庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「真夏の方程式」
ここがポイント
 科学する心と子を思う親心がテーマ
 映画では原作以上に、環境保護運動家は不勉強で無責任、開発事業者側の学者は良心的というイメージが強調されている

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 ガリレオシリーズ劇場版第2弾「真夏の方程式」を見てきました。
 封切り7週目日曜日、ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1(200席)午後2時10分の上映は8〜9割の入り。テレビドラマと福山人気は衰えず、ですね。観客の多数派は若者カップルでした。

 海底からのレアアース発掘計画が進む玻璃ヶ浦での事業者の住民説明会にアドバイザーとして出席した湯川学(福山雅治)は、車中で老人に携帯を切れと絡まれキッズ携帯だから電源を切れないと応答している少年柄崎恭平(山崎光)におにぎりを包んでいたアルミホイルで携帯を包んでこれで電話は来ないといい、説明会では反対派の中心人物川畑成実(杏)に批判されたのに対してあなたは不勉強で無責任だと言い放った。湯川が宿泊先の緑岩荘を訪れると、そこには経営者の娘の成実と甥の恭平がいた。緑岩荘の客で元警察官の塚原正次(塩見三省)が堤防の下で死んでいるのが見つかり、地元警察は転落事故とみるが、岸谷美砂(吉高由里子)は非公式捜査を命じられて緑岩荘を訪れる。恭平から玻璃ヶ浦の海を見たいが泳げないし船にも乗れないと言われた湯川は、美砂の要請を聞き流し、恭平を連れてペットボトルロケットを飛ばして玻璃ヶ浦の沖合200mの海を恭平に見せるが、緑岩荘に辿り着き、緑岩荘の主人川畑重治と恭平がした打ち上げ花火の燃えさしを見ながら疑問を感じ始める…というお話。

 湯川が語る科学する心と、子を思う親心がテーマになっています。
 湯川の語る科学する心は、恭平に向けて語る部分は、湯川が嫌いな子どもにぎこちなくまじめに対応する様子と、映像的にはこの作品のクライマックスといえるペットボトルロケットのシーンの美しさと相まって、いかにもまっとうに思えます。
 それだけに、環境保護運動家を勉強不足で無責任と断じ、自分は調査をするだけで、調査は環境に配慮して行う、あとはすべてを知った上での選択の問題だという、成実と説明会出席者に語る科学する心は、私の目には開発事業者と役所の論理を正当と主張するものにしか見えませんが、その政治色を隠すことに成功しているように見えます。事業者に依頼され事業者から資金をもらい事業者のために調査をしておいて、開発をするかどうかを最終的に決めるのは自分でないから自分は中立だそれを批判するのはおかしいというのは、「風立ちぬ」で爆撃機の設計者が俺たちは武器商人じゃないただ美しい飛行機をつくりたいだけだといってるのと同じで、自分が客観的には開発事業者の協力者であることに目をつぶる、それこそ学者バカか非科学的な態度であると、私は思うのですが。
 原作でも基本的なスタンスは同じに思えますが、原作にはなかった「無責任」という言葉を付け加えたり、原作では湯川は海底調査について「間違いなく海底を荒らす」と言っているのに映画では環境には影響を与えずに調査することに変更されているのは、原作より環境保護運動家を貶め、事業者側の学者・調査を良心的なものと評価するものです。原作は連載が福島原発事故前のものでしたが、福島原発事故後にそれを映画化するにあたり、原子力ムラの村人のような御用学者の存在にも触れずかえって事業者側を持ち上げる形で変更を加え、より開発事業者を利する形の表現にしたのは、さすがはフジテレビ・文藝春秋連合というべきでしょうか。公式サイトのイントロダクションでも「『科学技術と自然の共存』といった今日的なテーマに対して、湯川が自らの考えを語る場面が設けられているのも、作品にさらなる深みを与えている」と紹介していて、そこを見て欲しいという意思が表れていますし。
 この映画は、結局のところ、環境保護運動家は不勉強で無責任で悪い奴、事業者側の学者は中立で良心的で正義という、開発事業者と役所にとても都合のいいイメージを観客に植え付けるものとなっていると、私には思えます。

 ストーリー部分では、骨格というか事件の真相に関する部分は、原作ではそれなりの重要人物となっている環境保護運動家の沢村元也が映画では登場しないとか、映画では地元警察がほとんど登場せず成実の元同級生の西口も登場しないという点を除き、概ね原作通りに描かれていますが、事件に関わる情報の出てくる順番が違うことでミステリーの印象・味わい方としてけっこう違いがあるように思えます。
 濡らしたコースターをめぐるやりとりをはじめとする湯川の恭平との関わり方も、原作とはけっこうニュアンスが違います。
 私は映画を見てから原作を読みましたが、原作を読んでから映画を見た人には、えっと思う場面が意外に多いかもしれません。

 この作品の映像面ではベストシーンとなるペットボトルロケットのシーン、青い海とロケット発射の高揚感と試行錯誤を繰り返す湯川の誠実なイメージが成功しています。しかし、着実に結果を出すならロケットよりペットボトルにモーターをつけて海面上を進めた方が有利に思えます。それから、もともとは「玻璃ヶ浦」の由来が沖合に水晶が多数沈んでいて海面がきらきらする、それを見たいということだったはずなのに、ペットボトルロケットで見えた海がふつうの珊瑚礁だったのは…

 原作については私の読書日記2013年8月分07.で紹介しています。

(2013年8月11日記、8月15日原作を読んで加筆)

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