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たぶん週1エッセイ◆
福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その2)

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 2011年6月に「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か」を書いてから約1年が経過しました。
 その後、東京電力が中間報告書(2011年12月2日:こちらから入手できます)とごく最近「最終」報告書(2012年6月20日:こちらから入手できます)を出し、保安院が技術的知見についての報告書を出し(2012年3月:こちらから入手できます)、政府事故調(畑村委員会)が中間報告(2011年12月26日:こちらから入手できます。なお、政府事故調の最終報告書には津波と電源喪失に関する記載は全くありません)を出しましたが、どの報告書も、判で押したように、津波の到達時刻は第1波が15時27分頃、第2波(最大波)が15時35分頃とし、福島原発震災でメルトダウンの原因となった全交流電源喪失(ステーション・ブラックアウト:SBO)は津波によるもの(津波による非常用ディーゼル発電機本体か電源盤の被水・水没、海水ポンプの被水によるもの)としています。
 今回は、2012年7月5日に公表された国会事故調報告書の参考資料(こちらから入手できます)掲載のデータ等を材料に、SBO津波原因説がいかに根拠薄弱か、さらには他のすべての報告書が依拠している東電の主張がいかにでたらめかを検証してみます。(以下の説明は、国会事故調の報告書参考資料61〜82ページの記載をベースにしつつ、私なりの解説を加え、また私の意見を追加したものです)

第2波15時35分到達説の根拠と嘘
 国会事故調以外のすべての報告書が記載している第1波が15時27分頃、第2波が15時35分頃という津波到達時刻は、東電の報告に従ったものです、東電の報告の根拠は沖合1.5km地点に設置された波高計の記録上の第1波、第2波の時刻です。
 下の図が福島第一原発沖合1.5kmに設置されていた波高計の実測データです。15時27分というのは波高計のデータで第1波のピークにあたる時刻、15時35分というのは波高計のデータで第2波が急速に立ち上がり福島第一原発の防波堤の基本的な高さ(具体的には場所により異なりますが、それは後で説明します)のO.P.(小名浜港基準水位)+5.5mを超えて波高計の測定限界7.5mに達した時刻です。
波高計実測データ
 つまりこれは津波の沖合1.5km地点への到達時刻であって、福島第一原発への到達時刻ではあり得ません。
 国会事故調が、東京電力に対して、津波到達時刻について波高計設置位置のデータを用いていることと沖合1.5km地点からサイトまでの所要時間についてどのように考えているのかに関して回答を求めたところ、東京電力は国会事故調に対して「『15時35分頃』としている津波第二波の到達時刻は、波高計の測定記録です。(略)津波再現計算によると、この1.5kmの伝播所要時間は約2分半です。波高計測定記録に基づいて推定される敷地への津波到達時刻は、15時35分の約2分半後、すなわち15時37〜38分頃であったと考えられます。ただし、港湾内の検潮所の記録は取得できておりませんので、正確な時刻は把握できておりません。」と回答しました。つまり、東京電力自身が、津波第2波の福島第一原発サイトへの到達時刻を15時35分とすることは誤りであることを、国会事故調に対しては認めたのです。
 ただし、東京電力はその後2012年6月20日に発表した「最終」報告書ではまたしても第2波のサイトへの到達は15時35分としました。これはその記載内容からしても確信犯的な嘘で、私はこのできごと一つを取ってみても東京電力という組織をまったく信用できないものと考えますが、そのことは後でまとめて説明します。
 ともかくも、津波第2波到達時刻15時35分説のネタ元の東京電力自身が、国会事故調の質問に対してその誤りを(少なくともいったんは)認めざるを得なかったこと自体、第2波到達15時35分説がいかに根拠薄弱で、他の報告書類がいかに東京電力の主張を鵜呑みにして自ら事実確認をしないままに書かれているかをよく表しています。(政府事故調も保安院も、こんな初歩的な質問さえ東京電力にぶつけなかったなんて、私には信じられないことですが)

全交流電源喪失津波原因説を否定する論理的条件
 さて、具体的で詳細な議論に入る前に、福島第一原発の非常用電源の位置関係と東日本大震災の際の津波の実情から、全交流電源喪失が津波によるのかどうかについて何が大事なポイントになるのか、どのような事実が論証されれば津波が原因ではあり得ないことになるのかについて、まとめておきましょう。
 福島第一原発を襲った津波の唯一の実測値である波高計のデータを見ると、第1波は波高4m程度で、その後大幅に波高の高い第2波が襲来したことがわかります。波高計の測定限界は±7.5mとされていて、波高計のデータは15時35分以降測定限界を超えて不安定になっていることから、第2波の実際の波高は不明です。
 福島第一原発の非常用電源機器を構成する非常用ディーゼル発電機(D/G)、非常用高圧電源盤(M/C)、非常用パワーセンター(P/C)等は敷地高さ10m(1号機から4号機)か13m(5、6号機)の建屋内にありますから、波高が10mよりも大幅に低い津波では浸水しないと考えられます。しかし、非常用ディーゼル発電機を冷却する海水ポンプは、敷地高さ4mの海側エリア(4m盤)上にありますから、盤上1.6mの高さまで浸水すると被水停止する恐れがあります。海水ポンプが停止するとこれにより冷却されている非常用ディーゼル発電機は停止します。しかし、空冷式の非常用ディーゼル発電機(2号機B系、4号機B系、6号機B系)はもちろん、海水冷却の非常用ディーゼル発電機でも1号機A系は海水ポンプ停止による停止信号が設定されていないため海水ポンプが被水しても停止しません(この1号機A系に海水ポンプ停止による非常用ディーゼル発電機停止信号がないことについて、海水ポンプの被水による非常用ディーゼル発電機の停止を強調する保安院も東京電力も政府事故調も報告書でまったく触れていません。政府事故調は素人だから知らないだけでしょうけど、東京電力が報告書でこのことにまったく触れないのは、やはり確信犯だと、私は思います)。
 これらの条件から考えれば、1号機A系、2号機B系、4号機B系については(海水ポンプ被水停止による非常用ディーゼル発電機の停止があり得ないので)電源喪失時刻前に津波第2波が到達していなければ、非常用交流電源喪失の直接の原因は津波ではあり得ないことになります。その他の非常用電源については、海水ポンプ被水停止による非常用ディーゼル発電機の停止も考える必要があるので、電源喪失時刻前に津波第2波が到達したか、第1波によって海水ポンプが被水停止したということでない限り、逆に言えばこの2つの条件が否定されれば、非常用交流電源喪失の直接の原因は津波ではあり得ないことになります。

非常用交流電源の停止時刻
 非常用交流電源の各系統の停止時刻は、国会事故調が東京電力が公表している運転日誌と東京電力公表非公表を合わせたコンピュータ記録から次のように整理しています。
  運転日誌  コンピュータ記録 
 時刻 発生事実  時刻   発生事実
1号機A系   不明 不明   コンピュータ記録なし 
 1号機B系  15時37分 D/Gトリップ   コンピュータ記録なし 
 2号機A系  15時37分 D/Gトリップ   15時37分40秒 D/G遮断器トリップ 
 2号機B系  15時41分 M/C2Eトリップ   15時40分38秒 D/G遮断器トリップ 
 3号機A系  15時38分 所内電源喪失   15時38分11秒 3C母線電圧喪失 
 3号機B系  15時38分  所内電源喪失  15時38分57秒 D/Gトリップ 
 4号機B系  15時38分  所内電源喪失  コンピュータ記録なし 
 5号機A系  15時36分  D/Gトリップ  15時40分02秒 D/G遮断器トリップ 
 5号機B系  15時36分  D/Gトリップ  15時40分13秒 D/G遮断器トリップ 
 6号機A系  15時36分  D/Gトリップ  15時40分07秒 6C母線電圧喪失 
 6号機H系  15時36分  D/Gトリップ  15時40分18秒 D/G遮断器トリップ 
 各系統の非常用交流電源喪失時刻については、東京電力の「最終」報告書にも以下のようにまとめられています(本編106ページ)。なお、東京電力の最終報告書では、非常用電源喪失の時刻について、コンピュータの時計が、自動較正される2号機と5号機以外は必ずしも正確でないとして、地震によるスクラム信号の発信時刻を基準に2号機の時計に合わせて補正しています。そのため国会事故調の整理と時刻にズレがあります。コンピュータの時計の信頼性の問題(高性能じゃないってことですね)はあるでしょうけど、地震によるスクラム信号がすべての号機でまったく同時に発信したという仮定の方がよほど非現実的に思えます(東京電力の「最終」報告書、なんかずれてる感じがします)。
 
 この図、長さの関係で割愛しましたが、上側にオレンジの線が「津波第1波(15:27)」水色の線が「津波第2波(15:35)」と記載されています。水色の線の後でバタバタと非常用電源が倒れているこの図は、津波到達時刻が東京電力の主張通りであれば、いかにも非常用交流電源の喪失の原因が津波だと説得力を持つでしょう。
 でも、実際には右側の図の赤い書き込み(私が書き込んだもの)が本当のところじゃないかと思います。それに、東電の図の▼の位置、ふつうだったら真ん中が記載時刻に対応すると思うでしょうけど、ほぼ左端(左端から15%くらいのところかな)が記載時刻に対応しています。つまり、見た目、実際より電源喪失が遅く見えるように作図しているわけ。実にせこい。

 この非常用電源喪失時刻の問題では、1号機A系について、運転日誌上もコンピュータ記録上も特定されないということと、5号機と6号機で運転日誌とコンピュータ記録が4分もずれているということが目を引きます。
1号機A系の非常用交流電源喪失時刻
 1号機では、コンピュータ記録は15時17分までしかなく、当直員運転日誌には「15:37 D/G1Bトリップ→SBO(A系トリップはいつ?)」と記載されています。国会事故調が行った運転員に対するヒアリングで運転員は、1つめのD/Gが停止して、なぜ停止したのかを調べているうちに次のD/Gも停止してSBOとなり、2つのD/Gの停止時刻の差はものの1、2分、長くて2、3分であったと答えました 。このことから、国会事故調は「A系のトリップは15時35分か36分と考えられる」と判断しました。
 ところが、国会事故調が、2012年5月10日付で、この運転員の証言を示した上で東京電力に対して1Aの非常用電源喪失時刻について他に認定資料があるかを質問したのに対し、東京電力は、東電が再度確認したところ当該運転員を含め数名から1Aと1Bの停止時刻は「ほぼ同時」という証言が得られたと2012年5月30日付で回答しています。
 国会事故調のヒアリングは、東京電力の管理下のJビレッジで、地震当時1号機中央操作室でパネルの監視や機器の操作を直接担当していた運転員4人と東京電力側の立ち会い者が同席して行われ、問題の証言は次のようなやりとりでした。
【運転員】1個目がこけたっていうのは聞こえて、何でこけたんだろう、って言っているうちに、もう一つがこけてSBOになったっていう、話です。
【調査員】あー、そうなんですか。ただ要するにほら日誌にはどこにも1Aがいつ飛んだって話は書いてなくて、かつ、ほらわざわざこう、あの、かっこして「1Aはいつ?」って書いてあるので、たぶんじゃ皆さん分からなかったのかな、と思ってお聞きしている。
【運転員】あぁそれは、中操内では、こけてったというのはわかってました。はい。
【調査員】それは、その、それからしばらくしてというのは、「しばらく」はどれくらいの時間でしょうか。
【運転員】そんなに大きな時間差はないです。本当に何でだろうって言ってる、何が理由でトリップしたんだろうって言ってるうちに、止まったっていうイメージですね。ほんと、ほんとものの1、2分とかいうそういうオーダーですね、はい。
【調査員】ものの1、2分くらい?
【運転員】10分、20分とかいうそういう時間差はなかったですね。
【調査員】逆に言えば何秒という話でもなくて、まぁ1、2分ぐらいの感じ?
【運転員】そこの時間感覚は、ちょっと、わかんないですね、はい。
【調査員】もちろん、あの正確な話を今聞いているのではなくて、まぁオーダーというか、それは分のオーダーですね、1分2分の。
【運転員】まぁ、まぁ長くても2、3分かな、っていう、それ以内ですね。
 この証言の中で、「ものの1、2分とかそういうオーダーですね」「長くても2、3分かな」という言葉は、運転員側から出てきたもので調査員側で示唆したものではありません。ヒアリングが行われたのも東京電力の管理する施設内で東京電力側の方が多人数でした。まさしく自由に出た証言だといえます。また、ここで答えている運転員は同一人物ですが、同席した他の3人の運転員から違和感も異論も表明されませんでした。そういうことから、国会事故調では、この証言は地震当日現実に1号機の中央操作室で直接にパネルの監視や機器の操作に当たっていた運転員の共通認識と判断しています。
 このような証言が、後日、東京電力の「再度の確認」によって簡単に覆されることは大変ゆゆしき問題だと思います。この問題からも、東京電力という会社の体質がよくわかると私は思います。そしてこういうことがあると、東京電力の支配下にある事実について東京電力がいうことは、東京電力に有利に歪曲されたものではないかという疑いを持ってしまいます。
5号機・6号機の非常用電源喪失時刻
 国会事故調の5号機・6号機の運転員に対するヒアリングでは、運転日誌の停止時刻は、ディーゼルトリップの信号を中央操作室で確認したときに中央操作室の電波時計で時刻を確認して記録した、その際、SBOが生じて5分で原災法の宣言をすることになるので時刻を意識したとのことでした。
 この証言は、時刻が自動較正されている電波時計で時刻を確認したという点、SBOから5分で原子力災害対策特別措置法の対応をしなければならないことから特に時刻を意識していたとの2点で、時刻に関してかなり信用性の高いものと考えられます。このことから、コンピュータの記録が本当に正しいのかについて疑問を生じますし、逆にコンピュータの記録が正しいとすれば、なぜ中央操作室で運転員がこれほど大きな時刻認識の誤りに陥ったのか、運転管理の観点から相当大きな問題と考えられます。

写真の撮影時刻問題
 「福島原発全交流電源喪失は津波が原因か」で、私が最も重要な根拠とした東京電力が2011年5月19日に公表した廃棄物集中処理建屋4階から撮影した11枚組の写真について、国会事故調の調査で2点の事実が明らかになっています。
 1つは、この写真は全体では44枚組の連続的な撮影の一部であり、東京電力はそのごく一部だけを選んで公表し、多くを隠していたということです。これから説明するように、この非公開の写真から津波の実情について多くのことが明らかになりますから、東京電力は不利になる材料を意図的に隠していたものと考えられます。まぁ、もうこの会社が何をやっても驚きはしませんが。最初の記事で「国会事故調も報告書のスペースの関係ですべての写真を掲載したわけではありませんから、今なお津波の状況が撮影されている未公開の写真があります。東京電力は直ちに全部の写真を公表すべきものと、私は思います。」と書いておいたら、2012年7月9日、東京電力が未公表の33枚を公表しました(当初公開版はこちら(現在リンク切れ)で入手できたのですが、その後撮影時刻に手が加えられて整理されてこちらに移されました。記載されている経過時刻には、国会事故調に提出されたファイルの撮影時刻とところどころ1秒程度のズレがあります)。
 もう1つは、写真の撮影時刻については、カメラの内蔵時計が正確ではなかったと考えられることです。東京電力は、写真撮影者について国会事故調が請求しても徹底的に拒否し続け、そのために国会事故調は写真撮影者に対するヒアリングを行うことができませんでした。東京電力がそこまで抵抗することからして、この写真にはさらに東京電力が隠蔽したい事実が隠されているものと予想できます。そういうことがあるので、国会事故調は、十分に納得したわけではありませんが、波高計の時刻が概ね正しいと考えられることの反面としてカメラの内蔵時計の方が不正確という現時点での判断を示しています。
 私も、このページでは、その判断を前提にして議論することにします。

津波第2波の到達時刻
 次の一連の写真は、国会事故調が東京電力から入手し、その後2012年7月9日に東京電力が公表した44枚組の写真のうち、津波の第2波が防波堤突端に達してからサイト(4号機海側エリア)に着岸するまでのものです。
 以下、国会事故調の報告書のネット公開版より東京電力公表の写真が遥かにきれいなので東京電力公表版を貼り付けます。
写真1

写真2

写真3

写真4

写真5

 この一連の写真を見ていると、東側(この写真では奥)から、防波堤突端に達した波が次第に手前側に順次防波堤を飲み込むようにして近づいてきて、しかし、最後の写真5では、東側から来た波ではなく、南側(写真の右側)からやってきた波が東側から来た波が手前の防波堤(東波除堤)を超える前に4号機海側エリアに着岸している様子がわかります。なお、後での説明に関係しますが、東側から来た波はこの段階では防波堤を越えるとエネルギーを失って鎮まっていき港内では大きな波は残らないように見えます。
写真5-2
 さて、まずこの津波第2波の4号機海側エリア着岸時刻、すなわち写真5の撮影時刻を検討してみましょう。ここではカメラの内蔵時計の時刻はまったく当てにならないという前提で議論します。ただし、写真の撮影時刻差(間隔)は正しいものと考えます。

 波高計設置位置を通過した東側からの波がまっすぐに福島第一原発を襲ったとすれば、津波の速度(m/s)は水深との間で、水深(m)×重力加速度(m/s)の平方根とされるのでそれで求めればよいのですが、この場合、東側から来た波が着岸する前に南側から来た波が着岸しているので、そのことも考慮する必要があります。
 そこで波高計設置位置(沖合1.5km)から防波堤突端までは、この式により水深13m〜9mの海を約800m進むものとして70〜80秒かかり防波堤突端から着岸までの写真の撮影時刻差56秒と足して、波高計設置位置から4号機海側エリア着岸まで約2分と考えます。そうすると、波高計設置位置を第2波が15時35分頃に通過した以上、第2波の4号機海側エリア着岸は15時37分頃と考えられます。

 さて、実は本当の問題は、さらにその先にあります。4号機海側エリアに着岸した後、1号機〜3号機のタービン建屋に第2波が押し寄せるまでにどれだけかかったかです。
 4号機海側エリア着岸の写真(写真5)から37秒後に撮影された写真6、52秒後に撮影された写真7を見てみましょう。
写真6

写真7

 写真6ではまだ港内は大きな波ではなく、手前側の東波除堤は津波に呑まれていません。写真7でようやく東波除堤が津波に呑まれて港内全般に津波の影響が及んできたという感じです。
 そして、この2枚の写真に写っている津波は、東から来た津波の後続波が防波堤で方向を変えて南東方向から(写真では右から左へ)襲っているように、私には見えます。写真に書き込むと次のように。
写真6-2

写真7-2

 ここまで、第2波について、最初の波は東から押し寄せてきたが防波堤を越えることで勢いを失って港内で東波除堤を超えることもなく鎮まり、南から来た波が南側から4号機海側エリアに着岸し、その後東側から来た後続波が防波堤で方向を変えて南東方向から港内を襲い、この後続波で東波除堤が呑まれて浸水していくという説明をしました。これを図にすると次のようになります。


 このことから考えられることは、4号機の海側エリアが津波第2波の浸水を受けた後、1号機〜3号機のタービン建屋が津波に襲われるまでにはけっこう時間があったのではないかということです。
 国会事故調がヒアリングをした1号機脇の駐車場で津波第2波を目撃した者は、1号機北側の汐見坂下の駐車場から第2波により重油タンクが流されるのを目撃してその際に所持していたPHSで時刻を確認したところ15時39分であった、その後第2波が10m盤に遡上してきたので汐見坂を上って免震重要棟まで避難したと述べています。この目撃証言が正しいとすると、重油タンクを流した波が1号機の4m盤を襲い、その後に1号機の10m盤に津波が押し寄せてきたことになります。そうだとすると、南側から来た波が4号機の4m盤を襲って北に向かい、1号機の4m盤まで達して重油タンクを流し、その波は10m盤には遡上せず、東側から来た後続波が1号機の10m盤を襲ったと考えるのが素直ということになりそうです。
 東京電力は、PHSは自動較正機能がなかったと回答していますから、15時39分という時間をそれだけで確信できないとしても、写真7が4号機4m盤着岸の15時37分頃から1分弱(52秒)経過後の写真であること、港内を進む波の方向もあわせて考えると1号機、2号機あたりのタービン建屋への浸水は15時39分頃と考えることもあながち不合理ではないといえそうです。
 ここまでの話で、少なくとも1号機A系(15時35分か36分停止)、1号機B系(15時37分停止)、2号機B系(15時37分停止)は、タービン建屋に津波第2波が到達する前に停止していると考えられること、3号機A系とB系(15時38分停止)も停止と津波第2波到達の前後関係は微妙な状況にあることが論証できたものと考えます。

第1波による海水ポンプ被水はあったか
 次に第1波が海水ポンプを被水停止させた可能性について検討しましょう。
 福島第一原発の防波堤・護岸と海水ポンプの設置されている海側エリア(4m盤)の位置関係は下の図の通りです。

 これを見ると、北側放水口付近の北側護岸(6号機側)以外の防波堤・護岸は高さO.P.+5.5m以上あります。東京電力が東日本大震災後に測定した結果では敷地の多くの地点で地震前より0.6〜0.7m沈降しているとされています。厳密に言えば、その沈降が津波の前に生じていたかはわかりませんが、津波前にその沈降が全部生じていたとしても、基本的には波高5m程度の津波には耐えられることになります。従って、このことだけを考えても、波高計設置値での実測値のピークが4m程度の津波第1波は防波堤を越えていない可能性が高いと考えられます。
 しかし、北側護岸については、その北側が砂浜で、北側護岸の高さが O.P.+4.1mしかありません。どうしてそういう設計にしたのかはわかりませんが、事実としてそうですから、波高5m足らずの津波でも北側護岸を乗り越えたり、砂浜を遡上した津波が6号機側の4m盤を洗うように浸水する可能性は残ります。
 さて、次に国会事故調が入手した44枚組写真のうち、津波第1波を撮影したと思われるものを見てみましょう。
 津波第1波を撮影したと思われる写真は4枚あって、津波第2波の4号機海側エリア着岸時点(写真5)との撮影時刻差を、波高計の実測データ波形(一番上の図と違いデータ間隔が粗いのと、横方向に拡大されているので、ちょっと印象が違いますが)に書き込むと下の図のようになります。

 この図から見ると、これらの写真は、津波の波形が波高計設置位置(沖合1.5km)と変わらなければ(後で説明するように、海底地形の詳細を反映した東京電力の解析結果を見ても波高計設置位置と1号機海側エリア脇で津波の波形に大きな変化は出ないようです)、津波第1波のピーク付近を約30秒間隔で連続的に撮影したものということになります。
写真@

写真A

写真B

写真C

 この4枚の写真では、北側・南側の防波堤を越える波や手前の東波除堤を越える波は写っていません。そして、この4枚の写真上黄緑の楕円で囲った取水ポンプ室という4号機の4m盤上にある建物が盤面まで見えています。
 「見えている」では納得できない人のためにさらに厳密に検討すると、この取水ポンプ室の西側正面(写真手前側)の寸法は下の図のようになっています。

 この図のaの部分が写真に写っていることは明らかで、これが4枚の写真でそれぞれ2ピクセル幅になっていて、写真のbにあたる部分が4枚の写真ですべて8ピクセル幅になっていることから、bの部分全体が写真に写っているものと判断できます。
 4枚の写真で取水ポンプ室の建物の下側に1ピクセル幅の白い線が見えます。これは、私は手前に写っている建物等の上側(天板)が日の光で白く見えているのではないかと思っていますが、津波の浸水ではないかと見る人もいるかもしれません。しかし、もしこれが津波の浸水だとしても、この写真の1ピクセルは取水ポンプ室西側正面では50cm〜60cm程度(4.3mが8ピクセルですから)なので、浸水があっても数十cm程度にとどまります。海水ポンプを被水停止させるには4m盤上1.6m以上(実際には1.7m以上)津波が浸水する必要があり、そこまで津波が浸水すれば取水ポンプ室の4割くらいの高さ(3分の1超)が水没することになります。この写真から、それが起こったと判断する人はいないだろうと思います。
 そして、波高計の実測データで第1波の波形を見ると、第1波は立ち上がりから約10分かけて約4mに達しています。1分かけて40cm、水深10mでの津波の通常速度10m毎秒=600m毎分で考えるとtanθ=0.00067、角度に直すと仰角は0.04°足らずですから、目で見て波と把握することはほぼ不可能だと思います。第1波は、津波というよりも速い満ち潮や高潮のように見えるはずです。その結果として、第1波が防波堤を越えるのであれば、第2波のようにいったん飲み込まれてまたすぐ現れるということはなく、相当時間水没するという形になるはずです。もちろん、津波の表面では波の揺らぎや波浪によって多少の上下はあり得ます(一番上の波高計実測データの図ではそれが表現されています)がそれはせいぜい数十cm幅までです。
 そういうことを考えれば、写真が撮影された間隔の約30秒の間に大幅に浸水があって引いたなどということはとても考えられません。
 この写真に写っている、第1波が押し寄せている時間帯に港から出て行く途中の船舶の乗員は、国会事故調のヒアリングに際して、港の中では津波に遭遇しなかったことを述べています。このことから第1波によって少なくとも南防波堤が水没したことはなく、第1波が基本的には防波堤を越えることはなかったと判断できます。3号機タービン建屋の東側を1号機方向に避難しながら第1波を目撃した者は、国会事故調のヒアリングに対して、東波除堤を波が超えるのを見たが大きく超えるのではなく台風報道でよく見るような様子だったと述べています。このことから、第1波は東波除堤を水没させることはなく、波浪レベルの揺れが時折東波除堤を越えたに過ぎず東波除堤の内側の流入した水はわずかで4m盤に被害を与えるには至らなかったものと判断できます。
 ただし、北側の6号機と5号機については、第1波に関する情報が少ないことから十分な判断ができません。北側護岸が低いことからすれば、第1波が北側護岸を越えて6号機の4m盤に被害を与えたということは、あったかもしれません。

 これまでの話で、第1波により海水ポンプが被水停止した可能性は、少なくとも1号機から4号機ではないということがほぼ論証できたと思います。
 その結果、1号機A系(15時35分か36分停止:こちらはもともと海水ポンプの被水停止は無関係)、1号機B系(15時37分停止)、2号機A系(15時37分停止)については、全交流電源喪失の原因は津波でないということがほぼ論証できたと考えます。15時38分停止の3号機A系とB系は、微妙な前後関係で、少なくとも津波によるということが明確とはいえず、疑問が残るものと考えます。
(なお、ややマニアックな話になりますが、もしも3号機の非常用交流電源喪失が海水ポンプの被水停止が原因だとした場合、海水ポンプの被水停止(ポンプ電動機の停止)によるポンプ吐出圧の低下後一定時間の経過によって非常用ディーゼル発電機の停止信号が出ますが、その設定時間は3号機だけが10秒で、他の号機はすべて60秒になっていますから、海水ポンプの被水停止が原因なら非常用ディーゼル発電機の停止信号は他の号機では3号機より50秒程度遅くなるはずです。そのことからも3号機より早く非常用ディーゼル発電機が停止している1号機B系、2号機A系は海水ポンプの被水停止を考える余地はないということになります。先に述べたとおり、1号機A系についてはもともと海水ポンプの被水停止は問題になる余地がありません)

東京電力の津波再現計算について
 東京電力は、2011年7月8日に津波の再現計算を行って保安院に提出しました(一般公開の「概要版」はこちらで入手できます)。この再現計算報告書の一般非公開の詳細版で、東京電力は、津波の再現計算によれば、15時26分頃から津波の第1波により約2分で1号機から6号機までのすべての海側エリア(4m盤)全体に浸水し、第2波が15時34分頃に到達し、約2分で主要建屋に浸水したとしています(津波再現計算報告書4−1頁)。
 東京電力の津波再現計算は、波源モデルとして断層モデルを設定し、そこから計算した津波の浸水高・遡上高が各地の調査結果を合うように断層モデルを調整したものです。断層モデルと最終的な浸水高・遡上高が再現されたとしても、津波の到達時刻や各波の高さに関する計算結果である時刻歴波形が正確に再現できているとは限りません。その点は検潮記録との対照により検証されなければなりませんが、東京電力の津波再現計算は最初におこなった断層モデル(M24)による計算波形でも、波高計実測値と比較して、津波第1波の波高を5割増し(実測値4m、計算値6m)に過大評価し、波高5mを超える第2波(要するに防波堤を越える可能性がある実質的な第2波)の波高計設置位置到達時刻を約2分早く評価するものでした。(津波再現計算報告書3−44頁)
 第1波の波高が高くなれば、特に波高が5.6mを超えれば、第1波により海水ポンプが被水したとして津波により非常用電源が喪失したとの説明をしやすくなります。第2波の到達時刻が早くなれば、特に到達時刻が最も早い電源喪失時刻と見られる15時36分 以前となれば、非常用電源の喪失が津波によることを説明しやすなります。東京電力の計算波形の実測値との相違はどちらも非常用電源の喪失が津波によるという説明に都合のいい方向のものです。このズレは、偶然に生じたものでしょうか。
 しかも、東京電力は、津波の浸水高・遡上高の再現をよくするためとして、福島第一原発については最初の断層モデルのすべり量を1.23倍としたモデル(M45)を用いています(津波再現計算報告書3−3頁)。しかも、それにもかかわらず、東京電力は、一般非公開の詳細版にさえ、M45を用いた波高計設置位置の計算波形は示していませんでした。
 国会事故調が東京電力にデータを提出させて再現した、東京電力が福島第一原発サイトの再現計算に用いた断層モデル(M45)による波高計設置位置での計算波形では、第1波の最大波高は7.256mにも及び、第1波の波高を実測値の8割増しもの過大評価するものとなっていました。またその計算波形では、第2波は地震後46分13秒(15時32分31秒)時点の波高6.075mから3秒後には13.777mまで急速に立ち上がっていて、実測値の5m以上部分の到達時刻を2分以上早く評価するものでした。

 東京電力の再現計算の波形を、波高計設置位置の波形と1号機海側エリア脇(10m盤遡上直前)で比較すると、下の図のようになります。

 これをみると、第1波は波高計設置位置と1号機海側エリア脇で波高はほとんど変わらず(1号機海側エリア脇で、より長周期になっていますが)、第2波は1号機海側エリア脇で波高計設置位置より少し波高が低くなる傾向にあります。このことからすれば、波高計設置位置での波高を過大評価すれば、1号機海側エリアでの波高もやはり過大評価することになるという関係があることわかります。
 東京電力の津波再現計算は、波高計設置位置での波形について、実測値を大幅に過大評価しているもので、これをベースに実際の津波の姿を議論するレベルにはとても達していないものと評価することができます。

 国会事故調が東京電力に対し、津波第1波による4m盤の浸水の有無、浸水の範囲、浸水の経路について東電の意見があればお聞きしたいと改めて回答を求めたのに対して、東京電力は、「津波第1波の状況について明確に確認できている情報はありません」と回答しました。先にも紹介しましたように、国会事故調からの、津波到達時刻について波高計設置位置のデータを用いていることと沖合1.5km地点からサイトまでの所要時間についてどのように考えているのかという質問に対して、東京電力は、「『15時35分頃』としている津波第二波の到達時刻は、波高計の測定記録です。(略)津波再現計算によると、この1.5kmの伝播所要時間は約2分半です。波高計測定記録に基づいて推定される敷地への津波到達時刻は、15時35分の約2分半後、すなわち15時37〜38分頃であったと考えられます。ただし、港湾内の検潮所の記録は取得できておりませんので、正確な時刻は把握できておりません。」と回答していました。さらに国会事故調が津波再現計算の津波到達時刻の記載についておこなった質問については、東京電力は「津波の再現計算では、波高計で観測された時刻よりも少し早い時刻に第二波が波高計位置で現れております。保安院へ提出した報告書では『解析結果によると』と断った上で再現計算結果を報告しております。当社は、波高計の観測記録が正と考えております。再現計算の精度向上については今後の課題と考えております。」と回答していました。
 これらの東京電力の回答からしても、東京電力の津波再現計算は、一応やってみましたというレベルで、少なくとも時刻歴波形については津波の実像からはかけ離れたものだと、東京電力自身認めている代物と評価できます。従って、津波の実像を議論するときに、東京電力の再現計算は気にする必要はないと考えます。

東京電力「最終」報告書の嘘
 東京電力は、国会事故調に対して、津波第2波15時35分到達説の誤りを明確に認めていたにもかかわらず、「最終」報告書ではまたしても津波のサイト着岸は15時35分頃と言い出しました。
 東京電力「最終」報告書は本編8ページで「15時33分頃から急な水位上昇が観測され」とし、本編9ページで「福島第一原子力発電所沖合の波高計設置位置では、上述したとおり、緩やかな水位上昇の後、一旦水位低下傾向を示したのに続く急な水位上昇が再現されており、発電所沖合の波高計の位置では15時33分頃、発電所自体には15時35分以降に最大波が到達している。細かい水位変動を除けば、第二波が最大波となっている。」として、以後特段の説明なく発電所には15時35分に第2波が到達したという記述を繰り返しています。
 要するに、東京電力は、15時35分第2波到達という結論を動かさないために、これまで波高計設置位置15時35分通過と読んでいた第2波を、15時33分通過と評価替えしたということです。

 つまり東京電力は、これまでは本来の意味の最大波である波高計設置位置15時35分の第2波から、波高計設置位置で15時33分過ぎに立ち上がって波高5m弱レベルになった小さな波、グラフでは小さなコブのような部分を捉えて「波高計の位置では15時33分頃」到達した「最大波」などと言い出したのです。
 この小さな波はおそらく15時35分というよりは15時36分頃に福島第一原発についたと思われますが、先に示したように東京電力が海底地形を織り込んで行った解析で津波が波高計設置位置から1号機海側エリア脇まで進んでも波高は大きくならないということから見ても、防波堤を越えず第1波同様にサイトには被害をもたらすことなく消えていったものと考えられます。
 最初の記事で「東京電力が今なお公表せずに隠し持っている津波の写真が公開されれば、そのことがもっと明らかになるのではないかと思います。」と挑発しておいたところ、先ほど述べたように2012年7月9日、東京電力が未公表写真を公表しました。その中で、先ほどの第2波の大きな波が防波堤突端に達している写真の1分08秒前に撮影された写真には、防波堤を越えない規模の小さな波が防波堤突端に達しているところが写っています。

 小さな波なので、どれが波か見えにくい人もいるでしょうから、波の前線を黄緑で示してみるとこうなります。上の写真と比べてみるとかろうじて波があるのがわかりますね。

 この小さな波は、大きな第2波の1分08秒前ですから、波高計設置位置を15時34分頃に通過した波、まさしく東京電力が波高計の位置では15時33分頃に通過したという波のピーク部分にあたると考えられます。
 このようなサイトに影響しない小さな波を捉えて第2波到達時刻をいうことは、極めて低レベルのごまかしです。国会事故調に対しては、15時35分第2波到達説の誤りを認めておきながら、その舌の根も乾かぬうちにこのようなごまかしで国民には15時35分第2波到達説が正しいかのようにいう東京電力の二枚舌には呆れるほかありません。こういうことをされると、私は東京電力のいうことをおよそ信用する気になれません。
2012年7月21日、原子力資料情報室のUstreamでこの内容を解説しました。アーカイブ映像はこちら

東京電力の2013年5月10日発表を受けた続編→福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その3)

このテーマについて2013年10月4日、原子力資料情報室のUstream番組で詳しく話しました。
こちらでアーカイブ視聴できます。

現時点での最新版はこちら
  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その5)
  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その6)
  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その7)
  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その8)
  福島原発全交流電源喪失は津波が原因か(その9)

(2012年7月5日記、7月10日更新、同日再更新)
2013年5月11日、2021年5月31日リンク切れ補正等チェック

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