たぶん週1エッセイ◆
百人一首
 子どもの頃、ときどき家族で百人一首をしていました。その頃は、あんまり覚えられなくて、上の句が読まれている間はただぼーっとしていたんですが。でも三つ子の魂百までというのか、親父の読み上げる節回しというかイントネーションは頭に残っていて、自分が今読むときも同じような読み方をしています。
 昔は、百人一首に付いていた解説を見て、(一応選者の藤原定家がつけたとされる)順番に、最初の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我がころも手は露にぬれつつ」(天智天皇)とか最初の方10首くらいと、最後の「百敷や古き軒端のしのぶにもなおあまりある昔なりけり」(順徳院)なんかは覚えました。あとは、教科書に出てくる「久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則)とか。
 自分の子どもの頃は、その程度だったんですが、子どもが小学校で習い始めると様子が変わりました。最初は10首とか20首覚えるのが宿題だったんですが、小学校の先生が熱心で競技会なんかにも呼んでくれたりするものですから熱が入ってしまいました。
 覚えやすいようにオリジナルの順番のもの、上の句の50音順、下の句の50音順の一覧表を作りました。今は、表計算ソフトに入力して並び替えすると、こういうのはすぐできるので便利ですね。
 で、子どもがまず覚えるのが、「秋風にたなびく雲の絶え間よりもれいづる月のかげのさやけさ」(左京太夫顕輔)です。旧仮名づかいで上の句の50音順にするとこれが1番になりますから。(口語でやると「逢ひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」(権中納言敦忠)ですけどね)
 上の句の方は、読み上げの最初で下の句がわからないと出遅れますから当然必要です。では、下の句は、というと、まず札が残り少なくなったとき、札(下の句が書いてある)を見て上の句がわかると予め取る用意ができますから。それから競技会方式(半分ずつ手持ちで自分の好きなように並べて、相手の側から取ったら1枚相手に渡して、先に自分の側がなくなった方が勝ち)だと、札を自分で並べるときに札を見て上の句がわからないと取りやすい並べ方ができませんから。
 下の句の方は50音順で1番は「有明のつれなく見えし別れよりあかつきばかりうきものはなし」(壬生忠岑)です。
 と、自分の子どもの頃とは違う観点で覚えられていくのですね。まあ、「このたびは幣もとりあえず手向け山紅葉の錦神のまにまに」(菅家)とか、「まにまに」の言い回しがおもしろいって子どもに人気だったりしますけど。
 さて、百人一首は、読み手が必要なので3人いないとできないのですが、そうするとなかなか練習できません。それで、読み手を自動化できないかと考えました。
 パソコンのマイクに1首ずつ読み上げて音声ファイルを100つくりました。さすがに1回読みでは厳しいので下の句は繰り返し読んで。それで最初はこれを音楽CDにしてCDプレイヤーでランダム再生しようと試みたのですが、CDを焼くソフトの制限か、ファイルは99までしか焼き付けられませんでした(ファイルサイズとしては十分入るんですが)。うーん、あと1つなのに。しかたないからそれはあきらめて、パソコンの音声再生ソフトにランダム再生させることにしました。これで完全に公平な読み手ができ、2人いればできるようになりました(その気になれば1人でも練習できます)。
 散らし(バラバラに撒いてまわりに座って取る)だと、覚えていても探すのに時間がかかるので、機械読みにはついて行けません。それにたいてい2人でやりますから、競技会方式でやります。それだと自分の側にはどの札があるか覚えてますし、自分の側を向いています(探すときやっぱり横向きや逆さは時間がかかります)から、機械の速さについて行けますからね。正式の競技会では各自25枚持ちで15分間覚える時間があります(だから札の場所を覚えていてすぐ取れるんですね)が、うちでは50枚持ちで覚える時間も1分か2分くらいです。
 そうやって練習を積むと、最初のうちは、覚えてる数の勝負なんで、余裕でしたが、覚えている程度が近づいてくると、探す速さと反射神経で子どもに太刀打ちできなくなります。最近はもう小学生の娘にも負けるようになってきました。
 子どものおかげで、大人になってから百人一首を見直すことになってみると、子どもの頃はわからなかった歌の意味がわかり、味わい深く思えます。
 「君がためおしからざりし命さえ長くもがなと思ひけるかな」(藤原義孝)なんて、私は子どもの頃は、思いが薄れたとか、卑怯なというように読んでいたんですが、今では「おしからざりし」の方が独りよがりで愛情が深まった(わかった)からこそ「長くもがな」なんだなと思います。「昔はものを思わざりけり」とか「人知れずこそ思いそめしか」とか、やっぱり大人にならないとね。
 でも、「難波江の芦のかりねの一夜ゆえ身をつくしてや恋わたるべき」(皇嘉門院別当)とか、「名にしおわば逢坂山のさねかずら人に知られで来るよしもがな」(三條右大臣)とか、「御垣守衛士のたく火の夜は燃え昼は消えつつものをこそ思え」(大中臣能宣朝臣)とか、意味がわかると、ちょっと読むのが気恥ずかしいですね。機械読みにしてよかったなと。子どもから意味を聞かれたら答えにくいし・・・
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