庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ハリエット」
ここがポイント
 ハリエットと夫ジョンの行き違いには、奴隷の置かれた状況の過酷さの方に目を向けたい
 危険を冒すハリエットの行動を組織論・運動論としてどう受け止めるか、難しく悩ましい問題がある
    ハリエット:映画|庶民の弁護士 伊東良徳
 自身が奴隷として生まれ奴隷の逃亡/解放を先導した実在の黒人女性の活動を描いた映画「ハリエット」を見てきました。
 公開3日目、緊急事態宣言解除による東京都での映画館上映再開後最初の日曜日、渋谷シネクイントスクリーン2(115席/販売57席)12時45分の上映は、観客6名。
 もともと日本ではなじみ/関心の薄いテーマだからなのか、映画館で映画を見るという行動/文化自体が自己顕示欲と権勢欲にまみれた政治家たちの行為とそれに同調するマスメディアと自粛警察たちのために踏み潰され廃れてしまったのかわかりませんが、寂しい限りです。

 メリーランド州の農家で奴隷として働かされているミンティ(シンシア・エリヴォ)は、1849年のある日、自由黒人の夫ジョン(ザカリー・モモー)、やはり自由黒人の父ベン(クラーク・ピータース)とともに、牧場主エドワード(マイケル・マランド)に対し、弁護士に調査してもらったところ牧場主の祖父の遺言でミンティの母リット(ヴァネッサ・ベル・キャロウェイ)は45歳で解放されその子たちも解放するとされている、現在リットとミンティを奴隷としているのは違法だ、ミンティの子が生まれたら自由にして欲しいと掛け合ったが、エドワードはその弁護士からの手紙を破り捨て、ミンティもその子も一生自分のものだと言い放った。エドワードが借金を残して死に、残された妻エリザ(ジェニファー・ネトルズ)と息子ギデオン(ジョー・アルウィン)はミンティを南部に売ろうとし、それを知ったミンティは逃亡を図り、奴隷の逃亡を密かに支援するグリーン牧師(ボンディ・カーティス=ホール)の助言を受けて自由州ペンシルヴァニアに向けて走り続け…というお話。

 ミンティが、逃走するに際して、一緒に行こうと迎えに来た夫ジョンに対して一緒に逃走して捕まったら自由黒人の地位を剥奪されると気遣って一人で逃走し、160kmを単独で逃げ切ってフィラデルフィアで新しい名前ハリエットで市民登録をして1年間働いて生活基盤を作った後に、自分が逃走したことで夫や父が酷い目に遭っているはずだとして、単身メリーランドに潜入して夫と父にペンシルヴァニア行きを誘うが、夫はハリエットが死んだと知らされて新たな妻と再婚しており、父は状態の悪い母を置いていけないと拒む(その際に別の奴隷たちが逃走を希望してハリエットが先導して逃走させる)という場面が、切なく悩ましい。
 ハリエットが、置いてきてしまった夫を気遣って危険を冒してメリーランドに戻ったにもかかわらず裏切られたという心情を持つのもわかりますが、他方で、ジョンはハリエット/ミンティの逃走を知ったギデオンの拷問を受けたためと思われますが左目を潰されて、それでもミンティを売らずに知らないと言い続けたものです。死んだと言われて絶望したその心情を責めるのも厳しすぎるように思えます。
 ここは、ハリエットとジョンの感情の対立に着目してそれを批評するのではなく、2人をそのような状況に追い込んだ奴隷制度の非情さ・残酷さの問題にこそ目を向けるべきでしょう。

 ハリエットが、奴隷の連れだしに向かおうとして奴隷解放組織「地下鉄道」のウィリアム・スティル(レスリー・オドム・Jr)や他の活動家から危険すぎる、無理だと反対され、奴隷の置かれた過酷な状況を考えれば一刻の猶予も許されない、あなたたち自由黒人として生まれた人たちには奴隷のことはわからないと言い返す場面が何度か描かれます。
 こういう議論になってしまうと、運動家の中では、良心的であればあるほど反論ができず、左翼的な/反政府的な組織では声が大きく原理的な主張が通りがちです。そのような運動論は、現実的ではなく、容易に権力の弾圧を招いて組織が壊滅したり、表だっては反対できないが嫌気がさした穏健派が抜けていって組織が先細りになるということが多いと予測されます。
 しかし、別の見方をすれば、仮に進化論レベルの多数の失敗が許されるとしたならばではありますが、一見無謀に見える方針であっても結果を出した組織と戦術は生き延びて引き継がれ、結果を出せなかった組織は消えていき、結果を出せなかった戦術は引き継がれないということになり、人間はそういった歴史に学びながら、組織と戦術をも進化させていると言えるわけで、結果を出したからこそ今に言い伝えられたハリエットの行動をただ無謀だと言っていたのでは前進もなかったわけです。といって、ハリエットの行動を他の者がまねて同様の結果を出せるのか、成功の条件/要因は何だったかのきちんとした検討ができなければ、次の成功は導けないわけで、組織論、運動論として、なかなかに難しく悩ましいと思いました。
(2020.6.7記)

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