庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「麦子さんと」
ここがポイント
 捨てられた怨みとがさつさへの嫌悪感が強かった母を死後母の故郷での母の人気を知って見直す娘の思いがテーマ
 しかしその母の人気がアイドル並みの容姿によるものという設定は今どきいかがなものかと思う
 母の人柄や人格者故に人望があったという設定ならよかったのに

Tweet 

 子どもの頃に家を出たきりだった母親と再会した娘の心情を描いた映画「麦子さんと」を見てきました。
 封切り4週目土曜日、テアトル新宿(218席)午前11時40分の上映は3割くらいの入り。上映20分前に行ったら映画館の前に長蛇の列。え゛っ週末興行成績が一度もベストテンにも入ってない映画が4週目でなぜ?と絶句してたら、単に開館が遅かっただけ。

 子どもの頃に母が家を出たきりで3年前に父親が死んで兄憲男(松田龍平)と2人暮らしをする声優志望のアニオタ娘小岩麦子(堀北真希)の元に突然母赤岩彩子(余貴美子)が尋ねてきた。憲男は最初追い返したが、麦子には内緒で父の死後毎月15万円の仕送りを彩子から受けていて、それなしでは生活できないからと、あっさり同居を受け入れる。生活習慣の違いや感覚のズレから彩子に嫌悪感を感じる麦子を尻目に、憲男は彼女と同棲すると行って出て行き、麦子は彩子と2人暮らしになる。麦子は彩子のためにトンカツを揚げて待っていたが、その日彩子はバーの手伝いをして遅く帰り、冷蔵庫にトンカツを見つけ麦子が作ったと知って無理をしておいしいおいしいと言って食べるが気持ちが悪くなり吐いてしまう。けたたましい音の目覚ましをかけながら起きない彩子への不快感もあり、「あんたのこと母親と思ってないから」と麦子が突き放したその夜、彩子は出先で倒れ帰らぬ人となった。四十九日の納骨のため彩子の生まれ故郷の町を独り訪れた麦子は、町の人々から彩子そっくりだと言われ大歓迎を受け…というお話。

 子どもの頃に母に見放され、ずっと会いたいと寂しい思いをし続けたのに会いに来てくれなかった母への怨みと断罪、他方で密かに仕送りをし続けてくれたことを知りまた現実にそばにいることで思いやる気持ちが芽生えながら、生活習慣や世代の違いから来る摩擦や不快感もありすれ違う思いといった、ねじれた環境での母と娘の愛情をテーマとした作品です。
 やや誇張気味ではありますが、母親のがさつさ、ルーズさ、体の不調から来る怠惰っぽい鈍さと、それに対する娘の嫌悪感の描き方がいかにもありがちな感じで、リアリティがあるというか親世代側からは身につまされる思いがします。
 母親への怨みと嫌悪感を持った娘が、母の生まれ故郷を訪れて、母親が町中の人たちから好かれていたことを知り思いを改めるという設定はいいのですが、町の人々が母親を好いていた理由が、若い頃の容姿が優れ町のアイドルだったというのはどうかなぁと思います。女性の価値は顔の善し悪しと言わんばかりに思えますし、映画を見た娘たちの多くに「うちの母親は違うし」と思われてしまいそう。人柄がよかった(親切だった)とか人格者だった(正義感が強く曲がったことが大嫌いだった)とかで人望があったという設定の方がいいと、私は思うのですが。

 彩子がアイドル歌手を目指して町を出る時に親から持たせられた目覚まし時計が20年以上たっても現役という物持ちのよさ。概ね同世代としては、テーマソングの「赤いスイートピー」とともにノスタルジーを感じました。
(2014.1.13記)

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ