たぶん週1エッセイ◆
映画「ゲットバック」
 ニコラス・ケイジがかつての強盗仲間に娘をさらわれて1000万ドルを要求され、娘の救出のために奔走する映画「ゲットバック」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、東京では4館の上映館の1つ新宿ミラノ3(209席)午前11時50分の上映は、雨の中とはいえ、1割くらいの入り。

 凄腕の銀行強盗ウィル・モンゴメリー(ニコラス・ケイジ)は、ヴィンセント(ジョシュ・ルーカス)、ライリー(マリン・アッカーマン)らとともに、包囲する警察隊を出し抜いて鮮やかに銀行地下金庫から1000万ドルを奪取したが、逃走中に路上にいた男を殴りつけ射殺しようとしたヴィンセントをウィルが止めたことから口論となり混乱の中でヴィンセントは自分の脚を撃ってしまい逃げ遅れたウィルはパトカーを奪って一人で逃げるが追い詰められて逮捕される。8年後出所したウィルは、元妻と暮らす娘アリソン(サミ・ゲイル)を訪ねるがすげなくされ、アリソンは用事があるからとタクシーを拾って去ってしまう。その直後、アリソンの家の前に置かれた郵便物に入っていた携帯が鳴り出し、死んだと聞いていたヴィンセントから、娘をさらった、12時間以内に1000万ドルを持ってこいと要求される。ウィルは警察に駆け込むが、1000万ドルを秘密裏に取りに行くための捜査攪乱の芝居だろうと取り合ってもらえない。ウィルはヴィンセントが運転するタクシーを独力で追うが・・・というお話。

 カーアクションはありますが、基本的には、娘を思う親心の切なさと、かつての仲間との関係も含めた人間関係のドラマです。
 かなりの程度自業自得で、ライリーが言うようにむしろウィルが共犯者のことをひと言も言わずに一人で罪をかぶったために逮捕を免れたことを感謝するのが筋なのに、おまえのおかげで脚を失ったの1000万ドルが手に入らなかったおかげで俺の人生はむちゃくちゃになったのと逆恨みし、執念深くウィルに迫るヴィンセントの悪辣さ・性格の悪さ・人間としての卑しさが、この映画をわかりやすく感動的なものにしています。実際にこういう人がまわりにいたらものすごくうっとうしいけど、映画としては白眉の演技といえるかも。

 金塊が溶け落ちるシーンは、福島原発震災後の目にはメルトダウンを連想してしまいます(融点1064℃で、燃料棒よりかなり低いですけど)が、水に接触してあんなにきれいに固まってくれるんでしょうか。映画のテーマとは関係ありませんが、好奇心を持ってしまいました。

 ウィルが逮捕される前に、「罪を軽くするために」盗んだ1000万ドルを焼き捨てたという設定は、理解しにくいところです。盗まれた1000万ドルが出て来ないことで、1000万ドルの強奪あるいは強奪額(被害額)が裁判上立証できないということか、あるいは単独犯とは考えられないことからウィルが盗まれた金をまったく持っていないことが「分け前を受け取っていない」と評価され従って共犯者中の地位が低かったと評価されるということか・・・。前者だとしたら、銀行側が1000万ドル盗まれたといっても、その銀行側のいうことが信用できないってことで、それならとてもおもしろいところです。日本の裁判官は、銀行のいうことに、信用できないなんて判決を書くことはかなり稀だと思いますが、アメリカだと陪審だし、そういう判断もありうるということなんでしょうか。後者については、既に警察が包囲しているように、かなり有名な銀行強盗なわけだから、そうは解釈してくれそうにないけど。
 私の感覚では、手に持ったまま逮捕された方が、被害が回復されたことになって罪が軽くなると思うんですけどね。 

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