たぶん週1エッセイ◆
映画「蟹工船」

 虐げられた労働者の団結と反撃を描いた映画「蟹工船」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、半分くらいの入り。観客の年齢層はわりと幅広く、関心は呼んでいる感じですが、ブームというほどにはなりそうにありません。都議選の投票日、映画としては気分はキョーサントーですが、果たして?

 カムチャッカ沖で蟹漁を行い、水揚げした蟹を缶詰加工する蟹工船の現場で酷使され、手を休めると監督(西島秀俊)に怒鳴られ殴打される労働者たちが、難破した友船の救助さえ禁止され(たくさん保険を掛けているから沈没したら却って儲かる!)、過労で倒れた者が殴打され、隠れていた労働者は便所に閉じ込められて衰弱死させられという惨状の中で、漁夫新庄(松田龍平)のアジテーションで最初は現世での希望を失って来世での生まれ変わりを信じて集団自殺を試みて失敗し、その後次第に反撃のために団結を固めてゆくというストーリーです。

 新庄が最初に語る、来世での生まれ変わり、集団自殺というのが、原作(小林多喜二「蟹工船」)にない、見ててアレレっと思うところです。蟹工船の労働者の悲惨さと絶望を強調しているのか、今風の若者の感性に合わせたのかわかりませんが、ここは話の流れとして説得力がないし、コミカルに流れすぎた感じがします。
 それ以外は、新庄らが嵐の中を蟹漁に出てたどり着いた先がカムチャッカの岸ではなくてロシア船だとか、代表が9人ではなく新庄1人とか、細かい差異はあるものの、ほぼ原作通りになっています。
 ただ、原作よりも、それぞれの労働者の自発性、自分が何をしたいかが大事だということを強調していています。原作でも、代表を前に出さずに全員が団結することの必要性が最後に強調されていますが、それはある面では敵に弱みをつかませない戦術的な性格を持っています。映画では、そういう側面ももちろんありますが、自分がどうしたいかが大事ということを繰り返し強調することで、個人の主体性をより考えの中心に置こうとしているように思えます。そして、プロレタリア独裁を単純に信じることが難しくなった現在では、その方が、個人の生き方としてはより説得力を持つといえるでしょう。

 原作もそうですが、ラストに向けて延々と準備されていく展開ですので、ラストで感動できるかどうかで、ほぼ評価が決まるというタイプの作品だと思います。
 映画のテーマとは別に、大量に出てくる蟹(タラバガニ)を見て、蟹を食べたくなくなる人と食べたくなる人、どっちが多いでしょうか。私は、しばらく蟹は食べたくないと思いましたけど。
 エンドロールが最後なんか曲がきちんと区切りがつかない感じで唐突に終わってましたが、何か事情があるのでしょうか。

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