庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「三度目の殺人」
ここがポイント
 裁判に勝つためには真実は二の次と割り切る弁護士重盛、というが、事実確認がおろそかでは勝てないと思う弁護士の視点
 被告人の携帯メールを検察側が調べてないとか、実務的には違和感があるところが多い
 是枝裕和監督の法廷心理劇映画「三度目の殺人」を見てきました。
 封切り2日目日曜日、新宿ピカデリースクリーン6(232席)午前10時20分の上映は9割くらいの入り。

 事務所の同僚弁護士摂津(吉田鋼太郎)から起訴後になって強盗殺人事件の弁護を引き継がされた弁護士重盛(福山雅治)は、被告人三隅(役所広司)からギャンブルのための金欲しさにかつての雇い主を殺害したと聞かされるが、三隅が乗ったタクシーのカメラの映像や証拠品の財布から財布にガソリンがかかっており、三隅が財布を取ったのは殺害後ガソリンをかけてからで殺人の際にはまだ財布を取ろうと考えていなかった(強盗殺人ではなく殺人+窃盗)と見立てた。その直後、三隅が殺害は被害者の妻(斉藤由貴)にメールで依頼されたと述べたという週刊誌報道がなされ、面会に行った重盛に三隅は取材にそう答えた、その通りだという。重盛は、公判前整理で、犯人性は争わない、殺害時には財布を奪う意思はなかった、殺害は被害者の妻の依頼によるという弁護方針を立て、三隅の携帯のメール履歴を証拠請求した。三隅のアパートを訪ねた重盛は、三隅の部屋を被害者の娘咲江(広瀬すず)が訪れていたことを知り・・・というお話。

弁護士の視点
 朝日新聞の映画紹介記事(2017年9月1日夕刊)には、次のように書かれています。「是枝裕和監督は、本作のために弁護士に取材をした。彼らは口をそろえて『法廷は真実を解明する場所ではない』と答えたという。確かに当然のことで、司法関係者は犯罪現場に居合わせたわけではない。彼らは自供や数々の証拠などから、量刑を判断する。真実をわかる必要はないという前提が、法廷に横たわっている。」・・・本当かなぁと思います。裁判で解明すべき事実の範囲が他の人々(被害者やマスコミや一般人)が知りたい事実と異なるということはよくあり、そういうときに「法廷は真実(というよりは「そういうこと」)を解明する場でない」と説明することはよくあります。また、真実を解明できる限度/限界を繰り返し実感した上での一種の諦めとして、本当の意味での/厳密な「真実」はわかるとは限らないという意味で、「法廷は真実を解明する場所ではない」と言うことはあるでしょう。さらに言えば、もちろんそれでも裁判や弁護はしなければいけないわけですから、意地悪な人(記者にありがち)から「真実がわからないのに弁護ができるのか」などと質問/詰問されれば、「真実」がわからなくても弁護はできる、真実などわかる必要はないと言いたくなることもあるでしょう。しかし、裁判ではもともと真実などわかる必要はない、真実を解明する必要はないと考えている弁護士は、私はいないんじゃないかと思っています。
 アメリカのリーガルサスペンスでは、被疑者/被告人が事実について話そうとするのに対して、自分は事実を知りたくない、知る必要がないと言って遮る弁護士が度々登場します。アメリカでそういうやり方でも刑事弁護ができるのは、(これもリーガルサスペンスによる知識ですから、本当のアメリカでの刑事弁護の実務がどうかは私は厳密には知りませんけど)被告人に法廷で証言させるかどうかが自由で(リーガルサスペンスでは)証言しない方が原則であること、事前の証拠開示(ディスカバリー)が徹底していて検察側の予定証人にも事前に尋問できることなどの制度保証があるからです。日本では、公判期日での被告人質問はまず回避できませんし、検察側証人への事前質問もほぼ無理(私は、2007年5月以降刑事事件を取り扱っていないので、その後日本での証拠開示の実務がどの程度進んだかわかりませんから断言はしませんけど)という状況では、劣位に立たされる弁護側のほぼ唯一のカードが、被告人が検察側が知らない情報を持っている可能性ですから、弁護人はとにかく被告人の話をよく聞くという選択しか考えられません。
 公式サイトで紹介されている「裁判で勝つためには、真実は二の次と割り切る」という重盛の弁護士像には、私は違和感を持ちます。
 その真実より法廷戦術などという小理屈というか観念的な言葉を振り回している部分以前に、重盛には事実をきちんと確認しようという法律実務家に確実に必要な素養が欠けているように思えます。三隅に解雇された理由を聞いてその次にすぐ「その日」は酒を飲んでいたかって質問。「その日」って解雇されたときのことを聞いているのか事件の当日なのか、内容的に事件の当日なんでしょうけど、聞き方に着実に事実を確認していこうとする姿勢が見られない。咲江が告白したときに「どこでやったのか」という質問も「だれと」があいまい。そもそも咲江が三隅の部屋を訪ねていたことを知ったら、何故すぐそれを三隅に聞かない?本来的に三隅(依頼者)が味方で咲江(被害者の娘)は敵方な訳で、ふつう、三隅に事情を聞いて敵方をどう攻略するかを協議するはずでしょ。一番唖然としたのは、公判が始まった後に面会の場で三隅が自分は殺していない、事件現場にも行っていないと言い出したときの対応。それならそれで、じゃあ事件当日はどこにいたのか、ド素人でもまず聞くでしょ。プロなら当然に、それなら事件の夜あの時刻にあそこからタクシーに乗った理由、タクシーに乗った時点でガソリンが付着した被害者の財布を持っていた理由を説明してくれって聞くでしょ。この時期は、裁判員裁判が始まって連日開廷中の弁護士の頭の中で証拠関係が一番整理されているとき。そしてこのタクシーのビデオ映像とガソリン付きの財布は、初期の弁護方針を支える基本証拠。三隅が事件現場に行っていないと発言して3秒以内にこの質問ができないなら、重盛弁護士、悪いけど法廷弁護士としては使い物にならないから、引退を考えた方がいい。少なくとも、「勝負にこだわる」なんて言えるほど勝てるはずはない。

 また、この作品では、被告人質問の直前の打ち合わせで、重盛が三隅にこう答えてくれと「指導」する場面があります。弁護士は、被告人に法廷で事実と違っても都合がいいことを述べろと指示していると見られているようです。たいへん、残念なことです。
 私は、これまでの弁護士生活(1985年から30年あまり)で、刑事・民事、証人・当事者を通じて、法廷ではこう答えてくれという要求や指導をしたことは一度もありません。もちろん、事実確認は繰り返しします。その人がそれまでに言ってきたことと違うことを言い出したら、これまでの話と今言っていることとどちらが本当かということも、当然聞きます。しかし、その上で、なお、私が想定していることと違うというか、自分の依頼者に不利なことをいう場合、私は、それは困るから違うことを言ってくれとは決して言いません。それは、もちろん、偽証を求めることが許されないということもあります。また、そういうことをしたらその人は法廷で自分が嘘を言ったという後悔を引きずります。私は自分の依頼者等にそういう思いをさせたくありません。そして、それ以上に、私は、素人は嘘をつけないものだと考えています。事前の打ち合わせで、素直に聞いたときに出てきた答えを、法廷では違うことを言ってくれと頼んでも、緊張する法廷で「しくじる」可能性は低くないし、主尋問では「指導」通りに答えられても反対尋問で追及されているうちに化けの皮が剥がれるリスクは小さくありません。「嘘」が発覚したときの裁判に与えるダメージはかなり大きなものとなり得ます(ほかの本来は信憑性の高いことまで信じてもらえなくなりかねません)。私は、そういう事前打ち合わせで相手が法廷で話して欲しくない答えをした場合、その項目は質問しないことにします。そういうあやふやな材料を足場にしないで勝てるストーリー/論証を考えます。実務的にはその方が安全/着実だと、私は思っています。
(なお、一般の方は、そういう依頼者に不利なことを聞いたことに触れない/「隠す」こと自体、アンフェアだと考えるかもしれません。しかし、その人の話が真実かどうかは簡単には言えません(基本的にはあくまでもその人が言っているというだけです)し、弁護士が依頼者に不利な事実を依頼者の同意なく法廷に出したら誠実義務違反とか守秘義務違反で懲戒事由になります)

 この作品のレビューで、事件の真相は「藪の中」、「羅生門」のよう(つまり真相は不明/複数)とするものを目にしました。そう言えば、公式サイトの「ストーリー」でも「本当に彼が殺したのか?」の文字があり、作品中でも他の者が殺害したことを示唆する映像が挟まれています。この作品には、三隅と重盛と咲江が雪合戦をする映像のように、幻影も含まれているとしても、重盛が調査の過程で見たタクシーのビデオ映像は、明確に「事実」の領域に含まれています。事件の夜事件後と考えられる時刻に事件現場付近から(作品ではそのことは明示されてはいませんが、そうでなかったらビデオを見た時点で重盛が別の戦術:三隅は犯行時刻に別の場所にいたというアリバイ等を考えるはず)三隅がタクシーに乗り、その際ガソリンが付着した被害者の財布(つまり殺害されガソリンをかけられた後火をつけられるまでのごく限られた時間に被害者のポケットから抜かれた/言い換えれば犯人以外が抜き取ることは考えがたい物)を持っていたという事実がある以上、三隅以外の犯行というストーリーはほぼ不可能です。是枝監督が、もし、真相は不明という作品にする意図を持っていたのであれば、三隅がタクシーに乗っている映像を遺したのは失敗というべきでしょう。

 勾留中の被告人が週刊誌の取材に答えるというのは現実的ではないと思います(最近はそういうことも可能になっているのでしょうか?)が、何より、被告人の携帯電話のメールを検察側が調べてなかった(検察側がそのメールは殺人依頼ではなかったと判断しながら、それが殺人依頼でないという証拠固めをしていない)というのは、私の感覚ではおよそ考えられません。弁護士に多数取材しながら、こういう設定を取材を受けた弁護士が容認したのであれば、私には驚きです。
 殺人事件の遺族に被告人の手紙を持って会いに行き、玄関先でその手紙を読まずに破られて、最近は被害者なら何をやってもいいという風潮があると愚痴る重盛にも、驚きました。殺人事件の遺族ですよ。それくらいごくふつうに予測できることじゃないですか。重盛弁護士、殺人事件初めてですか?何年弁護士やってるのかと聞きたくなりますし、さらに言えば、もし初めてだとしても、遺族感情にそれくらいしか理解がないなら弁護士やってられないと思う。
 弁護士事務所の(古株と思われる)事務員が、金目当てか怨恨かで殺人事件の量刑が変わるのかと嘆いているのも、弁護士じゃないにしても法律事務所の事務員何年やってるのかと思う。
 いろいろ取材した跡が見えるところも多々ありましたが、それでも私には、弁護士としての実務面で違和感があるところが多い映画でした。
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(2017.9.10記)

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