庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
ここがポイント
 ただ80歳の老人の肉体で生まれ、年々若返っていく、知能は赤ん坊から成長し記憶は失われないという設定が、全く無前提になされ、科学的・生物学的説明は全くなし
 主役2人のベンジャミンとデイジーよりも時計職人ガトーや看護師クイニーの姿の方が感動的なのはどうしたものか

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 80歳の老人の体で生まれ年を経るにつれて若返る不思議な男の人生を描いた映画「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を見てきました。
 封切り初日にもかかわらず109シネマズ木場は5番手のスクリーンのシアター8(134席)をあてがい、それでも封切り初日初回上映が3〜4割の入り。アカデミー賞候補といっても暗くて小難しそうですからね・・・。

 もちろん、何の科学的・生物学的説明もありません。ただ80歳の老人の肉体で生まれ、年々若返っていく、知能は赤ん坊から成長し記憶は失われないという設定が、全く無前提になされています。ですから設定については、もう突っ込む気にさえなれませんが、肉体は若返っていく、精神は後退しないという仕訳を考えるとき、人間の脳の活動はどこまでが器質的なものか(肉体に依存するのか)が見ていて気になりました。記憶は脳細胞の変化と関係ないのか、映画では幼くなっていったベンジャミンが最後に「認知症」になりますが、認知症は器質的なものではないのか、映画の前提として基づいている脳科学の知識の仕訳が少し引っかかります。

 映画のメインは、若返っていくベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)と、その人生を重ねていくデイジー(成長後はケイト・ブランシェット)ですが、私は、その周囲の人々の人生の方に打たれました。
 ベンジャミン誕生前に登場する、ニューオーリンズの時計職人ガトー(イライアス・コーティーズ)。生まれつき目が見えないガトーは努力の末腕利きの時計職人となりニューオーリンズ駅の大時計の製作を任されますが、息子が第1次世界大戦に召集されて戦死し悲しみに打ちひしがれ、あえて逆に回る時計を製作し記念式典で時間を逆に進められれば死んだ者たちも戻ってこれると演説、聴衆を涙ぐませますが、仕事は来なくなり、ガトーも行方不明となります。子の親の悲痛な思いと反戦の静かな心の叫びが胸を打ちます。ガトーの思いがベンジャミンの誕生につながったのか、映画ではラスト付近でもう一度ガトーの時計のその後に言及し、洪水に飲まれる現在の時計をクローズアップしていますが、ベンジャミンの生き様にはあまり影響していないように見えます。ベンジャミンの人生そのものよりガトーの生き様とメッセージ方が感動的なのは、どうしたものでしょう。
 次に感動的なのは、捨てられたベンジャミンを拾って育てる老人施設の看護師クイニー(タラジ・P・ヘンソン)です。当初、体が悪く子どもが産めないという設定ですが、老人の顔をした捨て子の赤ん坊を見ても、医師に診察させて老人の体で病気がたくさんありそれほど生きられないと言われても、頑として自分で育てると言い続け、現に一生育て続けます。それも、その後自分の子どもができてもベンジャミンを遠ざけることもなく、ベンジャミンの父が名乗り出て大金持ちだとわかっても財産に何の関心も示しません。ベンジャミンやデイジーよりもクイニーの姿の方が感動的なのは、どうしたものでしょうか。
 悪役になる、ベンジャミンの父、トーマス・バトン(ジェイソン・フレミング)です。この人、自分の妻が出産時に大きなダメージを受けて今際の際に赤ん坊を頼むと言っているのに、赤ん坊が老人の顔をしているのを見て驚愕して赤ん坊を抱いて街に走り出し、そのまま老人施設の前に捨て子にして置き去りにします。このシーン、赤ん坊を捨てたこと自体より、妻がはっきり死んだというアクションがない、まだ危篤状態で生きているのではという状況で赤ん坊を抱いて外に走り出たことの方にビックリしました。死にかけている妻を見捨ててどこへ行く?それはさておき、ベンジャミンを捨てたトーマスですが、それを後悔してベンジャミンのその後を見守り、自らの命が長くないことを知るとベンジャミンにすべてを相続させると言い出します。この際、トーマスには身寄りがないと。つまり、トーマスは、妻を失いベンジャミンが生まれてから20年以上も再婚することなく過ごし、ベンジャミンを見つめてきたというのです。

 そういう姿からすると、ベンジャミンは、奇妙な運命にさいなまれたとはいえ、(精神的に)青年となった後は、自分の気まぐれで放浪し、父親の遺産で生活は保障され、次第に若返って生活や恋は容易になっていくという人生。デイジーは、ダンスで成功し、奔放な性生活を送り、ベンジャミンと紆余曲折の上で結ばれ娘ができてベンジャミンが遺産を残して姿を隠した後もすぐ再婚するし、どこか好き放題の人生。
 ベンジャミンが若くなり続けて、子どもになってしまうと悩んで姿を消す、その思いと、子どもの体で「認知症」となったベンジャミンを引き取るデイジーの姿には、そこは切ないものがこみ上げますが。
 ベンジャミンとデイジーの、一番美しいシーンが老人姿のベンジャミンと少女期のデイジー(エル・ファニング)の語りだと感じてしまうのは、私だけでしょうか。
 ベンジャミンとデイジーは、老人から若者へ、思春期から老人までの幅広い年齢期を演じなければならなかった俳優の大変さはわかりますが、その分、なんとか演じきったねという感じが強く残ります。

 テーマからして、年齢のことばかり注目されてしまうのですが、若さを保つことに汲々とし若さに憧れ続ける人々は、この映画にどういう感想を持つのでしょうか。そういう他人の感想が気になってしまう映画でもあります。

(2009.2.7記)

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