たぶん週1エッセイ◆
映画「レボリューショナリーロード」

 レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの「タイタニック」コンビ共演とケイト・ウィンスレットの夫が監督というキャスト・スタッフに注目が集まる映画「レボリューショナリーロード」を見てきました。
 「アカデミー賞3部門ノミネート!」って宣伝されていますが、助演男優賞・美術賞・衣装デザイン賞でノミネートされたからって見る気になれますかねぇ・・・

 ニューヨーク郊外(郊外って言ってもかなり遠い郊外)の住宅地「レボリューショナリーロード」に住むフランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)は、2人の子どもとともに幸せな毎日を送っていた、はず。しかし、フランクは小うるさい上司の下でいやいや仕事をし、会社のタイピストと浮気をする毎日。自己実現を図った市民劇団の公演がうまく行かず感情的になったエイプリルは、かつての夢を実現するために、パリへの移住を計画し、自ら政府機関秘書の就職口を得てフランクにパリへの移住を持ちかけます。フランクはそれに応じて周囲にパリへの移住を話しますが、まわりの理解を得られず、他方上司への面当てでいい加減にやった販促パンフの仕事が幹部に高く評価されて昇格の話まで来ていたところに、エイプリルが妊娠し、パリ移住計画は頓挫します。その後、エイプリルは、隣人と浮気をし、フランクとベッドを別にした挙げ句に憎んでいる触ったら大声を出すと言い募り、森を徘徊し、ゴム器具での堕胎を図りますが・・・というお話。

 率直に言って、この作品、何を目的として作ったのか、理解できませんでした。前半は、フランクは浮気してるし、エイプリルは夢の実現のために政府機関での就職口まで見つけてきて、見果てぬ夢のはずがエイプリルの行動力で現実性を帯び、エイプリルに説得力があります。しかし、後半になると、フランクはエイプリルの夢を常に否定せず基本的には賛同し、エイプリルは妊娠のために実現性が立ち消えた夢に固執しフランクに当たり散らし隣人と浮気までして堕胎を図るという具合で、夫は理解を示しているのにジコチュウな性悪女が我を張り続けて不幸になったという印象が残ります。結局、見果てぬ夢を追い続けたエイプリルがおろかだった、ふつうの人が満足するふつうの幸せに甘んじていなさいというメッセージに聞こえます。制作サイドはそういう映画を作りたかったのでしょうか。
 私には、確かに現実的には、会社勤めで堅実に暮らし出世も見えているという状況では、そのままでいた方がいいでしょうけど、エイプリルが政府機関の就職口を現実に見つけてきたというほどの行動力を見せた上で語る夢は、決して悪いことではないと思います。うまく行かなくなったのは誰が悪いわけでもない(あるいはエイプリルも一半の責任がある)、しかも夫は理解を示し邪魔だてはしていない、エイプリルは隣人と浮気をし一方的に夫を攻撃し勝手に堕胎を図るという描き方では、エイプリルが身勝手というイメージばかりが残り、その結果エイプリルの夢も愚かだと描かれることになります。同じ挫折でも、例えば立ち消えた原因が夫の側にありエイプリルは誠実に訴え続けという形なら、ラストが同じ不幸となってもエイプリルの夢につきあってやればよかったのにという方向になりますし、また他の描き方もあったと思います。
 レボリューショナリーロードというタイトルは家のある通りの名前ですが、言うまでもなく、革命的な道、革命への道という意味を持っています。革命を夢見ることはやはり愚かなことだといいたいのでしょうか。別にエイプリルの夢は「革命」ではなくて「アメリカン・ドリーム」と呼んでもかまわないと思うのですが。

 この映画だけで見るのではなく、「タイタニック」でもしジャック・ドーソン(レオナルド・ディカプリオ)が生き残ったとしても、やっぱりこういう夢見がちな直情径行型の女とは長くはうまく行かないって、そういう映画と読むべきなんでしょうか。
 どうも最後まで制作意図を疑い続けてしまいました。

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