庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「アクトレス 女たちの舞台」
ここがポイント
 テーマは、かつての自分に囚われる大女優が、時の流れを感じて葛藤し、新たな自己像を見いだして行く姿
 主役を食ったクリステン・スチュワートの演技は評価に値する

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 40歳になる大女優の過去の自己に縛られた自己認識と時の経過の葛藤を描いた映画「アクトレス 女たちの舞台」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、全国13館東京で3館の上映館の1つヒューマントラストシネマ有楽町シアター2(62席)午前9時50分の上映は8〜9割の入り。1週間前、上映20分前で満席敗退。今回は30分前で無事リベンジ (^^ゞ

 大女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)は、かつて新人女優時代に主演した映画「マローヤの蛇」に自らを抜擢してくれた劇作家ヴィルヘルムに代わり授賞式に出席するために、マネージャーのヴァレンティン(クリステン・スチュワート)とともに列車でチューリヒに向かっていたが、車中でヴィルヘルムの訃報を聞いた。チューリヒでの授賞式後のパーティーで、ヴァレンティンの勧めでマリアは新進の舞台演出家クラウス(ラース・アイディンガー)と密談したが、クラウスのオファーは、「マローヤの蛇」の舞台化で、かつて演じた20歳のシグリッド役ではなく、シグリッドに翻弄され自殺する40歳の経営者ヘレナの役だった。シグリッド役にはハリウッドで破天荒な振る舞いで話題の新人女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツ)が指名されていた。マリアは、クラウスとヴァレンティンに説得されてオファーを受け、ヴァレンティンと台本読みを繰り返すが、ヘレナはただ愚かなだけ、台本は全てシグリッドのために書かれている、自分は今もシグリッドにアイデンティティがあるとヴァレンティンに嘆き、役を降りようとし…というお話。

 タイトルや予告編からは、大女優のマリアと新進女優のジョアンの対立、さや当て、嫉妬というような展開(例えば、「ブラック・スワン」のような)を予想しました。しかし、それに当たるシーンは予告編でも見られる1か所だけ(台詞、だいぶ変わってますけど)です。
 現実に見てみると、テーマは、かつての自分の枠に囚われ、40歳になっても18歳の時に演じた出世作での役を自己像として持ち続ける大女優が、時の流れ(老い)を感じて、葛藤し、若い新人女優や演出家を評価できない/したくない思いから、それを受け入れ、新たな自己像を見いだして行く姿にあることがわかります。その意味で、マリアとジョアンの対立ではなく、あくまでもマリアの物語です。
 ジョアン=クロエ・グレース・モレッツは、マリアと同席する場面は少なく、基本的にはマリアが遠くでその影を感じ圧迫される位置づけですが、登場すると何者をも恐れぬ姿勢で主導権を握ってしまい、その場の注目を集め、華のあるところを見せつけます。今が旬かなぁと感じました。
 さて、それにもかかわらず、あくまでもマリアが主役のストーリーで、クロエ・グレース・モレッツの華やかさが目を惹くにもかかわらず、終盤近くまで、まるでヴェレンティンが主役であるかのような展開が続きます。終盤近くで消えずに最後まで登場し続けたら、これは大女優の元で秘書/マネージャーとして苦労するヴェレンティンの物語として見られただろうと思います。それ程までに主役を食ったクリステン・スチュワートの、華やかではなく、有能なふうでありつつ私生活もエンジョイし感情も完全には抑えられない比較的等身大の役柄で、存在感を見せつけた演技は、私には「トワイライト」以来好きなタイプの女優ではないですが、評価に値するでしょう。

 ジュリエット・ビノシュ、この作品では、40歳だとか、18歳でシグリッドを演じて20年とか、いずれにしても40そこそこという役回りですが、第2部で髪を切って現れた姿はどう見ても50代。帰ってきて調べたら実年齢は51歳。作品としては、別に50歳の女優としたって何も困らないはずなんですが、どうしてそういうところで無理な設定をするんだろ。

 原題は、" Sils Maria " で、「マローヤの蛇」(初秋の早朝にマローヤ峠から雲が低空を這い蛇のように移動する現象)が見られる景勝地を指しています。日本人にはなじみのない地名ですから、邦題を変えるのは致し方ないとは思いますが、「アクトレス」はいいとして、サブタイトルで「女たちの舞台」は、どうかなぁと思いました。
(2015.11.8記)

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