庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ミナリ」
ここがポイント
 韓国系移民の物語で差別的取扱を受ける場面がないことはいいことなのか
 無謀な夫に付き従う妻が、韓国系という設定にすると感動の物語に化けるということでいいのか
    
 農場経営を夢見てアーカンソー州に移住した韓国系移民ジェイコブとその家族の顛末を描いた映画「ミナリ」を見てきました。
 公開8週目日曜日、うち続く映画館閉鎖「要請」の下、東京都内82館中上映継続が14館(映画.com調べ)となっている中、シネマ・ロサ2(177席:販売は半数程度。ネット予約なしにつき、正確には不明)午後1時40分の上映は、5割程度の入り。

 カリフォルニアでヒヨコの雌雄判別に従事してきた韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)は、農業経営での自立を夢見てアーカンソー州に移住した。荒れ地とトレーラーハウスを見て妻のモニカ(ハン・イェリ)は、話が違う、心臓病の息子デビッド(アラン・キム)に何かあっても病院もないと抗議するが、ジェイコブは耕運機を買い、近隣の住民ポール(ウィル・パットン)を雇って荒れ地を耕して韓国野菜の栽培を始める。夫が亡くなりひとり住まいだったモニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン)を引き取ることになり、祖母とともに寝るように言われたデビッドは反発するが…というお話。

 タイトルの「ミナリ」は韓国語で「セリ」を意味し、この作品は野に自生するセリのような庶民のたくましさを描いています(セリは、実は日本原産だそうですが)。その点では、好感を持てるのですが、その描き方には、私は、いくつか違和感を持ちました。

 韓国系移民がアメリカ南部の片田舎で奮闘するという設定(1980年代の設定だそうです)ですが、登場人物が韓国系である故に差別的な取扱や屈辱感を持つ場面は、デビッドが教会へ行きその後のパーティーで出会った白人の子どもから、どうして平たい顔なんだと言われた場面(それもその一言で、後はこだわりなく話している)を除けば、皆無といっていいでしょう。
 差別のないあるべき世界を描いているということかも知れませんし、韓国系の主人公なら差別的な取扱を描けというステレオタイプはもううんざりだと言いたいのかもしれませんが、現実には差別がないとは考えにくい状態(アメリカ南部、1980年代の設定)でそこを無視した描き方をすることには、私は、ちょっとどうかなぁと思います。

 以下、ネタバレになりますが…
 この作品のテーマは、さまざまな苦境(息子の心臓病、経済的な余裕のなさ、水の枯渇、収穫した野菜の販路がない、祖母の病等)の下での家族の関係、絆ですが、農業経験もなく、ただ韓国系住民が多数いるからニーズはあるはずだということで農業を始めた無謀なジェイコブに対して、呆れ反発する妻がジェイコブとけんかし、カリフォルニアに帰ると言いながら、結局はジェイコブと行動をともにし付き従うというストーリーに収まります。その過程でジェイコブがモニカ(妻)に対して自分の非を認める場面はありません。
 おそらくは、今どき、白人夫婦を主人公に描けば、耐え忍ぶ妻、夫に付き従う妻という設定は相当なブーイングを受けるでしょう。それが韓国系夫婦の設定であれば許される、あるいはそういうストーリーを描きたいから韓国系の夫婦の設定にするということであるとすれば、近年流行のエスニシティへの配慮というよりも、エスニシティの利用とも思えてしまいます。
(2021.5.9記)

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