たぶん週1エッセイ◆
映画「インポッシブル」
ここがポイント
 自然災害で離散した家族が、執念を持って生き残り、家族を見つけ再会するというシンプルなテーマとストーリーに、引き込まれ、再会シーンではやはり涙を誘われる
 地元被災者の本当に大変な被害には目をつぶり、生き残って再会できればそれで万事OKの恵まれた白人観光客家族の離散と再会のドラマにのみ焦点を当てたこの作品のコンセプトには根本的な疑問を持つ

Tweet 

 2004年のスマトラ島沖地震の際の津波(インド洋大津波)で離ればなれになった観光客家族の探索と再会を描いた映画「インポッシブル」を見てきました。
 封切り2週目日曜日、新宿武蔵野館スクリーン3(84席)午後1時15分の上映は7割くらいの入り。観客の多数派は中高年でした。

 2004年のクリスマス休暇をタイのリゾートの高級ホテルで過ごしていた日本で働くホワイトカラーのヘンリー(ユアン・マクレガー)と子育て休業中の医師マリア(ナオミ・ワッツ)夫婦とその子どもたちルーカス(トム・ホランド)、トマス(サミュエル・ジョスリン)、サイモン(オークリー・ペンダーガスト)は、ホテルのプールで遊んでいたところを、突然の大津波に飲み込まれてバラバラになる。マリアとルーカスは遠くに流され、マリアは脚に深手を負いながら、近くで泣いていた白人の幼児ダニエルを助け、木の上に登って避難していたところを地元の住民に助けられ病院へと搬送される。ホテル内でトマスとサイモンを見つけたヘンリーは、山への待避を勧めるホテル側に逆らい、トマスとサイモンを山へ避難するトラックに乗せ、マリアとルーカスを探し続け…というお話。

 自然災害の圧倒的な力の前になすすべもなく傷を負い離散した家族が、執念を持って生き残り、家族を見つけ再会するというシンプルなテーマとストーリーに、以下のような疑問を最初から持っていてもなお、引き込まれ、再会シーンではやはり涙を誘われます。そういった力強さを持った作品であることは、まず認めておきます。

 しかし、この物語は、徹頭徹尾恵まれた強運のエリートのお話で、そこを取り出してこの津波を語ることには、強い違和感を感じざるを得ません。
 犠牲者が30万人にも及んだといわれるインド洋大津波で、リゾートの外国人観光客も相当数が被害を受けたとはいえ、被害の中心は地元の人々のはず。この映画を見ていると、まるで被害にあったのは白人の観光客だけで、地元の人々はほとんど無傷でもっぱら外国人観光客被災者の救援に当たっていたように見えます。
 ルーカスとマリアは、流されて草原のまっただ中に取り残され、マリアは脚に深手を負いますから、そのまま歩けなくなってうずくまるうちに破傷風で倒れ、ルーカスやダニエルも裸足ですから津波が引いた後の漂流物だらけの草原を歩くうちに足がずたずたになってやはり破傷風で倒れるというのが一番ありそうな展開に見えますが、あっという間に地元の男たちに発見されて病院へ搬送されます。外国人観光客に限定しても、流された被害者の多くは流されるうちに漂流物と衝突して死ぬかおぼれ死に、生き残っても人里にたどり着けずになくなったと思われます。この映画のようなケースは希有の僥倖というべきでしょう。
 そして、ヘンリーとマリアは、再会さえできれば、自宅も勤務先も無事ですから帰国してふつうの生活をすぐにでも再開できます。圧倒的多数の地元の被災者たちは、生き残っても生活基盤を破壊され、生活の再建は前途多難で容易ではありません。
 地元被災者の本当に大変な被害には目をつぶり、生き残って再会できればそれで万事OKの恵まれた白人観光客家族の離散と再会のドラマにのみ焦点を当てたこの作品のコンセプトには根本的な疑問を持ちます。公式サイトによれば「世界中の映画祭で比類なき賞賛を浴び」ナオミ・ワッツはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたとありますが、アジアの地元の人たちの深刻な被害を気にかけることなく白人観光客の悲劇と再会の感動を賞賛する人々の姿は、私の目には、湾岸戦争でイラク人がどれだけ殺されたかを気にかけることなく油にまみれた海鳥への迫害に怒りに震えた人々、アメリカ軍兵士に銃撃され理由のない家宅捜索などを受け迫害されるイラク民衆を気にかけることなくイラク人テロリストに襲われる恐怖や爆弾処理の恐怖と戦う米軍兵士を賞賛する映画にアカデミー賞を贈る人々のメンタリティと重なります。
 同じテーマで、日本を舞台に、東日本大震災で津波で被災し家族が死んだり行方不明、福島原発事故のために遺体を捜すことさえできない被災者たちにまったく触れることなく、白人観光客が津波で被災して家族と離散して再会することに焦点を当てた映画が制作されて日本で上映されたら、私たちは平気で見ることができるでしょうか。

 映画の終盤、ベッドに固定されて搬送されるマリアとともに空港に現れたヘンリーに保険会社のコンシェルジュが、シンガポールでアジアで最高の医療が受けられますと囁きます。そしてヘンリーらは1家族だけを乗せた特別機でシンガポールに向かいます。保険で特別機の費用まで出してくれるかは疑問がありますが、このラストを見ると、まるで、海外旅行傷害保険に入っておけば100年に1度の大津波に遭っても大丈夫、特別機でシンガポールまで行って(地元の人は到底受けられないような)最高レベルの医療が受けられます、みなさん、海外旅行に行くときは海外旅行傷害保険の契約をしておきましょうといっている、保険会社のPR映画かと思ってしまいます。
 はっきり言って、このラストの後味の悪さで、再会シーンで涙を流したことが帳消しにされ、涙ぐんだことがばからしくさえ思えました。

 ヘンリーの行動として、トマスとサイモンの無事は確認した、マリアとルーカスは生死もわからないという状況で、マリアとルーカスを探したいという気持ちはわかります。またその方が感動のドラマになることも当然です。しかし、トマスとサイモンはまだ幼く、もし離ればなれになれば最悪二度と会えないかもしれません。それに比べてマリアとルーカスは(ルーカスは少し不安がありますが)、無事でさえあれば、落ち着けば電話はできるしうまくすれば(保険会社や大使館に連絡して)自力で帰ってくることもできるはずです。何といっても自宅は無事なのですから。その状況でトマスとサイモンを置き去りにしてマリアとルーカスを探すというのは、現実的な選択としてはどうだろうと思いました。
 最初は自分のことしか見えなかったルーカスが被災を通じて大人になる姿が、映画的には感動的です。ただ現実の災害被害の中では、この年頃の子どもにそれを期待するのは酷で、取り乱したり子ども帰りをしたりトラウマに苦しむ方がありそうな気もするのですが。
 タイトルの「インポッシブル」。映画の中では、夜空を見上げるトマスに地元の老婆が今見える星の中には既になくなっている星もあり、なくなった星が爆発して放った光が届いて今も見えていると話し、トマスが死んだ星と生きている星は見分けがつくの?と聞いたのに、老婆が " Impossible " と答えています。たぶん、映画の中でこの言葉が出て来たのはここだけだったと思います(私が聞き落としたかもしれませんが)から、タイトルはここからでしょうか。映画の流れ・テーマとは違うような感じがしますが。
(2013.6.23記)

**_**区切り線**_**

 たぶん週1エッセイに戻るたぶん週1エッセイへ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ