージアナが駆け寄るシーンもグレイと引き裂かれるシーンではなく別の人とのシーンです。予告編の作り方としてありがちではありますが、これはかなり酷い。
 どちらの意味でも、予告編の作り方・売り方に疑問を感じる映画でした。

 映画そのものは、むしろデヴォンシャー公爵、エリザベス、ジョージアナ、チャールズ・グレイも含め、上流階級の連中のしたたかさというか複雑な人間関係というか魑魅魍魎ぶりの方が印象づけられました。チャールズ・グレイとジョージアナは純愛と描かれているようにも読めますが、デヴォンシャー公爵を最大のパトロンとするホイッグ党の有望政治家で後に首相になるグレイがどこまで本気だったか、ジョージアナも娘を見捨てられないとグレイの求愛を最終的には断るわけですしどこまでの覚悟だったか、1つの駆け引きの範囲と読む余地も残されています。最終段階でのデヴォンシャー公爵の態度は逆に当時の時代の価値観の中で育ち愛情表現に不器用だったという反省を読み込む余地もあります。結局、単純な割り切りよりも、複雑な側面を持つ人たちの一筋縄ではいかない感情(と性欲)の処理が建前とメンツの許容範囲の中でなんとか収められたという物語かなと思いました。

 公式サイトでは役名も役者名も紹介されていませんが、ジョージアナが育てさせられる元メイドの娘シャーロットが愛くるしい。子ども同士で遊ぶシーン、ジョージアナにママと言いながら駆け寄るシーンの可愛さ、そして予告編では引き裂かれるーンのように編集されているジョージアナを気遣いながら振り返るシーンの切なげな表情・・・いつものお父さん目線の私ですが。

 タイトルの“The Duchess”。音声の至るところで、ダッチェスと入り、えっ何でオランダが出てくるの?英語でオランダが出てくると大抵けなし言葉のはずなのに、と戸惑いました。これが公爵“Duke”(デューク)の女性形だと気づくまでにずいぶん時間がかかりました。こういう不規則変化が多いから、英語って苦手。

(2009.4.25記)

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