庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「スポットライト 世紀のスクープ」
ここがポイント
 調査の過程も、カトリック教会等の抵抗も派手な場面はなく、ストーリーはかなり地味
 記者を褒め讃えるだけでなく、過去に記者の怠慢・無関心で放置されたことも描いている点が秀逸

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 2016年アカデミー賞作品賞受賞作「スポットライト 世紀のスクープ」を見てきました。
 封切り3日目日曜日、TOHOシネマズ新宿スクリーン7(407席)午前10時10分の上映はほぼ満席。

 2001年、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長マーティ・バロン(リーブ・シュレイバー)が就任し、調査報道による連載コーナー「スポットライト」を担当するチームに対し、カトリック教会神父による児童性的虐待事件の証拠開示請求を申し立て調査するように指示をした。部長(ベン・ブラッドリー・Jr)は最初は新しい編集局長の意図を疑うが、スポットライトチームのロビー(マイケル・キートン)、レゼンデス(マーク・ラファロ)、サーシャ(レイチェル・マクアダムス)、マット(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)らが、周囲の抵抗・反発を受けながらも調査を始めると、カトリック神父による児童虐待は稀なものではなく、神父全体の6%もが虐待に手を染め、問題になると教区を転属になり、教会上層部が問題を知りながら隠蔽し続けてきたことがわかり…というお話。

 実話に基づく物語のため、調査の過程も、カトリック教会等の抵抗も、派手な場面はなく、ストーリーはかなり地味に展開します。事実を詰めていく記者たちの努力や思いというあたりが見どころで、じんわりとした共感というところで満足感を持てるか、が作品の評価を分けそうです。「世紀のスクープ」というタイトルや、「アカデミー賞作品賞受賞!」につられて見に行くと、期待外れと感じそうです。
 「スクープ」としては、ややわかりにくいのですが、「神父の児童虐待」自体がスクープということではなく、それは相当前から度々刑事事件になったりして報道されていたのですが、異常な神父による極めて稀な例として受け止められていたところ、そうではなく相当な数の児童虐待が報道されないままに闇に葬られ、しかもカトリック教会上層部が神父による多数の児童虐待を知りながら問題神父の転属や休職で世間に知られないようにしていたということが「スクープ」になります。
 この作品は、記者たちの奮闘を描いているのですが、単純に記者の正義を褒め讃えるのではなく、児童虐待を扱ってきた弁護士が20年以上前にボストン・グローブ紙に告発資料を送っていたにもかかわらず記事にされなかった、それも圧力により潰されたのではなく記者が関心を持たず調査もしなかったということも描いている点が秀逸に思えます(最初わかりにくかったのですが、冒頭に1976年という表示があり、児童虐待で神父が逮捕され、警察官が、記者は地元紙の1紙だけ、大手は来てないと話しているシーン、司教が記者を追い返せと話しているシーンが続き、この作品全体が1976年の話かと思っていました。新聞社でパソコンやインターネット、さらには携帯電話が普通に使われているシーンが続き、1976年にそれはないだろ、と思ったのですが…この時代から、神父が逮捕されることがあっても新聞記者の関心は低く警察も教会と一緒になって報道させない姿勢だったことを示唆していたのですね)。
(2016.4.17記)

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